1.一か月目(前半)
フローレンスはとても居心地が悪い思いをしている。期待に胸をおどらせて、祐筆部に出勤したら、美女軍団に囲まれたのだ。
「お、おはようございます。フローレンス・ブラーフと申します。今日からよろしくお願いします」
とりあえず、きっちり挨拶する。美女軍団はフローレンスをじろじろ見ると、事務的な笑顔を浮かべ、「よろしくね」と言って去っていった。
そのあと、同期のクロエが入ってきたら、美女軍団は華やかな笑顔でクロエと話している。可憐なクロエは、美女軍団のお眼鏡にかなったようだ。フローレンスが唇を噛み締めていると、地味な女性が近づいてくる。
「フローレンスさん、よろしくね。私は主任のエマ・ワイリー。あなたにはしばらく私の元で仕事を覚えてもらうわ」
「はい、よろしくお願いします」
フローレンスはホッとして、しっかり頭を下げた。チャラチャラした人ばかりじゃなくてよかった。フローレンスは自分の実用一点張りの服と、華やかな先輩たちの衣装を見比べて焦っていたのだ。
エマ主任は清潔でかっちりとした服だけど、華美ではない。
「クロエさんは、アラベラさんについて仕事を覚えてね」
エマ主任の声に、クロエと黒髪の美女が頷く。妖艶な先輩がアラベラさんのようだ。
「やあ、みんなおはよう」
キラキラした金髪の美しい男性が入ってきた。あっという間に美女軍団が男性を取り囲む。
「ジュード様、おはようございます。カワイイ新人ふたりが入りましたわ」
アラベラさんが色っぽい目で男性に話しかける。男性はまぶしい笑顔でフローレンスとクロエに笑いかけた。
「よく来てくれたね。歓迎しますよ。私は部長のジュード・ダヴィドフ。しっかり学んでね。この部署は忙しいから」
「はい」
その週はあっという間に終わった。覚えることが多すぎて、頭がパンパンだ。
祐筆部はジュード部長以外は全員女性だ。そして、ふたつの派閥に別れている。ジュード部長を取り巻く美女軍団と、エマ主任の元で粛々と業務を進める地味族。もちろんフローレンスは地味族で、同期のクロエは美女軍団だ。
特に敵対しているわけではない。ただ、なんとなく別々に仕事をしている感じだ。フローレンスは地味族に所属していても、気にしてない。給料さえもらえれば、どうでもいい。
ヨロヨロと家に帰ると、幼なじみのザックが庭で絵を描いている。ザックとフローレンスはしがない男爵家の出身だ。
「ザック」
「フロー、お帰り。大丈夫? なんか疲れてるけど」
「疲れた……。すごく」
フローレンスはザックの隣にへたり込んだ。
「仕事そんなに大変なのか?」
「慣れるまではね、大変だと思う。覚えることがいっぱいだもん」
ザックが心配そうにフローレンスをのぞき込む。
「そっか。どうする? 明日、文房具買いに行くの、やめておく?」
「行くわよ、ずっと楽しみにしてたんだもん」
「よかった。僕も画材買いたかったから」
ザックの笑顔を見て、フローレンスの疲れはふっ飛んだ。ザックは絵本作家を目指しているのだ。ザックが夢を叶えるまで支える、それがフローレンスの密かな願い。
でもザックを支える前に、家族を支えないといけない。現実の厳しさにフローレンスはため息を吐く。フローレンスの父親は昨年亡くなり、母親は病気で寝込みがちだ。フローレンスは母親の薬代と、弟の学費を稼がなければならない。
父親が亡くなって、弟が男爵位を継いだ。実務は家令が取り仕切っているが、いずれは弟がやらなければならない。領地はなく、ただ名誉だけの爵位だ。しかし、それがあるからこそ、フローレンスは王宮で働けた。
ザックは沈むフローレンスを見て、頭をポンポンっと優しく叩いてくれる。
「お母さんのこと大変だね。フローレンスはがんばりすぎるとこあるから、無理しないようにね」
「うん。祐筆部に入れてよかった。これでなんとか家族三人が食べていけるわ」
でも、食べていけるだけだ。薬代と学費には足りない。家令や使用人の給料も稼がなければならない。今は貯蓄を切り崩している。
「週末に家庭教師でもしようかなー」
「働き過ぎじゃない? 無理すると、祐筆の仕事に支障が出るよ」
「そうだね、もうちょっと慣れてからにするわ」
そんなフローレンスに、思いがけないところから救いの手が差し伸べられた。週明け出勤すると、エマ主任にこっそり言われたのだ。
「お昼休みに、この部屋に行きなさい。悪いことにはならないわ。しっかり話を聞いて、できそうなら引き受けて。無理だと思ったら断るのよ」
