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鬼火 タナラの魔法使い  作者: つかばアオ
第2章「少年と死食鬼」
8/21

 ・7




 タナラ村の各家庭で一般的に食卓に並ぶ料理というのは、「豪華である」と評価するには物足りないところがあった。このたび彼らの囲むテーブルの上には、鹿肉を中心に野菜のある食事が用意されている。それは一見すると、子供が食べるには量は多いかもしれない。だが大人が食べるには質素だった。それでも、その大きな皿の上は、こぢんまりとした村でとる食事にしては色が多い。赤に緑、黄。どれも新鮮であり、腐ったものはない。これを見れば、町にいる人でも、彼らは貧相な暮らしをしているとは思わないだろう。「おいしそうだ」と喉を鳴らすものがいても変ではない。そう、たとえ豪華とはいえなくても。


 料理で使われた食材の多くは、タナラ村の人から貰ったものだった。タイロンは同じテーブルを囲み、フォークを使い、鹿肉を食べながらそう話した。キノコをもらった。ニンジンをもらった。イモをもらった。それから、川魚をもらった。食材名から、村人の名前でさえ詰まることなく彼はそれらを淡々と述べていく。自分たちが施しを受けたことを知ってもらうために。


 しかし彼が話す前から、タイラーはおおよそのことは知っていた。誰が、どんなものをくれたのか。なぜなら、タイロンが近くの町に出掛けたとかでもないかぎり、偏りなどないように食材を揃えるのは難しい。お肉はあったとしても、タイロンは畑でニンジンなど育てていない。イモもそうだ。キノコぐらいであれば、森から採ってくることはある。


 タイラーはタナラ村で長く生活をしている。


 ときおりタナラ村には、煤かなにかで汚れた緑色の帽子を被った商人がやってくる。その人に出会えば、必要なものを買うことができる。だが、買える物なんてものは限られていた。売買の為に、町から村に訪れる商人が持ってくるのだから、品揃えが良いとは言えなかった。


 タイラーは背筋を伸ばして椅子に座り、鹿肉をゆっくり口のなかで噛み、その味を感じていた。そして彼は考えを巡らしていた。三階の部屋で偶然に見つかった、母親の手紙についてである。あの手紙を、俺はなにも知らなかった。見た覚えがなかった。聞いた覚えがなかった。文章、内容から理解できるその意味。「追われることになる」というのはどういうことなのだろう。母さんは追われているのか? 父さんも? タイラーはよく噛んだ鹿肉を喉に流して、同じ席で食事をともにするタイロンを三秒間ほど見詰める。そのぐらいには彼の頭のなかには混乱があった。これはつまり、なにが起きていて、どういうことなのだろう。


 タイロンは視線に気付くようすはない。食事をしている姿はそうでもないのだが、どこか不機嫌そうだった。普段より、眉間にしわが寄っている。彼もまたこのとき考えねばならない別の悩みでもあるようだった。


「最近さ、街の商人のひと、村で見ることないね」


 タイラーは聞くことはしなかった。直接聞くにせよ遠回しに探るにせよ、タイロンから「両親の事情」を教えてもらえるとは思えなかった。この二年間ほど、俺は手紙を受け取っていない。手紙が届かなくなったと聞いている。


 あの手紙がほんとうに最後であるなら、タイロンも詳しくは知らないのかもしれない。


「前は、けっこうな頻度で、村に来てたような気がするけど、ぜんぜん見ない。村には来てるけど、俺がたんに会えていないだけかな」


「来てはいるぞ。今日、帰り際に見かけた」


「そうなんだ。そっか。ってことは、俺が会えてないだけか」


「村での、商売をする数を減らしているようだ。そんなことを言っていた。それと、やたら物騒な話をしていた」


「物騒? どんな?」


「たいしたことではなかった。この村では、関係のないようなことだった」


「関係ない。そう。そっか」


 タイラーは町の商人がどのような話をしてくれたのかすこしだけ気になった。彼の話を聞くのは、どのような内容でも心をくすぐる面白いところがある。それがもし口を開けて笑ってしまうようなものであれば、誰でもいいから人に聞かせたくなる笑い話が多かった。


 なかにはぞっとするような恐い話もある。だから、村の大人たちと一緒に聞いていることもある。年長者など大人が数人と集まるだけあって、あんがい無視できない情報もある。小さな村に住む人にとっては、緑色の帽子を被る商人とは重要な情報源でもあった。


