第24話
豊穣祭という一大イベントから数週間が経ち、男爵領に落ち着きが戻ったころ。秋の収穫ピークも過ぎて、ゆるやかに冬を迎えていた。大陸の最東に位置するこの地方は一年中を通して気温が暖かく、冬の時期になっても雪が降り積もることは珍しい……はずだった。
「さむい……」
肌を刺すような冷え切った空気のせいで目が覚めてしまったボクは、ベッドから起きると窓の外を見た。そろそろ空が白み始める時間だけど、今日は空一面が灰色の雲で覆いつくされていて薄暗い。この調子だと昼には雪がちらつきそうだ。
前世だと気象予報士とかがいたけど、この世界にはまだいないみたい。だから天候を予測する手段がないんだよね……まぁジョブがあるから天気ぐらいスキルでどうにか予知しそうだけど。
「うぅ、畑に出なくっちゃ……」
たとえどんなに寒かろうとも、休めないのが農家のつらいところ。作業着の上に厚手の毛皮コートを羽織って、急いで外へと向かった。
「あれ? もう起きてたのか」
すると庭先でパパがタンクトップ姿で木刀の素振りをしていた。足元には大量の汗と湯気が散らばっている。まったく、この寒空の下でよくやるよね。
「うん。なんか目が覚めちゃって」
「あんまり無理はするなよー、今日は大事な日だからな」
「はーい。用事だけ済ませたらすぐに戻るよ」
そう言ってボクは野菜の様子を確認するために、前庭を抜けて畑の方へと向かった。
「うひゃー、真っ白で遠くが見えないや」
畑の周辺は白いモヤがかかっていて、いつもは遠目に見える枯れた生命の樹も今日は姿を消している。近くを流れる川の水が蒸発したあとに、冬の空気に冷やされて霧が生まれているんだろう。だけどこれだけ寒くても、魔素のせいで霜柱はどこにもない。足裏でザクザクと踏みつけられないことを少し寂しく思いつつ、目的の畑へとやってきた。今朝の作業は大根と長ネギの土寄せだ。
「じゃあお願いね」
ボクはそう言ってトラクター型ゴーレムに魔力を流す。するとゴーレムは四駆の車輪と後背部にあるロータリー部分をそれぞれ回転させ、土をほぐし始めた。そして続けざまに二台目のゴーレムに命令を出していく。こっちのゴーレムはある程度耕された土をすくい取って、大根や長ネギの白い部分に掛けていく役割がある。こうすることで色形の良い野菜に育ってくれるのだ。
「ふふふ、砂風呂ならぬ土風呂みたいに野菜たちも喜んでるね」
ちなみに比喩じゃなく、本当に野菜たちは喜んでいるのだ。なんとこの大根と長ネギは魔物化している。しかも襲い掛かってくることはなく、むしろ土の中で美味しくなるまでジッとしてくれるという大人しい性質があった。その理由は分からないけれど、どちらも冬の寒さに当たると甘味を増す野菜という共通点があるし、もしかしたら土の中が好きなのかもしれない。抜こうとするとちょっとだけ嫌そうにするし、なんだかマンドラゴラみたいだ。
「さてと……あとは領内をパトロールしようかな」
もうすぐやってくるであろうエディお兄ちゃんに残りの作業は任せて、ボクは芝刈り用のゴーレムに飛び乗った。サッカーのグラウンドやゴルフ場の芝を刈るような小型のバギーみたいなゴーレムで、五歳児のボクが乗り回すには丁度いいのだ。これで領民の耕す畑のチェックや、肥料工場の様子を見に行こう。途中でアイリス様の屋敷に寄って……そうだ、バイショーさんから果樹の苗を入手したって連絡があったから、あとで受け取りに行かないと。
「うん?」
パトロールを終えて屋敷の前へ戻ってくると、遠くからなにかの音が聞こえてきた気がした。なんだろう? 耳を澄ましてみると……それは馬が走る音だった。しかも一頭じゃない。何頭かいるし、馬車を牽いているみたいだけれど……もしかして!
