6話「Local int I」
男は弁を振るっていた。
正しさとは何か、誠実とは何か。世のため人のためとはどういうことか。
されど男に注がれる視線はそう、温かいものではなかった。
声は低く、顔は凛々しく、立派なオーダーメイドのスーツに身を包んだ彼だが、立っている世界から見ればまだ若手。
齢30を超えていたとしても、国会議員としては白い目で見られることの方が多かった。
発言を終えた彼が、席に戻ったその途端だった。
「お疲れ、択真」
「ありがとう」
彼は差し出されたペットボトルを受け取ると、すぐさまその封を切った。手渡したのは私服姿の少女。
議会の最中は大勢の議員が集まっている。とは言え年端も行かない少女が議員の元へ赴き、話かけることなど普通はできない。
「弐識君が来たということは、そういうことかな?」
「そっ。率から連絡が入ったよ、だいぶ絞り込めたって」
可愛らしく微笑んだ彼女はつまるところ、そう。普通ではない。
「それといつも言ってるけど、苗字で呼ぶの止めてってば、私のことは名前で美音。あと君付けもきんし!」
弐識美音。認識の世界。彼女の前では、人の認識さえも書き変わる。今この場に、彼女の存在を認識し、二人の会話が聞こえる者など一人としていなかった。
「心にとめておこう。それはそうと今回も、早川君には負担をかけてしまったね。労いの品は何が──なんてことをすれば、彼女の気を悪くするかな」
択真は思わず、自分で自分に苦笑いを浮かべた。
本来なら正しい行いだとしても、率という少女はそれを望まない。議員としての立ち振る舞いが抜けきれていなかったようだ。
「そうだろうねー」
「先に成果を確認しに行くこととしよう、さて──」
「飛行機は二日後の朝。予約済みだよ、空いてるでしょ? どうせ」
胸ポケットから手帳を取り出そうとした択真の手が、そこで止まる。
「いつの間に僕のスケジュールを確認したのかな?」
「してないけどこれ、確定ね」
家柄に恵まれた択真は、その年にして既に2度も国会議席に名を連ねている。そんな彼でさえも、弐識美音には頭が上がらなかった。
「まさか、この年で仮病に頼ることになるとはね」
スケジュール帳に敷き詰められた予定を、豪快に二本の線が貫いた。
「今度、仮病の覚醒者でも探そっか?」
「それはいいアイディアだね、そういうことなら喜んで時間を作ろう」
択真という男には既に、議員という立場さえさして重要なものではなかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
切り取られた狭い空には、雲がいくつか漂っている。
まだ10時前なんだけど、廃墟には私と西鶴、胡桃、詩葉しかいない。なんでも、兼継はいつも通り遅れてくるらしいし、繋は他の友達と予定があるそうだ。
でも私が黒板のある部屋に着いた時には西鶴も胡桃も詩葉もいなかった。兼継もしばらく来ないみたいなので、私は廃墟を一人うろうろ探索してみることにした。
まず向かう場所は決めていた。いつもアジトの外を見て気になっていたところだ。
足元に広がる緑の芝生。少し荒れて長さもばらばらになっているけれど、この程度なら気にはならない。
「っんー」
そう、この廃墟には中庭があるのだ。
足を踏み入れて、思いっきり体を伸ばした。
街からさほど離れてはいないのに、この廃墟にはほとんど雑音が入ってこない。想像通りとても居心地のいい場所だ。
「いい気分ー」
「やあ、香織ちゃん」
「あ、西鶴」
先客がいたみたいだ。
「僕に何か用事かい?」
西鶴から話しかけてきたわけだから、それ私のせりふじゃない?
