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2.一か月目(後半)


 次の日、サッシャは勇気を振り絞って、秘書のハイケ・マカシューに声をかけた。


「あの、ハイケさん。これから毎日の事務所の戸締まり、私にやらせてもらえませんか? 私も少しは皆さんのお役に立ちたくて」


 ハイケは大きな青い目でジロジロとサッシャを見る。


「はあ、何言ってんのよ。入ったばかりのあなたに、そんな大事なこと任せられるわけないじゃない」


「そ、そうですよね……。何か、私にもできることはありませんか?」


 ハイケは目を細めて少し考えると、口を開いた。


「確かに、せっかくの新人を遊ばせてる場合でもないのよね。すぐ辞めるかと思っていたけど……。分かったわ。他の部署から届いた申請書類の仕分けをやってもらおうかしら」


 サッシャの部署は、王宮で必要な備品を手配するのが主な業務だ。申請書類は毎日山のように届く。サッシャは両手をギュッと握り合わせた。


「はい、ありがとうございます」


 ハイケは机の上に重なった書類の束を指差す。


「いい? まずは上に書かれている部署名で分類していくの」


 すさまじい速さでハイケが書類を分けていく。サッシャは必死で手帳に記入する。


「次に、書類に不備がないか確認よ。ざーっとでいいわ。見落としても、担当者が確認するから大丈夫」


 ハイケが分類された書類の山を上から順に見ながら、不備があるものをサッシャに渡す。サッシャは見ても、何がダメなのかさっぱり分からない。


「これはね、部長の署名が抜けてる。こっちは必要備品の個数が漏れてる」


 ハイケがキビキビと言う。サッシャは頷きながら手帳に書く。


「おはよう、ハイケ、サッシャ。今日もキレイだね」


 ハイケとサッシャは立ち上がると、にこやかに挨拶をする。


「おはようございます、ウィリアム様。本日は午後から財務部長との会議が入っております。必要書類は既にまとめております」


 ハイケの言葉に、ウィリアムは大きな口をキュッと上げ、両手をパンっと打ち合わせた。


「素晴らしい、さすがハイケ。君がいなければ私はどうしていいか分からないよ」


 ハイケは上品に微笑む。


「では、打ち合わせにはサッシャに同行してもらおうかな。議事録を取ってもらいたい。ハイケ、サッシャにやり方を教えておいてね」


「はい、かしこまりました」


 ウィリアムはヒラヒラと手を振りながら、奥の小部屋に入っていく。



 サッシャは慌ててお茶を用意しに行った。人数分のお茶を台車に乗せると、ウィリアムの机にそっと置く。ウィリアムはサッシャの手にさっと触れると、お礼を言う。


 サッシャは全員の机にお茶を配ると、席に戻った。ハイケが冊子を渡してくれる。


「これが過去の議事録よ。重要なのは、日付、出席者、場所を必ず書くこと。それから、下書きは殴り書きでいいからね。とにかく、誰が何を話したか。何がどう決まったか。決まってないことは何か。それを書き漏らさないように」


「はい」


 サッシャは必死で手帳に書き留める。


「今日は申請書類の分類はいいから、議事録を読んでいなさい」


 サッシャは椅子に座ると議事録に目を通す。ハイケの手跡は整っていて読みやすい。サッシャは議事録に書くべきことを、手帳に箇条書きにしていく。



 そうか、決まったことを書くのは当たり前だけど、決まらなかったことも大事なんだ。いつまでに誰がどのように検討するのか、再度打ち合わせをするのか。ここを明確にしないと、うやむやになってしまう。


 緊張しすぎて昼ごはんは何も食べられなかった。


「さあ、いこうか」


 ウィリアムの言葉にサッシャはサッと立ち上がる。ハイケがたくさんの書類を持たせてくれる。


「がんばってね。とにかく、殴り書きでいいから、全て書き留めなさい。誰が言ったかだけ分かるようにするのよ。あ、そうだ、名前が分からなかったら絵を描いておいて」


 ハイケは紙にささっと四角を書く。


「これ、机ね。部屋にいる人の位置を丸印、その上に特徴を書いてくれればいいわ。で、番号でもふって、誰の発言か分かるようにして」


「ハイケさん、すごいです。ありがとうございます」


 サッシャは感動のあまり涙が出そうになった。


「大げさね。早く行きなさい」


 ハイケが背中を押してくれる。サッシャは慌ててウィリアムを追いかけた。



「どう、仕事は楽しい?」


 ウィリアムがチラリとサッシャを見て聞く。サッシャは口ごもった。


「あ、あの。もう少し仕事をしたいです。今のままだと、給料泥棒だと思われそうで」


 ためらったのちサッシャは正直に言うことにした。ウィリアムは大きな声で笑った。王宮を行き交う人たちが、ふたりを見る。サッシャは目を伏せた。


「真面目だねえ。どう、今晩一緒に食事でも。サッシャがどんな仕事をしたいか、ゆっくり聞かせてもらいたいな」


 サッシャは一瞬固まるが、はにかんだ笑顔を見せる。


「今日は、父に早く帰ってくるように言われておりまして。せっかくですが……」


 ウィリアムは、それ以上は誘って来なかった。サッシャはホッとした。王城で働いていると、しょっちゅう男性から食事に誘われるのだ。断っても引き下がらない人が多くて辟易していた。



