12話「正体」
椅子から立ち上がるみたい降り立った。
厚くかかった雲の裏側にはもう、とっくに宵の明星が昇っている頃合だろうな。
「あそこか」
車通りの多い道に面した交差点。その一角に建っていた。
人目に触れないよう中道に降り立って、大通りまで歩く。
箒は胡桃が、世界で手のひらに乗るくらいの大きさにして、鞄に仕舞った。
「カフェ一体型なんて、おしゃれなところね」
「……いい感じ」
シンプルだけどスタイリッシュ。黒い金属類で仕上げてある二階建てのお店だ。
大きくも小さくもないけれど、近代的な見た目に視線を取られる。
「西鶴、香織行くぞ、他は待ってろ」
兼継が足早に歩きだしたから、その後ろを追って西鶴も歩き出す。
メッセージにあった時間まで少し余裕があるから、そんなに急がなくてもいいのに。
私は小走りで二人を追いかけた。
大通りに面した窓は大きくて、中でくつろいでいる人の様子が伺える。
「記書店。間違いないね」
コンクリートの塀に筆記体で綴られていた。しゃれている看板を横目に、中へと押し入る。
店内は黒っぽい木目調。釣り下がった温かい色の照明が、暗めの店内とよく合っていた。
「いらっしゃいませ」
入って目の前のカウンターに茶色いエプロン姿の女の子が立っていた。
深く頭を下げた彼女の身長は低め。顔も幼く、中学生くらいかな。
奥の調理台に同じエプロンを着ている男性と女性がいるけれど、この子、そもそもバイトしていい年齢なのだろうか。
「三名様ですね? 店内をご利用でしょうか?」
よく言えば落ち着いた声。でも声も表情も暗く、落ち着いているというかダウナーな感じだ。
「記優香ちゃん、いないかな?」
西鶴の言葉に、少しだけ目を見開いてから後ろに視線を配った。
「……お知り合い、でしょうか?」
「いいや、ちょっとした用事があってね」
「そういうお店ではありませんので、スタッフに御用の場合は事前にアポイントを取ってご来店いただけませんか?」
「オーナー、ではないんですね?」
「それでもお仕事中で手が離せません、ご用件ならお伺いしますが?」
「……嘘じゃない。か」
西鶴の世界に反応しないなら、西野木由記は厨房で調理中のあの女性かな。
「じゃあ訊き方を変えよう、あなたが記優香ちゃんですか?」
「……ですからスタッフの情報は開示できません。事前にアポイントを取っていただけませんか?」
彼女の切り返しで西鶴が何を考えがえていたのか、私にもようやくわかった。
「私、一色香織って言うんだけど記さん、名前、叫んでもいいんだよ?」
記優香は素性を隠している可能性が高い。これで困るのは彼女の方だろう。
「お前ら性格悪いな、特に香織」
「なんで私だけ?」
西鶴も同類でしょ。
「もう察し、ついてるんだろ? 後金。払いに来てやったんだが?」
彼女から返る言葉はない。
にわかには信じがたいけれど、どうやら本当にこの幼なそうな彼女が西野木由記の正体、記優香なのだろう。
思い返すまでもなく、これまでの会話の全部で西鶴の質問に対して明確な回答をしていない。「はい」か「いいえ」と答えるのを避けていたんだ、欺瞞の世界に嘘が映るから。
「……お話は聞きます、ですが本当に仕事中なんです。20時まで待って下さい」
「ああ、外で待ってる」
翻って店を出ようとした時だった。
「あら、もう帰っちゃうの?」
「お、お母さんっ……!?」
厨房に見えた女性がカウンターまで来ていた。
「あんまり長くお話してるもんだから、お友達。なんでしょ?」
「あ、いや……そういうのじゃ。ない……から……」
20代女性で高身長。長めの髪で清楚かつお淑やか。コミュニケーション能力バリ高、スカートタイプのスーツを着たキャリアウーマン。なんていう人物像を、ノートのやり取りから想像していたんだけど、俯いた彼女とは似ても似つかない。
「照れなくたっていいでしょうに。どのみちあと30分で閉店の時間だし、早めにあがっていいわ」
「あ、え? いや、でも……」
「テーブル空いてるところ使っていいから、ほらいつまでここにいるつもり? あんまり待たせないの、着替えておいで。飲み物はアイスコーヒーでいい?」
「いや、いいって、外で話すから」
「あらそう? ならテイクアウトで用意しておくわね? ほら、行った行った」
背丈の小さい彼女が、スタッフ控室へと押し込まれていく。
この母、面白いな。
「あーもう! 外で待っててください! すぐに行きます! 絶対外で待ってくださいね!」
閉められたドアから、悲痛な叫び声だけが聞こえていた。
「三人とも高校生でしょ? 嬉しいわ、あの子にも同い年くらいのお友達がいたなんて。ちょっと待っててね、コーヒー持ってくるから」
厨房に戻りながら「お金はいいからねー」なんて言っているけれど、記優香。あの見た目で高校生なの?