 疑うのはよくはない。だが、商人の言葉には嘘が混じっていそうだと思うこともある。タイラーはすべてをそのまま受け入れたりはしなかった。彼だけではない。村に住む人はおもいのほか慎重であり、注意深く現実を見据えていた。


 タイラーは母親のことを思い出した。声はとてもやさしい。匂いはやわらかくあたたかい。髪は長く、目元には活力を感じる。とりわけ彼は彼女の目元に関しては印象に残っている。


「今度、会えたらいいんだけどな。次会う時には、とびっきり面白い話を用意しておくって言ってくれたから。そんなには、信用してないけど」


「タイラー」


「なに?」彼は食事の手を止めた。相手の顔を見て、額のシワが減っている、と思う。潰した紙切れを、手で押して広げたような表面だった。


「明日のことで、ひとつ話がある」


 タイロンはそう言うと、コップを持つ。


「なんか、用事? お返しでも、持っていけばいいの?」


「明日の早朝、町に出掛けてくる。留守を頼めるか?」


「いいけど。早朝っていうと、帰るのはいつぐらい?」


「いつになるかはわからない。だが、遅くはならないようにはする」


 タイラーは相手の眉間を見詰めて、目を逸らした。いつになるかわからない、といった。タイロンは席に座り、ここで考えて、答えを導き出していた。


 タイラーは鹿肉を口にする。「町にって、町に買い物でも行くの? 今日、いっぱい貰ったものがあるけど」


 あのいまにも壊れてしまいそうな冷蔵庫だけでも、その中身は「食事」に関して困るようなほどではなかった。三人暮らしで、明日には無くなっているとは考えられない。「ソラはよく食べる」といっても。


「あれだけあれば、数日は大丈夫そうだったように見えたけど」タイラーはそれぞれ一つずつ思い返しながら言った。「明日になったら、増えてるかもしれない」


「食料のことではない。ただの用事だ。仕事で町に出掛ける」


「仕事?」


 タイラーは腕や手だけではなく、目と口が止まった。短時間で、彼は思考する。タイロンは狩りで町にいくのか。仕事というと、『狩り』ぐらいしか思い浮かばない。お肉を売りに行くのではないようだ。香りを放つ――重い散弾銃を持って町に出掛けていく。


「仕事か。わかった。エマとソラと一緒に待ってる」


 すると、ソラが鳴いた。名前を呼んだことによる返事ではない。すでに食事を終わらせてしまったらしい。床を歩いて、傍までやってくる。


 皿の上は空になっていた。「満足か?」とタイラーは問う。


 ソラは鳴く。翼を大きく広げるが、そこで羽ばたこうとはしなかった。テーブルに飛び乗るつもりはないらしい。


 エマは両手でコップを持ち上げた。水を飲んでから、空気を求めるように息を吸う。「遊ぶのはあと。ごはん食べてから」と彼女は言う。


 タイラーは姿勢を戻した。「食べるの、はやいよな」


「はやいのは。お腹がすいているから?」エマはコップを置く。


「ソラ、明日、一緒にお留守番な。おじさん、用事で町に行くんだって」


 針尾竜は首を伸ばして、高い音で鳴いた。ご飯を求めているわけではないだろう。(おそらく)ひとの言葉の意味を理解している。


「そうだな。明日、なにしようか。晴れてたら、外に出て、翼を広げるのもいいかもな」


 ソラは鳴きながら、感情を表している。外に出たいようだった。人の言葉で、話をしているのではない。翼を大胆に広げて、揺らして、連続で鳴いている。


 タイラーは笑った。そのようすから、ソラの心が手にとるようにわかった。


 タイロンは言う。「そいつも、いつかは、この家を離れなければならないだろうな」


 彼は笑うでもなく、悲しそうな顔というわけでもなく、無表情で針尾竜を眺める。運命を述べているようだった。


 タイラーの表情から笑顔が消える。先日の帰り道、森のなかで考えていたことだ。


「やっぱ。そうなのかな」と彼は言う。


「そうだろう。ここがいいとは思えない」


 タイラーはなにも言えなかった。ソラにとって、タナラ村は。


「ソラとは、お別れなの?」


 エマが言う。彼女は会話の内容を理解しているのかわからない反応だった。タイロンのように、悲しそうな顔はしていない。声もそうだった。あまりにもどれも乏しく、感情がみえなかった。いつもどおりだろうといえば、まちがいではない。


