第9話
「ネル!」
「ネルちゃん!?」
パパとママが慌ててボクに駆け寄ろうとする。でもそれより先に、ジャガイモの木は枝を自由自在に伸ばし、ボクの身体をヒョイと持ち上げた。
「こ、このっ」
振り解こうと必死に暴れるけれど、まったく効果がない。
「コーネル!」
「父上、おそらくこれは魔物化しています! 下手に手を出すと危ないですよ!」
エディお兄ちゃんがパパに警告しているなか、ボクはグングンと高いところまで持ち上げられてしまい、さらなるピンチに陥っていく。
逃げられないようにするためなのか、ついにはマンションの三階ぐらいの高さにまで到達してしまった。こんな所から落とされたら、ひ弱なボクなんてひとたまりもない。
恐怖で身をすくませるボクを嘲笑うように、ジャガイモの樹はグゲゲゲと不気味な叫び声を発し始めた。
「な、なにごとだべさ!?」
「領主様、こらぁいったい……?」
今度は近隣に住む領民たちがわらわらと集まってきてしまった。地響きと魔物の声に驚いて駆けつけたのだろう。だけどその足は畑の手前で止まった。
「な、なんだありゃ……?」
「木……いや、魔物か?」
「あぶねぇぞ!」
ジャガイモの木はボクを高く持ち上げたまま、ゆっくりと移動を始めた。そして領民たちから離れるように、枯れた生命の樹がある方角へとズンズンと歩いていく。
ど、どどど、どうしよう!? このままじゃボク、この魔物に殺されちゃう!
「おい、俺の大事な息子をどこへ連れていくつもりだ?」
「ふぇ!?」
涙でグシャグシャになっていた視界に、誰かの人影が入り込んだ。
その刹那。これまでの笑い声とは違う、ゲギャッという短い断末魔が耳に入った。それから僅かに遅れて自分の身体を拘束していた枝が解けると、ふわっとした浮遊感に包まれた。
えっ、なにが起きたんだ? もしかしてボク、空中に投げ出されてない?
「おっと。大丈夫か、ネル」
「ぱ、ぱぱ……?」
「あぁ。パパだぞ」
どうやら空高くジャンプしたパパが、空中でボクを抱きとめてくれたらしい。そのおかげで地面に激突せずに済んだようだ。だけどボクの心は安堵するどころか、不安でいっぱいだった。
ジャガイモの魔物はどうなった?
恐る恐るパパの腕の隙間から覗いてみると、そこに立っている魔物はもういなかった。ただ幹を真横に一刀両断された木が、地面に転がっているだけだ。
「……あれはパパがやったの?」
「ははは、凄いだろ。……悪いな。剣を家に取りに戻ったから、助けるのが少しばかり遅くなっちまった」
ポンポン、と腰から下げたロングソードの柄を優しく叩いてから、パパは苦笑いを浮かべた。こんな剣であんな大きな木の魔物を一刀両断に? もしかして剣術のスキルを持っているのかな。すごい、パパってこんなに強かったんだ……。
「ネルちゃん、大丈夫!?」
「ぜぇ、ぜぇ……父上、走るの早すぎ……」
あとから追いかけてきたのか、ママやエディお兄ちゃん、そして領民のみんながボクの周りに集まってきた。
「まったくもう、肝を冷やしたわよ? でも無事で良かったわ」
ママはボクの頬に両手を当てたあと、そのままギュッと胸に抱き締めた。おかげでバクバクと鳴りっぱなしだった心臓がようやく落ち着いてきた。さすがに空気を呼んだのか、パパも嫉妬はせずにボクの頭を優しく撫でてくれている。
「いやぁ、間一髪だったべな」
「本当によくご無事で……それにしても、あの木はなんだったんですかい?」
「それがどうやら、植物から魔物に変化したみたいでして……」
領民の一人がジャガイモの魔物を指差して疑問を口にすると、エディお兄ちゃんは説明をしながらその亡骸に近づいていく。
