第23話
男爵領での豊穣祭も無事に終わり、みなが家で野菜料理の美味しさに酔いしれているころ。隣領ではまたしても重苦しい空気が漂っていた。
その理由は男爵領以外の畑でも農作物の収穫量が倍増し、国内が大豊作に恵まれたからだ。
「一体どうなっているんだ!」
ガシャン、と机の上に置かれていたティーカップが床に落ちる。テーブルの上には地図が広げられており、男爵領の位置にはバツ印がついている。そして近隣の貴族領における食糧の価格降下を示す書類も並べられていた。
王家が主導で価格調整を行っているため、大幅な値下がりといった事態はそこまで起きていない。しかし取引する量が国内全体で爆増しているということは、収穫量が変わらないマニーノ=モージャー侯爵領だけが唯一、収益が減少していることになる。
「まさか……他の領でも男爵領と同じような農業革命が起きたのか?」
そんな馬鹿なことがあるか、と彼は自分の考えを否定するように首を振った。
「そんなわけがないだろう! これはきっとなにかの偶然だ」
そう自分に言い聞かせるが、それでも不安を拭うことはできない。なぜなら、マニーノ侯爵の元にも豊穣祭の噂は届いていたからだ。もちろん、彼にも招待状は届いていた。だが”必ず貴方の領に益となる情報や道具をご提供できる”という一文を読んだ侯爵はフンと鼻で笑ったあと、すぐさま暖炉で燃やしてしまった。格下である貴族に借りは作らないというプライドがそうさせたのだろう。後悔は先に立たず。
「そうだ、俺にはこの広大な畑がある。関係ないことだ」
そう呟くと、彼は怒りが治まらないといった様子で窓の外を見た。そこには地平線まで続く豊かな小麦畑が広がっている。
ガリガリに痩せた農民たちは、そこで太陽の日差しに焼かれながらも労働に精を出していた。その景色はまさに侯爵家の権力を象徴するものだろう。侯爵にとって、領民とは大事な資源、悪く言えば奴隷だ。多少いなくなったところで増やせばいいとしか考えていない。
そこが彼とジャガー男爵と大きな違いだろう。そもそも総合的な財力で言えば、男爵領なんて比較にもならない。だがもし……あの男爵領と同等の成長が他の領でも起きたら? いや、すでにその兆しはある。このままでは国内の食糧事情を牛耳る野望も潰えてしまう……そんな想像をするだけで背筋が凍る思いだった。
「マニーノ様、わたくしめに案があります」
するとそんな侯爵に声を掛ける者がいた。彼はマニーノ家に出入りする商人で、長年この家を支えてきた男である。
「案だと? なんだ、言ってみろハラブリン」
「はい、実は……男爵領に面白いものがあるという情報を仕入れまして」
「ほう?」
それはどんな代物だ、と彼が問うと、ハラブリンは部屋の隅にあった大きな革鞄からなにかを取り出した。それは兎の形をした手乗りサイズの焼き物だった。一見するとなんの変哲もないただの工芸品に見える。
「なんだこれは?」
「なんでも”ゴーレム”と呼ばれているものらしく、命令さえあれば勝手に動くのだとか」
「ゴーレムだと? そんなものが……いや待て、それは本当なのか?」
マニーノ侯爵は可愛らしい兎に顔を近づけて観察する。強面のマニーノ侯爵とのギャップが激しい。
ハラブリンがその兎の頭に指を乗せ「跳べ」と命令すると、兎は手のひらからピョンと飛び出し、部屋の中をピョンピョンと跳ね回り始めた。
「おぉ、すごいではないか!」
「でしょう。実は男爵家を訪れた貴族の娘が、これを譲り受けたらしいのです。それをわたしが高値で買い取ったのですが……」
「貴様が単に観賞用として購入するわけがない……ということは」
まるで生きているかのような動きに侯爵は感心すると同時に、あることを閃いた。
「たしかに男爵領ではジャガイモや肥料が有名です。ですが私が思うに、耕作用に応用したゴーレムこそが収穫量アップの最大の要因なのではと」
「……ふむ」
たしかにハラブリンの言うとおり、ゴーレムが畑仕事をできるというのであれば、これほど便利な道具はないかもしれない。それなら男爵領からこのゴーレムを融通してもらえばいいのではないか、ということだ。そうすれば侯爵領での農作物の収穫量も上がるだろう。
「よし、すぐに男爵領に使いを出すぞ」
「かしこまりました」
ハラブリンが頭を下げると、侯爵はすぐに執事を呼んだ。そして手紙を書くよう命じると、彼はそのまま部屋を出ていった。その足取りは軽く、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようだった。
「くふふ……これで俺の評価も上がるぞ」
マニーノ侯爵の笑いが部屋中に響き渡る中、一匹の兎だけが彼のことをジッと見つめていた。