「いや、いつもの部屋に誰もいなかったから、ただ中を歩きまわっていたの」
「そういえば、まだちゃんと中を案内していなかったね」
そういうところ、みんな結構ルーズだから困ることも多い。でも縛られない自由な雰囲気は割と気に入っているから、不満はなかった。
「建物自体は結構大きいんだけど、部屋として使えるところは数か所しかなくてね、特に用がないけどアジトに来るときは、みんな大抵決まった場所にいることが多いんだ」
それでさっきのセリフか。
「今ざっくり説明しちゃうけど、」
西鶴の視線が廃墟の上に向かったから、私も釣られて視線を向ける。
徐に指をさしたのは8階の一部屋。そこは私でも分かる。みんながいつも集まっているあの部屋だ。
「あそこが基本みんなが集まるところ。リビングって言うことが多いかな」
「そのまんまだね」
廃墟だから仕方ないけど、窓が抜け落ちたままになってるのはちょっと開放感が強すぎる。
「面倒なんだけど、アジトに来たらまずはリビングに行って、黒板にネームプレートを貼る決まりになってるんだ。それで誰がいるかわかるようにしてる。遅れるとか来ないとかも分かってれば、黒板に書かれてたりするね」
そこまでは知ってる。だから今日、上に誰もいなかったけど、西鶴達が来ていることが分かったわけだし。
「さっき見てきたよ、知らないうちに私のネームプレートまであったのはびっくりしたけど」
それに、プレートのデザインが絵の具で使うパレットだった。たぶんだけど、一色香織の『色』から連想したんだろう。
「あれは胡桃ちゃんが作ってくれてるから、希望があれば変えてもらうといいよ。基本は4階にいるはずだから」
4階のどこって思ったけど、「4階には入れる部屋が一つしかないから、すぐわかると思う」っとあっさりすごいことを言った。
それ一部屋以外崩れてるってこと?
大丈夫なの、この建物。
「今度寄ってみよっかな」
「あと今いるのは詩葉ちゃんかな。知ってると思うけど、地下室にいてあまり出てこないね」
詩葉の場合住み込みだもんね。
「僕は基本、中庭にいるかな。あの木陰で昼寝したり食事したり、読書なんかをして過ごしてる」
なんかおしゃれな生活してるな。
「あと、兼継は屋上にいることが多くて、繋ちゃんはずっとリビングにいるから、他の空いてる部屋なら好きに使って問題ないよ」
「そうなんだ、ありがと」
どこの部屋が空いてるのか、まずは調べてみないと。
「今日は兼継が遅くなるみたいだし、予定も特にないから好きにしてていいと思うよ」
好きか。そういわれると何をしようか迷ってしまうな。
あ、そういえば西鶴に聞いてみたいことがあったんだ。
「あ、ならさ、西鶴、ちょっと聞いていい?」
「それが僕に答えられることなら」
「繋が、世界について知りたいなら西鶴が詳しいって言ってたんだけど」
「詳しいといっても、世界についての論文や実験レポートなんかがあるわけじゃないから、あくまでも僕の個人的な見解や推理でしかないけどね」
「それでもいいよ、せっかくだから色々知っておきたいの」
「それで良ければいくらでも話すよ。僕としても香織ちゃんから意見が聞けるなら嬉しい限りさ。ちょっと長くなるかもしれない。場所を移そうか」
ソファーがあるということで、リビングに向かうことになった。建物に立て掛けてあった空飛ぶ竹箒に乗って、中庭から8階へと上がっていく。
ガラスの抜け落ちた窓から室内に入って、壁に箒を立てかけた。便利だね、これ。
「ちょっと待ってて、詩葉ちゃんが紅茶のパックを買ってきてくれてたはず。用意してくるよ」
リビングの隣の部屋はいわゆるダイニング。冷蔵庫やキッチンがある。こんな廃墟に水も電気もガスも通っているのがいまだに不思議ではあるけど。
颯爽と紅茶を入れにリビングをあとにした西鶴。そのあと入れ替わるように、胡桃がリビングにやってきた。
「おつかれ」
「うん、胡桃もね」
「となり。いっ?」
「うん」
ソファーの奥に詰めて、一人分を空けると胡桃が歩み寄ってくる。
今日も胡桃はゆったりしてるというか、言葉にしがたい間を纏っている。小柄な上綺麗な白い長い髪、なんだか人形みたいだ。
「おまたせ、じゃあ、早速──って、胡桃ちゃんも来たんだね」
「ん」
「そっか、せっかくだからもう一杯入れてくるよ」
足の短いテーブルにカップ二つを置いた西鶴が、背を向けた途端だった。
「うんん」
急な展開だ。
まったく思いもよらなかった。
後頭部に照準が合わさった狙撃銃。真っ白で綺麗な髪を靡かせながら彼女、胡桃は告げた。
「やろ? 西鶴」
どことなくうっとりというか、おっとりしているいつもの雰囲気のまま、胡桃はそっと告げた。
いつ、それにどこからなんのために取り出したのかもわからないそれを、可愛らしくぎゅっと握りしめている。
「今から世界について香織ちゃんと話すつもりだったんだけど?」
「……借りていい?」
照準を一切乱さないまま顔だけが私に向いた。借りるって西鶴のこと?
