5話「不思議な出会いとアカシックレコード」
「おねぇちゃん、今日はどこにもいかないの?」
妹のそんな声で目が覚めた。時刻は9時半を回っている。
「ん……?」
寝ぼけて焦点が合わない視線。目をこすってようやくはっきり時計が見えた。
「えっ! やばっ!」
寝坊。完全に遅刻だ。普段遅れてばかりの兼継に何も言えなくなってしまった。
慌てて着替えて支度を済ませると、ご飯も食べずに家を飛び出した。アジトまで、地下鉄に乗って5駅。降りてから徒歩での移動も含めると30分はかかる。
学校でもないのに思いっきり走るのなんて、いつ以来だろうか。
「お、押さないでくださいー!」
街中でもあまり聞かないような大声が聞こえたのは、ちょうどそんな時だった。
声が聞こえるまま首を向けると、クレープの移動販売車とその目の前で何やら怪しい動きをしている女の子が一人いた。
誰かにクレープ屋までの道を塞がれて通れないと言わんばかりの振る舞いだが、彼女の周りには誰もいない。どころか周囲からの目は冷たい。
「ストリートパフォーマー?」
俗に言うパントマイム。それにしても高いクオリティで、思わず足が止まった。有名なパフォーマーなのかな。
ショートパンツが隠れるくらいだぼだぼのフード付きパーカーか。っと、目が合った。
「手伝っていただけないでしょうか!?」
「え?」
観客巻き込むタイプのパフォーマンスなの?
こういうのほんと苦手。気が進まないのだけれど。
「お願いしますー! そこの高校生くらいの女の方!」
やばい、完全に私だ。彼女に向けられていた周囲の視線が私に向けられる。これ、無視しちゃいけないやつだよね。
「はぁ……」
仕方なく近づいてみることにした。
「ありがとうございますー」
目に涙を浮かべながらも、現在進行形で見えない壁のようなものを押している。
「あの……何したらいいですか?」
「なんて言うんでしょうか、これがあって私じゃ近づけないんです」
「これって……」
言われても私には何も見えない。
「幽霊でもいるの?」
こんな日が高いうちから現れるなんて、よっぽど前世への未練があると思われる。
「幽霊、ではないと思うんですが……」
見えてるこの子にもわからないなら、私に知りようがない。
答えながらもどんどんと後ろに押し戻されていて、私の知るパントマイムの域を超えたパフォーマンスになっている。
まさか、本当に見えない何かに押されてるの?
「どうしたらいいの?」
私には見えない何かが見える。
もしかして、覚醒者?
「クレープ買ってきてください」
「はい?」
なにそれ、新手の詐欺かなにか?
関わって損したかも。見捨てようと背を向けて歩き出すと、
「待って! 待ってください! お金はちゃんと払いますからー!」
よくわからないけれど、ふざけているわけではない?
「……それなら」
なにかに押し戻されている彼女から、上手いこと小銭を受け取って、クレープを買う。それを彼女の元まで持ってくると、彼女の不思議な動きはピタッと止まった。
周りの視線も、それを機に日常生活へと戻っていった。
「はぁ……やっと止まったぁ。ありがとうございました」
「で、どういう状況だったわけ?」
「話すと長いのですが、私、昔から神様が見えるんです」
「神様?」
今のが神様というなら、随分とたちの悪い神様もいたものだ。
「はい。はじめはクレープ屋台の神様がお声をかけて下さって。クレープを買って欲しいとのことでしたので近寄ろうとしたのですが、クレープの神様は買って欲しくなかったみたいで反発されてしまいました。でも、生クリームの神様とイチゴの神様はクレープ屋台の神様側の派閥みたいでしたので、買おうかなと思ったんです。そしたら移動販売車左後輪のサスペンションの神様が──」
「ちょ、ちょちょ。ごめん、ちょっと待って。わけわかんないから、もういいや」
「はっ、はあ」
ちょっと聞いただけでなんとなくわかったよ。この子、神様の世界ってところかな。
ありとあらゆるものに神様がいて、それが見えるって感じの。
すごく神道に寄った世界だな。
「あなた名前は?」
「あ、はい。私、神居真奈美って言います」
「よろしく、真奈美さん。私は一色香織」
「よ、よろしくお願いします」
クレープを片手に持ったままの彼女を見かねて、私は近くのベンチに座る様促した。
ベンチに座ってクレープを頬張る彼女の隣に座る。
