第18話
男爵邸に戻る道すがら、足を止めたボクは王女様の屋敷を振り返った。
「大丈夫かな、アイリス様……」
帰り際、ボクはスチュワードさんに声をかけていた。
「あの、アイリス様は病気なのですよね?」
「……はい」
「それは……その……」
どういった症状なのかと聞きかけて、ボクは口を噤む。これはきっと聞いてはいけないことなんだと思ったから。だけどスチュワードさんはボクの意図を汲み取ったのか、小さくため息を吐くと口を開いた。
「いただいた手紙を拝見しましたが、コーネル様はお嬢様を病気から救うためにここへやってきたのですよね?」
「……はい」
彼の言うとおり、ボクは王女様の病気が治せないかと思って面会を求めていた。前世で得た医学の知識を使えば、なにか治療の糸口が掴めるんじゃないかって思ったんだ。
「そのお気持ちはとても嬉しいのですが、残念ながらそれは無理なのです」
「ど、どうしてですか? なにか特別なスキルやアイテムが必要とか……?」
薬草などでは効果が無いのかと思いきや、スチュワードさんは小さく首を横に振った。どうやらそうじゃないらしい。では一体なにが問題なのかと尋ねると、彼は少し言いづらそうに答えた。
「お嬢様の病は不治です。というより病気ではなく、神に見放されたことによる呪いに近いのかもしれません」
スチュワードさんが言うには、アイリス様が追放された本当の理由は”スキルが使えなくなった”ことではないらしい。
「それが起きたのは、お嬢様が七歳の誕生日を迎えたときでした。お嬢様のお母上が亡くなったことをキッカケにスキルの制御ができなくなり、常に発動した状態になってしまったのです」
見たくもない他人の本心や過去を否応なく見る羽目になった彼女は、みるみるうちに衰弱していった。それを見かねた周囲がこの辺境で静養することを提案したんだとか。
なにせスキルを使い続けている状態はかなり危険だ。いわばボクがクレイクラフトを連続使用するのと同じだしね。そう、つまり彼女は日常的にMPが枯渇している状態というわけ。そんな中で今回のように無理やりスキルを使えば、体調を崩すのは当然で……。
「すでに疑心暗鬼に陥っていたお嬢様は、静養の提案を追放だとお考えのようでしたが……」
「だからボクのことも、最初から疑ってかかっていたんですね」
「お父上である国王陛下のことも信じられない状態でしたので。陛下も、苦渋の決断だったはずなのですが」
そんな背景があったなんて……。だけどアイリス様が孤独を選ぶようになったのも分かる気がする。
「でもどうして辺境に?」
「これまでも何人かお嬢様と同じような症状が出た者が国内におりましたので。彼らは治療法を求めて各地を回った結果、この地がどういうわけか症状が和らぐと結論づけたようです」
「そうだったんですか……」
神様に見放された土地に、呪いを受けた者。どちらも世間からの爪弾き者ってわけか。
「ですが、その効果も長くは続きませんでした」
アイリス様の状態は日に日に悪化していったらしい。それはまるで呪いのように、彼女の身体を蝕んでいったんだとか。そしてとうとう……彼女は自分の死期を悟ってしまったという。
「そ、そんな……」
「お医者様にも手の施しようがないとのことでした」
「そうなんですね……でもどうして僕にそのことを教えてくれたんですか?」
「コーネル様は、お嬢様が”唯一認めた御方”だからです」
スチュワードさん曰く、スキルを使ったあともここまで誰かと接しようとしたことは初めてだったそうだ。
「……お嬢様は最期を迎える前にお友達がほしかったのかもしれません」
王女様は『審判者』というジョブのせいでずっと孤独だったらしいから。過去視でボクのなにを見たかは知らないけど、きっとなにか思うところがあったんだと思う。
「あの、スチュワードさん」
「なんでしょう?」
「一週間後……いえ、三日後にまたアイリス様に会わせてくれませんか?」
ボクはどうしてもアイリス様に会って確かめたいことがあった。
「コーネル様、本当によろしいのですか?」
「はい」
「お嬢様の精神は非常に不安定です。死の間際である彼女を万が一にも傷つけるようでしたら……私は貴方を許せません」
スチュワードさんの言葉はもっともだ。きっとどんな手段を用いても、ボクのことを痛めつけるだろう。それくらい、この人はアイリス様を愛している。正直、ボクが考えている計画が上手くいくかは分からない。だけど……それでもボクは彼女を見捨てることができないんだ。
「……分かりました」
ボクの意思が固いことを悟ったのか、スチュワードさんはそれ以上なにも言わなかった。そして三日後、再びアイリス様と会えることになったのだった。
「コーネル様、本当によろしいのですね?」
「はい。アイリス様に会わせてください」
再びアイリス様の屋敷を訪れたボクは、スチュワードさんにお願いして応接間に入れてもらった。大丈夫、覚悟はもう決めてきた。
「先日は急に帰らせてしまって、ごめんなさい」
「お気になさらないでください。……体調は大丈夫ですか?」
「えぇ、今はだいぶ落ち着いておりますわ」
ボクを出迎えてくれたアイリス様。多少は顔色が良くなっているけれど、やつれた印象は隠しきれていない。メイクで無理やり誤魔化しているのがバレバレで、壁際に立っているメイドさんがさっきからチラチラと不安そうにアイリス様を見ていた。
あんまり時間をかけるのも良くないな、さっさとアイリス様を楽にしてあげよう。
「単刀直入にお伝えしますが、アイリス様にはこちらを飲んでいただきたいのです」
そう言ってボクが取り出したのは、濃いマリンブルーをした液体の入った小瓶だった。
「これは……?」
「青汁です」
「あ、青汁?」
ボクの手元を凝視していたアイリス様の紫色の瞳が真ん丸になった。ふふふ、なにが出てくるのかと思った? 青汁だよ!