今日一番の驚きが、唐突にやって来た。
中で待ってても面白いかと思ったんだけど、記母からアイスコーヒーを受け取った兼継が、すぐに踵を返したからそれに従うことにした。
彼女が逆の立場でもきっとそうしただろうし。
「お待たせしました」
店から出て大通りを避けた中道で、彼女を待っていた。
中道に現れた彼女は、英国風のアンティークなワンピースに身を包んでいた。エプロンをしている時はそうでもなかったけれど、こう見ると文学少女感がぐっと引き立ってる。
「別に構わねーよ、いきなり来たのはこっちだしな」
「でもまさか、小学──」
「高校生です」
即答だった。
時間があったから繋達とも合流してたんだけど、繋は見事一言目で地雷を踏み抜いた。
「え? まじ?」
「最近汚れ仕事も引き受けてくれる警備会社を見つけたんです」
うわ、物騒。繋がひっそり私の後ろに隠れてるんだけど、巻き込まないでよ。
「冗談はその辺にして本題だ、具現化できるんだろ? アカシックレコード」
「ええ、できます。ですが条件があります」
「驚いたな、この期に及んでまだ条件を提示できる立場にあると思ってるなんて」
ねぇ西鶴、思ってたとしてもストレート過ぎない? 伝え方。
「わかっています。ですから後金は一切頂きません」
「ふーん、それだけ?」
繋もこういう時だけ強気なんだから。
「……こんな形にはなりましが、具現化で前金をもらう条件は整うはずです。それ以上は横暴ですよ」
「だってさー、どうするの? リーダー」
「そこは気にしてねーよ、で、条件ってのはなんだ?」
「今後一切の接触並び、私に関する情報公開の禁止です」
「まあ、そうなるわよね」
「それは問題ない、他になければ始めてくれ」
「は、はい」
さすがに安堵したのか、表情が少し緩んだように見えた。
「では始めます。先に伝えておきますが、記録すべてを具現化するには時間がかかりすぎるので、ランダムで一部のみを抜粋します。私には書かれている内容が不明なため、そこに皆さんが必要としている情報が入っているかどうかはわかりません。なのでそれを確認してもらい、そこから必要な情報が存在する位置と欲しいページ数を推測してもらい、再度具現化しなおします。異論はありますか?」
異論っていうかまず思ったのは、
「そのやり方だと二回目の具現化で必要な情報が手に入るとは限らないよね?」
「……目次」
「それがあるかどうかも不明なんじゃないかな。そもそも誰がどういう目的で作ったものなのかも不明なんだし」
「荒欺さんの言う通りです。その場合必要な情報に辿り着く方法が存在しないと判断し、それ以上の具現化はしません」
それって要するに、2回までならチャンスを上げるけど、それ以上は付き合いきれないってことだよね。
「無論、料金が払われる場合は別です」
私の心を見透かしたように、それも私の目を見て告げた。
「補足ありがと、ついでだけど一部ってどのくらい? 時間をかければかけるほど多く具現化できるならそうした方がいいよね」
「3分で文庫本2冊、文字数で言えば20万字程度かと」
「なら10分待てば6冊分用意できるってことだよね?」
「可能ですが、具現化された本は1時間で消失します」
1時間か。ってそれなら郵送も間に合うはずないな。それも意図的に隠してたってところかな。
