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オープンの散歩

作者: 稲葉高飛旅

「ん……なんか眠れないな」

 首野(しゅの)御許(みもと)は布団の中でそう呟いた。夜中にトイレに起きて二階の自分の部屋のベッドに戻ってから既に十分以上が経過していたが、この日の御許は再び眠りに就く事がなかなかできないでいた。

(……駄目だ)

 御許は閉じていた目を開けると寝返りを打ち、視線をベッドのすぐ脇にある窓の外へと向けてみた。

(……綺麗な月)

 夜空に浮かんでいる月は淡い光を放ち、小さな盆地にある御許の家から見える丘陵の輪郭を露わにしていた。

〝ワン ワン〟

 突然静寂を破って犬の吠える声が聞こえてきた。それは御許にとって聞き慣れた愛犬の声だった。

「オープンってば、こんな夜中に……」

 御許は庭の犬小屋を確認しようと思い、起き上がって窓を開けると視線を向けた。

「どうしたのオープン、静かにして」

 御許は声を上げた。しかしオープンはほとんど絶え間なく吠え続けていた。

「ねえ、誰かいるの?そこに……」

 御許は目を凝らして庭を見回してみたが、暗くてよく見えなかった。

「あっそうだ」

 御許は非常時用にベッドの下に置いてある懐中電灯を取り出すと、灯りを点けて庭のあちこちを照らしてみた。しかし人影は見当たらなかった。

(何に向かって吠えてるんだろう……)

 御許は次に吠えやまぬ愛犬を照らし、オープンの視線の到達点と思われる方向に目を向けてみた。その近くには先程の月があった。

「あっ」

 その時、月の前を何か異質な形状をしたものが横切ったように御許の目には見えた。

(……何だろう今の)

 御許が考え込んでいると程なくしてオープンは吠えるのをやめた。静寂が訪れた事で急に不安を覚えた御許はそそくさと窓を閉めると再び布団へと潜り込んだ。

(さっき見えたのは何だったんだろう)

 御許の脳裏には先程見かけた飛行物体の残像が残っていた。

(もう。気になってますます眠れないじゃないの)

 部屋に入り込んだ冷たい空気から逃れるように体を縮こめると、御許は無理にでも眠るように努めた。


 翌朝。起床して洗面台の前に立った御許は鏡の中を覗き込んだ。

(……はぁ)

 肩の辺りまでの長さの髪に付いた寝癖を手で直しながら、御許は自身の姿を見つめた。

(なんか……酷い顔付きになってる)

 まだ眠気を感じる頭を洗顔ですっきりさせると、御許は階段を下りてダイニングキッチンへと姿を見せた。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 テーブルの向こう側にいた父親の宗徒(しゅうと)はそう返事をすると、中肉中背の体を再び前傾させてタブレット端末の操作を再開した。

「おはよう。オープンが夜中に吠えてたわね。御許も目が覚めちゃった?」

 調理台で朝食の準備をしていた母親の初穂は振り返って御許を一瞥するとそう尋ねた。

「ああ、オープン吠えてたね……私、あの時たまたま起きてたの」

「そうだったの。どうしたのかしらオープンは」

「それは私もオープンに訊きたいわ」

 御許はそう答えると手前側の自分の席に腰掛けた。初穂はテーブルへ歩み寄ると更に言葉を続けた。

「もしかして誰か怪しい人がいたのかしら」

「ううん、それはないと思うわ。懐中電灯で庭を照らしてみたけど、誰もいなかったし」

「それじゃ散歩が不十分で、ストレスが溜まってたんじゃないの」

「そんな事ないと思うわ。昨日もいつも通りにやったし」

「じゃあどうしてかしら」

「それがオープン、月の前を横切った何かに向けて吠えてたみたいなの」

「月の前を横切った何か?何なのそれ」

「すまんな。ちょっと静かにしてくれ」

 その時、宗徒がそう口を挟んだ。

「どうしたの、あなた」

「この町に関する検索をしてたら、興味深いブログ記事を見つけたんだ」

 その言葉に御許も視線をタブレットに振り向けた。

「えっ、何かあったの」

「今日の未明にこの近くでUFOらしき飛行物体が目撃されたらしいんだ」

 宗徒は解説するようにそう言った。

「UFO?ああそれよ。オープンはそれに向かって吠えていたの」

 御許が思い出したように声を上げた。

「もう御許、何を馬鹿な事を言ってるの」

「本当よ。だって私見たの。月の前をそれっぽいものが横切っていくのを」

「そんな事……」

 そう口にしたものの、御許の真摯な眼差しを見た初穂は更なる困惑を感じた。

「ねえ、それ書いた人はこの近くに住んでる人って事?」

 初穂は助け船を求めるように宗徒に尋ねた。

「それは……分からないな。どこに住んでる人かプロフィール欄には書いてないし、車を道路脇に停めて休んでる時に見かけたらしいし」

「イタズラで書かれた記事って事もあるんじゃないの」

「それがこのブログ、結構真面目な内容なんだ。他の記事見ると」

「だからUFOよあれは。私見たんだもん」

「正気なの御許。まだ寝惚けてるんじゃないの」

「ちゃんと起きてるわよ」

 御許は宗徒に視線を移すとこう訴えた。

「ねえお父さん、私確かに見たの。月の前をUFOみたいなものが通り過ぎていくのを」

「うーん……御許がそう言うんなら、本当なのかもな」

 宗徒は困ったような笑顔を見せながらそう答えた。

「もう、あなたまで何言ってるんですか」

 初穂は呆れたようにそう口にすると、やや小柄の体を反転させて調理台へと戻っていった。そして静かな口調でこう付け加えた。

「そろそろテーブル拭いてくれませんか」

「あ、そうだな」

 宗徒は目前のタブレットを片付けると、布巾を取るために立ち上がった。

「御許は箸をお願い」

「はぁい」

 御許も立ち上がって箸立てから箸の束を掴み取った。

(あれはUFOだったのよ。きっとそうよ)

 御許はそんな事を思いつつ、宗徒によって拭きあげられたテーブルに各人の箸を並べていった。


 朝食を終えた御許は自室で着替えてランドセルを背負い、学校へ行く準備を済ませると、再び階段を下りた。

「行ってきまぁす」

「行ってらっしゃい」

 初穂の返事を聞いた御許は玄関で靴を履くとドアを開けた。すると眩しい陽光が差し込んできた。

(今日は晴れるかな)

 自然に恵まれた環境にある首野家の庭には花々が咲き誇っていた。御許はその脇の犬小屋へと目を向けてみた。オープンは御許の姿を見ると立ち上がって嬉しそうに尻尾を振り、昨夜の件が何事もなかったかのような様子を見せた。

「行ってくるね、オープン」

 そう告げると御許は門の方へと向かった。


 通学路となっている細い道を歩いていき、幾つかの曲がり角を通り過ぎた御許はやがて比較的大きな道へと出た。時々通る車に注意しながら御許が進んでいくと、前方の交差点にこちらを見て立ち竦んでいるポニーテールの少女の姿が見えてきた。

「おはよう」

 声をかけてきたのは御許の親友の友代だった。

「おはよう友代ちゃん。待っててくれたんだ」

「うん、御許ちゃん来るのが見えたから」

「じゃ、行こっか」

 言葉を交わした二人はそのまま連れ立って学校へと歩き始めた。

(友代ちゃんはどう思うだろ……)

 暫くしてふと昨夜の出来事を思い出した御許は友代に話しかけてみた。

「ねえ友代ちゃん、UFOの話って信じる?」

「え、どうしたの突然」

「実はね、私、昨日の夜になんかそれっぽいものを見たの」

「それっぽいものって?何それ」

「ええとね……夜中に目が覚めちゃったの。そして月を見ていたの」

 御許は慎重に言葉を選ぶようにして語り始めた。

「そうしたらオープンが急に吠え出したんで、窓を開けて懐中電灯で照らしてみたの。オープンは何に向けて吠えてるんだろうって。その時に月を見たら、その前をそれっぽいものが通り過ぎていくのが見えたの。その……UFOみたいなものが」

 話しているうちに何だか急に気恥ずかしい気分になり、声のトーンが下がってきたのが御許自身にも分かった。

「UFOって、あの宇宙人が乗るやつだよね」

「う、うん。なんかそれっぽい形っていうか、その……」

「うーん……ごめん。私その手の話、詳しくないんだ」

 興味なさそうな友代の表情を見た御許は、この話をこれ以上話すのはやめておこうと思った。

「そうなんだ……あ、そんなふうに見えたって話だから。あまり気にしないでね」

「そう……あ、今日はなんか混んでるね」

 友代の言葉を受けて前に戻した御許の視線の先には二人の通う小学校があり、校門の間をいつもに増して多くの児童が歩いていた。

〝ガヤガヤ〟

 程なくして子供達の話し声も聞こえてきた。校門を通り過ぎると校舎が見えてきた。二人はその中へと入っていくと四年生の教室へと向かった。

「おはよう」

「あ、おはよう」

 教室に入った御許と友代は他の級友達とも挨拶を交わしていった。


 御許にとっていつもと変わらない学校での一日が始まった。授業は一時間目二時間目と順調に過ぎ、迎えた三時間目は理科の時間だった。

「それじゃ今日は新しい章に入ります。次の章は『宇宙と天体』ですね。教科書の29ページを開いて下さい」

 担任の片木(かたぎ)先生がそう口にすると、ページをめくる音が教室のあちこちから聞こえてきた。

(このタイミングでこの章なんて……なんか偶然とは思えない感じ)

 御許は内心そう思った。教卓では教師として円熟期を迎えた片木先生の、熱の籠った話が続いていた。

(ほんの一瞬だったけど……私以外にもあれを見た人がいたらしいし)

 思考を巡らせていた御許は無意識に視線を窓の外へと向けた。

「そして……ん?どうかしたんですか、首野さん」

 御許が上の空である事に気づいた片木先生が声をかけた。

「えっ……あ、何でもありません」

 御許は慌てて視線を戻してそう返答すると、身を屈めて顔を教科書へと近づけた。

(……授業中だった)

