08 現実とネット、本当の姿は…
こんな学校生活を続けてもいいのかなあ。
擢は気まずげに席から立ち上がった。
辺りを見渡せば、今はもう放課後であり、クラスメイトは帰宅しているか、部活へと赴いているのだ。
擢は重いため息を吐き、黒板の方を見る。
黒板には、金曜日は罰ゲームの日だとチョークで記されていた。
今日は木曜日であり、ゲームは明日ということになる。
憂鬱な週は明日で終わるというのに、その週末が罰ゲームとは、気分がさらに暗くなるのだ。
早く帰ろ……。
机の横にかけているバッグを手に取る。
それを一度机の上に置き、中身を確認した。
「……ッ⁉」
その光景を見て、擢は絶句した。
バッグの中に入れていたはずの、ミロワールのグッズに落書きをされていたのだ。
な、なんで、こんなことに……。
擢は嫌になる。
昨日、専門店を後に道を歩いている際、今日から直接貰ったものだった。
鏡花はアイリそのものであり、実質、アイリからグッズを受け渡されたようなもの。
幾留は何が何でも、擢がミロワールのグッズを所有していることに納得がいかないのだろう。
擢が肩の荷を下ろし、悲し気な面影を見せていると、隣の席から視線を感じた。
「……どうしたの? 何かあった? 私でよければ相談にのるけど?」
鏡花が優しい口調で話しかけてくる。
「いや、なんでもないよ」
擢は汚された、グッズを見せたくなかった。
そんなのを見せてしまったら、確実に彼女を傷つけてしまうだろう。
「……なんで? 擢はどうして、そんなに一人で抱え込もうとするの?」
「僕はそんなに抱え込んでないから」
「……擢はそういう大事な事、隠してばかりじゃない。少しは私に言ってよ」
「……」
擢は再び、バッグの中にあるグッズを見た。
そのグッズは、手鏡のようなものであり、ガラスのところに黒ペンで落書きされているのだ。
無断な状態を見せたくなかったが、仕方なく見せることにした。
「これなんだけど」
「……それって、私が昨日上げたもの?」
「うん、ごめん。あの陽キャらに落書きされたみたいなんだ」
擢は彼女の方を向き、真剣に頭を下げるのだった。
「……ひどいね。これって」
当たり前の返事だった。
「でも、擢はこれでいいの?」
「え?」
彼女の声質が、アイリの時と同じになる。
「私、何としても、あの人をおとなしくさせたくなってきたわ」
「あの人って、幾留君のこと?」
「ええ。もう、いい加減、調子に乗りすぎだしね」
「でも、どうやってやるの?」
「それは、まだ未定♡」
彼女は勢いよく発言するものの、特にこれといった作戦は定まっていないようだ。
「まあ、直接話してもどうにかなるわけでもなさそうだしね。まあ、遠回しにやっていくしかないかもね」
「そうだよね」
擢は俯きがちになる。
今、教室には二人しかいない。
だからこそ、鏡花がアイリの声質に戻っても問題はないのだ。
「でも、ずっと、ここにいるのは、よくないし。そろそろ、別のところに移動しない?」
「どこへ?」
「そうだね。私の家とか?」
「鏡花さんの?」
「嫌なの?」
「そうじゃないよ。でも、鏡花さんの家が仕事場所みたいなところなんでしょ?」
「そうだね。けど、気を付けてれば問題ないよ。そもそも、私がアイリだなんて知らないだろうし」
「でも、ストーカーの人って、君の素性とか把握してるんでしょ? もう少し気を付けないと。だから、いつもストーカーに狙われるんじゃないかな?」
「そ、そうだけど……じゃあ、擢の家に行ってもいい?」
「僕の家⁉」
いきなり来られても、部屋の掃除とかもあまりしていない。
変な醜態を晒してしまいそうで、素直に首を縦に動かせなかった。
「どう? 無理そう?」
「今日はさすがに難しいかもしれないけど……でも、リビングとかだったら、いいかも」
「本当に?」
「うん」
