ナナティエラ=アニムカルスの手記 : アニムカルスという家系①
セステノン魔術連邦は、400年前各国で馬車馬のように酷使されていた魔術師達が安寧の地を求めて団結し、メクツェ大連峰を越えて流浪の果てに辿り着いた大陸最西端の無名の地で、現地人とともに興した国である。
多くの魔術師と現地人が結ばれ、魔術によって出産のリスクや疫病、獣害等を退けることで瞬く間に繁栄した。
連邦において、魔術師の育成は親が師となり子を指導するのが一般的だが、魔術師のいない家庭に魔力発現者の存在が認められた場合、国から教導魔術師の資格を持つ者を派遣し指導を行う。
ただし、指導を受ければ必ず魔術師になれるというわけではない。
魔術師の家に生まれた者であっても魔力が発現できない者もいる。魔術師の手で無理矢理魔力を引き出させる魔力覚醒という方法もあるが、被術者にかかる負担が大きいこと、実行する術者に被術者の体を壊さないように魔力を引き出す極めて繊細な魔力操作が求められることもあって大抵の子は魔術師の道を諦める。
大抵の、とつけたのは裏を返せばそういう無茶をする家庭もあるということ。無茶といっても、覚醒術師という資格を持つその手のプロに依頼するのでそうそう間違いが起きることはない。
ではなぜ魔力覚醒を受ける者が少ないかというと、金銭的な問題と、政治的しがらみを嫌うからである。
覚醒術師は国にとって非常に貴重な人材であるため、魔力覚醒を受けるには審査を通過した上で多大な税金を納めなければならない。
しかも魔力覚醒を受けた家系は末代までの借りを作ってしまうのである。当然だろう。魔術師の跡継ぎができなければお家断絶は避けられない。
厄介なことに、国政に携わる者の中に覚醒術師の世話になった者が多数いる。彼らは自分がかつてそうであったように、自らの子孫に魔術師の才なしとの烙印を押される者が現れることを極端に恐れるようになった。つまり国家が覚醒術師達の御機嫌取りをするようになってしまった。
覚醒術師の資格は更新頻度が多く、世襲できないものである。
が、だからこそ覚醒術師は自らの才を受け継がせることに対して手段を選ばなかった。
家庭内の指導が厳しいのは当然として、才能ありとみるや一般人の子供を養子に迎えることもある。
豪快なことに、目をつけた子供の家庭ごと近所に住まわせてしまうという前例もある。何せ覚醒術師はいわゆる大金持ちなので、家一軒ぐらい簡単にポンと買い与えることができてしまう。
しかも相手の家庭に恩を売るために生活費用を全て受け持つことも可能なのだ。
これらはまだ可愛いもので、一般家庭に魔力発現者がいるだけでも相当珍しく、更に魔力操作に長けた者を見つけるのは並大抵のことではない以上、表立って言えないような手段を講じる者が出てくるのはある意味必然かもしれない。
例えば人体改造。50年程前、魔力感知と操作の才能を伸ばすため無理な実験が行われた。
薬物による強烈なドーピングを行う実験なのだが、質の悪いことに一般家庭の子供が多数拉致され犠牲になった。行方不明事件として一時国を騒がせたのだが、なんと国の中枢を担う者の一部が覚醒術師達に情報操作や子供の拉致という形で協力していたのだ。
これこそが先程説明した、国家による覚醒術師達の御機嫌取りの一部である。甘い汁を吸うことに慣れすぎた者達の最悪の愚行は、お家断絶を恐れるあまり狂気に駆られたある覚醒術師が暴走した結果、次第に国も庇いきれなくなりトカゲの尻尾切りと相成った。発端となった覚醒術師は処刑され、子供はいなかったため家は即取り潰しとなり、協力者達は秘密裏に処刑された。
被害にあった子供達は国の援助を受けているが、心に深い傷を負った子、生活に支障をきたす程の障害を負った子が多く、連邦の400年の歴史に汚点が刻まれることとなった。
連邦を興した素晴らしい祖先達の血を引きながら、なぜこれ程までに腐ってしまえるのだろうか。答えは分かっている。魔術師とて所詮は人だ。国という枠組みを作り各々が歯車となって働く中で、咎められない範囲で利を得ようとする。法に触れず、他者を犠牲にすることがなければそれはそれでよかったのだろう。だが、一度でも富や権力といった甘い汁を吸ってしまった者は罪に問われる限界を攻めてでも、いや、線引きすらできなくなっても手放せなくなる。
欲望の強さ、醜さを自覚できなくなるぐらいこの国は停滞し閉塞してしまったのかもしれない。
かつて連邦を築いた祖先達の開拓の精神はとうの昔に失われてしまったのだろうか。
とはいえ覚醒術師達や政治家が全員腐ってしまったわけではない。
国家存続と繁栄のため、人材発掘の使命に燃える高潔な術師達も多い。アニムカルス家も国の繁栄のために尽くす覚醒術師の家系だ。
父マグニエルも己の仕事に誇りを持って取り組んでいたし、覚醒術師でありながら魔力覚醒以外の仕事もこなす器用な人で、幼い頃の私にとって自慢の父だった。
だが50年前の事件から、覚醒術師に対する風当たりが強くなった。
その反応は仕方がなかったとは思う。それでも父は世間の声と向き合い続けた。
「勤勉さ、そして誠実な心こそ決して失ってはならない人が人である所以である」
父は家族に対して口癖のようにしょっちゅう言っていた。
自分に言い聞かせる意味もあったのだろう。
父は強い人だと思っていた。その父を支える母ステラも。
だが、私だけは違った。私には世論や環境と戦う強さなどなかった。