10 光と闇の変化…
「本当にあれを実行するの?」
「ええ。やるにきまってるでしょ?」
アイリは本気のようだ。
彼女の瞳には何の迷いも感じられなかったのだ。
校舎内。
朝の学校は静かであり、殆ど学校にはいない時間帯である。二人はとある空き教室で会話していた。
擢の視界に映っているアイリは、ネットアイドルの時と同じように、本当の姿を曝け出している。
普段から誰も利用しない教室ゆえ、誰かに盗み聞きされるとかはない。
多分、大丈夫だと思う。
「まずは何からやればいいの?」
「そうね。今日、罰ゲームがある日でしょ?」
「そうだね」
「だったら、その前に、昨日撮影した写真を、佐々波に送ってあげなさいよ」
「幾留君に?」
「ええ。最初は動揺させるところからね」
「けど、本当にいいの? なんか、心苦しいというか、何かされそうで怖いんだけど」
「そんなの心配ないわ。何とかなるって」
「何とかって……」
意外にも彼女は大胆であり、物怖じする気配すらない。
「不安だなあ」
擢はおどおどした感じに、スマホを操作する。
「でも、これで、陰キャ女子とキスしたことは達成できたよね?」
「まあ、強引なやり方だけどね」
擢は引き気味になる。
けど、アイリと何回かキスできたことに、多少なりとも嬉しさがあった。
スマホの画面をタップし、写真フォルダを開く。
その中に保存されたあの写真をまじまじと見る。
何度見ても、信じられなかった。
信じられないというか、最も現実離れしたワンシーンに、胸が熱くなったのだ。
「ねえ、もしかしてキスしてるのが忘れられないの?」
「う、うん」
「へええー、そう、じゃあ、もう一回やる♡」
「い、いいよ。ここ学校でしょ」
「別にいいじゃん、誰も見てないし」
アイリは口元に指を当て、誘惑してくる。
「……」
擢は、少しだけ距離をとった。
キスをしたくないとか、アイリのことが嫌いとかじゃない。
校舎内で何度も口づけをしてしまうことに、背徳を感じてしまうからだ。
「どうして、避けようとするの?」
「な、なんかさ……アイリさんって、本当に僕と何度もキスしてもいいの……?」
擢は疑問気に言う。
好きでもない相手と、何度も交わるのに抵抗がないのだろうか?
不安な気持ちと、アイリに対する不安が募ってきたのだ。
「別にいいよ♡」
「ど、どうして、そういう風に言えるの?」
「それはね――」
擢のことが好きだからという発言だった。
ストレートに言われ、正直嬉しい。
今まで一方通行だった感情が、交わった瞬間だったからだ。
「ねえ、擢はどうなの?」
いきなりしおらしい口調になり、距離を詰めてくる。
彼女の香水の匂いが、尾行をくすぐるのだ。
色気のある表情。
普段見たことのない姿だった。
「ぼ、僕は、好きだけど」
「そう、だったら、もう答えは出てるよね?」
「答え?」
「うん。擢は私のことが好きだったら、少しは佐々波に強く物事を言えるよね?」
「どういう理論⁉」
「だから、今回の件で、うまく佐々波を打ち負かせたら、付き合ってあげるから」
「え? アイリさんと?」
「うん。でも、そのさん付けはやめてよね。アイリでいいよ」
「……あ、アイリ……さん」
「もう、だから、さん付けはいいのに」
彼女は不満げな表情を浮かべ、不意を突くように擢の右手を掴み、引っ張るのだ。
刹那、唇に彼女の温もりが接触する。
嬉しさと恥ずかしさに襲われ、脳が混乱するのだった。
擢は何をすればいいのか、処理が追い付かなくなるのだ。
「んんッ」
アイリは強引なやり方でそう簡単に、口づけをやめてはくれなかった。
彼女は擢の腕から手を離すなり、両手を体に絡ませてくる。
意外にもアイリの力は強く、離れてはくれなかったのだ。
「あッ、んんッ……」
なぜ、そんなにキスを続けられるのだろうか?
好きだからなのか?