 片木先生の話が再開するのを待って、御許は背筋を伸ばした。

(取りあえず今は授業に集中しよ)

 自分に言い聞かせるように御許は心の中でそう呟いた。


 給食の時間を挟んだ午後の授業も終わると、日も傾いて下校の時刻となった。児童達は三々五々に分かれて校舎を後にしていった。その中に御許と友代の姿もあった。

「じゃあね友代ちゃん、また明日」

「うん、じゃあね」

 交差点で友代と別れた御許は朝歩いてきた道を戻っていき、暫くして自宅へと着いた。立ち上がって尻尾を振るオープンをちらりと見た後、御許は玄関へと向かった。

「ただいまぁ」

 御許は玄関のドアを開けるとそう声を上げた。

「お帰り」

 奥からは初穂の返事が聞こえてきた。御許は自室でランドセルを置いてジャージに着替えると、今しがた上った階段を下りた。ダイニングキッチンでは初穂が夕食の準備に取りかかっていた。

「今日のご飯、なーに」

 御許はそう訊きつつ冷蔵庫の前へと向かった。

「焼き魚だけど」

「そうなんだ」

 御許は冷蔵庫の扉を開けると中から紙パックのジュースを取り出した。そして付いているストローを外して差し込むと喉を潤した。

「ねえ御許、そろそろテストの時期じゃなかった?勉強の方は大丈夫なの」

 その言葉に御許はジュースを飲み終えたパックに息を吹き出した。

「だ、大丈夫よ」

 若干焦りながらそう答えると、御許はこう続けた。

「オープンの散歩、行ってくるね」

 パックをゴミ箱に捨てた御許は逃げるように台所を後にした。


 玄関で散歩用の紐を手にして外に出た御許は犬小屋へと歩を進めた。するとオープンはいつものように全身で喜びを表し始めた。

「ちょっと待ってよ」

 足に絡もうとするオープンを紐を持っている方の手で制しながら、御許はもう片方の手でオープンの首輪に手を伸ばした。

「ほら、じっとしてて」

 御許は首輪の金具を探り当てると、紐の留め金具をそこへ取り付けた。続いて鎖の留め金具を取り外した。

「あっ、慌てないで」

 待ちかねたようにオープンは門へと向かい始めた。繋いだ紐に引っ張られる形で御許もその後をついていった。

「そんなに急がないでよ」

 門を出た御許とオープンは道を早歩きで進んでいき、暫くして大きな空き地へと着いた。そこは自宅から離れた場所にある首野家の土地で、適度に雑草が生い茂っていて、散歩時にオープンに時間を与える場所となっていた。

「着いたわよ」

 御許はオープンがよく排泄をする辺りで立ち止まった。するとオープンはいつものように草叢へと入っていった。

(ふぅ、ここに来ると私もなんか安心するな)

 愛犬を優しい眼差しで見つめた後、御許はふと視線を上げてみた。すると遙か上空を数羽の鳥達が飛んでいるのが見えた。

(あれは目の錯覚なんかじゃないわ。きっと……)

 御許はそんな事を考えながら視線を戻した。

「あれ、オープン?」

 いつもは一分程で草叢から出てくるオープンがこの日はなかなか出てこなかった。御許は紐を引っ張ってみたがオープンは動く気配がなかった。

「もう、何やってるの」

 御許は仕方なしにオープンに歩み寄った。

「もうオープン……えっ、それは何?」

 オープンの前方には黄緑色の数センチメートルの球体があった。そしてオープンはそれを頻りに前足で転がしたり、匂いを嗅いだりしていた。

「そんなもの放っておいて。帰るよオープン」

 御許はそう言ってオープンの背中に手をかけた。

「あっ」

 御許は驚きの表情を浮かべた。取り上げられてしまうとでも思ったのか、オープンはその物体を咥えると飲み込んでしまったのである。

「食べちゃった……」

 オープンは若干喉に詰まらせたのか、直後には噎せ返す反応を見せた。御許は慌てて背中をさすってやったが、結局オープンはその物体を吐き出す事はなかった。

「もう、変なもの食べて。知らないから」

 御許は呆れたようにそう言い放つと、思い出したようにこう告げた。

「行くよ」

 御許は紐を引っ張って移動を促した。するとオープンは御許に従って歩みを始めた。そして一人と一匹は帰途に就いた。


 その日の深夜―睡眠中の御許は奇妙な光景を見ていた。

「ここは……」

 暗闇の中で目前の光をよく見てみると、周囲を機械に囲まれた狭い場所があった。そこで若い男が何やら必死に作業をしているのである。

「……誰?」

 御許はその男の外見に思わず見入った。端正な顔立ちで、着衣は宇宙服のようでもあり飛行服のようでもある―彼はそんな姿をしていた。

「あなたは誰」

 御許はその男に向かって呼びかけてみた。しかし男は脇目も振らず一心不乱に機械を弄り続けていた。

「誰……えっ」

 そして何度めかの呼びかけの直後、男は御許の声に反応したかのように顔を上げたのである。重なり合う視線に御許は二の句が継げなくなった。

〝ガバッ〟

 突然景色が変わり、見覚えのある薄暗い室内が御許の目に見えた。そして手元には撥ね除けた布団がめくれた状態になっていた。

(夢……か)

 落ち着きを取り戻した御許が視線を窓の外に向けてみると、月はこの日も淡く輝いていた。

(なんかリアルな夢だったな)

 御許の脳裏にはまるで実体験のような記憶が残っていた。

(何であんな夢を……)

 疑問と動揺を感じつつも、御許は再び布団に潜り込む事にした。

(……うーん)

 しかし御許は夢の事が気になってしまい、その後はなかなか寝付けなかった。御許がまどろみを覚えたのは夜明けも間近、地平線が明るくなってくる頃であった。


 翌朝。御許は寝不足の状態でダイニングキッチンへと足を踏み入れた。

「おはよ……」

「おはよう」

 一瞬振り返ってそう答えたのは初穂だった。宗徒の姿はテーブルにはなかった。

「お父さんは?」

「まだ寝てるわ。昨夜仕事で遅くなったし、今日は休みみたいだからギリギリまで寝かせといてあげようと思って」

「そう……」

 御許は徐に自分の席に腰掛けた。昨夜の夢の事を話題にしたいと感じたが、宗徒がいない状況に迷いが生じた。しかし誰かに話してしまいたい気持ちが強く、御許は意を決して語り始めた。

「ねえお母さん、私昨日の夜、変な夢見たんだけど」

「え?どんな夢」

「うん、なんて言うか……飛行機の操縦席みたいな場所で、男の人が何か一生懸命作業してたの」

「へぇ、そうなの」

「それでその人に呼びかけたら、まるで私の声が聞こえたかのようにこっちを向いたの。その人と目が合っちゃったの」

「ふーん、どんな人だったの」

「ええと……なんて言うか、見た事もない繋ぎの服を着てて。それで……」

「そうなんだ……どうしてその事を話そうと思ったの」

「えっ、それは……」

 御許は暫し考え込んだ後、こう続けた。

「リアル……だったから」

「リアル?」

「うん、なんか夢っぽくないって言うか……とにかくリアルだったの」

「そうなの。でも今忙しいから、その辺にしてね」

 初穂は話を遮るようにそう口にした。そして冷蔵庫の上の置時計を一瞥するとこう付け加えた。

「御許、そろそろお父さん起こしてきてくれない」

「……はぁい」

 御許は不満そうな表情を浮かべつつも、席を立つとダイニングキッチンを後にした。そして階段を上ると自分の部屋とは反対側にある両親の部屋へと向かった。

「お父さーん」

 御許はドアをノックしてそう呼びかけてみたが返事はなかった。御許がドアを少し開けて覗き込んでみると、カーテンが閉められていて中は薄暗かった。

「お父さーん、そろそろ起きてだって」

 御許は大きめの声でそう告げた。するとベッドの上で宗徒が体をうごめかすのが辛うじて見えた。

「んん……ああ、分かったよ」

 宗徒は寝呆けているような声でそう答えた。

(お父さん眠たそう。話すのはやめておいた方がいいかな)

 御許は軽い溜息をつくと静かにドアを閉めた。

(まあ別にいいか……)

 踵を返した御許は再びダイニングキッチンへと向かった。


 数十分後。朝食を終えた御許は登校用の身支度を整えると玄関から外へと出てきた。

「おはようオープン。あれ……」

 犬小屋へと目をやった御許はオープンの様子がいつもとは違うような気がした。御許の姿を見ても立ち上がる事もなく、尻尾を振って感情を表現する事もなかった。

「どうかしたの、オープン」

 そう呼びかけてもオープンは体を地面に着けたままだった。御許に視線を向けるために首を少し動かした以外は微動だにしなかった。

「今日は機嫌が悪いのかな」

 御許は首を傾げつつも登校の時間が迫っている事もあり、その場を離れると学校へと向かった。


 登校して午前中の授業を受けた御許は給食を食べ終えると、昼休みの残りの時間をいつものように仲の良い友代と芽衣と(ゆう)()の三人とのお喋りの時間に費やしていた。

「……」

 寝不足の影響が今頃になって出たのか、御許は次第に瞼が重くなってくるのを感じた。

「あれ、どうしたの御許ちゃん。なんか眠そうだね」

 御許の様子に気づいた芽衣が声をかけた。

「えっ……ああ大丈夫。今日はちょっと寝不足で」

 指摘された御許は目を見開き直すとそう答えた。

「もしかして、また夜更かししちゃったとか」

 柚菜が口元に笑みを浮かべながら言った。

「えっ、してないわよ。夜中に起きちゃった後、なかなか眠れなくて」

 御許はややむきになってそう反論した。

「それじゃまたUFO見ちゃったの」

 友代が思い出したように口を挟んだ。

「えっ、UFOって?」

 芽衣がきょとんとした表情で訊いた。

「昨日御許ちゃんが言ってたの。夜中に目が覚めて、その時にUFO見ちゃったって」

「えっ、何それ」

 柚菜が短めの髪に付けたヘアピンの位置を直しながら尋ねた。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 御許は半ば慌てた様子でそう言い放った。UFOの目撃情報なんてやはり信じて貰えないだろう。噂が広まってクラス中に変な子だと思われては堪らない。それに一部のクラスメートからは笑われたりからかわれたりしそう―そう思った御許は消え入りそうな声でこう続けた。