でもどうして魔物化してしまったんだろう。ヒマワリを育てたときはそんなことなかったのに。
「もしかしたらこの種芋は、本当にダンジョン産だったのかもしれませんね。ダンジョンのアイテムは不思議な効果があることが多いので」
「じゃあ、その影響で魔物化を?」
「断言はできませんが。あとはこの地に溢れる瘴気と関係があるのかも」
エディお兄ちゃんが眼鏡をクイッとさせながらブツブツと呟きだした。
今思えば、あのモージャー侯爵や商人がただの種芋を所持していたとは考えづらい。もしかしたら魔物化すると最初から分かっていたのかも……。そう考えると怒りが沸々と沸いてくる。こっちは危うく殺されかけたわけだしね。
「興味深いですね。どうやら魔物化してもしっかりとジャガイモの部分はあるようです」
そうなのだ。木の根っこ部分にあたるところに、立派なジャガイモがいくつも実っている。ひとつがバスケットボールくらいのサイズなので、もはやジャガイモとは言えない気もするけれど。
ちなみに根っこの部分と言ったけれど、厳密にはジャガイモは根っこではなく、茎の先に実る。根っこや葉から得た栄養が行き着く貯蔵庫なのだ。だから分類としては塊茎と呼ばれている。
「なぁエディ。魔物の肉って当たり前に食っているんだし、コイツもいけるんじゃないか?」
「え? えぇ、基本的に魔物を食べても人に害はないですし、むしろ人に力を与えてくれると言われてはいますけど」
エディお兄ちゃんは慎重に言葉を選ぶように答えた。まぁ、それも無理はない。食べられると聞いて、そこにいた全員の視線がお兄ちゃんに向いたのだから。
なにせこの男爵領は万年食糧不足。領民みんなが常にお腹を空かせている。だから目の前に食べ物があると聞いて、誰しもが飢えた獣になってしまったのだ。
「コーネル、どうする? お前も食べてみたいよな?」
「えっ!? いや、ボクは別に……」
「そう遠慮するなって。な?」
パパがボクの背中をポンと押した。いやでも魔物を食べるなんて……ちょっと怖いし、抵抗があるよ! いくらこの世界では魔物食が一般的と言ったって、ボクは元異世界人なんだもの。
だけどみんなの視線が集まる中、食べないなんて選択肢を取れるはずもなく……。
「じゃ、じゃあ少しだけ」
「よしきた! それなら領の皆で、これを調理して食べてみるか!」
パパがそう宣言すると、一同はワアァと喜んだ。
「ってことで、パパッと収穫しちまうか」
こうなってくると、みんな行動が早い。パパは自前の剣でジャガイモの魔物を切り分け始めた。文字通り瞬く間にカットされていくジャガイモたち。あまりの剣筋の速さに、ボクはまたしても圧倒されてしまった。
周りの人たちもテキパキと動いている。誰かが火をおこす準備をしている間に、他の人たちは寸胴鍋などの調理器具を持ち寄る相談をしていた。食欲が全員を突き動かし、一致団結させている……すごい。
そうして一時間もしないうちに料理は完成してしまった。
「よぉし、我が愛する領民たちよ、ジャガイモパーティの開始だ!」
「うおぉおお!」
パパの音頭に、男爵邸の前にある広場が沸いた。領主の奢りで夕飯が食べられると聞いて、すべての領民、約五十名が集まったのだ。
ママをはじめとした調理班がとても張り切ってくれたおかげで、メインディッシュの他にも、サラダやスープまで揃っている。ジャガイモづくしのフルコースだ。
「見た目は最高なんだけど……」
ボクの前にはお皿が置いてある。その上にあるのは……もちろんあのジャガイモである。見た目は茹でたジャガイモそのもの。味付けはシンプルに塩のみだ。美味しそうに湯気を立てているけれど……大丈夫だろうか?
