第3話 新しい名前
「ここでのお前の名前はリンク・ブラウンとしよう。」
トイレ掃除を終わらせた少年はこの後はどうしようかと考えていると、タイミングよく魔法で少年の目の前に戻ってきた意地悪な継母____エミリーが開口一番にそう言った。
その名は記憶のない少年の耳に馴染みがあるものではなかったが、なぜだかその名前がまるで昔から自分のものだったかのように感じた。
(これも魔法の力だったりするのだろうか)
「……わかりました。エミリーさん」
「エミリーでいい。
さんをつけられると、まるで私がお前より年上であるかのようではないか。」
「いやでも妖精は長寿だし多分年上なんじゃ_____」
言い終わる前に、ゴトっと、リンクの頭に鍋が降ってくる。
「いってぇ!!!」
少し目を細めたメアリーが頭を押さえて床にうずくまるリンクを冷めた目で一瞥する。
「そもそもお前は自分の年齢も覚えていないくせに、年上も下もないはずだろう。
この家にいる限り、私の言うことが絶対だ。
努努、忘れるなよ。」
「………はい。」
なるべく彼女は怒らせないようにしよう、とリンクは密かに心の中で誓った。
森に迷い込んだ少年と妖精の奇妙な生活が始まった。
エミリーの暮らす家は元々一階建てだったが、リンクが来てからは二階建てに変貌した。ちなみに、外からの見た目に変化はない。
(さすが魔法使いだ)
リンクは増築した二階の部屋で暮らすようになった。
部屋の中は6畳ほどの広さで、勉強用の机と窓際にはベットが置いてあった。お世辞にも広い部屋とは言えないが、リンクは寝ることができるだけで十分だと感じていた。
翌日からは、当然のようにトイレ掃除以外の雑用もやらされるようになった。魔法でやればいいのに、とリンクは思ったが、居候にそんなことを言う権限はない。朝起きて軽く掃除、朝ごはん作り、そして一階のソファで死んだように寝ているエミリーを起こすことからリンクの1日が始まる。
午前中は一階の書斎でこの国の法律やしくみについて学び、午後は基礎的な魔法をエミリーから教わる。リンクは自分の記憶がないことに不安は少しあったが、魔法というものについて学ぶことが思った以上に面白く、不安も忘れるくらいのめり込むようになっていた。
数ヶ月この生活を続けた結果、リンクもある程度この国についても理解してきた。
リンクが今いるのはライトニア王国という国の東端部にある恐惨の森の入り口で、一番近くの町に行くには数時間歩く必要があった。食材や日用品の買い出し時にはこの町を利用している。
なお、エミリーは移動魔法を覚えているためいつもは魔法で移動しているらしいが、この魔法は難しい魔法で試験に合格しないと使用許可が出ないためリンクは使うことができなかった。エミリーの魔法移動時に体の一部に触れることで一緒に移動することは法律的に許されているが、エミリーには許されなかった。
「貧弱なんだから体力作りのためにも走れ。」とにべもなく断られた。
はじめの数日はこれが非常にキツく、町に着く頃にはお店が閉まっている状態だったが、しばらくすると体が慣れてきたのか昼前に到着できるようになっていた。
「そもそも人体の身体能力ってこんな簡単に上昇しましたっけ?」
流石に記憶のないリンクでも、自分の体力の急激な向上に違和感を抱かずにはいられなかった。
「そんなわけないだろう。
それは身体能力の向上じゃなく、魔法で身体能力を向上させる術を身につけただけだ。
魔法は日々使用することで、少しずつ慣れて無意識に使用できるようになるものだからな。
特に身体能力向上系の魔法は一過的でなく恒常的に発動させるためにも、体に負荷をかけたトレーニングをする必要があるわけだ。」
「なるほど……」
「私がただの酷い妖精ではなく、リンクのことを思ってやっていたと理解できたか?」
少しにやけながら、エミリーは言った。
「まあそうですけど、普通に大変でしたからね!」
(そうならそうと先に言ってくれてもいいのに)
数ヶ月一緒に生活していてエミリーはただの意地悪な継母でないことは分かってきていたが、それでも自分に大変な思いをさせることを楽しんでいるな、とリンクは思わずにはいられなかった。