「その……その日UFOみたいなものを見たけど……」

「え?何て言ったの。聞こえないよ」

 友代は微笑みながらそう口にした。

「まあ、もういいじゃない。その事は……それよりも、昨日の夜の歌番組観た?」

 御許は唐突に昨日観たテレビ番組の話を持ち出した。

「ああ、観た観た。あのデビューのお披露目だっていうグループ、結構カッコよかったよね」

 柚菜は目を輝かせてそう答えた。

「歌も良かったよね。私録画して何回も観ちゃった」

 芽衣も長めの髪を指で梳きながら言った。級友達の話題がそちらへと移った事に御許は内心、胸を撫で下ろした。

(とりあえずこの話をみんなにするのは、やめておいた方が無難かも)

 御許は三人の話に適当に相槌を打ちながら、そんな事を思った。


「はぁ、やっと終わった。眠かったな」

 やがて学校を終えた御許は家路に就いていた。自宅へと戻ってきた御許は真っ先に犬小屋へと向かった。

「ただいま、オープン」

 しかしオープンは朝方と変わらず大人しくしていた。

「うーん……まだ機嫌が悪いのかな」

 御許はそう口にすると笑みを浮かべた。

「待っててね。すぐ散歩に連れて行くから」

 御許はそう告げると玄関へと入っていった。散歩用の身支度をした御許は再び庭へと姿を見せたが、オープンは相変わらずテンションが低い様子だった。

「どうしたんだろう。本当に……」

 御許は不思議に思いつつもいつものように紐の留め金具を首輪に取り付けて鎖を外してやった。するとその直後、オープンは突然勢いよく走り出した。

「えっ、何?」

 御許は慌ててすり抜けそうになる紐を掴むと、手元側の輪の部分に手首を入れて握り締めた。

「待ってよ。いきなりどうしたの」

 しかしオープンは聞く耳を持たない様子で力強く前進を続けた。御許はいつもにも増してぐいぐいと引っ張られる羽目になった。

「早過ぎだって。待ってよ」

 門を出た一匹と一人は日々の散歩道をハイペースで進んでいき、程なくして例の空き地へとやって来た。

「ちょっと、そんなにトイレに行きたかったの?」

 いつもの草叢の辺りで御許は歩みを遅くしてオープンに走る事をやめるように促した。しかしオープンは立ち止まる気配を見せず、更に奥の方へと向かっていった。

「どうしたのオープン?止まらなくていいの」

 困惑する御許をよそにオープンはなおも前進を続け、空き地の奥にある雑木林へと足を踏み入れた。

「え、待って。そっちはよく知らない場所で……」

 しかしオープンは脇目も振らず一心不乱に林に入っていった。御許は仕方なしにその後をついていった。

「何処まで行くの?」

 幸運にも林の中には辛うじて人が通れる程度の小径があった。御許は不安定な足元に何度か躓きそうになりながらも、何とかオープンの後を追った。

「もう、いい加減止まってよ」

 息苦しそうにそう呟く御許の心情を知ってか知らずか、暫くの後にオープンはようやくその前進をやめた。

「はぁ、はぁ」

 同様に立ち止まった御許は胸に片手を当てて大きく呼吸をした。

「え……何なのここ」

 荒い息遣いが収まってきた御許が前方を改めてよく見てみると、そこにはそれなりの大きさの木が立っていた。

「この木がどうかしたの?」

 御許は思わずそう口にしたが、尋ねられたオープンは木の根本近くの地面をじっと見つめていた。

(何してるんだろ)

 御許が首を傾げていると、オープンは突然地面を前足で掘り始めた。

「どうしちゃったの。本当に」

 途方に暮れた御許はふと辺りを見回してみた。林の中は全般的に薄暗く、周囲には不気味な雰囲気が漂っていた。

「もう帰ろうよ、オープン」

 御許はそう声をかけて紐を強めに引っ張った。

「……ううん」

 しかし何度繰り返してもオープンはその木の前から移動しようとはしなかった。

「どうしよう……私の力じゃ無理みたい」

 御許は困った表情でそう呟いたが、オープンは相変わらず地面を掘り続けていた。御許はこうなったら宗徒に助けを求めようと思った。

「でも家に行ってる間に何処かに行っちゃったらどうしよう……そうだ」

 御許はその木の低い所に先が折れている枝を見つけると、そこに紐の輪の部分を引っ掛けた。

「ちょっと待っててね、オープン」

 御許はそう告げると家へと向かって小走りに駆け出した。


 息を弾ませながら家へと戻ってきた御許は玄関のドアを開けると中に向けて呼びかけた。

「お……お父さーん」

 しかし返事はなかった。程なくしてダイニングキッチンにいた初穂が廊下の先で顔を覗かせた。

「どうしたの御許、何かあったの」

「オープンが……言う事きいてくれないの……お父さんは?」

「部屋にいるわよ」

 その言葉を耳にした御許は慌ただしく靴を脱ぐと階段を駆け上がっていき、両親の部屋へと急いだ。

「お父さーん、入るね」

 御許はそう言って半開きになっていたドアを開けた。

「ん?どうした御許」

 部屋の奥にある机で書類に目を通していた宗徒は顔を上げると御許の方へと視線を向けた。

「あのね……オープンが変な所に行っちゃって、そこを動こうとしないの。だから連れ戻して欲しいの」

 机の脇へと駆け寄った御許は宗徒にそう訴えた。

「変な所?」

「うん、空き地の奥にある林の中」

「えっ、あんな所まで行ったのか」

「オープンが勝手に行っちゃうのよ。それで木の近くの地面を掘ってるの。とにかくちょっと来て欲しいの」

「よし分かった。着替えて準備するから御許は玄関の所で待っててくれ」

「うん」

 御許はそう返事をすると部屋を後にして階段を下り、再び靴を履くと玄関で立ち竦んだ。御許がもどかしそうに待っていると、暫くしてジャージに着替えた宗徒が階段を下りてきた。