そんな心配をよそに、ママが声をかけてきた。
「さぁ、どうぞ召し上がれ」
「……いただきます」
やばい、皆の視線が刺さる。ボクが食べ始めないと、みんなも食べられないパターンのやつだ。早く食えという圧に負けたボクは、フォークで刺したジャガイモをおそるおそる口に運ぶ。
「あれ? 美味しい」
うん、ジャガイモだ。しかも意外なほど美味しかった。もちろん調味料は塩だけだから素朴だし、ジャガイモそのものの甘さしかない。だけど身体に栄養が染み渡るような感覚になる。
魔物化したジャガイモをちゃんと食べられて良かった……としみじみしていると、今度はパパがフォークに突き刺してパクリと食べた。その瞬間、カッと目を見開くとボクの肩を掴んだ。
「お、おいネル! このジャガイモ……めちゃくちゃ美味いぞ!」
「え?」
「みんなも食ってみろ、美味すぎて意識が飛ぶぞ!」
その声を聞いて、皆が続々と集まってくる。そしてジャガイモを一口食べるなり口々に叫んだ。
「うぅ~ん! こんなに美味しいジャガイモ食べたの初めて~!」
ママは涙を流しながら、もりもりとお皿に盛ったマッシュポテトを食べている……ってたしかに美味しいけれど、ちょっと感動し過ぎじゃない!?
……でもそうか。現代日本とは違って、この世界の農業は原始的だ。品種改良どころか肥料すら与えていないと思う。あるがままに種を蒔いて収穫する程度だ。もちろん味なんて二の次で、食事はお腹が膨れれば良いとしか思っていないだろうし。
「うめぇ、うめぇよぉ!」
「これは間違いねぇや! 隣の侯爵領から仕入れた野菜よりも味が良いべさ!」
領民たちの反応も様々だ。中には泣きながら食べている人もいるし、黙々と食べ続けている人もいる。でも共通しているのはみんな幸せそうだということ。そしてそれはボクも同じだった。だって自分の作った野菜を美味しく食べてもらうなんて、これ以上の幸せはないからね。
そんなボクの心を見透かしたのか、パパが隣で優しく微笑んだ。
「やったな、ネル。これでウチの領でも農業が始められそうだ」
ボクの頭を撫でながらパパがそう言うと、周りからは歓声や拍手が上がった。
「そ、そうかな?」
「あぁ。これだけ美味しいことが分かったんだ。領民たちもきっと協力してくれるさ」
「ネルちゃん、本当にすごいわよ! ママも鼻が高いわぁ!」
「あぅ……」
とてもじゃないけれど恥ずかしくて顔が上げられない。
だけど……そうだよね。この男爵領でも、野菜が手に入るようになるんだ。それはつまり……領民のみんながお腹いっぱいになるってこと! うん、やっぱり農業は良いね!
だけどその喜びに浸る暇もなく、すぐに次の不安が生まれる。そう、あの魔物化だ。
「どうしたんだ、急に浮かない顔なんかして」
「うん……」
だってパパとママを危険に晒した上に、領民たちまで巻き込んだのだ。これはもう立派な災害だろう。
もし誰かが大怪我を負っていたら? あるいは最悪の場合……死者が出てしまったかもしれないのだ。そんな事態を引き起こした事実を放置しておくわけにはいかない。
同じようなことが起きないよう、早急に対策を考えておこう。毎回パパが助けてくれるとは限らないんだし……。
「領主様、こっちで一緒に踊りましょうや!」
「おう、いいな! とっておきのダンスを見せてやろう!」
誰かがお酒を持ち込んだのか、いつのまにか食事会は宴会へと変貌していた。赤ら顔になった領民のひとりがパパに声をかけると、ジャガイモに感謝を捧げるという変な踊りが始まった。貴族と領民という立場の違いはあるけれど、誰もそんなことは気にしていないみたい。元々ボクだって前世はただの市民だし、パパみたいな性格の方が親しみやすくて好きだけどね。
そんな光景を微笑ましく眺めていると、視界の端でとある人物を見つけた。なぜかその人は、神妙な表情でジャガイモを見つめている。
「エディお兄ちゃん、どうしたの?」