「あ、やっぱり!」
そんなボクの予想は当たっていたようで、遠くの方から馬車が姿を現した。その馬車は貴族家の紋章が入っていて、それはボクも見知ったものだった。
「よぉ、ジャガー男爵。元気そうでなによりだ」
「……寒い中、我が家へようこそおいでくださいました。モージャー侯爵閣下」
「なにをそんな畏まっているんだ。もっと気軽でいいぞ、俺とお前の仲じゃないか。クハハハハ!」
パパに出迎えらえれて馬車から降りてきたのは、隣領のマニーノ=モージャー侯爵だった。彼は相変わらずの強面で、今日も今日とて大きな笑い声を響かせている。
手紙で訪問するという連絡はあったものの、以前とは違って馴れ馴れしい様子にパパもどこか動揺しているみたい。うーん、どうにも胡散臭いなぁ。それにボクを御指名で同席させろっていう話だし、警戒はしておいて損はないだろう。
ボクはチラリとモージャー侯爵の後ろに控える人たちを見た。今日は商会長のハラブリンに加えて二人の護衛を引き連れている。彼らは帯剣しており、明らかに貴族家の私兵といった出で立ちだ。そんな人たちの前で気安くできるわけがないよね。
「それで、今回は商談があるとのことでしたが……」
応接間に通されたモージャー侯爵は、出された紅茶に口を付けると「うむ、美味い」と満足そうに頷いた。
「随分と順調そうじゃないか。先日の豊穣祭なんて、未だに王都の貴族連中が事あるごとに話題にしているほどだ」
「ありがたいことに、皆さんのおかげです」
「まったく、羨ましい限りだ。ところで今日は、そんなジャガー男爵にいい話を持ってきたぞ!」
「いい話ですか……?」
机から身を乗り出しながら語るモージャー侯爵に、パパは少しだけ身を引いている。まぁ一度は騙してきた相手にこんなことを言われても、こっちは疑うよね。
「実はな、男爵のゴーレムをうちの領に導入してみてはどうかと思ってな」
「……ゴーレムとは?」
「おいおい、水臭いことを言うな。耕作用のゴーレムを新たに開発したんだろう? 我がモージャー領には広大な畑があるし、性能を試すにはもってこいだとは思わんか?」
へぇ、そうきましたか。どうやらこの訪問の目的はゴーレムのためだったらしい。だけどその話ってどこから聞きつけてきたんだろうね。少なくとも豊穣祭ではゴーレムのことを秘匿していたはずなんだけどなぁ。
そんな疑問が顔に出ていたのか、モージャー侯爵はニヤリと笑ってボクを見た。まるで獲物を狙う肉食獣のような目つきでボクのことを見ている気がするけど……まさかボクのジョブまで調べ上げてきたの?
「別に隠すことじゃないだろう? 男爵家の末っ子が豊穣神の加護を得た、実にめでたいじゃないか」
「それはそうなのですが、でもどこからそんな話を……」
侯爵はパパの質問には答えずに紅茶を一口飲むと、その鋭い目をさらに細めてボクを見た。
(なんだ? ……あっ)
向けられた視線でハッとした。手の甲にジョブの名前が刻まれていたんだった。……慌てて右手を隠したけれど、もう手遅れだよね。しまったな。豊穣祭のときは手袋で隠していたんだけど、どこかで見られていたのかもしれない。それにしてもボクを同席させたのは元よりこのためだったのか。
「クハハ、耳聡い者なら彼のジョブは知っていて当然の事実だ。もっとも、豊穣祭で領民から情報を得ようとした他の貴族連中は、ことごとく失敗したようだがな」
どうやら第三王女であるアイリス様がバックにいてくれたおかげで、無茶をしようとする貴族はいなかったみたいだ。
そもそも領民たちの口はかなり堅い。みんなパパに恩がある人ばかりだし、多少お金をちらつかせたところで、裏切るような真似をする人なんかいないからね。
それに無理やり聞き出そうとしなくて良かったと思う。万が一誰かが傷つけられていたら、ボクやパパが黙っていないから。
「というわけで、どうだ? まずは一か月のお試しでそちらのゴーレムを侯爵領で使わせてほしい。もちろんタダとは言わん。……なぁ、ハラブリン」
「えぇ。市場での魔道具レンタル料金を踏まえて、金貨を千枚あたりでいかがでしょう」
「金貨千枚!?」
「ちなみにゴーレム一台での値段ですよ。今回は十台ほどお借りしたい」
ってことは十倍して……金貨一万枚!? 正気ですか!?
