18話「覚醒」
目が醒めたんだ。
朝起きたってことじゃなくって。
これが世界に目醒めたってことなんだと思う。
きっとこれが覚醒。
でも目醒めたのに、見えない。
何も視界に映らないんだ。
どこまでも透明で、点と線。白と黒も付いてない。
西鶴から聞いた話なら、世界はこれだって言うのが簡単にわかるものだと思ってたのに。
なにこれ。ただただ無色だ。
「痛てっ」
「……何してるの? お姉ちゃん」
点と線のみで色がついていないそれらは、私の目で正確に捉えられないけれど、触れば手応えがあって、たしかにそこに存在する。
それなのに、見えない。色がない。
家の中の見知っている物さえ、どれが何かわからなかったし、家の壁をすり抜けてさらにその奥まで見える。見えすぎる。
昨日起こった事。
そのどれもが鮮明に記憶に残ってる。いい事なんて何一つないのに。
知恵や知識。知らないよりは知っている方が良くって、知らないよりも知っている方が楽しいかったから、私には色んな知識が蓄積していて、その自負もあったし、それを誇っているところもあった。
だからこそなんだ。
そのどれもを持ってしても、未来を知っているだけの存在に、手も足も出なかった。
多分それは、未来じゃなくてもだ。
データでも言葉でも、欺瞞でも。繋がりでも、力でも、必然でも。たとえそれが何であっても、結局その世界の前に、私の積み上げてきた物なんて、意味を成さないんだろうな。って。
「うっす」
「……兼継」
世界がどうなったって、突然毎日が終わってくれるなんてことはなくて、やっぱり今日もアジトへ向かうつもりだったんだ。
椅子とか壁に、足やら頭やらぶつけて妹に不振がられながらも、家を出た。
その矢先に彼と出会った。
「ウチらもいるよー」
「ぁ……みんな」
朝から頭の中が一杯で、起きてから外に出るまでの記憶がほとんどない。
みんなに声をかけられるまで、上の空だったんだ。
「……どうして?」
「そんなんじゃまともに生活できねーだろ?」
にししって笑ってるはずの彼の顔さえ、私の視線は透過する。
昨日神成のあと覚醒した私を、奏さんが神門の外まで介抱してくれた。
真壁一派は知らないうちに姿を消したみたいで、ずぶ濡れのみんなだけが待っててくれた。
胡桃だけ意識がなかったけど、大した怪我はなかったらしい。一晩経てば、むしろ怪我の一つもない私の方が、まともに歩けない状態というわけだ。
「わざわざみんなで来なくても良かったのに……ありがとね」
いつだってここにある目や耳を、私は探したりしたことなんてないけれど、同じように、いつか無くなるなんて思ってもなかったんだ。
世界から弾き出された、そんな気分だった。
「そんな気にしないでよ、最初はびっくりするかもだけど、案外わりとすぐ慣れるから」
「うん」
繋にはそう答えたけど、本当のところそんな気はまったくしなかった。
「晴々しくはないけど、これで名実ともに仲間入りって感じだね」
「そうかも」
「西鶴はもう少し言葉を選んだ方がいいわ」
詩葉はそう言うけれど、多分さっきの嘘が西鶴には見えてたんだと思う。
少し残酷だけど気を遣わなくて済むくらいの言葉。今の私にはそれくらいがちょうど良かった。
「……いこ」
近づいて来た胡桃が、私の服の裾をつまんだ。
お菓子みたいな甘い香り。不思議なペース感。
物の有無さえ曖昧な私を、リードしてくれるつもりなのかな。
いつの間にこんなに懐かれたのだろう。
心当たりはないけれど、嬉しかった。
「うん」
裾を引っ張って進む後ろ姿が、透けてても可愛い。
背中の真ん中あたりが、少しだけ白く色づいているような気がした。
その気づきはアジトに着く頃、核心へと変わった。
みんな胸の辺りに色がついてる。
兼継は赤で繋は橙色。西鶴は緑で詩葉は黒。胡桃はやっぱり白だ。
「ようやく会えたわね、香織」
リビングに着いてみんなに言うと思ったんだけど、それどころではなくなった。
リビングのソファーに、知らない女の子が横になっていたから。
「時間通りだけれど、待っていると長く感じるものね」
大人びた顔立ちに、青色の髪。そして胸の辺りがうっすら青い。
何で私の名前を知っているのだろうか。
「……誰? 申し訳ないんだけど、どこかで会ってたっけ?」
「謝らなくていいわ、こうして会うのは今日が初めてだもの。知らなくて当然よ」
初めてなのに名前だけじゃなくて、アジトの場所まで知ってるの?