そもそも、好きになる経緯なんてわからない。
擢がアイリの姿を見たのは、動画サイトを通じてであり、直接会ったこともないのだ。
どこで出会い、魅力を抱くようになったのか、知りたい。
アイリとキスをしている間、そんなことばかりを考えていた。
口内が熱くなる。
次第に、体がほんのりと温かくなり、体から力が抜けてくるのだ。
このまますべてを受け入れてもいいのだろうか?
擢は少しだけ瞼を開けると、キスをしている彼女は瞼を閉じ、口づけすることに集中している感じだった。
「んんッ、あッ、あ……ん」
十分にキスをし終わったのか、アイリはゆっくりと顔を離す。
彼女の唇からは、透明な糸がひいている。
アイリは指先で糸を拭い、その指先を唇で舐めていた。
「どうだったかな? 私の思い伝わったかな?」
「う、うん……」
擢は彼女の嫌らしい言動に動揺し、言葉を発することなんてできなかった。
好きな子が、自分の体液を含んでいることに疚しさがある。
「そ、そんなの飲んでも大丈夫なの?」
「いいの」
彼女は軽く微笑んでくる。
「ね、佐々波に私たちのキス写真送った?」
「ま、まだ」
「早く、送ってよね♡」
擢はスマホの画面を見る。
送信ボタンを押すかどうかで迷い、指先が震えてしまう。
「はい」
「ん⁉」
アイリは勝手に送信ボタンを押したのだ。
「これで準備完了ね♡」
「……」
擢は言葉を失う。
消失間に襲われた。
「こ、こんなの何されるか」
「頑張ってよね♡」
「他人事のように言ってるけど――んんッ」
「そういうことはもうなし」
アイリは人差し指で、擢の口元を抑える。
「私もね、佐々波の件を解決したら、陰キャの真似はもうやめるから」
「え、そんなことしなくても」
「私はもう決めたことだし。だって今後、擢と一緒に付き合っていくんだし、少しくらい可愛くなった方がいいでしょ?」
アイリは恥じらっている。
そんな彼女を見ると、擢は嬉しくなったのだ。
アイリも前向きな発言をしている。
少しは彼女の思いにも答えてあげなければいないと思った。
擢は頷く。
決心を固めた反応だった。
「じゃあ、教室に行こっか。佐々波も教室にいる頃でしょ?」
「うん」
擢は緊張を隠しつつも、同意した。
アイリは前髪で瞳を隠し、普段通りの陰キャ女子になったのだ。
擢は鏡花と一緒に空き教室を後に、廊下を歩き、いつもの教室へと向かうのだった。
「な、なんだ、これッ」
教室内から、荒らげることが廊下まで響き渡っていた。
その声の持ち主は当然、あの人物。
佐々波幾留だ。
擢と鏡花が、普通をよそおって、教室に入る。
陽キャ仲間らと集まり、スマホ画面を見ていた幾留から睨みつけられてしまう。
その眼光は獣のようだ。
幾留は椅子を倒し、立ち上がる。
二人がいる入口付近のところまで、怒り交じりの表情を見せつつ近づいてきた。
「なあ、これはなんだよ、あ?」
「そ、それは……」
擢は隣にいる鏡花をチラッと見る。
彼女は頷く程度で、大丈夫だからといった雰囲気を漂わせていた。
「なあ、なんでお前がアイリとキスしてんだよッ」
「そ、それは……僕のことが好きだったんだ?」
「は? あ、ありえないだろ」
「そ、そんなことはないよ」
擢は勇気をもって話す。
「はッ、そうかよ。それより、そこの陰キャブスとキスするのは? まだやってないよな。ここでやって見せろよ。なあ」
幾留が圧力をかけてくるのだ。
「ねえ、そういうのやめた方がいいよ」
鏡花が、アイリの口調で言う。
「な、あ、アイリ⁉ なんで彼女の声が⁉」
幾留は一歩後ずさり、驚きの表情を見せる。
教室にいる人らもざわめき始めるのだ。
どこか室内の空気感が変わった。




