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軍人恩給  作者: 杉下栄吉
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生存確認

2020年、8月の福井の暑さは異常だった。北関東や中京方面で歴代最高気温をたたき出したという記事を目にしたこともあるが、北陸は冬が寒くて夏は暑い。フェーン現象は人間の身体から水分を奪っていく。

東京の大学を卒業して、福井市役所に就職して3年になる藤田憲一は、市庁舎1階の住民福祉課のデスクで、暑さに耐えて仕事をしていた。折からのエネルギー不足で官公庁は冷房温度の規制を強め、26度で我慢するように言われていた。昔のように窓を開けて仕事をしていた時代に比べれば、ずっと過ごしやすいのだろうが、住民が出入りする1階のフロアは26度以上ある気がしていた。

藤田の仕事は国民年金や国民健康保険、そして軍人恩給や遺族年金の窓口だった。毎日のように年金受給のための手続きの説明や60歳で定年になり、それまでの社会保険から国民健康保険への移行の手続きなどを手伝ったていた。しかし多くの住民が年金と健康保険の違いもよくわかっていないこともあり、退職して初めて年金や健康保険について調べると言う人が大半なので困っていた。

今日も朝から会社を定年になった男性が窓口を訪れて、健康保険の移行について訪ねて行かれた。市町が行うケースと国の出先機関である年金事務所が行うケース。さらにはかつての厚生年金機構である健保協会が行う場合など、その事業主体によって窓口が異なるので、住民にはわかりにくいのだ。

午後からは一人暮らしの高齢者に電話で生存確認の作業に入った。最近のニュースで高齢者の中に戸籍上は140歳になっているがまだ生存しているという。つまりまだ死亡届が出されていないケースがあるというものだった。悪意はないのかもしれないが、一人暮らしのまま外出先で亡くなり、身元不明の遺体として処理されたのかもしれないのだが、悪く考えれば家族が高齢者の死亡を届けることなく、家の中にかくまっていたり死体を敷地内に埋めてしまっていることも考えられる。法律上は医師が死亡診断を下し、死亡診断書を役所に届けると火葬許可証が発行される。火葬場では火葬許可証を確認の上、火葬後に火葬証明書を発行する。火葬証明書が生命保険の受取に使われたりするので、大切な書類という事になる。しかし死亡診断を受けていない場合は、火葬することができないので家に隠し置いたり、穴を掘って埋めたりすることになってしまうわけだ。そうならないように役所の福祉関係の職員が定期的に一人暮らしの高齢者に安否確認を行うシステムになっている。今日の藤田のノルマは10軒である。福井市の高齢者の独居世帯数は13,228世帯で総世帯に占める割合は13.2%。市役所の職員だけでは到底追いつかない数なので、社会福祉協議会と連携をとって進めている。

まず最初に掛けたのは開発1丁目の吉田彰子さん、85歳だ。吉田さんは5年前に夫を亡くしそれ以来一人暮らしを続けている。お子さんたちは東京と神戸に嫁いでいる。

「もしもし、吉田さんですか。市役所の藤田です。お元気ですか。半年ぶりのお電話ですが、お食事はきちんと摂られていますか。」と聞くと少し認知症も入っているのか

「誰だって、市役所? 何の用ですか。オレオレ詐欺電話か。騙されんぞ。」とすごい剣幕だった。藤田は面倒くさいなと感じたが、まだ生きていることは確認できたので

「吉田さん、元気みたいですね。オレオレ詐欺ではなくて市役所の職員です。おばあちゃんがお元気かどうかを確認するために電話しました。ちゃんとご飯食べてくださいね。」と言って電話を切った。高齢者で認知機能が低下した人は感情のコントロールが難しいので、すぐに怒っているような話し方をするのが藤田には苦手だった。ベテランの女性職員たちは高齢者をうまく扱って仲良くしている人も多い。自分もそうなれるかどうかが不安だった。

