第5話 旅立ちの時
後ろから鴉の鳴き声が聞こえる。
来た道を振り返ると、空は濃紺を滲ませた橙色に染まっていた。
もう日が暮れる。急がないといけない。
少年は足を早め、目の前の草木をかぎ分けて前に進む。
ようやくたどり着いた開けた場所に、少女は立っていた。
「どこにいくの?」
少年が尋ねる。
「少し、遠いところに。」
少女は寂しげに応えた。
「異世界転生者って……何?」
ソフィアが訝しげな表情でリンクを見る。
そこには額から汗を滲ませ、呼吸が荒くなったリンクがいた。
「リンク!大丈夫?!」
慌てて駆け寄り声をかける。
知らない少女との会話が頭の中に思い出された。
その少女の顔を思い出そうとしても思い出せなかったが、少女を失ってしまったという悲しみと苦しみだけが何故か胸に残り続けていた。
(これは僕の失った記憶の一部なんだろうか)
「リンク! しっかりして!!」
「あ、ああ……ごめん、ぼーっとしてた。」
「……大丈夫?
もしかして今の話で気分悪くなっちゃったの?」
「うん、そうかもしれない。……ごめん」
「そっか。
下の会話も終わっちゃったみたいだし、聴覚共有魔法解除して大丈夫だよ。」
「うん……。」
魔法を解除して椅子に腰掛ける。
呼吸を整えて、ハンカチで軽く額を汗を拭う。記憶の話は今考えてもわかることじゃない。
とりあえず、「異世界転生者」について考えよう。
リンクが落ち着いたことを確認すると、ソフィアもベットに座り直した。
「ところで…….異世界転生者って、何か知ってる?」
「多分、この世界とは異なるルールの世界から転生してきた人のことだろう。」
初めて聞いた言葉のはずなのに、リンクはなぜかすらすらと説明ができた。
「そっか……でも、リンクにその記憶はないんだよね。」
「うん……。結局、何もわからないのか」
二人して頭を捻る。
エミリーに直接聞いても多分教えてくれないだろう。わざわざリンクのいないタイミングで話していたくらいだ。
そもそも異世界転生者だとして、どんな世界から来たんだろう。
今思い出した記憶の少女がいた世界なのか?
盗聴した会話に違和感はあるが、思考がまとまらず考えても中々その先に進まない。
「うーん……」
「あのさ、ちょっと思ったんだけど……」
ソフィアがおずおずと手を挙げる。
「なに?」
「エミリーさんは『異世界転生者だ』って、断定していたよね?
それって、なにか、その、根拠というか、思い当たる節があったからだと思うの。」
目から鱗が落ちるように感じた。
そうだ、違和感はそれだ。
「そうだ。
異世界転生だなんて、そんな考え普通すぐには出てこないはずだ。
いくら魔力が異常に高いからといって、そんな奇跡的な事象を断定なんてできるわけない…」
「だからね、多分……
エミリーさんは異世界転生者の前例を知っているのかも。」
「……たしかに前例を探せば自分のきた元の世界について何かわかるかもしれない。
ありがとう、ソフィア。
君のおかげで、調べるべきことがわかったよ」
急に顔を輝かせ、リンクはソフィアの両手を強く握った。
慣れたとは言え相変わらず眩しい笑顔を向けてくるリンクに対して照れながらも少し目を細めて対応することで、ソフィアは再度失神するのを防いだ。
メアリーから離れた学校生活の中で、魔法を学びながら異世界転生の前例について調べよう、とリンクは考えていた。
なんだかんだソフィアも巻き込んでしまったが、彼女の能力はどうやらこの世界でも稀有で自分の目的のためにも必要だろう。申し訳ないといいつつ協力を頼むと、彼女は快く承諾してくれた。
ソフィアとの話を終え、下の階に降りると大量の荷物を抱えたゴードンとエミリーがいた。
「お、ソフィア。目を覚ましたのか。」
現れた二人に気づいたエミリーがソフィアに話しかける。
「うん…。迷惑かけてごめんなさい。」
「いやいや、君に非は全くない。
問題があるのは魔力の制御もできない我が不出来な弟子の方だからな。」
「いや、まあ確かにそうですけど……」
「まあ冗談はさておき、リンク。両手をだせ。」
「はい…」
怒られるだろうかと恐る恐る手をだしエミリーに近づくと、一本の杖を渡された。
「これは……」
リンクが普段基礎魔法を学ぶ時は、エミリーの杖を使用してた。だか、今手元にあるのはそれとは違う杖だった。
「私からの餞別で、お前のために調整した杖だ。
普通の杖と違って、魔法使用時の魔力を常時抑えることができる。
学校で暴走させるわけにはいかないからな。」
「すごい……ありがとう、エミリー」
遂に自分だけの杖を手に入れたことに喜びつつ、杖を軽く握ってみる。エミリーの杖よりも自分によく馴染んでいるように感じた。
「ただし。一つ注意しろ。
あくまでこれは、魔法使用時に与えられた魔力の一部を杖の内部に蓄えて出力量を減らすものだ。
つまり、魔力を与えすぎると杖の内部に魔力が溢れだし暴発することになる。」
「え、それって大丈夫なの?」
「一応計算したが、学校の長期休みにあたる冬のホリデーまでは普通に使用しても暴発しないようになっているはずだ。
だから、必ずホリデーにはここに帰ってこい。暴発前に杖を取り替えてやる。
あと、流石にホリデーまでの短期間で暴発することはないと思うが、魔力が杖から溢れ始めてると感じたらすぐに私のところにもってこい。」
「そんなの見てわかるものなの?」
「今は魔力を感じなくても、学校で魔力探知について学ぶだろうから問題ない。」
「そうなんだ」
(魔力探知なんて、基礎魔法にも思えるけどなんで教えてくれなかったんだろう。自分の魔力量がやはりおかしいからなのか?)