エマ主任がフローレンスに紙を押しつける。
「何かもらったら、捨てたりせずにきっちり持っているのよ。いつか役に立つから」
訳が分からないが、エマ主任にもらった紙の場所に向かった。扉を叩くと、「入りなさい」硬質な声で言われた。
恐る恐る入ると、威圧感のある視線に受け止められた。
「座りなさい。エマ主任から話は聞いています。クセがなく読みやすい手蹟だそうね。この文章を清書してみて」
フローレンスは紙を渡される。指示されるまま、机の上のガラスペンを青いインク瓶につけた。ドキドキしながらも、手早く書き上げて女性に渡す。感情の読めない目でフローレンスの字を見た女性は、少し表情をやわらげた。
「いいですね。読みやすいし、媚びがない。読み手が理解しやすいように、文字の大きさや行間を考えているのね」
フローレンスは肩の力を抜いた。
「週に一度、この時間に来て清書をしてくれないかしら。報酬は弾みます。ただし、守秘義務契約を結んでもらう必要があるけれど」
「はい、ぜひお願いします」
フローレンスは前のめりで答えた。だって、この人ヘレナ・ミラージュ女史だ。女性ながら、王宮で絶大な権力を持つという、やり手で有名なお方。ひそかに憧れている女性は多い。
ヘレナ女史はフローレンスに二枚の紙を渡した。
「よく読んで、異論がなければ署名して。一枚はあなた、一枚は私が保管するわ」
フローレンスは慎重に契約書を読んだ。ここで知り得た情報は一切漏らさないこと。漏らしたら投獄もしくは賠償。報酬の金額を見て、フローレンスは目が飛び出そうになる。祐筆部でもらえる給料より多い。
「重要な機密文書を扱ってもらいますから、高給です。ただし、責任も重いと心得て」
「はい、なにとぞよろしくお願いいたします」
フローレンスは署名をすると、紙を渡した。
「あなた、家計を支えているんですってね。だったら支払いはその都度の方がいいでしょう。今日の分です。あとは、この棒。困ったときに私に渡すか、教会に持って行けばいいわ」
フローレンスは渡された金貨と木の棒をしっかりと握りしめた。フワフワした気分のまま仕事に戻り、ポワーンしながら王宮を出る。
街に出て薬と食料を買った。少し迷って、新しくできた文房具屋に入ってみる。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか」
店員に聞かれて、文房具に目を奪われていたフローレンスはハッと我にかえる。
「あの、ガラスペンが欲しくて」
フローレンスは口ごもった。ガラスペン、すごく高いと思う。
「あの、そんなに高いのは買えません」
フローレンスは慌てて言って、赤くなった。店員はニコニコしながらいくつかの箱を机に並べる。
「こちらは実用向けなので、それほど高くありませんよ」
確かに、今のフローレンスなら買える値段だ。フローレンスは息をホウッと吐いて、注意深く手に取ってみる。店員が色んなインク瓶を並べてくれた。
「お好きな色で書いてみてください」
フローレンスは言われるがままに、次々と試していく。一番手にしっくりきて、滑らかに書けるガラスペンを選んだ。
「これにします」
「はい、かしこまりました。こちらは手入れも楽ですし、おすすめですよ。それにしても、素晴らしい字ですね。こんなに読みやすい字、初めて見ました」
店員がまぶしいものを見るような目で、フローレンスの書いた文字を眺めている。
「あ、ありがとう」
フローレンスは顔が熱くなった。
「インクはおまけしますよ。どの色がいいですか?」
「ありがとうございます。では、青のインクをお願いします」
店員はガラスペンを丁寧に水で洗うと、専用の箱にきっちり収める。別のガラスペンで紙にサラサラと書いた。
「これ、俺の名前です。ガラスペンに何かあったらことづけてください。俺も、いつも店にいるわけじゃないから」
「ありがとう」
フローレンスは紙とガラスペンとインクをカバンに詰め込むと、急いで外に出た。若い男性に優しくされると、ドギマギする。
落ち着くのよ、フローレンス。彼は店員。誰にだって親切なの。フローレンスは歩きながら、店の窓ガラスに映った自分の姿を見て、冷静になる。
地味な女は、浮ついてないでしっかり働くの。それが幸せへの道。フローレンスは自分に言い聞かせる。
フローレンスは食料の入った布袋をしっかり持つと、キビキビとした足取りで歩き出した。