 次に電話したのは米松3丁目の浅田善松さん、95歳。こちらも8年前に妻に先立たれて以来、一人暮らしを続けている。 受話器を左手に持ち、書類で電話番号を確認しながら右手で番号を押すと呼び出し音がしてきた。しかし、なかなか浅田さんが電話に出る気配がなかった。呼び出し音が15回を過ぎた頃、ようやく電話を取ってくれた。

「もしもし、浅田さんですか。福井市役所の藤田です。半年前にも電話でお話ししましたが覚えていますか?」と藤田が話しかけると意外と明るい声で

「藤田さんですか。浅田です。今日はどうしたんだい。」と冷静に聞いてきたので

「浅田さんがお元気でお過ごしかどうかを確かめるためにお電話しました。どうですか、お食事は毎日3回食べてますか。」と聞いた。するとその元気な高齢者は

「毎日規則正しく起きているから、ちゃんと食べているよ。ただね、車の免許証を返納したから歩いて買い物に行かなくちゃいけなくなったのさ。スーパーまで歩くと10分以上かかるから雨の日は近くのコンビニで弁当買ってしまう事も多く成ったさ。」と答えてくれた。公共交通機関が少なく、車社会の福井のような地方都市ではどうしても高齢者は生きにくい。仕方がないのかもしれないが何か解決策が必要だと藤田も感じた。

「何か他に困ったことはないですか。お金が足りないとか、病気がちだとか。」と具体的に聞いてみるとその老人は

「そうだな。夜早く寝るから朝早く目が覚めてしまうんだ。毎朝、4時前に目が覚める。新聞もまだ来てないからすることがない。まだ暗いうちに散歩に出ると、車に轢かれそうになるし、朝が退屈だな。」とぼやき始めた。藤田は電話機を右手に持ちながら机の書類に目をやった。家族構成などが書かれているが、この老人には子供がいない。兄妹もすべて他界しているので、身寄りのない孤独な高齢者のようだった。藤田は安否確認が済んだので次の人に電話をかけたかったので、このお爺さんとの話を早く終わるつもりでいたが、普段は誰とも話さないのかと思いもう少し会話をしようと考えた。

「お爺さん、今日の朝の大谷のホームラン見ましたか。打球速度186キロで140m飛んだらしいですね。」と話題を大リーグのスーパースター大谷翔平に向けると

「大谷は毎日見てるよ。大リーグって言うのは面白いね。何といってもピッチャーの球の速さが段違いさ。リリーフで出てくるピッチャーでも160キロ投げるのはざらだからね。その球をホームランする大谷はもっとすごいけどね。」と興奮している。藤田は最近の老人がスポーツの情報にも詳しいことにビックルしたが、元気で何よりだと思い

「それじゃ、また電話しますから元気にお暮しください。」と言って電話を切った。それにしても高齢者と言うのは年齢だけでは認識できない個人差が大きい。85歳の認知症のおばあさんもいれば、95歳で全く元気なお爺さんもいた。高齢者スポーツ大会などは個人差が大きすぎて、単純に年齢で区切って競技することが難しいと聞いたこともあった。スーパーお爺さんで100歳近いけど100mを14秒台で走る人もいるという事だ。

 藤田はそれからあと8人に電話をかけ、安否確認のノルマを終えた。電話をかけるというのはかなりストレスがあるのか、肩から首にかけて痛みが走った。自分で肩をもみながら目の前を見ると「恩給関係」と書かれたファイルが目に付いた。軍人恩給やその遺族年金の受給者は今ではほとんどいなくなった。しかしわずかに残る軍人家族の遺族年金受給者の国とのパイプ役も藤田たち、市町の役所の職員の業務になっていた。そして藤田が県庁を通じて国の総務省の恩給管理官から『時々電話で生存確認をしてほしい。』という連絡が来ていたことを思い出した。軍人として働いた人もその妻や親など遺族年金対象者が高齢化して、連絡を取ることも難しくなってきて、総務省も市町の役所に助けを求めてきているのだ。