断ったら撃たれたりするのだろうか。
「え、えっと……」
まさかこんなことになるとは。
私はただ、西鶴から世界について聞きたかっただけだ。
世間話ではないにしても、狙撃銃に出番が回ってくるような話がしたかったわけじゃなかったのに。
「さて、どうしようか」
「あっ、違った」
可愛らしい仕草で、狙撃銃を放り投げると、小脇に抱えたポーチから何かを取り出す。
少しの振動でシャカシャカとなるそれを見て、すべてを理解した。
「……なんだ、エアガンなのね、それ」
ほっと胸をなでおろす。
胡桃が取り出したのは、オレンジ色の小さい球で一杯のボトル。エアガンの球として使われるあれだ。
それが純白で、あまつさえフリルの入ったバックから出てくるとは思わなかったけれど、今となってはそう大事なことでもない。
———そう、思っていた。
「いや、違うんだ、香織ちゃん」
西鶴にそう言われて、はっと思考がめぐる。
世界という特殊な力がある。そして西鶴が持つ世界は欺瞞。物の外見を変えずに本質のみを変化させる。
まさかあのエアガンを西鶴の世界で、本物の拳銃にした物だったり?
「まさか西鶴、銃も作ってるの!?」
「僕じゃないよ! あれは胡桃ちゃんが作った、胡桃ちゃん専用、本物の火器さ!」
「———おいで」
ボトルを握ったまま手を差し出して、途端に胡桃の周囲から白い光が溢れ出る。
「ゆーじんぐしすてむ、これくしょんず。ぱぶりっくくらす、めいくぴーだぶりゅー」
英語? にしては文法がよくわからない。でも世界を使っているのは間違いないはず。
「———いんすたんす、ろーかるいんとあい」
「ね、ねぇ、西鶴。胡桃なんかよく分からないこと呟いてるんだけど?」
「胡桃ちゃん、このペースだとあと数秒はこのままだよ」
「このまま? 何してるのさ?」
今もまだ、白い光を発したまま、何か呟いてる。
「ソースコードを処理してるんだよ」
「ソースコードって、プログラミング? 胡桃ってデータの世界じゃないの?」
「そうなんだけどね。たとえば、A4の紙一枚をダイヤに変える時、胡桃ちゃんの世界では強度や大きさ、色合いなんかをデータとして捉えて、それに干渉してる。ここで重要なのは、A4の紙はどれを使ったとしてもそれらのデータに著しい変化はないってこと。なら何枚紙を変化させたとしても、工程はさして変わらない。そこであらかじめA4用紙1枚からダイヤ一個を生成する過程で干渉する項目とその変化量をまとめて一つのデータ、プログラミング的に言えば関数かな。そう扱って処理しているらしい。そうすることで、世界を使用した際にかかる負荷や時間が小さくなるみたいなんだ。ほんと、プログラマーの職業病みたいな考え方してるよ」
「へ、へぇー……胡桃って機械系に強いんだ」
だから寸法にばらつきが少ない上持ち運びやすいBB弾ってこと?
いや、待って。あのボトル一杯だったよ?
「って、そもそも何を何個作るつもりなのさ?」
「完成品は一つさ、700以上のパーツからなるけどね」
「パーツ?」
「──できた!」
白い光が霧散して、胡桃の手に出来上がった赤いそれが握られていた。




