05 彼女が陰キャである理由は…
「ねえ、保健室行かなくてもいいの? どうする?」
「僕は別に……その」
彼女に視線を合わせることができない。
輝かしい存在に、擢はどう接すればいいのかわからなかった。
言葉がたどたどしくなる。
変に思われていないのだろうか?
擢は二人っきりの空間で、一番好きな人と一緒にいるのだ。
テンションが上がるものの、同時に、羞恥心にも襲われる。
「でも、顔色よくなったよね? さっきより良くなかった感じ?」
「う、うん……」
前髪を上げ、瞳を見せる彼女はまさしく、疑う必要性がないほどに、あのネットアイドルのアイリだった。
「でも、どうして、アイリさんが⁉ ここら辺の出身ってこと⁉」
「いいえ。違うわ。前住んでいたところで、色々なことがあって、一時的にこの街に住んでいるだけ」
「そ、そうなの?」
「大半、ネットで活動できるし、別に、どこに住んでいても問題ないしね」
「た、確かに、そうだね」
擢は心臓の鼓動を抑えることができなかった。
先ほどよりかは安定したものの、いまだに現状を把握しきれていないのだ。
「……あ、アイリさん……いや、鈴木さんの方がいいかな?」
「鏡花でいいよ」
「う、うん。鏡花さん。その……意外と、明るい性格なの?」
「そうだよ」
「じゃあ、どうして、普段は陰キャ風をよそおってるの?」
「本当の姿を隠すためよ♡」
アイリは一度だけウインクしてくれた。
ネット配信を通じてではなく、直接目の前でやってくれたのだ。
「か、隠すため?」
擢は死にそうなほど、幸せを感じていた。
「ええ。私ね、元々は都会の方に住んでいたんだけど。ストーカー被害が多くて、今後の活動のことを考えて、地方の方に住んでいるの。表向きは都会ってことになってるけどね」
「あのプロフィールとは違うんだね……」
プロフィールとは、ミロワールの公式ホームページに記載されているアイドルの個人情報である。
アイリは東京の方に住んでいるというのは設定なのだと知った。
「でも、まだ、ストーカーが多いのよね。引っ越してもまた別のストーカーが湧いてくるしで、本当に大変なの。引っ越してきたのは、高校入学と同時期だったんだけど、その頃から陰キャ風を演技? みたいな感じで生活してたってわけ」
「え、演技⁉」
「ええ、そうよ。もしかして、わからなかった?」
「う、うん」
擢は激しく頷く。
本当に他人と会話するのが苦手だと思っていた。
鏡花はそんなことはなく、画面上のアイリと同一人物だ。
だが、しかし、唯一違うのは、髪の色合いや長さである。
視界の先にいる彼女は、黒髪のショートヘアスタイル。
アイリとして活動している時はピンク色のロングヘアなのだ。
「どうしたの? まだ体が痛い?」
「そうじゃないよ。きょ、鏡花さんの髪のことだけど。画面上では、ロングだった気が」
「髪型ね。あれはウィッグつけてるだけよ」
「そうなの?」
「ええ。素性を最大限に隠さないといけないし。でも、ネットと現実で雰囲気を変えた方が、私としても気分転換できるしね」
彼女はなんでもかんでも口にしている。
擢の前では隠すことなく、すべてをさらけ出している感じだった。
「鏡花さん? そ、そんなに話したら、個人情報がバレるんじゃない?」
「別にいいよ」
「けど、それだと隠している意味がないんじゃない、かな?」
「いいのッ、私は擢のためだったら、なんでも話しちゃうから♡」
アイリは擢の右手を両手で優しく触ってくれた。
「僕は、アイリさんのファンですけど、そんなに聞いてはいけないような気が」
「私は、擢に知ってほしいから教えてるの。擢も、もっと私の本心を知ってよね♡」
なんでそんなに親し気に話してくれるのだろうか?