 会議室に着くと、サッとウィリアムが扉を開けてくれる。サッシャは、やってしまった、私が開けなきゃならないのに、と思いながら部屋に入る。


 部屋の中には大きな机があり、既に三人の男性が座っている。ウィリアムもさっさと座ると、サッシャを促し隣に座らせた。


「新しい秘書か?」


 美しい白髪の、ワシのような顔をした男性がサッシャとウィリアムを見て言う。


「ええ、美しいでしょう。あげませんよ」


 ウィリアムの答えに、白髪男性はふっと口を緩める。サッシャは書類を挟んだ冊子を皆に配る。それからは、無我夢中だった。話していることがほとんど理解できない。聞きなれない単語が飛び交い、綴り方も分からないまま、とにかく音をたよりに当てずっぽうで書き殴る。


 何が決まって、何が決まらなかったのかも、さっぱり分からなかった。会議が終わって、どうやって部署に戻ったのかも覚えてない。ぐちゃぐちゃの紙を見て、サッシャは泣きたくなる。



 ハイケがポンっとサッシャの背中を叩く。


「最初は誰だってそんなもんよ。泣かなくていいから。さあ、議事録貸して」


 サッシャは、自分が泣いていたことにも気づいていなかった。慌ててハンカチで目を拭くと、汚い議事録を渡す。


「お腹すいてるんじゃないの? 何か食べてきなさい」


 ハイケは小声でささやき、サッシャにカバンを渡してくれる。サッシャはまた泣きそうになって、唇をギュッと閉じる。同僚の温かい視線を背中に受けながら、サッシャは急いで部屋を出た。



 食堂に行くと、もうほとんどが売り切れている。サッシャはため息を吐いた。


「焼き立てのマフィンはいかがですかー」


 陽気な声がすぐ隣で聞こえて、サッシャは飛び上がる。横を見ると、白いエプロンをつけた男が、台車に乗せたマフィンを机の上に並べている。


 甘い匂いがサッシャの鼻をくすぐる。サッシャは思わず口を開いた。


「ひとつもらおうかしら。オススメはどれ?」


 男はサッシャを見てニコッと笑った。


「一番人気はチョコとバナナのマフィン。次はナッツとキャラメル。甘いものが苦手な男性には、紅茶の葉が入ったマフィン。疲れてるならこの甘いマフィンがオススメです。ベリーたっぷり、シロップたっぷり。おいしいですよ」


 サッシャは男のおどけた表情がおもしろくて、吹き出した。


「ベリーたっぷりのをもらうわ」


 サッシャは男にお金を渡す。


「ありがとうございます」


 男はベリーのマフィンと紅茶のマフィンを紙袋に入れた。


「ひとつは俺のおごりです。泣いてる女性には優しくしろって、うちの母親がいつも言ってるから」


 男はサッシャがお礼を言う間もなく、さっさと調理場に入って行く。


「ありがとう」


 サッシャは調理場の方に向かって大きな声で言った。



***



「そう、それで議事録はきちんと書けるようになったのね。見せてちょうだい」


 ヘレナ女史はサッシャから議事録の束を受け取ると、満足気に頷く。


「よく書けているわ。じっくり読みたいから、もらってもいいかしら?」

「はい、そちらは下書きですので」


 ヘレナ女史は議事録の束を封筒に入れると、両手を机の上で組み合わせる。


「仕事も増えて、部署内の動きも把握したのね。よくやりました。……それで、ウィリアム・デフォールとはその後どうなの? まだ愛人扱いされている?」


「いえ、最近はそれほどでもありません。秘書業務をこなしつつ、他の方の仕事も手伝っています。働きぶりには満足していただいているみたいです。ただ……食事にはよく誘われますが」


 サッシャは最後の方は小声になった。


「まあ、男の上司の病気みたいなものよね、それは。あくまでも仕事上の関係で笑顔を見せているのに、なぜか勘違いするのよね。若くて美しい部下といると、男は気が大きくなるのよ。……うまくいなせそう?」


「はい、先輩秘書のハイケさんのやり方を見習っています」


 ヘレナ女史はふーっと鼻息を吐いた。


「そう、それならいいわ。では次の課題よ。同僚の仕事への不満は把握したわね? それを最低ひとつ改善しなさい。ひとりでやるんじゃないわよ。同僚とよく話し合いなさい。そして大事なことだけど、手柄は同僚にあげるの。あなたはあくまでも補助よ」


「はい」


 サッシャはお礼をして、部屋を出た。少し歩くと、ハイケがいるのが見えた。



「ハイケさん、どうしたんですか? まだ帰らないんですか?」


 ハイケはサッシャの手を取ると、固いものを握らせる。サッシャは手を見た。カギが入っている。


「この一か月、よくやったわ、サッシャ。明日から朝一番に来るのよ。戸締まりもよろしく」


「はいっ、ありがとうございます」


 サッシャは頭を下げた。立ち去りかけたハイケがふと止まる。


「もらった木の棒……。大事に持っておきなさい」



 ハイケはひとり言のようにポツリとこぼすと、カツカツと歩み去った。



 サッシャは頭を上げて両手を見る。左手にはさっきヘレナ女史からもらった木の棒、右手にはカギ。サッシャはハイケの後ろ姿をじっと見つめた。




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ハイケ先輩‼️尊敬します!こんな上司が欲しかった。そして、仕事の何たるか、コツがめちゃわかりやすい。アドバイスが。純粋に私たち誰にでも役に立っちゃう。しっかり覚えて活用だ! マフィンにも癒されるでしょ…
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