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鬼火 タナラの魔法使い  作者: つかばアオ
第3章「少年と魔女」
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 タナラ村で平和であろう日々が過ぎていく。冷たい雨も降らなければ、空が灰色の雲に覆われるようなこともなかった。鳥が枝から枝にとまり、その下では鹿が駆け抜けていく。『死食鬼の群れが村に訪れた』という不幸な日からそれ以来、この数日間、騒ぎとなるような事件も事態にもならなかった。あったとしても、見目麗しい赤森の魔女ジュナ・コーデンが村に訪れた、その出来事ぐらいか。村の長老は聞かされてから、はじめは苦虫でも噛み潰したかのような顔をしていたが、それも時間とともに変化していく。本心からすると長老も魔女が恐いのだろう。タイロンと同じだ。決して身近とは言い難く、魔女という存在は闇に包まれている。彼の感覚からしてみれば、明らかにその存在は私たちとは異なり、人間ではないようで、「なにをするかわかったもんではない」と口にしている。魔法が使える、というのはそういうことだ。ちょっとした匙加減で、人の運命を簡単に変えてしまう。


 恐ろしき死食鬼が被害をもたらして去っていった。そしてその結果、村の周りでは武器を持った男たちが徘徊している。そして、今度はドラの森に住む赤森の魔女がやってきた。それもはなしからして、その魔女もすぐにはタナラ村から立ち去るようすもない。いったいどういうことなんだ。次から次へとこの森でなにが起きているのだろう。長老は悩みが尽きない。


 魔女が訪れた理由を知った。彼もまた二人の名前を聞いて困惑する。なぜ、二人が? 赤森の。


 長老は心から騒動が起きないことを願っている。


 


 赤森の魔女が居着いてしまった、しかしながらその魔女がどのような手段で、一日一日を森で過ごしているのかだれにもわからなかった。村人のほとんどがドレスを着た(目立つはずの)彼女を見かけることすらない。たとえ村や街道で武装した男どもを見かけることはあったとしても。なかには、森で目撃している者もいるにはいたが、それでもふと目を離した隙にその姿を見失ってしまうのだという。だから、彼らは囁く。どこでだれが聞いているのかわからないというのに警戒心などなく。村人は魔女に恐怖し、そうしてその生活に興味を抱きはじめる。


 お腹は空かないのか。何を食べて生活をしているのか。喉が渇いたりしないのか。森のなかだ。ドレスは汚れないのか。安くはないだろう。身体を洗うことすらしないのか。


 魔女はきれいな人が多いというのは本当なのか。歳を取らないというのは本当なのか。昔話だと、力と若さを与えられ子供ができない身体となったと云う。人ではなくなった。私たち人間ではなくなった。この世に魔女が誕生したきっかけ。亜人たちとは違い、欲望に駆られ、衝動に任せた。愚かな彼女たちに「力」を与えたのはあの悪魔である。


 感情などなく容易に人を殺し、街を亡ぼすのが魔女である。『魔女は子供を攫っていく』。新たな魔女を生み出すのか、新たな魔術師を生み出すのか。または魔法の実験に使うのか。人の幸せが憎いのだ。意地が悪く、くわえて昔話からでもわかるとおり欲張りである。


 


 当然といえば当然なのだろう。豊かとはいえない、小さな村に魔女がやって来たのだ。しかたないとはいえ、タイラーはそういった村人たちの会話を聞く機会が増えた。子供は魔女を恐れるが、大人たちはどうしてもそこに関心が向いてしまう。


 知らないことがたくさんあった。タイラーは彼らのうわさ話を聞いて、そう思った。魔女とは何なのか。自分は正確に知っているわけではなかったようだ。


 大人たちは揃って口にする。羨んでしまうほど背が高いのは彼女たちがそう望んだから。(つい視線が向いてしまうほどに)胸が大きいのは、彼女たちがそう望んだから。顔に首、腕に手、脚、髪の毛一本一本など、容姿が美しいのは彼女たちがそう望んだから。聞き惚れてしまいそうな声もまたそうだ。


