第19話
それから数日後のこと。すっかり元気になったアイリス様は、ボクのことを屋敷に呼んでくれるようになった。なんでも”友達”になってくれるらしい。なんだかくすぐったいけれど、とても嬉しいな。
そして彼女はボクにお願いがあるというので、アイリス様の屋敷にあるお庭でその話を聞いている最中だったんだけど……それはあまりにも予想外なものだった。
「こ、コーネル君」
「は、はい」
「わたくしと……婚約していただけませんか?」
「……へ?」
アイリス様からの思いがけないプロポーズに、ボクは素っ頓狂な声を漏らす。
婚約ってあの婚約ですよね? この前まで没落しかけていた男爵家の末っ子が、この国の第三王女様と夫婦になるって?
「いくらなんでも友達から飛躍し過ぎじゃないですか?」
スコップで花壇に花の苗を埋める作業をしているアイリス様に、そう訊ねた。この花はボクが快気祝いにプレゼントしたもので、王都から仕入れたアヤメだ。別名はアイリス。花の色は彼女の瞳と同じパープルだし、ちょうど良いと思ったのだ。
それを伝えると、アイリスはとっても喜んでくれて、さっそく花壇に植えるといって自ら庭作業をしていたんだけど……どうしてこのタイミングで婚約の話が出たんだろう?
「ほら、一般的に病後が大事だと言いますでしょう?」
「はぁ……」
いや、婚約とどう話が繋がるのかって説明してくれませんか?
「王城へ戻れるかもしれない、と聞いてわたくしも喜んだんですけれど。冷静に考えてみればまだ病み上がりですし、しばらくはここで様子を見た方が良いとスチュワードに言われまして」
「スチュワードさんが?」
あれだけボクを敵視していた殺し屋――じゃなくて、執事さんがそんなことを提案するなんて意外だった。
「私はあくまでも、お嬢様の体調を最優先に考えた結果です。本来ならこんな辺境の田舎にお嬢様を置いておきたくはないのですが」
「まぁ、そうでしょうね」
「コーネル様は、欲にまみれた汚い大人よりもマシですから」
それは褒められている……んだよね?
でもスチュワードさんの言い分は理解できる。再びスキルが使えるようになったと分かれば、彼女を利用しようとする貴族たちにまた目を付けられるわけだし、しばらくはここで静かに過ごさせた方が良いと判断したわけか。
「隣領のマニーノ=モージャー侯爵も、アイリス様を狙っていた貴族のひとりですね」
「はぁっ!? いやいや、どれだけの年齢差があると思っているんだよあの人……」
年下が好みってレベルじゃ済まされないぞ? そりゃあスチュワードさんもボクの方を選ぶわ!
「ですが静養するにも陛下を納得させる理由が必要でして」
「そこで考えたのが婚約ってことですか」
世間的には爪弾き者同士でお似合いだって思わせておけば、余計な虫もつかずに安全だものね。
「ご明察ですわ。ほら、言ったでしょうスチュワード。コーネル君は非常に聡いと。話が早くて助かります」
こちらに可愛くウインクしながら、茶目っ気たっぷりに話すアイリス様は本当に楽しそうだ。どこまで本気なのかは分からないけれど、これってボクの一存で断れる話じゃないよね?
そう思ってスチュワードさんを見ると、苦虫を嚙み潰したような顔で頷いていた。
うぐぐぐ、おそらくパパに泣きついたところで「良かったじゃないかネル! 逆玉の輿だな、ガハハハッ」なんて一蹴されてしまうだろう。他の家族も……うん、駄目だ。これやっぱり断れないやつだ!