「お父さん、遅い」

「ごめんごめん。じゃ早速行こうか」

 御許と宗徒は連れ立って玄関を出ると小走りに駆け始めた。門を出て散歩道を通り、空き地を縦断していった二人はやがて林の前へと到達した。

「どの辺なんだ?オープンがいるのは」

「もっと奥の方……案内するわ」

 御許はそう告げると林に入っていった。宗徒はすかさずその後をついていった。

「こっちよ」

 雑草や枯れ枝に足を取られそうになりながらも二人が獣道のような小径を進んで行くと、やがてオープンの姿が見えてきた。

「ほら、あそこ」

「なるほどな」

 御許と宗徒は小刻みに呼吸しながらそう言葉を交わした。直後に二人は木の前に到着したが、オープンは相変わらずその根本近くを掘り続けていた。

「何をしてるんだ?オープンは」

「分からないの。空き地でトイレさせようと思ったのに、こんな所まで来ちゃって……それでここを動こうとしないの」

 心配そうに見つめる二人の前で、オープンはなおも地面を掘り続けていた。

「ふむ……一体どうしたんだろ」

 宗徒は腕組みをして木全体を見回すと、徐にこう呟いた。 

「こりゃまた見事な木だな……でも葉が変色してるように見えるな。病気かもな」

「病気?」

「ああ。木も病気にかかる事があるのさ」

「そうなんだ」

 御許は納得したように口にした後、思い出したようにこう言った。

「それよりもお父さん、オープンを」

「そうだったな。どれ」

 宗徒は紐を枝から取り外すと、輪の部分を掴んで引っ張り始めた。

「ほら、行くぞ。オープン」

 首輪を引っ張られた方向にオープンは体をよろめかせた。しかし足はしっかりと踏ん張って移動する事を拒んだ。

「どうしたんだ。家に戻るぞ」

 宗徒が両手で紐を掴んでより強い力で引っ張ると、オープンは首を曲げながら何歩か移動した。

「なんか、かわいそう……」

 宗徒がオープンを無理矢理引きずるのを見て、御許は思わず口にした。

「強情だな。こうなったら抱えて持って帰るか」

 宗徒はそう口にすると紐を放してオープンに近づこうとした。するとオープンは突然、掘っていた穴を離れて歩き出した。

「あ、あれ」

 驚く宗徒を尻目にオープンはそのまま家のある方向へと数メートル移動した。

「今度はまたどうしたんだ」

 それらの様子をぽかんと見ていた御許だったが、程なくしてこう声を上げた。

「良かった。オープンが動いてくれて。お父さんありがとう」

 御許はそう言うとオープンに駆け寄って紐を拾い上げた。

「う、うん……じゃあ帰ろうか」

 宗徒は釈然としない表情を浮かべながらも歩き出した。薄暗さが増した林の中、二人と一匹は家路に就いた。


 その日の夜。御許は再び奇妙な夢を見ていた。

「あ……またここだ」

 御許の目前に現れたのはまたもあの操縦席のような場所、そしてあの男であった。

「あなたは……誰」

 夢の中の御許はそう呼びかけた。男は熱心に機械を弄り続けながら、時折視線をこちらへと向けていた。

「一体誰なの」

 御許は再度そう尋ねた。すると男がこちらを向いたまま口を動かし、何事かを言っている様子が見て取れた。

「え、何?聞こえないわ」

 御許は発言を聞き取ろうと男のいる場所へ近づこうとした。その時であった。

「エッア」

「えっ?」

 御許は突然そんな言葉を耳にした。一方で男は口を動かし続けていた。

「僕の……名前は……エッアだ」

 今度は途切れ途切れにそう聞こえてきた。そう名乗った男―エッアはどうやら頻りに何かを調節しているようだった。

「このチューニングは……僕の名前はエッアだ。良星という惑星からやって来た。聞こえてたら返事をしてくれ」

 程なくして明瞭な言葉でそう話す声が聞こえた。御許は一瞬唖然としたが、直後にやや焦ったような口調でこう答えた。

「き、聞こえてるわ」

「ああ良かった……自動翻訳機能の調節に手間取ってしまって申し訳ない。なにぶん緊急時用のプログラムだったんで」

 呆気に取られている御許を尻目にエッアは言葉を続けた。

「でもこうしてコンタクトに成功できて嬉しいよ。第三惑星人と話す事は僕も初めてなんだ」

「第三……惑星人?」

「うん、君達は恒星から数えて三番目の惑星に住んでいるだろう。だから僕等はそう呼んでいるんだけど」

「私達は人間だけど……そう教わったけど」

「人間?君達は自分達の事をそう呼んでいるのかい。まあその方が良ければそう呼ばせて貰うけど」

 文字通り手探り状態の会話が展開された。緊張のあまり何も話せなくなってもおかしくない状況の割には、意外と受け答えできている事に御許自身が驚いていた。

「では早速だけど本題に入らせて貰うよ、人間。僕は悪星が送り込んだケダモノ退治のため良星から派遣されたんだ。だが僕が搭乗している打倒号を君のペットが……」

「ちょ、ちょっと待って。そんなにいっぺんに言われても、何の事か分からないよ」

「あ、そうだね。言葉だけじゃ分かりづらいか」

 エッアはそう言うと手元の機械を操作した。すると脇にあったモニターの画面が御許の方へと向いた。そして程なくして宇宙空間に浮かぶ二つの天体が表示された。

「この手前にあるのが僕のいた通称良星さ。そして奥の方にあるのが通称悪星なんだ」

「通称……良星?悪星?」

「うん、そう認識して付けた通称が定着したんだ。この二つの惑星は大きさも環境もほぼ同じで、そして長年に渡って対立関係にあるんだ」

 エッアは説明しながら機械を操作した。するとモニターの映像が次々と切り替わっていった。

「悪星人は我々とは違う方針を持っていて、別の惑星を侵略しようともくろんでいる。そして君達の住む第三惑星がその標的に選ばれたんだ」

「侵略って……地球に攻めて来るって事?」

「地球?君達は第三惑星の事をそう呼んでいるのか……うんそうだ。悪星の奴等は将来的に地球に攻撃を仕掛けるつもりでいるのさ」

「えっ、そんな。どうしたらいいの?」

 御許は焦りの表情を浮かべながらそう尋ねた。

「まあ落ち着きたまえ、人間よ。侵略と言っても近い未来にじゃない」

 宥めるようにそう言うとエッアは更に言葉を続けた。

「悪星の奴等は巧妙な手段を使ってくる。まずは標的とした惑星にケダモノを送り込み、長い時間をかけて弱らせてから、一気に攻めるつもりでいるんだ」

「ケダモノ?」

「そうだ。人間よ、この生き物を見て欲しい」

 エッアが再び機械を操作すると、モニターには御許が見た事もない、細長い口を持った謎の生き物が表示された。

「これは……」

「これは悪星人が開発した恐ろしい生物、通称ケダモノなんだ。このケダモノは地下に潜り込み、木の根から得た養分で他の生物を無気力にさせる物質を生合成し、それを根に戻して葉の気孔から排出させるんだ……君のペットが向かった木もその一つさ」

「えっ、それじゃ……」

 画面を食い入るように見つめていた御許は声を上げた。

「オープンに引っ張られて行った場所の木、あの木の根にこれが?」

「オープンというのか、この君のペットは……そうだ。あの木の根の部分にケダモノが吸いついているという反応が、良星の探査機によって測定されたんだ。悪星の奴等が輸送機を使ってケダモノを置いていったんだろう」

(そうだったの?ケダモノっていつ頃からあそこにいたの?)

 御許がそんな事を考えていると、エッアは諭すような口調になって話を続けた。

「悪星の奴等の行為は許し難いと我々は考えている……そこで良星では奴等の放ったケダモノを退治するための兵器を開発した。それが僕の乗っている通称打倒号なんだ」

 エッアがそう語ると、モニターには黄緑色の球状の機体が表示された。それを見た御許は目を見張った。

「これってまさか……この前オープンが飲み込んだ……」

 口元に手をあてがった御許の言葉はそこで途切れた。

「ケダモノ退治の任務を命じられた僕は打倒号とともに地球へと運ばれてきた。輸送機の着陸場所は夜間の安全性を考慮して目標地近くの開けた場所になったんだ」

 モニターの画面にはエッアの説明を補足する映像が展開された。

「ところが予想外のアクシデントが起きた。目標地へ移動する前の機械のメンテナンスを僕がまだ終えていないうちに、打倒号ごと地球の生き物に飲み込まれてしまったんだ」

 状況を把握した御許は一旦視線を落とした。直後に視線を上げるとこう口にした。

「その生き物が、オープンだったって訳ね」

「そうだ。僕は今、君のペットの胃袋の中にいるんだ」

「じゃあそこから出してあげないと……オープンを獣医さんの所に連れていけばいいの?」

「いや、それよりも手伝って欲しい事があるんだ」

「えっ」

「残念だがオープン君に咥えられた際に打倒号の掘削機能が壊れてしまってね。しかも僕の力では修理は不可能なんだ。即ちこのままでは僕は任務を果たせない事が分かったんだ」

「……」

「そこで僕は次善策として、オープン君の体を使わせて貰おうと考えた。打倒号からメカニカル脳波を飛ばし、彼の神経系に繋ぐ事を試みたんだ。至近距離だったんでこれがうまくいってね。今の僕はオープン君をある程度自由に操る事ができる」

「……」

「そして僕は打倒号から通信伝達波を飛ばして夢を見られる状態にある近くの人間―即ち君にコンタクトする事にも成功したんだ」

「……」

「本当は君が起きている状態でコミュニケーションが取れれば一番良かったんだけど、打倒号の技術ではこれが限界らしい……まあでもこんなプログラムまで用意されていた事には驚いたけどね」

「……」

「僕は何が何でも任務を遂行する必要がある。だから君に手伝って欲しいんだ」

 驚愕の事実を聞かされた御許は暫し言葉を失っていた。しかしやがて絞り出すようにこう言葉を返した。

「分かったわ。協力するわ……でも何をすればいいの」

「オープン君を自由に動けるようにして、ずっと穴掘りができるようにして欲しいんだ」

「えっ、そんなの無理よ。うちは放し飼いなんてしてないから、穴掘りができるのは散歩の時だけよ」

「そうなのか……なら散歩の時だけでもいい。頼む、人間よ」

「分かったわ。それでいいのなら」

「ありがとう人間よ……あっまずい」

 エッアは手元の機械に一瞬目を向けるとこう続けた。

「もうすぐ君が睡眠から覚めてしまうらしい。それではまた夢で会おう」

 エッアがそう言い終わると、御許の視界の片隅からは明るい光が差した。見えていた景色が光に包まれていった。

「……」

 瞼を開いた御許の目前には見慣れた天井と壁と窓があった。窓からは目映い陽光が差し込んでいた。

「……」

 御許は布団から出ると窓に体を寄せた。続いてガラス戸を開けて犬小屋へと視線を向けてみると、オープンはまだ寝ているようだった。御許はおでこに掌を当てると暫し考え込んだ。

(今のも……ただの夢ではなかったような気がする。それに……)

 御許はここ数日の出来事を思い返してみた。月の前を横切った謎の飛行物体、昨日のオープンの奇行―とても偶然であるとは思えなかった。

(このまま放っておく訳にもいかない気がする)

 御許は例の木がある方向へと視線を向けた。窓からは林の一部が辛うじて見えていた。

(他に私にできる事といえば……そうだ)

 御許は顔から手を離すと徐に窓を閉じた。そして思い出したように洗面所へと向かった。


 洗顔を終えた御許は階下へと下りてきた。朝食の準備をしている初穂、タブレット端末を見ている宗徒―ダイニングキッチンにはいつもの二人の姿があった。

「……おはよ」

「ああ、おはよう」

 一瞬顔を上げてそう答えた宗徒はすぐにまた視線を落とした。どうやら興味深い記事を読んでいるらしかった。初穂は御許の声が聞こえなかったのか、熱心に調理をしていた。

「……」

 いつもなら手元に置かれた宗徒が読み終えた新聞の、自分が興味ある部分を読む御許だったが、今朝はそんな気分になれなかった。

(どうしよう……でもやっぱり)

 昨日の朝の件もあり急にプレッシャーを感じてしまった御許だったが、やがて意を決したように話を切り出した。

「ねえ、お父さん。話があるんだけど」

「ん?何だい」

 宗徒は視線を振り向けるとそう口にした。

「その……昨日の夜、変な夢を見たの。私」

「何だ、怖い夢でも見たのか」

「怖いっていうか……ある意味怖いんだけど……でも深刻な話なの」

「深刻?どういう事だ」

 改まった様子の御許の口調を耳にし、宗徒も姿勢を正した。真顔で向き直られた御許はこれから話す内容を考えると口が重くなったが、それでも夢の中でのやり取りについて少しずつ話していった。

「……そんな訳で、あの木の根っこにケダモノっていう怖い生き物が吸いついているらしいの」

「ふぅん」

 最初は熱心に聞いていた宗徒に緊張感がなくなってきて、懐疑心が生じてきたのがその表情に見て取れた。しかし御許は挫けずに言葉を続けた。

「それで思ったんだけど、お父さんにあの木の根本を掘って、ケダモノを見つけて貰えないかと思って」

「えっ……そう言われてもなあ」

「もう御許、いい加減にしなさい」

 途中から話を聞いていたらしい初穂が振り返って口を挟んだ。

「昨日もしてたわよね。その御許が見た夢の話」

「うん……でも今回も、とても夢とは思えないリアルさだったの。お父さんは信じてくれるよね」

 御許は助け船を求めた。宗徒は少し間を置いた後でこう答えた。

「うん……今聞いてて不思議に思ったんだけど、オープンの中にいる宇宙人が通信伝達波を飛ばしたっていうんなら、どうして我々も同じ夢を見なかったんだろうなって」

「それは……その」

 その時、御許の脳内にふと自分の部屋と両親の部屋の位置関係が思い浮かんだ。

「きっとその通信伝達波の届く範囲が狭いんだわ。だから私は見れたけど、お父さん達は見れなかったのよ」

「うーん」

 宗徒は腕組みをして困ったような表情を見せた。

「もうやめなさい、御許。だいたいお父さんは仕事で忙しいのよ」

「えっ、でも……休みの日にならできるんじゃないの」

「うん……実はあの雑木林はうちの親戚の土地になってるんだ。立ち入るだけならともかく地面を掘り返すとなるとな……怒られはしないだろうけど、いい顔はされないだろうな」

