第30話
「このチビが俺様の妹を誑かした子供か」
今、筋骨隆々の大男がボクを見下ろしている。でかい。とにかくでかい。彼をひと言で表現するならば、巨人。百九十センチのパパを優に超える身長に、ボディビルダーをふた回り以上もパンプアップさせた筋肉の鎧。腕なんて、ボクが両手を回しきれないくらい太い。そしてその体高よりも大きな両刃の戦斧を背負っている。
そして彼もラビーニャさんと同じく獣人なのか、肌が灰色の毛で覆われていて、フサフサの尻尾も生えている。
これらの特徴だけでも圧倒されているんだけど、ボクが一番気になっているのが――、
「なんだ。俺様のチャーミングな顔に文句でもあんのか? おおっ?」
「い、いえ……」
これだけ恐ろしいいで立ちなのに、どういうわけか顔は可愛らしい兎なのだ。しかもラビーニャさんと違い、ケモ度百パーセントの兎。ギャップが激しいってレベルじゃないぞ、コレ。
首から下の見た目と尊大な物言いでプレッシャーが凄いのに、頭部分のせいですべてが台無しなんですけど!?
凄まれてもあんまり怖くないから、とっても反応がしづらい。
心配で様子を見に来たパパたちも、必死に目を逸らしている。精霊ゴーレムたちなんて、笑いそうになるケットをクーが止めるというやり取りをしている。そんなことをしていないで、みんなボクを助けてよ。
「俺様はコロッサーレの民を束ねる獣人王、ガオル。貴様のその態度は不敬であるぞ」
えぇえええ!? この人が獣人王? もう情報過多すぎて、脳内のツッコミが追い付かない。
ってことはラビーニャさんは王様の妹だったってこと? どうしてそんな大事なことを教えてくれなかったの、と責めるような視線を送ると、ラビーニャさんは両手を合わせて「ごめん!」と謝った。
「まったく情けない……おい、ラビーニャ。こんな矮小な人族から施しを受けるなど、貴様に獣人としての誇りはないのか?」
「で、でもプライドじゃお腹は膨れないよ! 兄様は同胞に黙って死ねっていうの!?」
「そのとおりだ。牙を失った獣は淘汰されるのが自然の掟だ。弱い獣人など、俺様の国には不要!」
獣人王を名乗るガオル王は、ラビーニャさんを叱りつけるとキッとこちらを睨みつけた。やばい、ボクが彼女を唆したと思われたんだ。
「あ~いや、違うんです! これはボクのワガママで」
「……なに?」
慌てて釈明をしようと口を開くと、ガオルさんの視線がさらに鋭くなった。ひぃいいい! そんな目で見ないでくださいよぉ!
「おい。黙って見ていれば、さっきからなんなんだお前」
「――あ?」
「王だかなんだか知らないが、妹に対してその言葉はないんじゃないか?」
ラビーニャさんを庇うように、ガオル王の前にひとりの女性が出てきた……ってイザベルお姉ちゃん!? 貴女なにしているんですか!
「ほう? 中々に骨のありそうな武人が出てきたな」
「お前こそアタシが女だからって判断しないところは褒めてやるよ」
いやいやいやいや、なにを煽り合っているのさ二人とも!
「ほう……ならば手合わせしてみるか? 獣人のルールは『自分の意思を通したくは己の武で示せ』だ。御託ではなく、戦うことで相手を知る文化なのでな……この俺の前で力を見せてみろ」
ガオル王はそう言うと、背中のバトルアックスは使わずにゆっくりと柔道家のような構えを取った。その動作だけで地面が揺れるような錯覚に陥る。だけどそんな威圧を受けてなお、イザベルお姉ちゃんは一歩も引かなかった。
「……ふっ、上等だ。こちらこそ相手が王だろうと手加減するつもりはないからな」
そう言って彼女は腰に下げていた手甲を嵌めると、拳を構えた。そしてそのままじりじりと距離を詰める。
「ちょっ、パパ。いいの?」
「あん? 大丈夫だろ。なんかあったら俺が止める……が、俺の娘はそんな弱くねぇぞ?」
「やれーなのニャ!」
「ちょっとケット! 空気を読むでござるワン」
「イザベルちゃん、頑張ってー!」
ちょっとママまで!?
すっかり観戦モードのケットたちをよそに、二人が間合いに入った瞬間――ガオル王とイザベルお姉ちゃんの拳が同時に激突した。
「……ッ!?」
「獣人王もこんなものか」
だがガオル王も負けじと、瞬時に次の攻撃へと移る。拳がイザベルお姉ちゃんの身体を捉えようとした瞬間、イザベルお姉ちゃんは咄嗟に横っ飛びして回避すると、そのままガオルさんの背後に回り込んだ。
「甘い!」
だけどその攻撃も読まれていたようで、彼は斧を背中に回してガードしていた。さらに彼女は蹴りを入れようとするけれど、それはバックブローによって迎撃されてしまう。
「……中々やるな、人族の娘よ」
「獣人王こそ、さっきは侮ったことを詫びてやるよ」
不敵な笑みを互いに浮かべながら、二人は再び構えを取った。どちらも拮抗した戦力なのが楽しいみたいで、本来の目的なんてそっちのけだ。
「これは、もう止められないね……」
「……だな」
ボクとパパはガツンゴツンと鈍い音を立てながら殴り合う戦いを見ながらそう呟いたのだった。
だけど予想外な事態がこの戦いに終止符を打った。
「――なんだ?」
始めはなにかの雄叫びだった。そして次第に地面を揺らすような上下振動が足に伝わってきた。
「ね、ねぇネルっち」
「どうしたのラビーニャさん」
隣りでピョンピョンと跳ねながら遠くを見ていたラビーニャさんが、焦ったように声を掛けてきた。
「なんだか向こうの方から砂煙が上がってるよ」
「え?」
彼女の言葉に顔を上げると、たしかに遠くの丘から大量の砂埃が上がっているのが見えた。あれは……馬? いや、商隊か? それにしては多すぎないか? あの数はまるで軍隊だ。
「ねぇパパ、ママ。アレはなに?」
「わかんね。少なくとも誰かが訪問してくるって予定は聞いてねぇぞ」
「まるでダンジョン災害のスタンピードみたいだわ」
すると今度はアイリス様がスチュワードさんを連れて、慌てたように駆け寄ってきた。そしてボクの肩を掴むとガクガクと揺さぶってきた。
「大変です、恐ろしいほどの魔物がこの男爵領に向かっているとスチュワードの部下から連絡がありました!」
「え? 魔物?」
あれ全部が? でもなんで?