 魔女はいい匂いがすると云う。あの魔女は少なくとも百年前からドラの森に住んでいる。だが、若く見える。


 タイラーは聞くばかりではなく、ふとしたはずみで住人から尋ねられる。しかし、彼は質問には答えない。何も知らない、と言った。綺麗なのか知らない。どんな感じのひとなのかも知らない。胸が大きいかどうかとか、わからない。魔女は見ていない。なぜ、この村に訪れ、この森で何をしているのか。




 村の住人のあいだで話題となっている魔女、見回りをしている国の兵士にも伝わっているだろう。しかし依然としてその姿を見たものは限られている。そのなかで、タイラーはふとした時に出会うようになった。彼女から会いに来ることはほどんどない。それでも村の住人たちと比べると、はるかに遭遇する機会がある。


 魔女は彼に会いに来たのだから。


 タイラーはジュナと出会うと、恐れず話しかける。最初のうちは、彼も彼女に話しかけたりはしなかった。森で一人で佇んで、その様子から察するに、枝の先についた葉でも観察している。時には、川の流れを見詰めている。彼女を遠くから見ていると、声をかけるのにどうしても勇気が必要だった。


『彼女との会話には勇気が必要』。といっても、話しかけてみると思いのほか物事はすんなりと進んでいく。タイラーにとっても、彼女はとても綺麗な女性に見えてしまうからか。怪物などではなく。もしくは、その香りが気持ちをやわらげてしまう。


 タイラーはあるとき尋ねた。痛くはないのか。


 ジュナは口を開かなかった。言葉は聞こえているだろう。相手の目を見返している。


 彼は具体的に尋ねた。心臓を失った、と言っていたけど。


 痛い。ジュナはしずかにそう言った。そのあとその細い腕を上げる。とても痛い。身体を引き裂かれたみたい。


 なんで怒らないの?


 ジュナはなにも言わない。


 なんか変な質問だよな。たださ――。魔女さんと出会った時から。


 ジュナはほんのわずかに口角をあげる。ほんのわずか、人の目ではわからない程度だ。しかしタイラーにはみえた。


 魔女さんと森で会った時から、どこかかなしそうに見えて。今では、俺に会いに来た理由を知っていると、よけいにどうしてそんな顔をしているのかなって。だって俺は。


 彼女はやはり多くは語らない。その「耳」で鳥のさえずりでも聞くように意識を傾けてはいる。その言葉では言い表せない「瞳」もそうだ。美しい瞳の奥にある彼女の思いは、夜空の星々のなかにでもあるようで、とてもではないが人には理解できそうにはない。


 魔女って、ごはんとか食べないの? 歳を取らないの? 眠らないの?


 疑問や興味はたくさんあれど(お風呂とか)、彼も言葉を選ぶ。村の大人たちが言っていたけど、それって本当なのか? 知りたがりの子供ではないのだ。


 ジュナは答えない。川の水を見詰めている。水面の輝きを、自然の美しさを、身体の内に取り込んでいるかのよう。


 いつまで、いるつもりなの、とタイラーは問いかける。


 ――会えるまで。待とうかな。


 会えないと思うよ。もう何年もあっていないから。どうして会えないのかもわからない。一緒にいられないって。


 それなら。戻ろうか。


 魔女って、もっと怖いイメージがあった。タイラーは言う。だって、人から聞く話はだいたいそうだから。子供を食べるって話もあるぐらい。大きな鍋にレードルでかき混ぜてぐつぐつ煮込んでって。おじさんなんか魔女をすごく嫌っているし。


 赤森の魔女って、良い魔女なの? 悪い魔女なの?


 その質問に何の意味がある?