 タイロンは水を一口ほど飲む。「近いうちには。そうなるだろう。そうなってもらわないと困る」


 タイラーは間を置いた。


「それって、家にいるのは駄目だった、ってこと?」


「そういうことではない」タイロンは平静な態度で言う。「ソラが家にいることで、この家にとって困るようなことは何もない。この家には食べ物も水もある。竜の子供一匹ぐらいで、生活ができなくなる、なんてことはない。家を汚したり、よく肉を食べる――そのすがたが、不快だと言いたいわけでもない」


 タイラーはソラを中心とする話をまともに聞けなかった。最後まで聞こうとは思えず、とにかく恐れていた。別れの時なのだ。しかし、もう少しだけでも、ソラと一緒にいたい。


 彼は黙ってしまう。


 タイロンは息を吐いて、続ける。「廊下で小便をしようが、うんこをしようが、お前が掃除をしっかりやってるだろ。皿から餌をこぼすことも減った。家のなかで注意不足で飛ぶことも減った。もちろん減ってはいるが、日々の生活のなかで頭を抱えてしまうようなことはある。だが、文句はない。とくにはな」


「それなら」


「そうなってもらわないと困るというのは、こいつにとってだ」


 タイラーは口を開きかけて、なにも言えなくなる。『住処に帰る』とは――仲間たちのもとに帰る。それは、ソラにとってしかるべき選択ではないのか。


「ソラは針尾竜だ。人間社会で生きていくべきではない」


 タイロンはやさしい口調で言った。彼は不要な刺激を与えないようにしている。とても大事な話をしている。


 そして、「どういうことか、わかるか?」と彼は言う。


「わかると、おもう」


 そのほうがいい。俺はわかっているはずだ。俺やエマとは違う。タイラーは思った。


 タイロンはすこし間を置く。「怪我は治った。飛べるようにもなった。食べ物も、しっかり口にする。もうどこにも異常はない」


「いつか、ソラとは離れなければならない」タイラーは言い聞かせるように言葉にする。


「ああ」


 ソラが鳴いた。ようすがおかしいと感じとったようだ。透明な音で呼びかけている。


「できるだけ、近いうちに。そう、約束したもんな」


 タイラーは視線を下に向ける。彼はそうして森での会話を振り返った。あのとき、はじめて自分の秘密を話した。これまでにあのはなしを誰にも打ち明けたことがなかった。両親が、『魔術師』であるというのは内緒にしている。自分はその子供である。タナラ村に住んでいる人はなにもしらない。タイロンだけは、昔からの友人だから知っている。だが、長老、村に訪れる商人、年の近い者だろうと明かしてはいない。


 魔術師であることを、人に教えるのは危ない行為である。たいてい危険を招くことになる。人とは異なる。


 両親だけではない、タイロンからもそう教わった。


「会いにいこう。うん。そのほうがいい」


 だけど、二人なら話してもいいように思えた。


「あと、これは『そうしろ』というわけではないが、ソラがパラノマ山に戻るまでのあいだ、外出を控えろ」


 タイラーには簡単には飲み込めない提案だった。控えろというのは、どういうことだ。ソラに外にいてはいけない理由があるのか。タイロンは形容しづらい顔をしている。


「ソラを、国の兵士に見られるのはあまりいいとは言えない」


「兵士って、時々、見回りで来る人たちのことだよね。兵士に見られるとまずいの? 村の人たちにはもう会ってるけど」


「村はまあいい。ただ、国の兵士に直接見られるのは場合によっては、そのさき面倒なことになる可能性も考えられるから、だから外に出るのは控えろというだけだ。もし家の外に出ても、誰か来たら、すぐに姿を隠せるようにはしておけ。家のなかでもな」


「わかった。そうする」


「何も起こらないことが一番いい」とタイロンは言う。


「あのさ、その、ソラはちゃんと、仲間のもとに帰れて一緒に生きていけるかな」


「それはわからないな。この家に住んでいる以上、ソラにはすでに人の匂いがついてしまっている。幻獣は、そう考えると、思い通りというわけにはいかないかもしれない」

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