「諦めてください、コーネル君。悪いようにはしませんから……あ、それともすでに意中の女性でもいましたか?」
「いないよ! そもそもボクはまだ五歳だよ?」
「ふふふっ、そうですか。じゃあ是非わたくしと仲良くしてくださいませ……末永くね?」
ぐぬぬぬ……ちくしょう、善意で助けたつもりがとんでもないことになった。だけど、そうだ。まだこちらが五歳で、彼女が七歳。成長するうちに他に良い人を見つけるに違いない。
「分かりました。取り敢えず、お友達からでお願いします」
「まぁ! ありがとうございます!」
ボクが了承すると、嬉しそうに抱きついてきたアイリス様。その笑顔に免じて、この話は受けておいてもいいかもしれないな。そう思ったボクは彼女の頭を撫でながら微笑んだのだった。
「わたくしの人生を変えたのですから、しっかりと責任を取っていただきますからね」
「いや言い方!?」
正式な婚約は後日正式に、という言伝を預かったコーネルはアイリス王女の住まいをあとにした。
五歳という幼齢にも関わらず、去っていく際の背中はどこか哀愁の漂ったもので、彼の前世時代を知るアイリスは必死に笑いをこらえていた。
「良かったのですかお嬢様? コーネル様にあのように提案されて……」
「あら? スチュワードも賛成してくれたじゃない」
「反対したつもりはありませんが……今回はだいぶ無茶をなさったので。彼に負担をかけるのは、お嬢様にとっても本意ではなかったでしょう?」
アイリスはクスクスと笑いながら、「それはそうね」と答えた。なにしろ命を救ってくれた相手なのだ。恩を仇で返すような真似は王族としての誇りが絶対に許さない。
「でもこれはコーネル君を守るためでもあるのよ?」
「……それはどういう意味で?」
「あまり私情を挟むと目の前が曇って見えるわよ、スチュワード。ここ最近の男爵領を見て、彼の異常性に気づかないかしら?」
スチュワードはそこで初めてアイリスの真意に気づいたのか、ハッとした表情となった。
「……お嬢様が懸念されているのは、ご自身よりも彼の実力が王都に知れ渡ることだったのですね」
アイリスは無言で頷いた。王都で男爵領に緑が戻ったと噂になったとき、皆「グレン男爵の功績だ」と口を揃えた。その称賛の声が国中に広がり、今に至るわけだが……実は幼児の功績だったと広まってしまえばどうなるだろうか?
「おそらく目敏い貴族たちはこう考えるでしょうね。”その力があれば自領が豊かになる”って」
「そしてコーネル様を取り込もうと……さもなければ、敵になる前に消そうと躍起になる」
「はい。ですが彼はまだ自衛の術を持たない五歳児です。誰かがコーネル君を庇護する必要があるわ。それに……」
そこで言葉を区切ると、アイリスは年相応の無邪気な微笑みを見せた。
「わたくしね……彼に一目惚れしてしまったの」
「なっ!?」
スチュワードは驚きのあまり言葉を失った。まさか自分の主がそんな感情を抱くなんて思いもよらなかったからだ。
「本気ですか? 陛下が認めるわけが……」
「ふふふっ、わたくしだって恋ぐらいするわ。それにお父様にはちゃんとお手紙を書いたの」
アイリスが執事にも見えるように広げた手紙には、
――この国の救世主となる人物が男爵領に現れました。王族の端くれとしてわたくしがこの手で彼を確保します。
と書かれていた。
「ね? これならお父様も文句は言えないはずよ」
「お嬢様……」
スチュワードはこの時点で、主であるアイリスに完全に負けを認めたのだった。
だが同時に、彼女が心を取り戻したことに安堵していたのも事実だった。彼女はコーネルを異様だと評していたが、それはアイリスも同様だろう。七歳にしてはあまりにも成熟し過ぎているのだ。そうなってしまった原因は明らかで、スキルによって大人たちの思考を取り込んできたからだった。
権謀術数に長けた貴族たちに搾取されないよう、アイリスが身に着けた処世術。だが、その代償として本来の彼女が持っていた”無邪気さ”を犠牲にしたものだった。
「彼になにかあればわたくしが守ってあげないと」
「お気を付けくださいお嬢様。彼を狙う者は正攻法を使うとは限りません」
「えぇ、もちろんよ。ですから……スチュワードも協力をお願いね?」
アイリスはスチュワードの手を取った。そして彼の眼が大きく見開かれたことに満足したのか、幼い少女とは思えぬ妖艶な笑みを浮かべた。