しかも勝手にくつろいでるし。
「人の敷地に勝手に入っておきながら、随分偉そうじゃねーか」
何でか兼継は、怒るでもなく愉快そうだ。
「それくらいじゃ怒らないでしょ? 兼継なら」
「なんか妙な感覚だな、怒る気分になれねぇ」
「兼継のことも知ってるなんてね」
「ええ知ってるわ。繋も胡桃も二階堂詩葉もね。それで、嘘かどうか確かめられたかしら? 荒欺西鶴さん?」
そこまで知ってるんだ、わざわざ二階堂で詩葉を呼んだのだって、素性を知っていると言いたいのだろう。
「嘘は一つもないね、一体何者なんだい?」
「貴方ならわかっているのでしょう? 香織。会うのは初めてでも、一度は話したことがあるもの」
そんなの尋ねてる西鶴だって、薄々は気がついてるはずだよ。
「あれで話したって言うのは、無理があると思うんだけど。あなたでしょ? メッセージくれたの」
電話越しに一言、「もう少しよ、頑張って」って言っただけなんだし。
「過去現在未来の頭を並べて、過現未。下は紫の苑で紫苑。過現未紫苑、時間の世界の覚醒者よ」
過現未って、また仏語。なんて思っていたら「苑は字苑の苑ね」って付け加えた。
そう言われてピンとくる人なんて、広辞苑が愛読書の詩葉くらいだろうね。
「やっぱりわかってたわけね。未来のこと」
「さてどうでしょうね?」
私達全員と面識がない上、アジトの場所までわかってる。それに記優香の件だってある。
今更シラを切れるはずもないでしょうに。
「いやいや、さすがに無理あるでしょ。私でもわかるって」
「じゃあ繋、私は時間の世界よ? 対象の存在が始まってから経過した時間がわかるだけの世界。そうは言っても、完全覚醒は済ませているけれどね。でもじゃあ、その世界でどうやって未来がわかるかしら?」
「え? いや、でも、なんとかなるんじゃないの? 多分だけど対象に経過した時間を書き変えられるんでしょ? なら、自分の時間を飛ばしたりさ」
「人の時間を書き変えても、その人が老けるだけよ? ただまぁ、脳細胞には未来の記憶が刻まれはするでしょうから、未来の記憶は所有している可能性があるわね。いい線よ、試した事はないけれど」
彼女の言葉をまるまる信じるのであれば、繋のやり方だと不十分だ。
脳細胞に記憶が刻まれるというのは、おそらく世界の書き変えで付随する部分だからだろう。
自分が存在した時間が伸びているのだから、それに付随する経験や記憶、知識なんかが一緒に書き変えられてるんだ。
所有権の書き変えで、登記簿謄本までも書き変わったように。
なら時間を巻き戻すと本人の記憶も元に戻ってしまうことになる。
どこかに記録するでもなければ———
「あっ、記録すればいいんだ。だとして、ノート? 電子だと長時間書き変えると劣化に耐えられないだろうし」
「さすがね。そうよ、未来を見る時は日記を使うの」
ソファーの横に置いていた鞄から、大きめのノートを数冊取り出してテーブルに並べて見せた。
「これが記録よ」
そっか。日記ならその日のことを書く。その時間を飛ばすなら、脳細胞に記憶が刻まれるのと同様、未来の自分が未来の出来事を書き留めている。そう言う原理か。
「見ていいのか?」
「ええ」
最初に興味を示した兼継が、ノートを一冊手に取った。
「なんだこれ、めちゃめちゃこまけーじゃんか」
「ノートを書くのはあくまでも私。未来の私が知り得たことしか書かれないの。少しでも多く情報を持ち帰りたいでしょ?」