「あ……いや。本当にこのジャガイモは凄いな、と思ってね」
彼はお皿に乗ったジャガイモをフォークで刺すと、そのまま口へと運んだ。でもそれはたったひと齧りだけ。すぐに皿に戻すと、小さくため息を吐いた。ジャガイモはまだ半分以上残っている。単純に食欲がないとは思えないけれど……。
「僕は無能な上に、世間知らずの大馬鹿者だったみたいです。かしこぶって偉そうなことを言ったくせに、父上のことをなんにも知らなかった」
「……パパとなにかあったの?」
エディお兄ちゃんは俯いたまま何も喋らない。だけどその沈黙こそが答えだと言っているようなものだった。
「母上から聞いたんです。父上がどういう人物なのかを」
お兄ちゃんは楽しそうに領民と肩を並べるパパを眺めつつ、そう切り出した。
「僕はずっと父上を誤解していました。自分の地位や名誉のために、ここで農業をしたいのだと思っていたんです」
たしかにパパは自由奔放というか、自分のやりたいことを最優先に行動しているように見える。
「でもそれは間違いでした。父上はなによりも領民たちのために、この地でずっと頑張っていた」
そもそもこんな草すら生えない土地にどうしてこだわり続けるのか。なぜ空腹に耐えてでも、復興を目指していたのか。それにはちゃんと理由があったのだという。
「領民たちはみな、ここ以外に居場所のない爪弾き者なんだそうです。その理由は様々ですが……大体の理由は僕と一緒でした」
「それってもしかして、ジョブが……」
「神から不遇なジョブを与えられたばっかりに、ロクな仕事を得られなかった。生活もままならず、飢えで死に掛けていたところを、父上が片っ端から拾っていったそうですよ。母上は捨て犬じゃないんだから、と笑って話してくれました」
国はジョブが恵まれなかったからといって、生活を保障してくれるわけじゃない。残酷だと思うけれど、それがこの世界のルールなのだ。
だけどパパはそれを是としなかった。社会から見放された人たちを決して見捨てず、他の貴族に頭を下げてまで世話をし続けた。
「居場所なら俺が作るからよ、一緒に夢を叶えようぜ!……そんな無鉄砲な誘い文句あります? 言う方も信じる方も、本当にどうかしてますよ、まったく」
領民たちも領主が本気だと身をもって分かったからこそ、ずっと信頼してきたのだろう。生活が苦しくても彼らの間に固い絆が生まれたのも当然だ。父上は本当に領民想いな理想の領主だと、エディお兄ちゃんは泣きそうな声で言った。
「お兄ちゃん……」
でもボクはちょっと違うんじゃないかな、とも思ってしまった。
望んだジョブがなくても、自分の価値は決まらない――そんな薄っぺらいことを言うのは簡単だ。誰かに納得してもらうには、見本を示さなくちゃならない。
それをパパは自分の背中で語ってみせた。本当に凄いと思う。領民のためって理由もきっと本心なんだろう。
だけど本当はさ、一番それを伝えたかった人物ってさ。領民に対してじゃなく、父親という立場として、誰よりも息子であるエディお兄ちゃんに伝えたかったんじゃないのかなぁ?
これはあくまでも持論、ボクの予想でしかない。だけど前世で父親の生き様を見てきたからこそ、そう思えた。父親って不器用で、それでいて滅茶苦茶カッコいい生き物なんだ。
「いくら神様でも、すべてが”平等”な世界を作るのは絶対に無理だよ。だけど”公平”な世の中なら、ボクたち人間でも努力次第で目指せるのかもね」
「そう……だね。そうかもしれない」
エディお兄ちゃんはジャガイモを手にすると、ひと口齧った。今度はさっきよりも大きく。
「うん……美味しい」
言葉にならないなにかを噛みしめるように、小さく頷いていた。
「ねぇ、コーネル」
「なぁに、お兄ちゃん」
しばらく兄弟仲良くジャガイモを頬張っていると、エディお兄ちゃんが声をかけてきた。
「貴方って本当に五才児ですよね? あまりに達観し過ぎてません?」
「あっ」
……感傷に浸りすぎて幼児設定を忘れてた!