「いきなりで悪いんだけど、真奈美さんって、神様の世界の覚醒者ってこと?」
「そのはずです」
「はず?」
「本当のところ、わからないんです。この世界あるすべての物には神様が宿っているから、物は大切に扱わないといけません。そう、小さい頃にお母さんが言っていました。なのできっと、私の目にだけ見えるあの方々が神様なのだと、そう思っているんです」
真剣に語りながらも頬に生クリームがついてる。私が自分の頬に指をさすと、指でそれを絡め取った。
「それはそうと、世界のこと、ご存じなのですね」
「あー、まぁ色々あってね」
「一色さんは、なんの世界なんですか?」
「香織でいいよ。特に世界もないし」
「未覚醒……なのですか?」
彼女が思っていることはなんとなくわかる。未覚醒なのに世界について知っている。それがちょっと不思議なんだろう。
「知り合いが何人かいるんだ。にしても、世界なのに自分で制御できないの?」
「はい。まだ、一段階なので」
「一段階? 覚醒には何段階まであるの?」
初耳だ。みんな世界を塗り替えられると言っていたから、少なくともみんな1段階よりは上の覚醒者ってことなのだろう。
「そこはご存じないのですね、2段階です。一段階目は世界が感じられるだけ。二段階目から世界に影響を及ぼせるのです」
「そうなんだ、やっぱり二段階目の覚醒って難しいの?」
「はい、私がこうしているのも、二段階目の覚醒に至るため、いわば修行なのです」
「あのパントマイムが?」
「あ、あれは違います! 各地を旅して回っているんです!」
「あ、じゃあ、出身違うんだ?」
「はい、ここには何かを探しに来たんです」
なにかって何。思ったことをそのまま口にすると、真奈美は少し困った顔をした。
「私にもよくわかりません。ただアゲ様が仰るには、あと数日でこの地域に珍しいものが来るみたいで、それを見たいそうです」
「アゲ様?」
「香織には見えていないのでしたね。私と一緒に旅をして下さっている狐の神様がいるんです。これくらいの大きさで、今はちょうど私の頭の上に乗っています」
両手で小さな円を作ってみせた。本当にそのサイズの狐がいるならぜひ見たい。絶対可愛い。
「狐にアゲってことは、すごくおいしいお揚げ屋さんでもできるのかな?」
「そんなことないです! きっと神様方にとって大切なもののはずです!」
冗談にも真面目に返してくれるところ、面白いなぁ、この子。
「そっかー、なら———神宮は? 北乃神宮。真奈美って神道だもんね。この辺りで一番有名だし、ちょうど稲荷系の神社だし。神様にまつわるものなら、何かしら情報が得られるかもよ」
「神道のこと、お詳しいのですね」
「あ、うん、まぁ。お母さんが日本宗教の研究をしてるんだ」
なんだかんだで、この生い立ちを話すのは初めてだ。
「一色先生ですか。お恥ずかしながら存じ上げませんでした」
「まぁ、有名人ってわけでもないから」
「そう、なんですか」
ネットで検索しても出てこないくらいの端くれです。
「神宮のイベント調べてみるのもいいかもね」
「そうしてみます! ありがとうございます」
「っと、電話だ」
そういえばみんなを待たせたままだ。兼継から電話が来ている。
「あ、ごめん。私もう行かないと」
「はい、助けていただきありがとうございました」
「うん、今度から気を付けなよ!」
「はい!」
立ち上がって駆け出した。背中から「じゃあ、またどこかで!」という声がして、振り返らずに手を上げた。
あんな不思議な子、市内にいるうちは絶対にまた会うことになるだろうな。なんて思いながら電話に出るのだった。
「珍しいな、香織遅れるなんて。何してたんだ?」
やっとの思いでアジトまでたどり着くと、既にみんなが待っていた。
「普通に寝坊しちゃったんだけど、それとは別に不思議な子と会ってたの、神様の世界の覚醒者だって」
「神様が見えるってこと?」
繋の問いかけに頷いて答えた。
「話を聞いた感じ、宗教っていうか神道寄りだけど──」
神居真奈美との出会い、それから話したことを一通りみんなに話した。
「あらゆるものに神様が宿るか。アニミズムだっけか」
「いわゆる多神教ってやつだね」
兼継は携帯に視線を落としていて、西鶴は壁に寄りかかっている。
「そう。多神教でアニミズム的思想なの。仏教……は諸説あるけど、要は一神教じゃないってこと。開祖や経典がないって言うのも特徴的だよね」