「えっ、そうなの」

「許可を貰うにしても……さっき聞いた話をしろっていうのもな」

 宗徒の言葉に御許は落胆を感じた。

「御許、そんな話してる暇あるんなら、おかずの盛り付け手伝ってくれない」

「……はぁい」

 初穂に促された御許は渋々席を立った。

(別の方法を考えよう)

 御許はそんな事を思いつつ、徐に調理台へと歩み寄った。


 やがて朝食を済ませて登校用の身支度をした御許は玄関のドアを開けた。戸外へと出た御許の視線は真っ先にオープンへと向かった。

「……」

 するとオープンは昨日と同様、体を地面に着けたままほとんど動かなかった。

(やっぱりおかしい。二日連続なんて)

 愛犬の連日の異変を目撃した御許は居ても立ってもいられなくなり、玄関に戻ると廊下の奥へ向かって叫んだ。

「ねえ、お母さーん」

 程なくしてダイニングキッチンから初穂が出てきた。

「どうしたの御許。何か忘れ物したの」

「ううん、違うわ。オープンの様子がおかしいの」

「おかしいって、何が」

「昨日もなんだけど、いつもと違っておとなしいの」

「そうかしら。私は別に変わったように感じなかったけど」

「違うの。前はもっと元気で、私の姿を見ると立ち上がって尻尾を振ってたの」

「そんな事言われても……」

「何だ、どうしたんだ」

 二人の声を聞きつけたらしい宗徒もダイニングキッチンから顔を覗かせた。

「あっお父さん、今日もオープンの様子がおかしいの」

「オープンもいいけど御許、時間大丈夫か?」

「えっ……うん」

「大変、もうこんな時間よ。御許、早く学校行きなさい」

 玄関に設置してある置時計をちらりと見た後、初穂はそう言い放った。

「……分かった。行ってきます」

御許は渋々踵を返すと再び玄関のドアを潜った。そしてオープンに再三視線を向けながら門へと歩いていった。


 学校へと着いた御許はいつも通りに授業を受けていった。そして教卓では片木先生による理科の授業が始まろうとしていた。

「はい、今日は『宇宙と天体』の続きですね。皆さん教科書の35ページを開いて下さい」

 教科書の当該ページには天体のイラストが描かれていた。それを見た御許は授業を聞きながら考え事を始めていた。

(昨夜の夢の事、思い切って友代ちゃん達に相談してみようかな……)

 御許は自分の席から見える友達の何人かに視線を振り向けた。

(でも昨日UFOの話題になった時に、ちゃんと話さないで誤魔化しちゃったしな……今更信じて貰えるかどうか)

 続いて御許は教卓の片木先生へと視線を戻した。

(だったら先生に?……駄目。もっと信じて貰えないと思う)

 夢の話をした場合の先生の反応を御許は想像してみた。

(たぶん先生、うちに連絡するんじゃないかな。そしてお母さんにまたいろいろ言われる事になりそう……だとしたらあとは)

 ここで御許はあるクラブの存在をふと思い出した。

(あそこならもしかして……駄目元で行ってみようかな)

 そんな事を思った御許は学校が終わるのを待つ事にした。


「えっ御許ちゃん、今日は一緒に帰らないの」

 迎えた放課後。帰りの支度をしていた際の御許からの申し出に、友代は驚いた表情を見せた。

「うん、ごめん……今日はちょっと行きたい所があって」

「行きたい所って?何処?」

「うん……ちょっとね」

 御許は奥歯に物が挟まったような返答をした。

「……あ、もしかしてこの後、体育館の裏とかに行くの」

「え?」

「男子の誰かから『大事な話があるんで、放課後に体育館裏に来て欲しい』とか言われたの」

「ち、違うよ。そんなんじゃないよ」

「逆に御許ちゃんの方から誰かに告白するとか?」

「だから違うんだって」

 御許はややむきになってこう続けた。

「ちょっと気になるクラブがあるの。だからちょっと覗いてみようかと思って」

「そうなの……あ、分かった。そのクラブに気になる人がいるんだ」

「ちょっ……さっきから何言ってるの、友代ちゃん!」

 御許は若干顔を紅潮させながら言い放った。

「違うんだ……まあ一緒に帰らないなんて珍しいと思ってね」

 友代は微笑みながらランドセルを背負うとこう続けた。

「それじゃ私は先に帰るから」

「うん、ごめんね」

「いいのよ。それじゃ明日ね」

「うん、また明日」

 歩き去っていく友代に御許はそう告げて小さく手を振った。


「……さてと」

 友代を見送った御許はランドセルを背負うと、徐に教室を後にした。

(でも……告白じゃないけど)

 御許は校舎の奥、空き教室がある方向へと向かった。

(これから行く先の事を考えると、なんか緊張するな)

 御許の視線の先には手書きで書かれた未知天体研究会の張り紙が見えてきた。この学校にそういう名前の小さなクラブがあり、そこの人達が宇宙や天体に詳しいという噂は御許も知っていた。

「ここか……」

 活動場所となっている空き教室の前で立ち止まった御許は、未知天体研究会に関するもう一つの噂をふと思い出していた。いわく「未知天体研究会の会員はちょっと変わってる人ばかり」という噂を―。

(で、でもちょっと変わってる人かどうかは、実際に会ってみないと分からないわよね)

 自分自身に言い聞かせるように心の中でそう呟いた御許は、意を決すると空き教室の引き戸を開けた。

「失礼します」

 入ってみると室内の左右には本棚が設置されていて、様々な本が所狭しと並べられていた。右側の本棚の前に置かれた学童用机には大きな本を広げて読んでいる気難しそうな男子児童がいた。また左側の本棚の前に置かれた学童用机では眼鏡をかけた女子児童が何かの本を読んでいた。

「やあ、いらっしゃい」

 御許に気づいた男子児童は背筋を伸ばして椅子の背凭れに体を預ける姿勢を取った。

「あ、あの……初めまして」

 御許は若干緊張した口調でそう挨拶した。

「初めまして。僕は一応、ここの会長なんだ」

「あ、私は首野っていいます。四年生です」

「首野さんね。まあそんな所に立ってないで、そこに座ってよ」

 会長はそう言って机の前に置かれているもう一つの椅子を指し示した。

「……はい」

 御許は恐縮しつつも、ランドセルを下ろすと会長の対面に座った。その際に机の上の本をふと見ると、知らない用語が記載されているのが見えた。

「あ、この本、気になる?」

「あ、いえ……なんか難しそうな本だなって」

「この本は宇宙に関する専門書でね。図書室には無くて臨時の書庫となっているここにしか置いてないんだ。ここには僕の読みたい本が他にも何冊かある。だから僕はここを部室にして貰ったんだよ」

「そうなんですか」

 訊いてもいない事情の説明をする会長に御許は少々困惑した。

「それで、首野さんは何の用事で来たの」

「はい……実はちょっと相談といいますか、私の話を聞いて欲しいんです……そして皆さんに協力して貰えたらなと思いまして」

「へぇ、どんな話?聞かせてよ」

「ええとですね……」

 御許は最近体験した出来事や自分が見た夢に関する話を始めた。最初は気恥ずかしさもあってたどたどしい口調になったが、この人達なら信じてくれるのではという期待から、御許は頑張って話を続けた。

「……それで今日、皆さんに相談しに来たんです」

「ふむ……おおよその話は分かった」

 会長は目を閉じて軽く頷くと、そう呟いた。そして目を開けてこう続けた。

「それじゃあ首野さんはまず、その悪星っていう星を探した方が良さそうだね」

「え?」

 想定外の発言に御許は目を丸くした。

「悪星人は地球を侵略しようとしているんだろ?そんなけしからん奴等が住んでいる惑星は我々が早期に発見して、マスコミを通じて世界中の人達に伝える必要があると思うんだ」

「えっ……あのそれは将来的な話で、まずは私の家の近くにいるケダモノを何とかしたいって話だったんですけど」

「そして君は運がいい。偶然にも僕はネットで拾い集めた、宇宙人が住んでそうな星の情報をリストアップしてあるんだ」

 会長はそう言って脇に置いてある彼のランドセルを軽く叩いた。

「君に星のリストの説明をしてあげるよ。僕と一緒に悪星を探そうじゃないか」

「あ、あの」

「もう会長。また強引に来たばかりの子を自分の趣味の世界に引き込もうとして」

 その時、沈黙を守っていた女子児童がたしなめるように言った。

「そんな事ばかりしてるから、この未知天体研究会はいつまで経っても会員が増えないんですよ」

「いや勘違いしないでくれ、首野さん。僕は純粋な気持ちで悪星探しを手助けしようと……」

「はいはい。でもそれは一人でやって下さい。来たばかりの子、特に女の子にそれはやめて下さい」

(この人はまともそうかな)

