09 これは練習のキスだからね♡
「へえ、擢の家って、こうなってるんだね」
「うん。一般家庭だし、まあ、こんな感じが普通なんじゃないかな?」
擢は自宅のリビングに、鏡花を上がらせてあげていた。
自室だと、床とか机が色々なもので散らかっていて、案内ができない。
擢は彼女をリビング内のソファに、ひとまず座らせてあげた。
今、両親はおらず、今のところ、平穏な環境であり、二人っきりの方が会話しやすかったりする。
「鏡花さんは、何か飲みたいものってある?」
「……私はなんでもいいよ」
彼女は遠慮がちなことを言う。
擢はキッチンにある冷蔵庫の扉を開けてみるのだが、そんなに洒落た飲み物なんて入ってなかった。
あるのはペッドボトルの飲み物だ。
お茶か……。
そういったものだと、あまりにも失礼な気がする。
できれば、オレンジジュースとか、炭酸系の飲み物があればよかったと思った。
「ねえ、お茶しかないけど。それでいいかな?」
一応聞いてみる。
「……それでいいよ」
意外にも受け入れてもらえたのだ。
「あと、お菓子は? クッキー……しかないか」
冷蔵庫近くにあるテーブル上には、どこにでも売っているお菓子しかなかった。
今、自宅にはそれ以外にない。
気を利かせて、通学路の通りにあるコンビニで、何かを買ってくればよかったと思っても遅いのだ。
擢は諦めつつ、お茶を入れたコップ二つに、箱に入ったクッキーをトレーにのせ、鏡花がいるソファまで運ぶ。
「お茶とクッキーだけしかないけど、いい?」
「うん」
彼女は一言だけ頷く程度。
「……ねえ、あの佐々波君にどうやって復讐する?」
「復讐だなんて」
擢はテーブル上にトレーを置き、鏡花と対面するようにソファに腰を下ろす。
「いいじゃん。擢も嫌でしょ? あの人のこと」
鏡花の口調が変わる、彼女はアイリになったのだ。
「そうだけどさ。変に仕返ししても、よくないんじゃないかな?」
「そういう考えがよくないの。やるならやった方がいいわ」
「そ、そうかな?」
「そうだって」
アイリはトレーにのっていたコップを手にとり、口に含んでいた。
「なんのお茶?」
彼女は眉を動かした。
「普通のお茶だけど」
「なんか、おいしい気がする」
「え? どこのスーパーにでも売っているようなものだけど? そんなに変わらないんじゃないかな?」
「そう? 多分、他人から注いでもらったからかな?」
「さ、さあ?」
擢は首を傾げた。
まあ、他人の家にあるモノの方が、おいしいという現象かもしれない。
そこらへんはよくわからないが、擢もそのお茶を一口飲んでみた。
「んんッ、あれ? なんか、味がおいしいね」
「そうでしょ? 私も今まで飲んだお茶より結構好きかも。そのお茶のパッケージ見せてくれない?」
「う、うん。いいけど」
擢は立ち上がり、キッチンにある冷蔵庫の扉を開けた。
お茶のパッケージを見てみると、確かにデザインが違う。
普段飲んでいるお茶と種類が違ったのだ。
あまりパッケージをまじまじと見ないので、気にしていなかったが、アイリの言う通り、普通のお茶と違うらしい。
あまり見かけないペットボトルであり、つい最近に発売された商品かもしれないと思った。
擢は、そのペットボトルをアイリに見せる。
「やっぱり、違ったでしょ?」
「う、うん。でも、良くわかったね」
「まあね。私、ネット配信中は、休憩中に色々なお茶を飲むんだけど。普段と味がちょっとだけ違ったから、なんとなく気づいたって感じ」
相当な舌をしていると思う。
普通であれば、そこまで味の変化には気づかないはずだ。
そもそも、お茶ばかり飲んでいる人も珍しい。
「私も、このお茶まとめ買いでもしてみよかな」
「え? そんなに⁉ アイリさんは、まとめ買いをするの?」
「そうだけど? だって、いちいちコンビニとかに買いに行くより、いっぺんに買った方が楽じゃない」
確かにその通りである。
擢は自分でお金を稼いでいるというわけではないので、まとめ買いとかはしない。
そんなことをしたら、確実に両親から叱られてしまうのが目に見えているからだ。
夢がある話だが、大量買い的なことは、もっと先の話になるだろう。
「これをこうして」