この町で遺族年金を受給しているのはわずかに10人程度であった。最初の1人は98歳の戦争未亡人。つまり戦争で死んだ兵士の妻である。書類では1928年生まれで結婚してすぐに夫が出征している。現在は同居した家族がいて、98歳のおばあさんは病院に入院しているとなっていた。藤田は安否確認のため病院に連絡を入れた。

「市役所の住民福祉課ですが、そちらに入院されている島田敏子さんはご存命でしょうか。」と聞くと、電話に出た事務員は迷惑そうに

「役所でも患者の個人情報を教えるわけにはいきません。どういうご用件でしょうか。」と胡散臭そうに聞いてくるので仕方なく

「島田さんは遺族年金受給者でして、毎年生存確認をする必要があるんです。昨年もそちらへ連絡して、院長先生とお話しさせていただいて生存確認をさせていただきました。」と言うと態度が変わり、声を裏返して

「しばらくお待ちください。今、院長と連絡いたします。」と言って電話は保留中の電子音楽に変わった。しばらく待っている間に島田さんの書類を見ていると結婚して1週間で鯖江の連隊に入隊している。そこから訓練を経て戦地に赴き、1年後には戦死が知らされたことになっている。このおばあさんは戦後75年間、戦争未亡人として生きてきたことになる。幸いにして出征後に妊娠していたことがわかり、出産後に戦死が知らされたと書かれている。子供が出来ていたからこのおばあさんは幸せだったのか、それとも子供がいなかった方が幸せだったのか、子供がいなかったら別の人と再婚していたかもしれない。しかし子供がいたから98歳まで生きてこれたのかもしれない。そう考えると藤田は複雑な心境になった。

 電話口の電子音が止み、事務員が院長との話を終えたようだった。

「院長から許しを得ましたのでお答えさせていただきます。島田敏子さんは藤病院で入院加療をいたしております。つまりご存命です。」と答えてくれた。藤田は

「有難うございます。また半年後くらいに確認させていただくかもしれませんが、よろしくお願いします。」とお願いして電話を切った。島田さんは電話口には出られないが病院側が生存を証言してくれたのだから信用するしかないだろうと考え、書類に確認済みと記録した。

 次に電話をしたのは荒川町に住む北川誠さん(75歳)の家だ。藤田は75歳という年齢に違和感を感じ、遺族年金受給者の個人データを確認した。昭和20年3月15日生まれとなっている。戦没者は父親の北川勝三、1925年生まれで1944年に出征したが1945年にフィリピンで戦死となっている。妻の妙子とは1944年に結婚し、1945年に誠が生まれている。妙子は1997年に70歳で他界したが、それ以後息子の誠が遺族年金を継続しているようだ。

 藤田はおかしいと感じた。戦没者の遺族年金は両親、妻以外には未成年の子までのはずだった。資料を確認すると子の場合は未成年に限られていたが、なぜ誠は遺族年金を継続できたのか。改めて資料をよく見ると例外規定に障害のある子という項目があった。障害の程度にもよるが生計を立てられない見通しの子供の場合には、例外として軍人恩給の遺族年金を受給できることになっているというものだ。先ほどの個人資料を改めて見てみると障害者として認定という文字が書かれている。(先天性肢体不自由)と記されており生まれながらに手足が不自由なようだ。藤田の疑問は解決されたので資料に書かれている番号に電話をかけた。何回か呼び出し音が鳴った後、ガチャという音がして女性の声がした。

「もしもし、北川ですけど、どちら様ですか。」と聞いてきた。すかさず藤田は

「福井市役所の住民福祉課の藤田と申します。今日は遺族年金を受給されています北川誠さんの安否確認のためにお電話差し上げました。失礼ですけで電話口の方はどなたですか。誠さんとのご関係もお教え願いませんか。」と聞いてみた。するとやや不明瞭な声で