 そう感じた御許は会長に視線を戻すとこう告げた。

「あの……あっちの人にも意見を訊いてみますね」

 そして御許は席を立つと、女子児童の机の前にある椅子へと移動した。

「あの……初めまして」

「私はここの副会長よ。よろしくね」

「四年の首野です……あの、さっきの話って、聞かれてました?」

「そうね。話は聞かせて貰ったわ」

 副会長はそう言うと手にしていた本を閉じて机上に置いた。タイトルを見るとSF小説である事が分かった。

「これは私の個人的な意見だけど、あなたはもっと本を読むべきだと思ったの」

「え?」

 御許は再び目を丸くした。

「あなたはお父さんやお母さんに話をしても信じて貰えなかったんでしょ。それはあなたの専門知識が不足していた事も一因だったと思うの」

「え、そうなんですかね……」

「もっといろんな本を読んで専門知識を身に付ければ、あなたの話も説得力が増すと思うの」

(え、でもこの問題に関する専門知識が得られる本なんてあるの……)

 副会長の言葉に御許は内心そう思った。

「そうだ首野さん、私の行きつけの本屋で本を一緒に探しましょう。あそこはちょっとマニアックな本もあってお勧めなの。あなたの役に立つ本も見つかるかもしれないわ」

「あ、あの」

 御許は強張った表情で席を立つとランドセルを背負った。そして引き戸に駆け寄ると二人に向き直った。

「すいません、さっきの話は忘れて下さい。失礼します!」

 御許はそう告げると引き戸を開け、逃げるように未知天体研究会の部室を後にした。

(はあ……やっぱり噂通りの人達だったみたい)

 人の少なくなった廊下と階段を通り過ぎ、玄関まで来た御許にはある思いが浮かんだ。

(こうなったら私とオープンとエッアだけでやるしかない)

 御許は唇を軽く噛みしめると、そう決意した。


 帰宅してランドセルを自室に置いた御許は早速散歩に行く事にした。ジャージに着替え紐を手にして玄関を出た御許は犬小屋に近づいた。

「散歩行くからね、オープン」

 そう呼びかけてもオープンは相変わらず感情を表に出さなかった。冷淡な様子も見慣れてきたとはいえ、やはり以前の元気な姿の方がいいと御許は思った。

「……」

 御許は複雑な心境で首輪に紐の留め金具を取り付けて、鎖の留め金具を取り外した。すると鎖から解き放たれたオープンは昨日同様、急に勢いよく走り始めた。

「ちょっと……そんなに強く引っ張らないでよ」

 御許は引きつった笑顔でそう言いながら紐の輪の部分を掴むと、すかさずオープンの後を追った。

「はぁ、はぁ」

 散歩道を走り抜けた御許はこの日は空き地で立ち止まろうとはしなかった。オープンは予想通り空き地をスルーしていき、その先の林へと足を踏み入れた。御許はオープンに引っ張られるまま何とかついていった。暫く進むと彼等の目前に例の木が見えてきた。

「はぁ、はぁ」

 オープンは木の近くに着くや否や、昨日の掘りかけの穴へと前足を入れた。そして勢いよく地面を掘り始めた。

「ちょっ……こっちに飛ばさないで」

 オープンの足先から放たれた土は後方にいた御許の体へも飛んできた。御許はやむをえず脇へと居場所を変えた。

「参っちゃうな」

 御許は服の土を払い終えると、そのまま立ち竦んでオープンの作業を眺めた。オープンは一心不乱に穴を掘り続けていた。

(凄い勢いで掘ってるけど……相当深い所にいるのかな)

 ふと宗徒の言葉を思い出した御許は周囲にも気を配ったが、人の姿は何処にも見当たらなかった。そのうちに待つのにも飽きてきた御許はポケットから腕時計を取り出すと、現在の時刻をチェックしてみた。

「あ、もうこんな時間」

 いつも散歩にかけている目安の時間は過ぎていた。あまり遅くなると初穂に怪しまれると思った御許は紐を引っ張って合図をした。

「もう行かないと……」

 オープンは顔を振り向けて一瞬恨めしそうな表情を見せたが、御許の意図を理解したのか穴から前足を引き抜くと、家の方角へと徐に歩き始めた。

「……早く任務が終われば、オープンが元に戻るのも早くなるんだよね?」

 御許は後方を歩きながら、オープンのお腹の中にいるエッアに向けてそう話しかけてみた。返事を貰えないのは分かっていたが、御許は何となくそう訊かずにはいられない気がしていた。


 数日後。御許はこの日も夕方の数十分を表向きは散歩、実際はオープンの穴掘りの付き添いに費やしていた。

(はあ……昨夜もまた会えなかったな)

 日が経って冷静に考える時間を得た御許にはある疑問が生じていた。オープンが飲み込んだ打倒号の中にいるというエッアの大きさを考えると、彼の出身星と同じくらいの大きさらしい悪星に住む悪星人もとても小さいはずである。そんな者達が襲ってきたとしても大丈夫なのではないか―と。御許はその事をエッアに訊きたいと思った。しかしあの日以来御許は夢を見る事ができず、結果的にエッアに再会できない日が続いていた。

(夢って見ようと意識して見れるものじゃないし……どうしたらいいんだろ)

 そんな事を考えつつ御許は周囲を少しでも均そうと、穴の傍にしゃがみ込むと持ってきた子供用スコップで土を掬い上げた。

「え?」

 その時だった。御許は今し方飛び散った土に赤いものが混じっているのを目にした。

「まさか……」

 御許は穴を覗き込むと紐を引っ張った。合図を受けたオープンは掘るのをやめて穴から這い出てきた。

「……やっぱり」

 御許の予想通り、オープンの片方の前足の先には血が滲んでいた。

「駄目……中止よ中止」

 御許は立ち上がるとそのまま紐を強く引っ張って家へ連れて帰ろうとした。しかしエッアはまだ穴掘りを続けたい意思があるのか、オープンは足を踏ん張ってその場に留まろうとした。

「帰るわ。もう」

 御許は再度紐を強く引っ張って帰宅を促した。綱引き状態が暫く続いたが、そのうちにエッアは諦めたらしく、オープンは徐に歩みを始めた。

「こんなの……見てらんないわ」

 御許は若干目を潤ませながらそう呟いた。やがて帰宅した御許はオープンを鎖に繋ぎ留めると、怪我をした方の足を改めて見てみた。

「酷い……ちょっと待ってて」

 御許は雑巾にバケツの水を含ませて絞ると、オープンの足先をそっと拭いてやった。

(もう穴掘りなんてやめさせたい。その事をエッアに伝えたい)

 御許はオープンのお腹に視線を移すと、考えを巡らせてみた。

(でもどうすれば……)

 御許は途方に暮れた表情でオープンを暫くの間見つめ続けた。


(あっ、ここは)

 その日の夜、御許は久々にあの夢の光景を見ていた。やがてエッアは御許の目前にその姿を見せた。

「やあ久しぶり」

 現れたエッアは笑顔でそう口にした。

「やあ、じゃないわよ」

 御許はエッアを睨みつけながらそう言い放った。

「どうしたんだい。機嫌悪そうだね」

「どうもこうもないわよ」

 問い詰めるような口調で御許は言葉を続けた。

「どうして怪我をしたオープンに穴掘りを続けさせようとしたの」

「怪我?オープン君が怪我してたのかい」

「え、気がつかなかったの」

 御許は呆れたような表情でこう付け加えた。

「前足の先よ。血が出てたじゃない」

「そうだったのか。それはすまない事をした。何しろ穴掘りに夢中だったんで……僕はオープン君の体を操れるが、彼の痛みまで知る事はできないんだ」

 エッアの弁明を聞いているうちに御許は冷静さを取り戻していた。

「まあ……わざとじゃなかったんなら許してあげてもいいけど」

 御許は一旦逸らした視線を戻すとこう続けた。

「でもこれ以上オープンに穴掘りをさせないで欲しいの」

「残念だけどそれはできないな」

「えっ」

「仮に片方の前足が使えないっていうんなら、もう片方の前足を使って掘削を続けさせて貰う」

 エッアの言葉に御許は思わず絶句した。そして暫くの後に声を震わせてこう口にした。

「オープンは怪我してるのに……そこまでして穴掘りをしないといけないの」

 その言葉に今度はエッアが口を噤んだ。しかし程なくして彼はこう言い放った。

「人間よ、今がどういう状況なのか分かって欲しい」

「えっ」

 予想外の返答に御許は再び言葉を失った。

「あの辺りで無気力物質を排出しているのは今はあの木だけだ。だがケダモノはそのうちに個体分裂して増えていくんだ。あの木の周りの木々、更にその周りの木々へと、被害は徐々に拡がっていく事になるんだ」

「……」

「今は排出されている無気力物質も僅かで、君も影響を感じないだろう。だがかなり増殖してしまった後では、ケダモノ達の退治も困難になる……だからケダモノの数が少ないうちに退治して、被害を最小限にしたいんだ」

 エッアの話をじっと聞いていた御許は神妙な顔つきになった。

「エッアの言いたい事も分かるわ……でも」

 御許はここで前々から感じていた疑問をぶつけてみようと思った。

「悪星人ってエッアみたいに小さな生き物なんでしょ?仮にそんな人達が攻めてきても、地球は大丈夫なんじゃ……」

「確かに我々のサイズは君等に比べれば小さい。だが良星や悪星の科学技術はとても発達していて、巨大な宇宙船を操る事もできるんだ。それこそ地球の飛行機と変わらないくらいのやつをね」

「えっ、そうだったの……」

 その話を聞いた御許は急に不安な気持ちになった。

「悪星の奴等が将来、地球を侵略する際にも巨大な宇宙船団でやってくるはずだ」

 その言葉を耳にした御許は事の重大さを改めて認識した。

「僕と君とオープン君が取り組んでいる任務は小さな事かもしれない。だが小さな事の積み重ねが大きな危機を防ぐ事もあるんだ」

 御許はそう熱弁するエッアの目を見つめた。その瞳には一点の曇りも感じられなかった。

「……」

 やがてある決意を抱いた御許はエッアにこう告げた。

「分かったわ……明日もオープンを散歩に連れて行くわ」

「ありがとう。人間よ」

「でも着いたら私の邪魔をしないでね」

「え?それはどういう意味なんだい」

「私のやり方でやらせて貰うって事よ……それと私、御許っていう名前があるんだけど」

「そうだったのか。それは失礼した。では頼んだよ、御許」

 エッアはそう言い終えると御許の夢から姿を消した。それから暫くして御許は目を覚ました。

「……」

 上体を起こした御許は窓の外へと目を向けた。

(やるしかない)