「香織って宗教にも詳しいのね」
「詳しいかな?」
「博学……」
呟いてどこからか取り出したチョコレートを口に頬る胡桃。幸せそうな表情がめっちゃくちゃ愛らしい。
「気になるとつい調べちゃうの。お母さんが宗教の研究者でお父さんが物理学者なの。きっとそのせいかな」
兼継に「通りで」、なんて言われたのがなんかちょっと気に掛かったけれど、触れないことした。
「世界について知ってる人なら、仲間になってもらった方が得じゃない?」
「確かにそうだが、連絡先とか交換したのか?」
兼継に言われてハッとした。そういえば何も交換してないや。
「してない……けどひとまず、気になることもあるし、次会うことがあったら誘ってみるよ」
その場では誰も反対することはなかったし、今度会ったら話してみようかな。
「それでなんだが、昨日の続き聞かせてくれ。面白い話があるんだろ?」
兼継に言われるまで忘れていた。昨日、みんなに話そうと思っていたことを。
「あーそうそう! 思ったんだけどさ、探してみない? アカシックレコード」
「なにそれ、ラノベのタイトル?」
いや、ありそうだけど。
繋にそんなことを言われるのが、少し意外に思えた。
「アーカーシャの記録だったかしら」
「詩葉って意外と都市伝説好きだねぇー」
隣で繋が「ラノベのタイトル感増したね」なんて言っているが気に留めないでおこう。
「芸能人でもいたわ。アカシックレコードにアクセスできるとか言ってる胡散臭い人」
聞く人が聞いたら問題になりそうな発言だよ、それ。
「……ダークウェブ?」
「アクセスできるってそういう意味じゃないんじゃない? 胡桃ちゃん」
「なんでもいいが、要するになんなんだ?」
「アカシックレコード。それにはこの世のすべてが記録されているんだって。文字通りすべてが」
話がおおざっぱすぎただろうか。みんなあんまり飲み込めてない様子だ。
「香織が言いたいことがなんとなくわかったわ。アカシックレコードには未来に起こるだろうことも書かれてると言われている。要するに、それを利用して負債を無くしたいってことかしら?」
「そう、それ!」
「なんか、まこみこの世界っぽさがあるね」
まこみこって然立真と三琴のことだろう。言われてみれば結構近いかもね。
「確かに。未来のことまで記録されているって点は同じかも」
「未来がわかるなんてスゲーじゃんか」
「でも都市伝説なんだよね? 詩葉ちゃんの言う通り胡散臭い。存在するのかも怪しいよ」
「そうね、聞いた話だと、アカシックレコードって宇宙にあるんじゃなかったかしら」
詩葉の言葉を聞いた瞬間、手のひらがグルんと回り出す。
「うわぁ。一気に嘘っぽくなったー」
「つーか宇宙にあるとか言った奴、どうやって宇宙行ったんだよ? 宇宙飛行士かよ」
「それなー。てか宇宙にアクセスって何? どゆこと? わいふぁいでも飛んでんの?」
多少受け入れられないだろうとは思っていたけれど、結構言いたい放題だね。特に兼継と繋。
気持ちはわからなくはないけど、それを予期していた私は、既に決めているんだ。
「胡散臭いよね。だからこの際、はっきりさせちゃおうと思って」
少し驚いてから、兼継の唇が少し引き上がった。
「へぇ、面白そうじゃん」
「都市伝説って白か黒かわからないところがいいんだけど、生憎白か黒にするのが性分なの」
「そこまで言うからには何か手があるんでしょ? 香織のそういうとこ、割と好き。で、どうするつもり?」
私も繋の悪戯っぽいその笑顔、結構好きだよ。
「やり方はこれ以上ないくらい簡単。新品のノートを用意してこう書くの。『西野木由記へ。アカシックレコードの原本を読みたい』ってね」
「西野木由記ちゃんって、本の覚醒者だったね。でもどういう……」
「彼女、本の世界なんて言ってるけれど、彼女が定義する『本』という概念があまりにも広いんだよ。確認なんだけどさ、兼継って質直人の連絡先は知らないんだよね?」
「ああ。それが今関係してくるのか?」
「一応ね。私がみんなと出会ったあの日、繋に連れられて空港に降り立った質直人と出会った。それって彼のスケジュールを知らないとありえないよね? けれど質直人と兼継の間でそのやり取りはしていない。なら西野木由記から買ったってことだと思ってるんだけど、そこまではあってる?」
「ああ。ついでに言えばあの件な、作戦の立案は全部由記だ」