また、町で買い出しの雑用をすることで、通貨の使い方や町の情勢も学んでいた。
「あ、おじさん。今日はいいものはいってる?」
リンクはいつも通り、常連となった食材屋のおじさんに声をかける。リンクが来たのを見ると嬉しそうに今日はこれだなとおじさんは品物を見せてきた。
初めてきた時は、小さな町にどこからか現れたリンクに不審げな目を向けていたが、後ろにいたエミリーが自分の新しい弟子だと伝えると納得してすぐ打ち解けてくれた。どうやらエミリーはこの町の人々から信頼されているらしい。
以降、リンク1人で町に買い物に来てもみんな受け入れてくれるようになっていた。
町の人々はエミリーの弟子であるリンクに興味深々といった感じでたくさん話しかけていた。
そして、エミリーが自分から話さないような過去の話も少し教えてくれた。
「エミリーさんはな、かなり強い魔法使いで昔は王宮に勤めていたらしいんだ。
だかな、弟子は1人もとったことがなかったんだとよ。」
「そうなんですね。昔のことはあまり聞いていなくて」
多少仲良くなったとはいえ、エミリーが自分から話さない以上過去の話は聞く必要もないだろうとリンクは考えていた。そのため、エミリーが妖精で森を守っている以外の情報はリンクも知らなかった。
「どんなに優秀なやつでも断っていたって話だぜ?
いやー、いったいどうやって弟子になってんだ?」
「あはは……たまたま機嫌が良かったんでしょうね……」
知らないことを適当に答えるわけにもいかず、得意の愛想笑いで誤魔化しながら店を後にする。
揶揄われながらもエミリーにたくさんのことを教わって生活できているけど、なんで見ず知らずの自分を助けてくれたんだろうな、とリンクはふと思った。
メアリーによる基礎魔法の初回練習で、リンクは山火事を起こしかけていた。
「すみませんでした…………」
初歩の初歩である小さな火の玉を噴き出す魔法を、試しにやってみろ杖を渡され、言われた通り5メートル先の的に向かって呪文を唱えた直後のことだった。
「ファイアボール」
瞬間、杖の先端から火花が飛び散り、的に到達した途端に半径10メートルを巻き込む巨大な火柱が爆発音と共に発生した。
途端の出来事でリンクは全く反応することができなかったが、横にいたエミリーが咄嗟に二人の前に防御魔法で壁を張ったため、幸い怪我をせずに済んだ。
リンクは目の前の出来事に驚き腰を抜かしてへたり、とその場に座り込んだ。
(魔法って軽く使えるのにこんな恐ろしくも強力なものなんだ__)
「そんなことはない。」
横のメアリーがリンクの頭の中を読んだかのように言う。
「本来この魔法にこんな威力はない。
こういった強力な魔法を使うには、もっと長く複雑な呪文が必要とされる。
今回は、お前の人並外れた魔力のせいでただのファイアボールがこんな馬鹿げた威力になってしまっただけだ。」
「……そもそも、なんで僕の魔力は高いんですか?」
「それは今調べているところだ。
それよりも、人より魔力が強いのには悪い面もある。
普通の魔法を使うにも出力のコントロールが必要になると言う点だ。
これに関しては、ひたすら鍛錬して慣れるしかない。
……どうだ?魔法は怖かったか?」
目の前の火柱はいつの間にか消火していた。エミリーが話しながら消していたのだろう。
エミリーの問いかけは、まるでリンクの肯定を待っているかのようだった。
しかし、リンクは今、明らかに恐怖ではない感情で胸が溢れそうだった。
「……いえ、むしろ、逆です。」
「逆?」
「魔法をもっと学び、エミリーのように自在に操れるようになりたいと思いました。
はやく…エミリーのような魔法使いになりたいです。」
自分の魔力が高いのなら、鍛錬によって自在により高度な魔法を使うこともできるかもしれない。
そんな可能性に気づいたリンクは、目を輝かせて答えた。
見つめる先のエミリーの目は、火柱の残った煙のせいか何故か少しだけ揺らいでいるように見えた。
「いくつか調べたが、やはりお前の年齢付近の貴族等の行方不明届は出ていなかった。」
