第-1話
……んん、あれ?
眩しい……それに人の話し声?
ゆっくりと目を開けてみると、なぜか俺は畳の上に寝転んでいた。久々に嗅ぐイグサの匂いを不思議に感じながら、むくりと起き上がる。
十畳くらいの和室だ。部屋の中心には木目調のちゃぶ台が置かれていて、そこにお茶とミカンが並んでいる。続いて視界に入ったのは、昔懐かしい箱型テレビを眺める老婆の姿だった。
「……婆ちゃん?」
座布団の上にちょこんと座っている姿を見て、「天国でまさかの再会か!?」とも思ったが、記憶にある祖母とは顔が違う。ていうか、ここはいったいどこなんだ……?
「――で起きた傷害事件により、刃物で腹部を刺された二十代の男性が死亡しました。亡くなったのは現場のマンションに住む会社員の土尾練さんとみられ、警察は逃走した犯人の行方を……」
解像度の荒い画面に映る男性キャスターが、そんなニュースを淡々と読み上げている。ちなみに土尾練は自分の名前だ。ってことは……。
「お察しの通り、お主はこの事件で死んでしもうたよ。つまり今のお主は魂の状態、というわけじゃな」
湯呑の中身をズズズと飲みながら、お婆さんは横目で俺を見た。皺だらけで目は細いが、随分と鋭い眼光だ。
あー、やっぱり死んだのか。でもなんだか妙な感覚だな。たしかにショックだけど、それよりも死後の世界があったことの方に驚いている。
「じゃあここは天国?」
少なくとも地獄ではなさそうだが……あれ? これってまさか、創作話でよくあるような、異世界転生ってやつの流れじゃないか? ってことは、このお婆さんはもしかして――。
「ふふふ、察しが良いの。儂は女神サクヤ。実はお主に頼みたいことがあってな。魂を儂の神域に呼ばせてもらったというわけじゃ。……なんじゃ、その『えぇ―?』って顔は」
「い、いやそんなことは……」
こちらにジト目を向けている女神様から、スススと目を逸らす。老人に睨まれると、なんだか心を見透かされていそうで怖い。
「ふんっ。さてはお主、『こういう転生イベントの女神様って普通、美人なお姉さんが定番なのに』とか失礼なことを思っておるんじゃろ。悪かったな、見た目がヨボヨボの婆さんで」
やっぱりバレていた!? あまりにも正確に本音を突かれてしまい、ウッと息が詰まりかける。
「まったく……まぁよい。ここに呼び出した理由を説明してもよいか?」
「は、はい」
「お主にはまず、儂が管理しておる世界に転生してもらう。そこでとある重要な使命を果たしてほしいのじゃ」
サクヤ様は声のトーンを落としながら、真面目な顔でそう語った。
ていうか”儂の管理している世界”? サクヤって日本人っぽい名前だけど、地球の神様じゃなかったのか?
それに重要な使命ってなんだろう。まさか勇者になって魔王を倒せとか、世界の崩壊を阻止しろ……なんて無茶な要求じゃないよな?
悪いがそれならお断りだ。武道の経験なんて、高校の授業にあった剣道ぐらいだし。そもそもビビりな俺に、危険な戦いなんて……。
「安心せい。お主にやってほしいのは、枯れた大地に緑を満たし、豊穣神である儂の威光を広めることじゃ」
「……え?」
「いわば、土地の再開発じゃな」
どういうことだ? 思ったよりもだいぶ平和的なお願いだったぞ?
それにこの女神様って、豊穣の神様だったんだ。でも見た目は豊穣っていうより枯れ木なんじゃ……おっと、また睨まれてしまった。
「命拾いしたな、口に出していたら問答無用で地獄に落としておったわ」
セーフセーフ。口は禍の門っていうが、あやうく地獄の門をくぐらされるところだったぜ。
「……だがお主の感想もあながち的外れではない。非常に不本意ながら、な」
「え?」
サクヤ様は溜め息をひとつ吐いてから、伏し目がちに事情を語り始めた。
「儂は『生命の樹』と呼ばれる神樹を通じて、豊穣の力を世界にもたらしておったのじゃが……」
「まさかその『生命の樹』とやらに問題が?」
「そのとおり。原因不明の理由で枯れてしもうてな。おかげで信仰心や神の力もダダ下がり、大地が荒れ始めた。ピッチピチだった儂もこのとおりというわけじゃ」
顔の皺をさらに深めて悲しそうにする女神様。いやピッチピチて。そういう口調からしてお婆さんに見えるんだけどな。だけどまぁ、心は乙女なのだろう。逆鱗に触れそうで怖いし、これ以上は考えないようにしよう。
ともかく、なんとなく事情は把握した。だけど具体的に、俺はなにをすれば?