ミロワールのファンクラブでさえも知らない情報ばかりだ。
自分だけ知ってしまうのは、申し訳なく感じてしまう。
「あ、そうだ、先ほどの段ボールは。あったあった。これを棚のところに置いてっと」
鏡花は脚立を使い、棚の一番上のところにそれを置いた。
先生から言われた通りのことはすべて終わったのだ。
「あとは帰宅するだけだし。さ、帰ろ。体の方は大丈夫だと思うけど、一応、保健室によってこ。さ、早く」
彼女は擢の右手から両手を離す。
「え、う、うん」
擢はアイリから背中を押され、強引に資料室から出ることになった。
そのあと、彼女は前髪を瞳にかけ、陰キャ風をよそおい、部屋から出てくる。
「……擢君、い、行こ」
「そこまで陰キャ風に戻らなくても」
「わ、私は学校では、その、そういうことになってるし」
鏡花が陰キャのままであれば、他の子に、アイリだということもバレる心配もない。
それに陽キャの幾留からも危害を加えられることもないのだ。
これはこれで、安心というもの。
二人は保健室に立ち寄る。
が、保健の女の先生からは特に問題はないと言われ、そのまま学校を後にすることになった。
「ねえ、鏡花さん?」
通学路。擢は隣を一緒に歩いている彼女へと視線を向けた。
「な、なにかな」
「ネットで見たんだけど、ストーカー被害を受けているって本当?」
「う、うん」
彼女はハッキリと頷いた。
やはり、この街中にアイリの存在に気付いている人が、わずかにだがいるということ。
どうにかして助けてあげたい。
擢は拳を軽く、そしてゆっくりと強く握りしめた。
「ねえ、僕にできることないかな?」
「た、擢君に?」
「うん。僕はさ、大したことはできないかもしれないけど。あ、アイリさんのためになりたいんだ」
「……う、嬉しい♡」
陰キャ風な彼女だが、二人っきりの時だけは、ネットアイドル――、アイリの口調に近づけ、話してくれている。
今までは遠い存在だと思っていた。
けど、すごく身近な存在で、自分が思っていた感じの魅力的な女の子だ。
どうにかして力になってあげたい。
ここまで生きてこられたのも、ネットアイドルのアイリがいたおかげだからだ。
擢は真剣な瞳を彼女に向けた。
「ずっと応援とかしてくれていたの?」
「はい」
擢はその言葉に迷いなどなかった。
「そ、そんなに思ってくれてたなんて。わ、私も驚きかも」
鏡花は申し訳なさそうな口ぶり。
地味ながらもどこか、魅力を感じる話し方。
今は黒色の前髪で色鮮やかな瞳が隠れているものの、女の子らしい優しさを感じられるのだ。
「た、擢君って、私の、その、どういうところに惹かれたの?」
通学路。隣を歩いている彼女は慌てた口調で、横目でチラチラと見てくる。
急に問われると、擢も内心恥ずかしい。
でも、好きな人の前で、堂々と言えなかったら、男性として終わっていると思った。
擢は鏡花を見つめる。
彼女は照れ始め、擢もつられ、俯いてしまった。
でも、こんなところで諦めたくはない。
いくら陰キャであっても、やらないといけない時には、ハッキリと発言しなければいけないと思う。
「ぼ、僕は、君の笑顔と、人柄に惹かれたんだ。容姿とか、そういうのじゃなくて……」
「本当に?」
「う、うん」
擢の心は動揺していた。
言い切ったのだが、今になって恥ずかしさが内面から湧き上がってくる。
「でも、一つだけ、謝らないといけないことがあるんだ」
「あ、謝る?」
「僕は、鏡花さんが、アイリさんじゃなかったら、あまり関わろうとは思わなかったかもしれないんだ。ごめん、多分、容姿とかで判断しているところもあったと思う」
擢は、心内をすべてさらけ出す。
けど、彼女の反応は怒りというモノではなかった。
「いいよ。私だってわかってるから。皆から陰キャとかブスとかって言われてるし」
「でも、鏡花さんは、ブスじゃないし、むしろ、か、可愛いというか」
擢は自分で言ってて、恥ずかしくなる。
「ありがと、陰キャの状態でそんな事言われたの、初めてかも」
前髪で瞳は隠れているが、その奥では普通に笑みを見せているような気がした。
「あと、その……この前のネット配信で、好きな人がいるって、言ってたけど、だ、誰なの?」
突然口にした。
皆から好かれている彼女が、誰が好きなのか、最初にハッキリとさせておきたいのだ。
「そ、それは、内緒ッ」
「んッ」
鏡花は人差し指せ、擢の唇を触れる。
口止めするかのように、彼女はおとなしく地味だが、ネットアイドルのアイリのような面影を見せつつ、口元を緩ませていた。
「でも、擢には教えてあげよっかな♡」
一言だけ、陽気な口調になった。
擢は彼女の指先を肌で感じながら、心臓の鼓動を高鳴らせていたのだ。