先程の盗聴した会話にあった、魔力をを10分の1に抑えている言う事実も直接エミリーから聞いたことはなかった。多分、初めにこの家のソファに寝転んだ時に魔法をかけられたのだろうとリンクは推測した。エミリーはかなり優秀な魔法使いらしく、普段はわざわざ呪文を唱えて魔法を使うことはなかったが、あの時だけは長めの呪文らしきものを唱えていたことを思い出したからだ。
(封印される前の魔力が危険だったから?)
封印されている状態でも人より遥かに多い魔力であるのなら、そんな理由でも納得できる。記憶のない自分が強大な魔力を持ってこの世界にきた理由がわからないからリンクに何も伝えないのだろうか。
(たしかに侵略者と思われてもしょうがない状況だ)
リンクは改めて自分が危険人物だと思われていると感じつつも、杖という名の時限爆弾を懐にいれ平常を装って会話を続けた。
「餞別って言ってたけど、もしかして僕はここから追い出されるの?」
その質問に、エミリーは悪戯っぽい顔で答えた。
「そうだ。
魔法学校入学までの間、準備のためにもゴードンの家で暮らしてもらう。
叔父という設定だしいとこど仲良くしておかないと怪しまれるからな。
____ちなみに、入学式は1週間後だから。」
「いっしゅうかんご???
そんなに早いなんて聞いていないけど!」
学校の開始まで少なくとも1ヶ月はあると思っていたが、よく考えたら具体的な日程は聞いてはいなかったことを思い出した。
横で話を聞いていたソフィアがリンクを気遣うように声をかけた。
「えっと……私も一緒に入学するから、
一緒に準備頑張ろう!」
「あ、そうなんだ。ならちょっと安心した。」
「え!う、うん……」
リンクの笑顔に照れながらソフィアは目線を逸らした。
「__ていうか、エミリーは一人で生活できるの?
雑用なんか全部僕にやらせてたけど。」
「元々一人で暮らしてたんだから、なんの問題もないな。
それに、知らなかったかもしれないが実は私は魔法使いだったんだよ。」
知っているよ、と少し拗ねた調子でリンクは言った。
それはそれで自分なんかいらないと言われているようだ、とリンクはトランクに服を詰めながら思った。
「まぁ、いじりがいのあるやつがいなくなって少しは寂しくなるけどな。
……学校は基本的に安全な場所だが、無茶なことはするなよ?」
ぽんぽんと、リンクの頭を軽くなでる。
エミリーも寂しいと思ってくれていることに少し嬉しいと感じつつも、その本心では危険人物かもしれないリンクのことをどう思っているんだろうと考えて、リンクは複雑な表情で言った。
「……わかった。じゃあ、行ってきます。」
パタン、と扉が閉じた。
「ふぅ………」
久しぶりに1人の生活が戻ってきた。
初めは異常な魔力をもつが記憶のないというリンクを怪しみ監視していたが、一緒に生活していくうちにどうやら本当に何の記憶もないことに気づいた。
多分、悪い人間ではないのだろう。と、思いたい。
ただ____
「森でリンクと初めて会った時、あの子の匂いがしたんだよな……。」
魔力探知が得意とされる妖精族の中でも特に優秀だったエミリーは、リンクと初めて会ったときにリンクの強大な魔力の影にわずかに他者の魔力の名残があるのを感じていた。
ただし、それは一瞬で消えてしまったため、本当にあったのかは今となってはわからなかった。
そうであって欲しいと願ったメアリーがあったと思い込んでしまったのかもしれない。
リンクは記憶がないと言うが、その実、失った記憶で何かしら関係があったのかもしれない。
リンクがいなくなったことを寂しく懐かしく感じてしまうのも、あの子のものかもしれない魔力の名残が忘れられないからなのかもしれない。
だからこそ、異世界転生者であることを疑って調べた結果、どうやら本当にそうであるとわかった。
ただ、そうだとしたらこっちに来た目的はなんなのだろう。もしかしたらあの子がよんでしまったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
あれは失敗したはずだし、時期もかなりずれている。
それに、記憶がないとはいえ転生には必ず本人の意思が関わっているはずだ。
かつての転生者がそう言っていたのだから、間違いない。
必ず、この世界にきたリンクにも何か目的があったのだろう。
人より長く生きていてもわからないことばかりだ、とエミリーはソファに座り込み考えを放棄して目を閉じた。
学園ものなのに全然学校に行けない……