たしかにボクの耕作用ゴーレムは、一台で人間の何十倍もの働きをしてくれる。十台もあれば、広大な侯爵領の大半カバーできるだろう。もし本当に侯爵領内でゴーレムが役に立つなら、その価値は計り知れないと思う。だけど金貨一枚って前世でいうところの一万円だから、つまり一億円分? そこまでのリタ―ンを得られるほどなのかな。
「これは侯爵家、ひいてはハラブリン商会との長期的なお付き合いをさせていただきたく、あえて高額でのご提案を差し上げております」
「長期的……もしや他にも条件が?」
「有用だと分かれば、継続して契約を。それとこの契約をしている間は、独占契約とさせていただきたい」
ははあ、そういうことか。高い金を払ってやるから、他の貴族にはゴーレムを渡すなってことか。農業といえばモージャー侯爵家というこれまでのブランドを保つために。
「どうですかな、ジャガー男爵。これはお互いに利益のある話ではありませんか?」
ハラブリンの笑みはまさに商人そのものだった。彼はこちらが断るとは微塵も思っていないだろう。だけどパパは、
「……申し訳ございません」
そんなハラブリンに対して、パパは頭を下げてそう答えたのだった。
「おい、こっちが譲歩してやってんのを理解したうえでの発言だよな?」
それまでのフレンドリーな雰囲気はどこへいったのか、モージャー侯爵は低い声で凄んだ。だけどパパも怯むことはない。
「もちろん、侯爵閣下が我々に良い話を持ってきてくれたことは理解しています」
「……ならなぜ断る?」
「まず一つは、農民たちの仕事がなくなります。多くの領民が路頭に迷うでしょう」
「ふん……それぐらいは承知の上だ」
モージャー侯爵は鼻を鳴らすと、足を組み替えて続きを促した。
「そして二つ目の理由……これは個人的な理由なのですが」
パパは一度言葉を切ると視線をボクに向けた。
「閣下もお気づきのとおり、ゴーレムは俺自身のものではなく、息子の力によるものです。なので俺の一存でゴーレムを貸し出しすることはできません」
「パパ……」
たしかにここで男爵家としての決定で侯爵の言葉に従えば、ボクはゴーレムを貸し出さざるを得なくなるだろう。でもパパはボクの意思を尊重してくれた。だから侯爵に頭を下げてでも断ってくれたんだと思う。
「……なるほどな」
モージャー侯爵は腕を組んでしばらく考え込んだ後「分かった」と頷いた。
「これまでの恩を忘れて、あくまでも自分のガキ可愛さに侯爵家の顔に泥を塗る、そう取っていいってことだよな?」
「そ、そこまでは……」
パパは宥めようとするも、侯爵の顔はすでに茹でダコのように真っ赤になっており、ブチ切れる寸前だ。
だからボクは覚悟を決めた。パパが口を開きかけたけど、ボクは首を左右に振って「大丈夫」だと伝える。
このままじゃ戦争になりかねない。それはボクにとって本意じゃないからね。
「ゴーレムを貸し出すという契約、ボクは賛成です」
「ほう、ガキの方が話が分かるようだな?」
もはや取り繕うつもりもないのか、侮りの混じった視線をボクに向けてくるモージャー侯爵。大丈夫、なにも持っていなかった前回と違って今のボクには切れるカードが幾つもあるからね。ボクは微笑みを返すと侯爵は眉を潜めたけれど、すぐにフンと鼻で笑った。だけどボクはまったく気にする様子も見せず、平然と言い放った。
「その代わり……別の条件を飲んでいただければ」
「おい、貴様! 子供の分際で閣下に向かって意見するとはなんだ!」
「よせ、ハラブリン。勝手な真似をするな」
ボクの態度に苛立ったのか、ハラブリンはバンッと机を叩いて立ち上がった。そのまま掴みかからんとする勢いで迫ってくるが、それを侯爵が制した。
「しかし閣下……」
「まぁ待て。それで? その交換条件とは?」
「金貨は要りません。その代わりに侯爵閣下の領にいる農民と交換していただけますか?」
ボクの言葉に侯爵は「ふむ?」と意味深に頷いた。
「いいだろう。ではゴーレム一台につき、十名ほどの農民を交換ということでどうだ」
「ということは十台のレンタルで合計百人ですか? それは……」
ボクが想定していたのはせいぜい五十人程度だった。それだけならば今の村のキャパシティでも受け入れることができると判断したからだ。勝手なことを不安になったボクは念のためにパパへ目配せしてみると、笑顔で頷いてくれた。良かった、ボクに一任してくれるみたい。だけど侯爵は首を横に振って言った。
「いいや、五十だ」
「え? 五十人ですか? それだと計算が……」
「違う。ゴーレムが五十台。引き換えに農民を五百人だ」