兼継の横から日記を覗き込むけれど、文字や絵でびっしり。真っ黒だ。
日記自体もだいぶ傷んでる。そりゃあそうなるよね。
「本当に数日後の出来事まで書かれてるのね」
「ええ、一通り確認した上でここに来たんだもの」
「気のせいか、聞く気になれないのだけれど?」
未来を知れる人間がわざわざこんなところに赴くわけ。
できれば関わりたくないことなのは、違いないだろうな。
「気のせいね。まずはことの発端から話しましょうか。長い話になるわ、その上面白くもないから、コーヒーでも用意した方がいいわね」
聞くなんて一言も言ってないのに、紫苑は胡桃に「アイスコーヒーを中庭までお願いできるかしら?」っと申し出る。
客人から言うことでもないでしょうに。
「ふん」
首を縦に振ってリビングを後にした胡桃は、そこはかとなく嬉しそうに見えた。
「手伝うわ」
「私はホットにしてちょうだい」
追いかける詩葉に、紫苑の声が届いているかは、分からなかった。
その後、みんなで中庭に出た。
西鶴が7人で使っても余裕があるくらい大きなテーブルと椅子を用意してくれた。
前にここでバーベキューをした時に胡桃が作ったんだって。
「砂糖……ミルク」
全員分のコップをテーブルに並べて、最後に瓶に入った砂糖と小分けにされたミルクを中央に置いた。
今頃気がついたけれど、今日は天気がいいらしい。
気温も過ごしやすいくらいだし、中庭の茶会も悪くないね。
「それじゃあ話始めましょうか、私がこの世界に目醒めた3年前の話から」
「そんなに戻る必要あるの?」
私もちょっと、繋みたいに思ってしまった。
「ええ、真壁択真。あの男の計画は、その頃には既に始まっていたのだから」
「えー、またあのスーツ男? もう会いたくないんだけど」
やっぱりそこが絡んでくるよね。
紫苑が私にメッセージを送ったわけ、真壁択真と引き合わせる。そのためだったんだろうから。
「そこについては同意するわ。そもそもの話、それが私からの頼みなの。私を真壁択真から守って欲しいっていうのがね」
「狙われてんのか? お前」
狙われもするか。
未来がわかるんだ、そんな人間の存在を知れば誰だってお近づきにはなりたいだろうし。
「ええ。面倒なことにね」
「でもなんでだい? 真壁はどうして君のことを知ってるのかな?」
守って欲しいと言う以上、紫苑の日記の中に、真壁択真の名前が出てきているのだろう。
だから紫苑はあの男のことを知っている。
でも向こうはどうして紫苑のことを知っているのだろうか?
それも出会うというなら、紫苑がいる場所さえも知っていると。
「簡単よ、私は作られた覚醒者だから。真壁択真によってね」
「覚醒者を作る!? そんなことができるの??」
なら紫苑は真壁の元から逃げてきたとか?
「覚醒を促した。そう言った方が適当ね」
始まりが3年前となると、かなり念入りな計画のはず。
時間の覚醒者を意図的に出現させてまでやりたいこと。
一体真壁は何をするつもりなのか、少なくともそこは知っておく必要がありそうだ。
「だいぶ話が逸れてしまったけれど、少しは話を聞く気になってくれたかしら?」
目が合ったから、頷いて返す。
「なら気を取り直して、始まりから話そうかしら。私が覚醒した理由、真壁択真の生い立ちそして、彼が今何をしようとしているのかを」