この子、自分に関する情報は本当に隠したがるね。
「記録の解読を行うのはおそらく二楷堂──今は堂垣戸さんでしたね。一時間で6冊分の解読ができるのであればご用意しますが?」
「速読は苦手ね。1時間なら2冊が限界よ」
1時間2冊でもかなり速読だ。20万字もあれば記載方法の法則性を読み解けるかもしれない。
「兎にも角にも現物を見てみないとこれ以上はわからないかな」
「異論は他にないということでいいですね?」
私たちは顔を見合わせてから、頷いた。
「では、始めます」
一つ、深く息を吸い込んでから胸の高さで右手を握りしめた。
ゆっくり吐き出す空気と同時に、彼女の周囲に白い光の粒が点々と浮かび上がる。それが閉じた右手へ集まっていく。
右手が徐々に開かれるにつれ、光の粒が薄く四角い形へ整い始め、見た目はもう本のような形を形成している。依然それは白く光ったまま。
視線を右手に落とす彼女の目はどこか虚ろで、私が見ているこの光景とはなにか違うものを見ているかのように思えた。
それが何かと考えるのも億劫になるくらい、光の粒を束ねる彼女の姿は綺麗だった。
ふわっと舞い上がる髪とワンピース。
薄暗い中道を微かに照らしながら放物線を描く光の粒。その様が夜空に流れる星みたいで、そういえばあと2週間もすれば今年も来るんだなって、思い浮かんだんだ。
ペルセウス座流星群。
「……終わりました」
小さく息を吐きだしてから、右手が一度ぴかっと光を放った。
少しだけ眩んだ目が元に戻ると、彼女の手には茶色いブックカバーに包まれた本が握られていた。
カバーには記書店の文字とロゴ。あのカバーも具現化した物なのだろうか。
「今日のところはこちらを持ち帰って下さい。後日ノートで落ち合う時間帯などを決めましょう」
右手から上がった彼女の目に、さっきまでの虚ろな感じはない。
差し出された本を手に取ろうと、右手を上げた時だった。
「──おや、先客がいるとはね」
声は、スーツ姿の男性からだった。
いきなりのことで立ち尽くしていた私とは違って、兼継が問いかける。
「ああ、見ての通り取り込み中なんだが、どちら様だ?」
「真壁択真……!」
男に変わって答えた記優香の瞳は揺れていた。
「僕を知ってくれているとは、嬉しいものだね、西野木由紀、いいや。ここでは記優香君っと言った方がいいかな」
「……まったく。今日は厄日ですね。つい数分前まで何事もない一日のはずだったのですが」
互いに名前を知っているけれど、知り合いって感じではなさそう。警戒しながらも、「なんの御用ですか?」と続けた。
「本屋さんに足を運ぶ理由なんて一つだよ、欲しい本があってね」
「お店の入り口ならあちらですよ、もうすぐ閉店なので急いだ方が良いかと」
「いや、いいんだ。僕が欲しいのは市販されてない本でね」
「はぁ……そういうのはノート越しで注文して欲しいところなんですが」
「それじゃあ手に入らないから来たんだろう? 彼らと一緒さ」
嫌な予感がした。
真壁択真と呼ばれた男が言う彼らとは、私たちのこと。であれば彼が探しているものも、私たちが欲しいあの本と同様の性質を持つことになるだろう。
原本が具現化困難なほど莫大な情報量を有するという。
「ちょうど今君が持っているその──」
そんなもの、私には他に思いつかない。
「アカシックレコードだよ」