「お主が死の間際に願ったことは儂に届いておる。『来世があれば田舎でスローライフがしたい』――のじゃろ? ただそれを叶えればいいだけじゃ」
え? あぁ~、たしかにそんなことを考えていたような? でもそんなことでいいんですか?
「儂らの世界は学問や技術がそこまで発展しておらぬ。ゆえにお主が持つ農業の経験や知識は絶大な力を持つ。それらと神が与える加護を上手く使えば、枯れた大地に緑を取り戻すこともいずれ可能になるじゃろう」
えぇ~本当かなぁ? そんな簡単に上手くいかない気がしますけれど。
「って待ってください? 今、神様の加護があるって言いませんでした?」
サクヤ様の口から、聞き捨てならないワードが出た気がするぞ?
「そうじゃ。儂らの世界では、神の加護としてすべての者にジョブを与えておってな、職業に準じた便利なスキルを使うことができる。お主は儂の使徒となるわけじゃし、なにか特別なものをくれてやろう」
おぉっ!? それってまさか、チートスキルってやつじゃないですか!
「ふふふ。そして見事目的を達成した暁には、お主が飛んで喜ぶような褒美も用意してある」
うっひょー、それなら話は別ですってば! 前世では酷い最期を迎えてしまったけれど、神様直々の加護があるなら、今度こそ幸せな人生を送れるのでは?
「よし、やる気になったところでさっそく転生させるとしよう」
サクヤ様はうんうんと機嫌が良さそうに頷くと、パチンと指を鳴らした。すると俺の全身が淡くぼんやりと光り始めた。
出逢ったばかりなのにもうお別れかと思うと、なんだかちょっと寂しい。
「あ、そうだサクヤ様」
「ん? なんじゃ」
自分の身体が足先から光の粒子になって解けていく。そんな様子を見下ろしながら、俺は女神様にとあるお願いをすることにした。
「達成したときのご褒美なんですけど……それって、他の人にあげることってできませんか?」
「……時と場合による。内容を言うてみい、手短にな」
一瞬でサクヤ様の目が鋭くなった。でも俺は怯まずに言葉を続ける。
「その相手っていうのは、田舎にいる両親なんです」
俺はとんでもなく親不孝なバカ息子だ。だけど死んだと知って、きっと母さんたちは深く悲しんでいると思う。
「できれば両親から俺に関する記憶を失くしてほしいんです。できれば最初からこの世に俺なんかいなかったことに――」
「それはできぬ」
ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ話も途中だっただろうが!
「な、なんでだよ……神様ならそれくらいできるだろ!?」
「魂ある者を存在しなかったことにじゃと? たとえそやつが重い罪を犯した人間のクズであろうと、そんな真似は断じて許されぬ。世界の理を舐めるな!」
明らかなる拒絶。サクヤ様から有無を言わせぬ圧を感じた。
こうしている間にも、固く握りしめていた自分の拳が消えていく。
「そんな……どうしてだよ……」
湧き起こる感情の行き場に困っていると、女神様は小さく溜め息を漏らしてから、諭すようにこう続けた。
「あまり気に病むでない。他人を救ったお主の善行を、ご両親は誇りに思うじゃろう。悲しみもいずれは薄れるじゃろうて」
「……そう、でしょうか」
「別れ際にそんなシケた顔をするな。……お主の願いは承知した。儂のできる範囲で努力しよう」
それは慈しみに満ちた、優しい口調だった。俺が顔を上げると、サクヤ様は困ったように眉を下げていた。
……この辺で折れるしかないか。そもそも俺が勝手に死んだのであって、サクヤ様に八つ当たりすること自体がお門違いなんだし。
「分かりました。両親のこと……よろしくお願いいたします」
「儂に任せておけ……ともかくお主は、新しい人生を楽しんでこい。その方が両親も安心するじゃろう」
「そっか……そうですよね!」
そうだ、新しい人生なんだ。今度はきっと上手くやれるさ! そう考えた途端、ようやく転生の実感が湧いてきた。
ふひひ、待ってろよ異世界。スキルで美味しい野菜をたくさん育てて、スローライフを満喫するぞ!
「さぁ、ゆくがよい。願わくば、お主の新たな人生に幸多からんことを――」
そうして全身が光の粒子になって消えたとき、俺の意識は完全に途切れたのだった。