擢は少々押され気味だった。
アイリは突然、擢の右手を両手で掴み、瞳を輝かせている。
家にお邪魔してみたいといった感じだ。
「じゃ、じゃあ、僕の家まで案内するよ」
「うん、よろしくね♡」
笑顔を見せる彼女に、擢は気恥ずかしくなり、さっさと視線をそらしてしまう。
二人はバッグを持ち、校舎内の廊下を歩く。
放課後の今は本当に誰もいない。
廊下の窓から見える校庭には、部活をしている人らの姿が見えた。
「ねえ、擢は部活とかしないの?」
「うん。そんなに運動神経よくないしね。僕が入っても、そんな戦力にならないし、どうせ、他人に迷惑をかけるなら、入部しない方がいいかなって」
「そう、まあ、入部するかどうかは人それぞれだしね。擢が決めたのなら、それでいいと思うよ」
「鏡花さんは? って、そうだよね。ネット配信の方が忙しいから無理なんだよね」
「うん。でも、皆と一緒に運動をしてみたいなって気分になるときはあるよ」
「へえ、意外だね」
「そう?」
「だって、鏡花さんはそんなに運動が好きそうなイメージはないし」
擢は思ったことを口にした。
「私だって、小学生の頃まで不通に運動はしていたしね」
「そうなの?」
「でも、ネット配信を始めるようになって、忙しくなって、やめたの」
「やめてもよかったの? 心残りとかは?」
「まあ、いいじゃない。人生なんてどっちかしか選べないものだし」
「でも、無理しているような気がするけど」
「私は無理してないよ……皆が知ってる陰キャ女子の私と、ネットアイドルとしての私。二つ存在しているし、今も少し無理しているかも。いずれ、どっちかを選ばないといけない時が来るかも」
アイリは声のトーンを落とす。
普段の彼女であれば、明るい口調なのだが、今至っては苦しみや悲しみの感情が入り混じっているような気がした。
でも……。
「でも、どっちかを選ぶなんて、そんなに考えなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「今は本当の姿が違うけど……高校生活は一度しかないし、僕もサポートするから、一緒に楽しもうよ。まあ、僕自身が、そんなに楽しめてないんだけどね」
学校に来ても陽キャらの弄り対象になって、罰ゲームとかに巻き込まれるし。散々なことばかりで、不満な感情しか湧き上がってこない。
楽しむとか、そんな発言をしているのに、擢自身が言える言葉ではないだろう。
「なんか、ありがと」
「え? 僕なんかが偉そうに言えることじゃないよね」
「私ね、そういう風に助けてくれる同級生いなかったな」
アイリはおとなしい口調になる。
「でも、アイドル活動している時は、ファンの人もいるじゃん」
「そうだけど。私は、心の支えになってくれるような、同級生が欲しかったの。でも、そんなことを言ったら、身バレするし、他の人に言いふらす人だっているし。だからね、あまり言えてなかった。私は、自分自身が、本当の自分を受け入れられていない気がするの。なんか、そんな気がね」
彼女は今までの苦しみとかをさらけ出すように、話してくれた。
ネットアイドルとしてのアイリとの距離は遠いが、内面を知れたことで、多少なり、擢は安心できたのだ。
「僕もまだ何もできないたった一人のファンかもしれないけど。アイリをサポートするし、そんなに落ち込まないでよ」
「うん、ありがと……」
「でも、どうして、僕にはアイリってことをばらしたの?」
「だって、擢はそういうところ守ってくれるでしょ♡」
「え? なんでそう断言できるの?」
「それは、まあ……私の感かな?」
アイリは悪いながら、廊下を歩き、そして、前髪を落とし、普段の陰キャ女子に戻っていた。
「……早く、帰ろ、擢君」
鏡花とアイリの容姿は全く違う。けど、同一人物であることに変わりはない。
どちらの彼女も守ってあげようと思った。