 御許は胸に秘めた決意を思い返すと、唇を軽く噛みしめた。


 その日の放課後。帰宅して散歩用の身支度をした御許は真摯な面持ちで犬小屋の前へとやって来た。

「行くよ、オープン」

 散歩の準備を終えた御許はオープンと共に小走りを開始した。その片手には首輪に繋がっている紐、もう片方の手にはスコップがあった。

「……」

 オープンと御許は散歩道を小走りしていき、空き地を通り抜けて林の中を進んでいった。そして例の木の近くに到着した。

「約束通り連れてきたわ」

 御許はそう口にするとスコップを置き、別の木の途中から折れている枝に紐の輪の部分を引っ掛けた。

「じゃあそこで見ててね」

 御許は笑顔でオープンの元を離れるとスコップを拾い上げ、例の穴へと向かった。オープンはその後を追おうとしたが、紐に阻まれてそれ以上進む事ができなかった。

〝ワン ワン〟

 オープンが吠える中、御許は掘りかけの穴に足を踏み入れた。そしてスコップで底の土を掬うと穴の外へと投げ捨てた。

「オープンはいいの。怪我してるんだから」

 御許はそう言いつつ作業を続けた。

〝ワン ワン〟

 オープンは断続的に吠え続けた。しかし御許は作業をやめずにそのまま続けていた。

〝ウウウ〟

 やがてオープンは痛めている足を踏ん張り、体に体重をかけて紐を引っ張った。すると木の枝が捻じ曲がり、輪の部分が外れた。

「あっ」

 その事に気づいた御許は声を上げたが、オープンはそのまま何処かへと走り去ってしまった。

(……しょうがない。今日はここまでにしよう)

 そう思った御許は穴から出ると、スコップを片手にオープンの後を追った。


「えっ」

 林を抜けて空き地を進んでいた御許は驚きの表情を浮かべた。初穂がオープンを連れて小走りしてくるのが見えたからである。距離が縮まると彼等は前進をやめた。

「お母さん、どうしてここに……」

「御許を捜しに来たのよ。玄関の方からオープンが吠える声が聞こえたんで、ドアを開けてみたら御許の姿が見当たらないでしょ。何かあったんじゃないかと思って急いで来てみたのよ」

(オープン、家まで帰ってたんだ)

「向こうから歩いてきたけど、何してたの」

「いやあの……ちょっと」

「その様子じゃまた林に行ってたんでしょ……まあいいわ。とにかく帰りましょ」

 御許は小さく頷くと、促されるまま初穂に歩み寄った。そのまま一匹と二人は家に向かって歩き始めた。

「えっ……」

 ところがあともう少しで家へと到着する間際、オープンは突然Uターンすると後方へ向かって走り出したのである。

「あっ」

 驚いた初穂は紐を握っていた手を一瞬緩めた。その際にオープンによって引っ張られた紐は初穂の手から離れた。

「オープン!戻ってきて!」

 御許は咄嗟に叫んだが、オープンはあっという間に二人の元を離れ、今し方歩いてきた散歩道を走り抜けていった。

「追わないと……お母さん」

「そうね」

 御許と初穂は顔を見合わせると小走りでオープンを追った。

「何処へ行ったのかしら」

「……たぶん、あの木の所だと思う」

 初穂の問いかけに御許はそう答えた。程なくして空き地へと戻ってきた二人は林のある方へと歩を進めた。

「え?」

 林に入ろうとした御許と初穂は驚きを隠せなかった。オープンが奥の方から歩いてくるのが見えたからである。

「どうしたのかしら。行っちゃったと思ったらまた戻ってきて」

 初穂がそう口にする際、オープンを見つめていた御許は動きが固まった。オープンが尻尾を振って近寄ってくるのが見えたからである。

「……」

「今度は御許が紐を持ってくれない。御許の方が慣れてるし……どうしたの御許」

「う、うん」

 御許は紐を拾い上げると、輪の部分を掴んだ。

「頼んだわ。じゃ、早く帰りましょ」

 初穂はそう声をかけた。御許は違和感を覚えつつも、初穂とオープンと共に再び家路に就いた。


 翌朝。御許が目を覚ましてみると、窓の外には明るい光が見えた。

「……」

 御許の耳に聞こえていたのは静寂の中、時折響く鳥の声だけだった。

「いい天気……」

 御許は小声でそう呟くと、布団から出て軽く背伸びをした。

(そうだ。今日は学校は休みだから、丸一日穴掘りができるはず)

 そんな事を思った御許の脳裏にふと、昨日の帰り道のオープン行動の変化が浮かんだ。

(あれは……)

 御許はその理由を考えてみた。そして考えているうちにじっとしてられない気分になった御許は洗顔を済ませると、ジャージに着替え始めた。


 数分後。一階へと下りてきた御許は玄関のドアを開けると、犬小屋へと視線を向けてみた。

「オープン」

 御許の目に映ったのは声に反応し、立ち上がって尻尾を振っている愛犬の姿だった。

(やっぱり戻ってる……でもどうして)

 御許はそう感じた。それは御許自身が待ち望んでいた姿のはずだったのであるが。

「……今日は特別に、朝の散歩にも連れていってあげるね」

 そう口にした御許は準備を終えると散歩を始めた。その間のオープンの仕草も最近の異様なものではなく、以前と同じものであった。

「……」

 不思議に思いつつも散歩道を歩き抜けた御許は空き地を通り抜けてその奥の林へと向かおうとした。

「え?」

 しかしオープンは空き地の中程、草叢の近くでその歩みを止めた。

「どういう事?穴まで行かなくていいって事なの?エッア」

 御許は紐を引っ張って移動を促してみた。しかしオープンは拒否反応を示し続けた。

「ちょっとだけでも穴掘りやろうと思ってたのに……」

 御許は仕方なしに草叢へと歩み寄った。するとオープンは嬉しそうに草叢へと入っていった。

(穴に着くまではオープンを操る機械を止める事にしたのかな……電池の節約とかで)

 そんな予想をしてみた御許は直後にこう感じた。

(……お腹空いたな)

 御許が腕時計を確認してみると、いつもなら朝食を食べ始める時間が迫っていた。

(やっぱりご飯食べてからやる事にしよう)

 御許がそう思い直した頃、オープンは草叢から出てきた。御許はオープンと共に家へと向かった。


 そして帰宅してオープンを鎖に結び付けた御許は玄関を潜った。

「ああ御許、そんな所にいたの」

 ドアの音に気づいたらしい初穂が廊下の奥から顔を出して言った。

「どうしたの。こんな朝早くから」

「……ちょっと外、散歩してたの」

 御許はきまり悪そうにそう答えた。

「朝ご飯できてるわよ。早く来なさい」

「う、うん」

 御許は頷くと靴を脱いでダイニングキッチンへと足を踏み入れた。テーブルの上を見ると既に食事の配膳は済んでいた。

「おっ来たな。じゃあ早速食べようか」

 宗徒は御許を見るとそう口にした。

「ごめんなさい。遅れちゃって」

 御許は流し台で手を洗うと自分の席に座った。三人は箸を取って飲食を始めた。

「あっそうそう」

 程なくして初穂が思い出したように声を上げた。

「ねえ御許、今日は何か予定はあるの」

「えっ」

 そう話しかけられた御許は一瞬ドキリとした。

「ええと……どうしても行かなきゃならない予定はないけど」

「ならこの後一緒に来てくれない?なんかおじいちゃんが急に入院しちゃったらしくて、みんなでお見舞いに行こうと思ってるのよ」

「えっ……」

 予想外の出来事に御許は言葉を詰まらせた。

「うん、昨日夜遅くに電話があったんだ……御許が来てくれれば親父も喜ぶと思うんだ」

 宗徒が口添えするように言った。穴掘りの件が御許の頭を過った。しかし少し離れた街に住んでいる祖父も御許にとってはまた大事な存在であった。

「分かったわ。行くわ」

「そう。じゃこの後、出かけるからね」

 初穂の言葉に頷いた御許は視線を手元へと戻した。

(穴掘りは帰ってから、できる範囲でやる事にしよう)

 そう思いつつ御許は茶碗のご飯を口へと運んだ。


 やがて食事と外出用の身支度を終えた三人は車庫へと向かうと、自家用車に乗り込んだ。

「忘れ物はないわよね」

「うん、大丈夫だと思う。じゃあ行こうか」

 初穂の念押しに宗徒がそう答えると出発となった。宗徒の運転する車は一般道を暫く走った後、高速道路へと入った。そして大きな街にあるインターチェンジで高速道路を出た。

「うーん、渋滞か」

 中心街へと向かう幹線道路を走り始めてすぐに、宗徒がそう呟いた。

「通勤ラッシュなのかしら。休日なのに」

「いやこれは工事渋滞か、事故渋滞じゃないかな」

 初穂と宗徒はそう言葉を交わした。短い距離の前進と停止を繰り返す車の列。後部座席の御許はふと窓の外に目をやった。道路脇には街路樹が植えられていた。

(ついてないな。こんな時に渋滞なんて)

