第27話
それは青天の霹靂だった。
「ただいまー!」
明るい声が屋敷の中に響き渡り、ダイニングでのんびりと昼食を取っていた男爵家の面々がそれぞれの反応を示す。
「おい、まさか」
「間違いないわ。あの声は――」
「ど、どどどどうしてあの人がっ!?」
え、誰? 知り合い?
急に震え出したエディお兄ちゃんを部屋に残し、ボクは両親のあとについて玄関に向かう。するとそこには、長身スレンダーの美女が立っていた。
もしかしてこの人って……。
「お帰りなさい、イザベルちゃん」
「母様久しぶりっ!」
ママが声を掛けると、彼女は大きな荷物を肩から降ろすとニカッと快活な笑顔を浮かべた。まるで夏休みの旅行から帰ってきたかのような気安さだ。
名前から察するに、この人がボクの姉であるイザベルお姉ちゃん? 見た目はママに似て美人だけど、性格はサバサバとしていてパパ寄りなのが初対面でも分かった。
荷物の次は簡単な皮鎧に随分とゴツいガントレットを外し、ゴトンゴトンと重たい音を立てて床に投げ捨てていく。
「ちょっと、イザベルちゃん? 貴女いい年した女の子なんだから、玄関で脱がないで先に中へ入りなさいよ」
「いいじゃん、せっかく実家に帰ってきたんだしさー。それに騎士団の中じゃ誰もそんな細かいことは気にしない気にしない~」
「え? 貴女、騎士団にいたの?」
「あれ? 言わなかったっけ~」
ズボンにタンクトップというラフな格好になると、長い金髪のポニーテールをかき上げてから「フゥー」とスッキリした顔になった。
なるほど、分かったぞ。エディお兄ちゃんがビクビクしていたのは、お姉ちゃんが怖いからだな。
「まったくお前は手紙も寄越さず、毎回金だけ送ってきやがって。だが元気そうだなイザベル」
「オヤジこそ相変わらずだね~、便りがないのはなんとやらって言うだろ? そういえば愚弟のエディは相変わらず引き篭もり? って、そのチビっ子はもしかしてネル助じゃない!?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す姉ちゃんに、ボクは「ネル助じゃなくてコーネルだよ!」と反論した。
「あはは! 覚えてるよ~ネル助~」
そう言って姉ちゃんはボクを両手でヒョイと抱き上げた。まったくもう……。
そんなボクたちのやり取りをパパはニコニコと見守ってくれていて、ママは「ご飯の準備するわね」とキッチンに向かい始めている。うん? ところでエディお兄ちゃんはどこに行ったんだろうと思って振り返ると……二階に向かって猛然と駆けだしていた。その形相はまさに鬼のごとし。
「あ、あの野郎っ! アタシの顔を見て逃げ出しやがったな!」
「イザベルちゃん、落ち着いて。きっと貴女の態度が怖いのよ」
「はあ!? そんな訳ないだろ! っておいエディ!」
二階に向かって叫ぶお姉ちゃんだけど、どうやら逃げ足が速いらしく、すでに姿はないようだ。まぁボクも同感だけどね。だって今の姉ちゃんは……うん。ちょっと刺激が強すぎるよ。
「まったくもう……あの愚弟は……」
「でも元気そうで良かったわ。騎士団ではどんなお仕事をしているの?」
「え? えっと~。そ、それよりネル助はすごい活躍らしいじゃないか。噂は王都にまで聞こえているぞ?」
なんだか誤魔化すように話題転換をするお姉ちゃん。なんだか怪しいな……。
「そうだろ? 農業ができるようになって、だいぶ男爵領も変わったんだぜ」
「オヤジの夢だったもんな~! ま、しばらく滞在するからさ。ゆっくり話を聞かせてくれよ!」
「あぁ、もちろんだ」
それからボクたちはダイニングで久しぶりに一家団欒の時間を過ごしていた。お兄ちゃん? もちろん部屋から連れ出されてロープでグルグル巻きにされて椅子に括り付けられていたよ。
「いやぁ、思っていた以上に元気な人だったなぁ」
寝る時間になり、ボクはイザベルお姉ちゃんから聞いた面白い話をベッドに寝転びながら思い出していた。
王都でもイザベルお姉ちゃんはすごく有名みたいで、平民の出だってのに曹長にまで上り詰めたんだって。それで今は辺境での魔物対策や開墾なんかを指導する仕事を任されて、毎日忙しくしているんだとか。
ちなみに突然家に帰ってきた理由は聞けずじまいだった。男爵領があちこちで噂になって、一度自分の目で見たくなった……なんて言ってはいたけれど。
「ま、いいか。久々に一家揃って、みんな嬉しそうだったし……ん?」
そろそろ寝ようかと思ったところで、部屋の扉がトントンとノックされた。こんな時間に誰だろう?
「はーい、今開けるね」と返事して扉を開く。すると……。
「やぁネル助。ちょっといいかい?」
そこには、寝間着姿のお姉ちゃんが立っていた。可愛いクマ柄のパジャマで性格とのギャップが激しい。
どうしたんだろうと考えていると、
「あ、あのさ。ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「相談? お姉ちゃんがボクに?」
首を傾げるボクに構わず、姉ちゃんはずかずかと部屋に上がり込んできた。そして振り返ったかと思ったら、急に土下座のポーズになった。
「……って、なにしてるの!」
「頼む! アタシにどうしたら結婚できるのか教えてくれ」
「はぁっ?」
いや、全然意味が分からないから! 結婚って、聞く相手を間違えてるでしょ!
ていうかどうして結婚がしたいんだろう? あんまり恋愛とかに興味がなさそうなのに。
「じ、実は……」
言いにくそうにしながらもお姉ちゃんは理由を教えてくれた。なんでも、昔からパパやママたちみたいなラブラブな夫婦に憧れていたそうだ。大恋愛の果てに夫婦として結ばれ、幸せな家庭を築くのが夢だった。聞けば王都に出稼ぎに行った理由の大半は婚活だったらしい。だけどこの性格と、パパ譲りの腕っぷしの強さが仇になった。魔物や対人戦闘では負けなしでも、恋愛では連敗が続き、とうとうお姉ちゃんの乙女心はハートブレイクしてしまったらしい。残念美人過ぎるだろこの人……。
「あの、だからってボクに聞かれても……こっちは五歳児なんだけど」
「分かってる! でもお前は王女様と婚約関係だって聞いた!」
「うっ、それはそうだけど……」
「それに天才なら結婚の仕方もアドバイスできるだろ? アタシはもう、行き遅れだって馬鹿にされるのは嫌なんだ……」
メソメソと涙声で懇願するお姉ちゃん。これは困ったぞ。上目遣いで頼まれても、分からないものは分からないのだ。恋愛なんて前世でもロクにしてこなかったし。
「頼む! どんなアドバイスでもいい……アタシは結婚がしたいんだ!」
「わ、わかったって。なにか考えてみるよ……でも期待はしないでね?」
当たり障りのないことを言って、お茶を濁すしかないか。だけどそんなボクの言葉に姉ちゃんはガバッと顔を上げた。
「ありがとう! 恩に着るよ!」
あぁ、なんだか不安だ……。