ある日の午後のティータイムに、紅茶をすすりながらエミリーが言った。
やはりと言うことは、エミリーは元々リンクが貴族であるとは思っていなかったのだろう。それに気づき、自分にはそんなに貴族っぽさがなかったのかとリンクは少し傷ついた。
「そうですか……。じゃあ、自分は何者なんだろう。」
「……わからないが、その魔力で一般人だったというのは考えにくい。
魔力が優れていれば、貴族が養子に取ることもよくあることだからな。」
結局、リンク自身が何者かは未だに分からないままだった。不安はあるが自分にはどうすることもできない。何かのきっかけで記憶が戻るといい、とリンクは半ば諦めかけていた。
火柱事件の後リンクは基礎魔法を教えてもらえなくなるのではないかと危惧してたが、エミリーは翌日以降も変わらず教え続けた。なお、リンクの魔力が多いせいかなかなか魔法のコントロールが上手く出来ることはなかった。
それもあってか、応用的な魔法は未だに教えてくれなかった。基礎魔法ですら暴発するようではより威力の高い応用魔法なんて無理だと言われ、リンクは日々基礎魔法の研鑽を行っていた。
しかし、魔法というものに興味を持ってしまった以上、もっと先を知りたいと思ってしまうものだ。
リンクが何度もエミリーに頼み込んだ結果、リンクの正確な年齢はわからないが見た目的には15歳程度に見えることもあり、寮制の王立魔法学校に入学させてもらえることになった。
リンクは後から知ったが、そもそも応用魔法は学校等の教育機関以外で教えることは基本的に禁止されているらしく、エミリーにはその権利がなかったという。
戸籍に関してはエミリーの知り合いがなんとかしてくれるらしい。
(戸籍をいじれるなんて、その知り合いは何者なんだろうか)
リンクはエミリーのコネクションに驚いたが、ともあれ新たに魔法を学べることをとても楽しみにしていた。
「リンク、お客さんだ。」
いつも通り自分の部屋で勉強をしていると、珍しくメアリーから声がかかった。
下に降りると、ソファに見たことのない大男が座っていた。
身長は2メートル以上あるかも知れない。横幅も正面に座るエミリーの2倍はある。焦茶色の髪は長く、後ろで一つに縛っている。
立派な口髭を蓄え、鑑定するかのようにリンクを見てきた。
「……なるほど、この子か。
ふむ。やはり俺には見ただけではわからないものだ。」
「あんたの魔力探知もまだまだだね。
まあ、いいや、リンク。この人があんたの叔父のゴードンだ。」
「おじ??」
「学校に入るためには身元引受人が必要だからね。
そう言う設定にするってことだ。」
「ああ、そうだったんですね。
リンク・ブラウンです。よろしくお願いします。」
リンクは笑顔を張り付け、ゴードンに近づき右手を差し出す。ゴードンにその手を握り返されたとき、リンクは思った以上に冷たい手に内心驚いたが表情を変えないように努めた。
「おお。よろしくな。ゴードンだ。
リンク、君は私の姉の遺児であるということになってもらう。
そしてこちらがお前のいとこである、私の娘のソフィアだ。」
すると、ゴードンの後ろからひょこっと小さな女の子が恥ずかしげに顔を出した。いや、実際にはそれほど小さいわけではないが、ゴードンと比べるとかなり小さく見える。
金髪の髪を耳の横で二つの三つ編みにしている。目には大きな丸眼鏡をかけて、目線は斜め下をずっと見つめている。
リンクはゴードンに離された右手を、その小さな少女の前に差し出す。
「はじめまして、ソフィア。
僕はリンクです。よろしくね。」
ここでの生活で身につけた、町の人からの印象をよくするためのリンクの必殺の笑顔を顔に張り付けて言う。
元々リンクの顔立ちは整っていたが、さらに笑顔を加えることで人々が優しくなると言うことを暮らしの中で学んでた。
なお、人々の優しさの原因はそれだけではなく、リンクも無意識のうちにかけていた魅了魔法にもあった。
勿論、それに人見知りの少女があてられないわけもない。
ソフィアはおずおずとリンクの目を見た途端、その眩い笑顔によって意識を失ってしまった。