「そこまでとは思ってなかったよ……」
通りで慎重な計画だったわけだ。これ以上ないくらい腑に落ちた。
「いやでもほんと、助かったんだよ。当日になって急な変更ばっかだったけど、対応してくれたし」
「え? そうなの?」
言われてみれば、繋ばたばたしてるって言ってたっけ。
「うん、プロジェクトアクトのオーナーが、詩葉ちゃんは覚醒者だって公言したあれ。あれのおかげで予定が急に変わっちゃったもんね」
「まっ、それがあったおかげで香織を見つけられたわけなんだが」
そうだ。あの日、二楷堂ことはの死を偽装する必要ができたのは、それが理由だった。それで兼継が急遽詩葉の家と事務所近辺の下見に行ったんだった。私と出会ったのはその帰り道だってことだ。
世の中にはそんな偶然もあるものか。
「情報屋ってそこまでしてくれるんだ」
「話の流れで俺らの世界についての情報は提供したが、全部サービスの一環らしいぞ。なんでも顧客一人一人に合ったサービスを提供するのがモットーなんだと」
「バリバリのキャリアウーマン的発想!」
兼継の要望は詩葉を仲間に呼び込むこと。その情報を売るだけでなく顧客の要望が叶うよう万全の態勢でサポートまでしてくれるなんて。
本人はどんな人間なのか、余計知りたくなってしまった。
「まぁそれはおいといて、要するに彼女、スケジュール帳とかメモ帳とか、一見本から外れていそうな物なんかも本として扱っているんじゃないかなって。たとえそれが電子的であってもね」
「もしかして、香織ちゃん。そういうことかい?」
西鶴は全部言うまでもなく理解したみたいだ。隣で頷く詩葉も。
「そ、彼女が定義する『本』とは、情報が記載されている何か。それくらい広い可能性がある。紙1枚に掛かれたメモまで参照できるかどうかはわからないけれど、アーカーシャの記録って言うくらいなんだから、彼女の定義する『本』に含まれていても不思議はないよ」
「だから西野木由記か」
「いやでも香織ちゃん、仮にアカシックレコードが手に入ったとしても、本来は宇宙にあるもの。僕らの文明では再現できない技術だよ? 僕らが理解できる言語とは限らないんじゃないかい?」
「……詩葉」
私が言う前に胡桃ぽそりと呟いた。
「そ、そうね……それが言語であれば、読めるわ。私……」
西野木由記からアカシックレコードを引き寄せて、詩葉に解読してもらう。あくまでも仮説な部分もあるけれど、ここまで道筋が見えているのであればやってみる価値は十分にあるだろう。
みんな何も言わなくなってしまったけれど、それは、つまりはこういうことだ。
空想に現実味が現れたと。
誰一人口を開かないけれど、目を見合わせたみんなの表情は決して暗いものではなかった。
「白か黒かに塗りつぶす……いいんじゃねーの? 面白そうじゃんか」
「本当にできたらやばいくない? だって未来わかるんだよ!? 私絶対宝くじ買うわ」
「一等でも10億円位だから、残念ながら足りないよ、繋ちゃん」
「海外の宝くじだと最高額3千億円くらいになるらしいわ」
「まじかよ」
「……余る」
暇つぶしとしてはちょうどいいから、みんなやる気になってくれてよかったよ。
ただ同時に少し申し訳ない。期待しているみたいだけど、昨日の質直人の話では、私たちが負債を返し切る必然はない。つまりこのままでは、成功しないと思った方がいい。
何が原因でそうなるのかが不明な以上、考えられる対策は、必然と偶然のリスト。それを書き変える他ないんだろうけれど、然立姉妹の世界を打ち破る方法がまったく思いつかない。
「ねぇ、リーダー! 早く西野木由記に連絡してよ」
「おう! 言ってもあいつ返信遅いからな。おそらくだが結果は明日にならないとわからないだろうな」
早速ペンを持ってノートに何か書き始めた。必然のことは言わない方がいいと思うから、私はそれを見守るだけにする。
兼継もそのことみんなに話してないだろうし。
二人は気が付いているのかな。兼継はわかってても気にしなさそうではあるけど。
「よし、あとは返事を待つだけだな」
書き終えたノートを閉じて、テーブルの上に戻した。
未来を知ろうとすればするほど、今がひずんで歪んでしまう。
軋み、聞くに堪えない音を立てているそれに、私たちはまったく気が付いていなかった。
もう既に、私たちの知らないところで始まっていたんだ。
未来を、いいや時間を巡る、本当にくだらない争いが。