アイリはスマホのカメラでお茶のパッケージを撮り、それを擢に返してきたのだ。
「ありがとね」
「う、うん」
擢はそのペットボトルをソファ前のテーブルに置く。
また、飲みたくなった時のために、冷蔵庫には戻さなかった。
「それで、本題に戻すけど。擢はどういう風に復讐したいの?」
「復讐か……やるとしたら、黙らせる程度かな」
「それでいいの?」
「え? まあ、その方が安全だと思うし」
擢は消極的な発言をする。
やったとしても、後でやり返される方が、もっと怖いからだ。
「安全? それだと、今まで通りで変わらないよ」
「そうだよね」
擢は押し黙ってしまう。
「そうだッ、いいこと思ったけど。私とキスしている写真、撮らない?」
「え⁉ アイリさんと? ど、どうして?」
「だって、佐々波って、ネット活動している私のことが好きらしいじゃん。だから、あの人のプライドを潰したいの。それに、擢って、陰キャブスとキスをしろって、言われてたよね?」
「そ、そうだけど。なんで知ってるの⁉」
「私ね、少し聞き耳を立てていたの。ごめんね♡」
アイリは笑みを見せ、申し訳程度に舌を出して、軽く謝罪していたのだ。
「……でも、僕が不甲斐ないばかりに、アイリさんを巻き込んでしまって」
「いいよ。鏡花もアイリも私だし。擢が元気になってくれるなら、なんでもするし」
「な、なんでも⁉」
「うん、擢が今思ってることとかも♡」
アイリの誘うような瞳に、擢はドキッとする。
色々なところが硬直してしまう。
「……」
気恥ずかしくなって、次の言葉を出せなかったのだ。
「どうしたの?」
「なんか、意識しちゃってさ」
擢はまだ、そういう行為や、そういった話にも慣れてはいない。
彼女とかも人生で出来たことがなかった上、今まで画面上でしか見えることができなかった美少女が目と鼻の先にいるのだ。
余計に戸惑いを隠せなくなる。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃん」
アイリはソファから立ち上がり、テーブルを挟んだ反対側のソファに座っている擢の隣に座る。
「ねえ、ひとまずキスしよ♡」
何を口にするかと思えば、予想外のセリフ。
擢は動揺し、ちょっとだけ、彼女と距離をとってしまう。
アイリのことは好きだが、あまりにも突拍子も無さすぎる。
高値の存在だと思っていた彼女。
その女の子の綺麗な唇を見るだけで、興奮が止まらなくなるのだ。
心臓の鼓動が次第に早くなっていく。
どうにかなってしまいそうだ。
「キス、したくない?」
「こ、この前もしたよね?」
「そうだよ。でも、今は、あの佐々波に見せつける用の写真を撮るの。いいの、もっとこっちにおいでよ♡」
「……」
擢の瞳には、平然とした態度で恥ずかしがる気配のない、彼女のキス顔が映っている。
アイリは瞼を閉じ、すべてを受け入れようとする態勢。
本音で言えばキスをしたい。
もう一度、あの感触を自分の唇で味わいたいと思ってしまう。
擢は気分を抑え込むように、ゆっくりと瞼を閉じた。
日が落ち、リビングの部屋が静かになり、薄暗くなってくる。
刹那、互いの唇が重なったのだ。
柔らかいし。生きている心地がする。
そんな肌触りだった。
んん……。
突然、口の中にあるものが入ってきた。
それはアイリの舌。
「ん、あッ……んんッ……ん……」
彼女はちょっとばかし喘ぐような、吐息交じりの声を出し、擢の口内で舌を絡ませてくる。
思いっきり、互いの愛を感じ取った後、唇を離した。
「どうだった? 変かな?」
アイリは頬を赤らませ、恥じらう。
キスする前は、そんな表情なんて見せなかったのに、今は愛らしく感じてしまうのだ。
ネット配信の時には見せない顔を、今自分だけに見せてくれた。
「べ、別にへ、変じゃないよ」
「なに、ちょっと言葉嚙んでなかった?」
アイリにスクっと笑われてしまう。
なんか、恥ずかしい。
けど、幸せな方の恥ずかしさだった。
「ねえ、今からもう一度しよ♡」
「さっきのは?」
「練習♡」
アイリはスマホを見せ、写真機能をオンにした。
「ね、キスしよ、擢♡」
彼女の思いを受け入れるように、もう一度唇を重ねた。