「えっと、回復ポーションかなにかでしょうか?」
「……コーネル様? 私、忠告いたしましたよね」
「だ、大丈夫ですよスチュワードさん! それにこれはただの回復ポーションとは違います。アイリス様のためにボクが試行錯誤を重ねて生み出した、究極の青汁なんです!」
自信満々にドヤ顔でゴリ押す。するとアイリス様の目の色が変わった。文字通り、虹色に。
「……分かりました。怪しげな儀式のような製法でしたが、たしかに素材は食材のみで安全でした」
スキルを使ってボクがなにをしたのか見たんだろう。だけどその代償に若干、顔色が悪くなっているけれど大丈夫かな。
「試飲で気絶した御方がいるようですが、すぐに元気になっておられましたし」
「あ、エディお兄ちゃんのことを見たんだ」
「お嬢様……」
「大丈夫です。コーネル君は本当にわたくしのためにこれを用意してくださいました。その気持ちには応えるべきでしょう」
そういってアイリス様は覚悟を決めた。なんだか死地に向かう戦士みたいな諦観の篭もった眼なのはなんでなの? 大丈夫だったって分かったんだよね?
もう引き戻れないとゴクゴクと喉を鳴らして青汁を飲むアイリス様。そして……
「うぐっ!?」
「お嬢様!」
小瓶が空になったところで、胸を抑えて苦しみだした。やっぱりダメだった!? と慌てて駆け寄ろうとしたら、急に彼女の身体から黒いモヤが吹き上がった! あ、あれは一体なんだ!?
「だ、大丈夫です。ですからその手にある物はしまいなさいスチュワード」
「……本当ですかお嬢様」
「本当です。わたくしが嘘を嫌っていることはご存知でしょう」
アイリス様が息を絶え絶えにしながらスチュワードさんに言うと、ボクの背後から殺気が消えた。
た、助かった。首筋になにか冷たいものが当たっていたんだよね。もう少しで二度目の死を迎えるところだったよ。
「コーネル様、これは一体?」
「えっと、アイリス様の病を治すための薬……みたなものです。ボクなりに効きそうな野菜を一から育て、それを材料にしました」
ボクが見た感じ、アイリス様は慢性的に魔素が不足している状態だった。常にスキルが発動してしまっているということは、MPが常にギリギリの状態だったんだろう。それでもギリギリ生活できていたのは彼女のMP回復能力が高いか、精神が異様に強いかのどちらか……いずれにせよ危ない状況だったと思う。だからボクは魔素を豊富に含んだ野菜で青汁を作り、それを飲んでもらったというわけ。で、効果はご覧の通り。
「あとは血行が良くなるようにショウガを。滋養強壮にニンニク、貧血予防に鉄分の豊富なほうれん草……他にもアイリス様が不足していそうな栄養を補える野菜を選んでみました」
「な、なるほど……」
ボクの説明を聞いて納得してくれたらしいスチュワードさん。
「お嬢様の容態は?」
「……落ち着いていますわ」
どうやら本当に大丈夫みたいだ。その証拠に、さっきまで苦しんでいたアイリス様が今は平然としている。顔色もだいぶ良くなっていたし、肌ツヤも抜群だ!
「コーネル君。ありがとうございます。本当に、ほんとうに……」
「よ、良かったです」
感極まって泣き出すアイリス様に釣られてボクも涙ぐむ。
「ちゃんとレシピと専用のミキサーゴーレムも届けますからね。毎朝飲んでおけば、少なくとも魔素の欠乏状態は解消できると思います。そうすれば外に出ることもできますし、いずれは王都に戻ることも可能になるでしょう」
「ほ、本当ですか!」
野菜の販路がしっかりすれば、男爵領から王都まで野菜を安定して届けられるようになるし、そうすればここで静養する必要もなくなるだろう。と説明すると、アイリス様は喜色満面となった。お父さんを恨んでいるようなことも聞いたけれど、やっぱり本心じゃ家に帰りたかったんだよね。
「お嬢様、お気持ちは分かりますが今は安静になさってください。まだ病は完全には治っておりませんので」
「そ、そうですわね。コーネル君……本当にありがとうございます」
スチュワードさんの言葉に従って横になるアイリス様。ボクはそんな彼女の枕元で青汁の作り方や注意事項を細かく説明したのだった。