 


 タイロン・シモンズはあれからふとした時にぼんやりとしていることが増えた。タイラーからしてみれば、そんな彼は非常に珍しいものだった。日常にありふれているであろう考え事はあれど、あそこまで彼を彼として見えないことがなかった。そこに立っているのはタイロンではない。


 タイラーは彼が何を考えているのか見当はつけている。なぜなら、ジュナ・コーデンがやって来た日からあの調子なのだ。エマでもわかるだろう。幻獣のソラだって気付いてるかもしれない。


 タイロンがその美しさに見惚れて、赤森の魔女に恋心でも抱かないかぎり、いかにもおかしな話だ。しかし、それはありえない。ということは、(もうわかるだろうが)ウォルター・マイエとトリッシュ・マイエについてとなるだろう。彼は何日も深い森のなかをさまよい、その答えを見つけようとしている。


 長老と似ているところがある。タイロンは白い霧でさえ晴れない。なぜ、魔術師であるウォルターとトリッシュが、赤森の魔女に噛み付くような真似をしたのか。


 タイラーがそうだったが、彼も赤森の魔女が嘘を言っているとは思っていない。仮に、ジュナが嘘を言っていたとしよう。その場合、彼女の目的があまりにも謎めいている。


 なにかしら理由があり、必要となって、子供もしくは人間が欲しくなったとしよう。それなら、別にこの村にやってくる意味がわからない。


 タイラーに会いに来た、と彼女は言った。どのような方法であるのかはわからないが、彼女は二人の魔術師のあいだに一人の子供がいることを知った。その子供に会いに来たとして。


 目的を知る前に、ひとつ重要なことがある。まず、魔女であることを忘れてはならない。何をするにしても、彼女なら子供を攫うことも殺すことも簡単に達成できてしまう。村を焼き払うことも可能なはずだ。


 彼女の発言も不可思議だ。事実、心臓を失っているのかどうかはわかっていない。確かめようとはしなかった。だが人は心臓が無ければ生きてはいられない。




 タイロンには「隠し事」がある。長い間、明かさない事柄が確実にそこにはあった。タイラーは薄々感じて生活していた。手紙が途切れた理由を、彼は知らない。手紙が届かなくなった、といわれた。両親の行方についても何も知らなかった。聞いたとしても、それらしい事は明かされない。ふたりは今どこで何をしているというのか。


 突如として、タナラ村に魔女がやって来た。彼女から聞かされた話は、彼の両親への思いを強くさせる。二人は生きている。


 タイロンは確実に何かを知っている。タイラーはそれを知りたかった。おそらく彼でも二人の居場所は知らないのだろう。現在、この国テルベラノでいえば、どこにいて、何をしているのかなど具体的なこともそうだ。隠れて、手紙のやり取りもたぶんしておらず。もし、はじめから知っているなら、赤森の魔女の話であのような反応はしない。そして、いまの彼もまた。


 タイラーは尋ねることにした。どうしてもその心を抑えられなかった。


 タイロンは布団を干している。彼は生地を広げてから大きく溜息を吐いていた。


「おじさん」とタイラーは言う。


「タイラーか。エマに言っておけ。おねしょはこれっきりにしろって。お前も起きたら、びしょ濡れとかいやだろ」


「うん、まあ。でも、出てしまうもんなのかなって思ってる。俺も小さいとき、そうだったし」


 目覚めた時の寝具の感触を想起する。大量の寝小便だ。朝の目覚めとしては気持ちのいいものではない。起きたばかりのエマも、なんとも言えないいやな顔をしていた。


 タイロンは間を置く。「これから、寝る前には、便所に連れていくようにしろ」


 タイラーは頷く。止むを得ないものではあるだろう。とはいえ、対策はできる。


「おじさん」とタイラーは再び呼ぶ。欲求は勝手に消滅することもなく、いきおいはとまらなかった。「父さんと、母さんのことなんだけど」


 タイロンはこちらを見ようとはしない。相槌も打たなかった。


「おじさんは、どこにいるかとか知らないの? 何をしているのかも」


「あの魔女に、なにか言われたか?」


「そういうわけではないんだけど」


 タイラーは俯いた。魔女とは会話をした。しかし、それとは関係なく、俺はどうしても知りたいと思っている。


 タイロンは煙草を吸いだす。口に咥えて、煙を少しだけ吐いた。


「さあな、何も知らない。あいつら、どこでなにをやっているんだか」


「あの人は、父さんと母さんに心臓を盗まれたって言ってた。それって、本当なのかなって」


「アイツの言うこと、信じるのか?」


「信じるのかって。でも、あの人は心臓を奪われたって。父さんと、母さんに」


 タイラーはそう言ってから、胸のざわめきが抑えられずその場から走り去ってしまう。

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