「北川誠は私の夫です。私は妻の豊子です。」とようやく聞き取れるような発音で答えてくれた。年齢的には70代だろうと推測できた。ただ藤田は夫が先天性肢体不自由なのでもしかしたら妻も障害のある人かもしれないと直感的に感じていた。

「ではご主人の誠さんはお元気にお過ごしでしょうか。安否確認の電話なので出来れば電話口に出ていただけるとありがたいのですが。」と聞いてみた。すると彼女は

「夫は寝たきりですからベッドから立ち上がれません。寝たきりですがどこも悪いところはないので、毎日元気です。どうかご心配なく。」とゆっくりではあるが毅然と話してきた。それ以上踏み込むこともできず、藤田は

「ではこれで終了いたします。ちなみに現在同居なさっているご家族は何人ですか。」と家族構成を聞いてみた。すると豊子は

「はい、私たち夫婦と息子が一人、同居しています。」と言うので

「お名前などもお教え願いますか。」と言うと

「息子は義仁よしひとと言います。」と答えてくれた。

「では有難うございました。またご連絡いたしますので、よろしくお願いいたします。ではお元気でお過ごしください。」と言って電話を切った。

 電話を切った藤田は北川と言う子の家庭のことが気になっていた。書類を見ると寝たきりの北川誠さんは』75歳。生まれながらの肢体不自由と書いてあるが、脳性まひを伴っているかどうかまでは書いてない。妻の豊子も話し方がやや不自由な感じでもしかしたら障害者手帳を持っているのではないか。45歳の息子と言う義仁は結婚していないのか。謎が深まってきたので障害者福祉の担当者に聞いて北川家について調べてみた。

「荒川町の北川さんというお宅、障害者としての登録はどうなってますか。」と聞いてみた。すると担当者の山田さんは

「ちょっと待ってね。」と言ってコンピュータのキーボードをたたき資料を出してくれた。

「北川誠さんは先天性肢体不自由で手帳を持っているわ。」と答えてくれた。藤田はやや拍子抜けだったが奥さんの豊子は障害者ではなかった。

「家庭環境はわかりますか。」と聞くと

「住民基本台帳はここではアクセスできないけど、家庭環境調査票があるわ。」と言ってまた別のファイルを画面上に出してくれた。

「3年前の調査だけど、45歳の息子さんがいるわね。結婚はしてないみたいだね。勤め先まではわからない。税務課だったら勤め先も分かるかも。何処で所得税や住民税を納めているかでわかるわよ。」と教えてくれた。山田さんにお礼を言ってすぐに税務課に向かった。

 税務課では同期の笠原さんがいたので声をかけた。

「荒川町の北川義仁さんの勤め先わかるかな。」と聞いてみた。すると

「調査目的は職務上の必要性なの?」と聞いてきた。私的な理由で市民の個人情報を調べることは許されないから当然の質問だった。

「遺族年金を受給している家庭なんだけど、少し気になってね。家庭環境が複雑そうだったから。」と言うと

「わかったわ。ちょっと待ってね。住所は荒川町の後はどうなってるの。」と言われ

「荒川町3丁目2-5だよ。」と答えると笠原はすぐに入力して画面に北川家の情報が出てきた。

「義仁さん45歳だよね。あれ、無職みたいよ。所得税、住民税共に納めてないよ。45歳だけどお父さんの扶養家族になってるよ。」と答えてくれた。

「ニートってことかな。」藤田の疑問は大きくなっていった。笠原は

「就職氷河期世代だからアルバイトに明け暮れて、住所不定のままと言う例もあるからね。」とあっけらかんとしている。藤田は釈然としなかったが、それ以上深入りすることは自分の仕事ではない気がして、自分はきちんと生存確認をしたことに自己満足することにした。


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