 物憂げな表情でそんな事を思いつつ、御許は幾つもの木々に順番に視線を振り向けた。


 その後なんとか渋滞を抜けた首野家の車は大きな病院へと辿り着いた。三人は車を降りて受付で見舞いの手続きを済ませると、教えられた部屋番号の病室へと向かった。

「ここね。失礼します……」

 初穂がそう口にしながら入室した。宗徒と御許はその後に続いた。四つあるベッドの一つに御許の祖父が横たわっていて、他の三つのベッドは空いていた。

「ん?ああ、来てくれたのか」

 三人に気づいた御許の祖父は目を細めて口元を緩ませた。

「おじいちゃん、お見舞いに来ました」

「おお御許、また大きくなったな」

 祖父の言葉に御許は照れくさそうな表情を浮かべた。

「大丈夫?思ったよりは元気そうだね、親父」

 その様子を見ていた宗徒が微笑みながら口にした。

「ああ。昨日の夜はやばい状態だったがな……応急処置をして貰って一晩寝たら、だいぶ良くなったよ」

「そうなんだ。良かった……あ、これここに置かせて貰いますね」

 初穂はバッグから花の写真を入れた写真立てを取り出すと、ベッドの脇にある小さなテーブルの上に飾った。

「これは綺麗だ。ありがとう。これは庭の花壇の花かい」

「ええ」

「そうか。そういや花壇の近くに犬小屋があったよな……あの犬も元気か」

「犬よりも自分の体の心配して下さいよ」

「オープンなら私が毎日、散歩してるわ」

 二人の会話に口を挟むように御許は言った。

「うん、でも最近、散歩先でいろいろあったよな」

 宗徒が横目で御許を見ながら口にした。

「え?なんかあったのか」

「あの……空き地の奥に林がありますよね。御許があそこまで散歩に行ってるみたいなんですよ」

 初穂が気まずそうな口調で答えた。

「ああ、あの林か……儂も子供の頃はよく探検したな」

「えっ、おじいちゃんもあの林を知ってるの」

「ああ。御許が今住んでるとこには昔、親戚の家があってな。子供の頃によく連れていかれたんじゃよ」

「その親戚が引っ越したんで、土地を譲って貰って今の家を建てたんだよ」

 宗徒が補足説明するように言った。

「あの林は儂にとっても思い出の場所さ。夏休みにはカブトムシやクワガタを採りに行ったよ」

 御許の祖父は遠い目をしてそう懐かしんだ。

「そうだったんだ……ねえおじいちゃん、あそこにある木が全部おかしくなっちゃったら、おじいちゃんも悲しいよね」

「ん、まあそうだが」

「私、あそこにある木を全部おかしくさせようとしている生き物を退治しようとしてるの」

「え?」

「ちょっと御許……あの、御許が見た夢の話なんですよ」

 初穂は気恥ずかしそうな表情でそう口にした。

「待っててね、おじいちゃん。私あの林を守ってみせるから」

 御許は前のめりの姿勢でそう宣言した。初穂と宗徒は苦笑を浮かべながらその様子を見ていた。


 やがて見舞いを終えた三人は病院を後にした。一足先に外へ出た御許が後を振り返ると、宗徒と初穂が言葉を交わしていた。

(何の話をしてるんだろ)

 程なくして宗徒と初穂が話を終えると、三人は再び車へと乗り込んだ。

(まだお昼少し前だ。今から帰れば十分時間がある)

 腕時計をチェックした御許はそんな事を思った。しかし車は幹線道路を暫く走った後、ショッピングモールの駐車場へと入っていった。

「あれ、ここに寄ってくの」

「うん、もう昼だからここのフードコートで食事をしよう。それから買い物もしていこうと思って」

「おじいちゃんの具合が思ったより良くて安心できたから、そうする事にしたの」

「あ、そうなんだ……」

 予想していなかった展開に御許は少々困惑しつつも、そのまま三人での食事、そして買い物に付き合う事になった。

「えっお父さん、まだ行くところがあるの?」

「うん、ここの家電量販店がセールをやってて安いらしいんだ。だからちょっと見てくる」

 宗徒と初穂の買い物の時間は御許の予想以上に長引き、全てを終えた三人が帰宅したのは夕方、日が暮れそうになってからであった。

「よし着いたぞ」

 車を車庫に停車させた宗徒はそう呟いた。

「私、オープンの散歩行ってくるね」

「頼むわ。でももう遅いから気をつけてね。林の中とか行っちゃ駄目よ」

「う、うん」

 初穂の言葉にそう返事をした御許は車を降りて自室でジャージに着替えると犬小屋へと向かった。オープンは朝と同様、嬉しそうなリアクションを見せた。

「……今連れて行くからね」

 御許が散歩の準備を済ませた頃には辺りは薄暗くなり始めていた。

(お母さんの言う通り今日はもう遅い。穴掘りは無理ね)

 空き地に着くとオープンも朝と同様に林へ行こうとする素振りを見せなかった。草叢での時間を終えた御許とオープンはそのまま帰途に就いた。

(仕方ない。続きは明日以降ね)

 帰宅した御許はそんな事を思った。その後入浴と夕食を終えた御許はいつも通りの時刻に眠りに就いた。


「……あ」

「やあ御許、また会えたね」

 夢の中の御許は視線が釘付けになった。エッアが再び夢に現れたからである。御許は彼に問いかけた。

「ねえどうしたの。なんかオープンの様子が元に戻ってるみたいなんだけど……ほら帰り道で突然走り出しちゃったオープンが、林から出てきた時から」

「うんそうだね……実はあの日の帰り道でオープン君を木まで戻した時、彼の胃を刺激して穴の近くに打倒号を吐き出して貰ったんだ。あれ以来オープン君は僕とは無関係だよ」

「そうだったの……あれ、そこは」

 御許がエッアの周りをよく見てみると、以前の夢の場所ではなく、少々違った場所に彼はいるようだった。

「ああ、気づいたかい。今僕は良星から来た輸送機のコクピットにいるんだ。以前君と話をした時の自動翻訳機能のデータを使ってこの機体から通信伝達波を飛ばし、再び夢で君にコンタクトする事ができたって訳さ」

 エッアは微笑みながらそう言うと、やや畏まった口調でこう続けた。

「君の任務協力への決意があそこまでとは知らなかったよ。見誤っていたのは僕の方だったかもしれない……そしてこれ以上君達に迷惑をかける訳にもいかないと感じた。そこで僕は最後の手段として、良星に助けを求めて予備の打倒号を届けて貰う事にしたんだ。あのケダモノは退治できたよ」

「え……そんな方法があったのなら、どうしてもっと早くやらなかったの」

「僕等はどんな状況下でも自力で任務を果たす事が原則になっているからさ。助けを求めてしまうとペナルティとして帰還が大幅に遅れる事になる。だからなるべく避けたかったんだ」

 想定外の返答の連続に御許は軽い憤りも覚えた。だがエッアの屈託のない笑顔を見ていると、不思議と彼を責める気持ちは萎えていった。

「ま、まあ無事に任務を果たせて良かったわね」

「うん、この調子でいけば悪星の奴等に地球侵略を諦めさせる事も夢ではないと思う……」

 エッアは一瞬視線を落とした後、こう続けた。

「あ、じゃあ僕はそろそろ行かなくちゃ」

「えっ、もう行っちゃうの」

「うん、僕は次の任務地に向かうよ。御許にはまたいつか会えたらと思う。じゃあね」

 その言葉が終わるとエッアの姿は視界から消えた。直後に御許が目を覚ますと、まだ辺りは暗かった。

〝ワン ワン〟

 窓の外からはオープンが吠えている声が聞こえていた。起き上がって窓を開けてみた御許は既視感を覚えて思わず月へと視線を向けた。

「……あ」

 するとまた月の前を謎の飛行物体が横切ったように御許には見えた。

「また見ちゃったな……」

 御許は苦笑してそう呟いた。程なくしてオープンが吠えやんだので、御許は窓を閉めて再び体をベッドへと横たわらせた。


 翌朝。御許がダイニングキッチンへと来てみると、いつにも増してタブレットに見入っている宗徒の姿があった。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 宗徒はそう返事しつつも視線はタブレットへ向けたままだった。

「面白い記事読んでるの、お父さん」

「いやな、昨日の昼間、そして今日の未明にまたこの近くでUFOらしき飛行物体の目撃情報があったらしいんだ」

「あっ……そう」

 御許は自分の席に座ると暫く黙っていたが、徐に口を開いた。

「ねえお父さん、昨夜私、不思議な夢を見たの」

「えっ、またかい」

 宗徒は御許に視線を振り向けると困惑の表情を浮かべた。

「ほら何日か前にエッアの事を話したでしょ。彼がまた夢に現れたの。それで……」

「もう、御許」

 調理台で料理をしていた初穂は振り返ってそう口にすると、軽い溜息を挟んでこう続けた。

「その話をまだ続けるつもりなの? お父さんは協力できないってこの前聞いたわよね」

「違うわ。エッアがケダモノを退治した事について話そうと思って」

「はいはい。夢の話もいいけど次のテストは頑張ってね。それと夜中にまたオープンが吠えてたわね。散歩もちゃんとやってよ」

「だからぁ、話を聞いてよ……」

 御許はそう訴えたが、初穂は踵を返して料理を再開した。

「もう……ねえ、お父さん」

 御許は話を続けようと宗徒へと視線を戻したが、宗徒はタブレットの記事を読むのを再開していた。風向きの悪さを感じた御許は今はやめておこうと思い直した。


 やがて学校を終えて迎えた帰宅後。御許はいつものようにオープンを連れて散歩に出ていた。空き地の草叢で時間を取ってやった後で林の中へ入ろうとすると、今度はオープンも御許についていった。

「なるほどね」

 御許が例の木まで足を延ばしてみると、掘り進めていた穴の底から細い穴が伸びているのが見えた。

「もうこの穴は、必要ないのよね」

 そう呟いた御許は例の木の折れている枝に紐の輪の部分を引っ掛けると、持ってきたスコップで周囲の土を掬って穴を埋めていった。暫くしてオープンは待つのに飽きたのか、木の裏側へと歩いていった。

「どうしたのオープン、そこに何かあるの……あっ」

 気づいた御許が立ち上がって木の裏側へと回ってみると、そこには新しい芽が出ているのが見えた。

「これが成長して、ここにも木ができたらいいよね」

 御許は同意を求めるようにオープンに視線を振り向けた。オープンはお座りしたまま御許を見つめ返していた。

「まあ……お父さん達に信じて貰えなくても、この林が守られたんならそれでいいよね」

 御許は微笑みを浮かべると空を見上げてみた。そこには青い空に浮かぶ白い雲があった。


                    〈了〉

© Inaba Takahiro 2013

商業出版社の方からのご連絡お待ちしています。

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