ナナティエラ=アニムカルスの手記 : また会う日まで
ロッド君の指導のため、ナターン家に派遣されてから約3年が過ぎた。私ももう60歳、還暦を迎えている。
この3年間はとても濃密であっという間だった。
人生の回顧録はロッド君の指導に集中するために手をつけていなかったが、こうしてロッド君を送り出す日を間近に控えた今、改めて綴っていくつもりだ。
この3年間でロッド君は身も心も成長したが、初めて会った時の彼の見た目の印象としては可愛いな、と感じた。
やや癖のついた赤茶色の髪、くりっとした赤い眼、少し丸みを帯びた輪郭に無邪気な笑顔で私を迎えてくれた彼は、歳不相応にしっかりしていた。
優しいが極度の人見知りであるお父様、オーリスさんに代わって私に応対し、仕事でお疲れだったお母様、ニーナさんを労る姿はあまりにもできすぎた孝行息子に見えた。かつての私とは大違いだと思って心の中で僅かに自嘲してしまった程に。
初日に盛大にもてなしていただいた後、ニーナさんと彼女の部屋で色々な話をした。
実を言うと、私は派遣先の家名がナターンと聞いてもしやと期待していた。国中に展開しているアパレルブランド"N²"の設立者にして超一流ファッションデザイナーであるニーナ=ナターンの名は有名で、年甲斐もなくソワソワしてしまっていた。
実際にお会いしたニーナさんは、メガネの似合うキリッとした顔立ちと腰まで伸ばしたブロンドの髪が美しいまさに『できる女性』だった。が、仕事から帰ってきた時のピシッとしたビジネス用の服に身を包んでオーリスさんに説教をしていた姿は仕事モードの時だけらしく、風呂から上がってきた彼女の可愛らしい寝間着には驚いた。
彼女曰く、3年も一緒に暮らす以上見栄を張り続けるのは無理なので、その辺りは諦めてあるとのこと。
そもそも先程夕飯を頂いている時、酒の入ったニーナさんがオーリスさんに甘えまくっていたのでその際にこの家族の力関係はおぼろげに理解していたが。
ニーナさんのデザインした服を着せてもらったり、私のアンチエイジングについて盛り上がったりした。彼女の年齢は私の息子とほぼ同じなので、親子程に歳の差があるのだが良き友人となれたのは本当に嬉しかった。
そうして他愛のない話で一通り盛り上がった後、私は昼間から気になっていたあることを聞いてみた。
ロッド君の魔力のこと、私が魔術師として彼を指導することを隠す意味について。
実はイズマピスの街には、12年前まである男性魔術師が暮らしていた。その男は当時経営が軌道に乗って来たニーナさんの会社の従業員で、共に苦労を分かち合った戦友のような間柄だったという。
余談ではあるが、この国の魔術師は皆が皆国政に関わるわけではない。連邦の総人口の内魔術師は約4割もいるのだから当然だろう。
一般職や役所仕事に就く魔術師の方が多いぐらいだ。むしろそういった職についた者の方が幸せになっているケースが多い。
自分の好きなことを仕事にできて満たされたいう声をよく聞く。
話を戻そう。ニーナさんが会社を興したのが14年前で、件の魔術師は6人の創立者の一人だった。
どうもその魔術師は共に仕事をしていく中でニーナさんに惚れたそうで、いざアプローチをかけようと思った矢先に彼女はオーリスさんとスピード結婚してしまい、ぶつかる前から玉砕してしまった。
ちなみにニーナさんとオーリスさんの馴れ初めについても教えてもらったが、こればかりは人様のプライバシーに関することなので割愛する。
その魔術師は当然ショックを受け、一時的に体調を崩すにまで至ってしまった。会社の同僚やニーナさんも(原因を知らずとはいえ)彼を心配し、看病に訪ねた人もいたが移すと悪いからと言って断られてしまったそうだ。
まあ、原因を知ってしまえば移るなどありえようはずもない上、そもそも細菌由来の体調不良であれば魔術で解決できるのだが。
その後仕事に復帰した彼は何かに取り憑かれたかのように仕事に打ち込んだ。表情の変化に乏しくなってしまった彼を周りの者は心配し続けたが、何かあったのかと聞いても大丈夫だとしか返ってこない。
それでも仕事ではキッチリ成果を出すので、次第に周りの者も彼は大丈夫だろうと心配に蓋をする形で見て見ぬふりをするようになった。
やがてニーナさんがロッド君を出産し、彼もそれを祝ってくれたそうだが、今になって思えば当時の彼の笑顔は引きつっていたような気がする、とニーナさんは言った。
ニーナさんはとにかく息子がかわいくて仕方がなく、その成長をことあるごとに同僚に自慢していた。
そして12年前、とうとう彼は我慢の限界に達したらしい。怒りに突き動かされて魔術で本社を全焼させ、そのままロッド君を殺そうと怨嗟の声を上げながらナターン家へと向かったが、幸いイズマピスの治安維持隊に勤める魔術師が総出で彼を拘束したのでナターン家に被害はなかった。
が、死者こそでなかったものの、事件当時"N²"の本社にいたニーナさんを含め従業員は重傷を負い、彼を止めようとした治安維持隊の一般隊士も何人か同様に重傷を負った。またその際の戦闘で多くの家屋が破壊され、甚大な被害が出てしまった。
事件を起こした魔術師はいい年をした大人なので、ニーナさんや会社に管理能力を問われることはなかったものの、事件後に彼の心理を知った際は自分の浅はかさに絶望してしまったそうだ。
また当時の子供、つまり今の20代前半の大人達にトラウマとして深く記憶に刻まれ、ニーナさん達のような今の親世代の人達も魔術に対して強い警戒心を抱くようになった。
今のロッド君やその友人達にとっては物心つく前の事件であったため、魔術に対する恐れはないようだが、もしロッド君のことが彼の友人達を通じてその親御さんに知られるようなことになってしまった時のことを考えると秘密にしておくべきだ、という結論に達したという。
友人を失うかもしれない、大人達から腫物扱いされるかもしれない、イズマピスから追い出されるかもしれない、そういった最悪の可能性を考慮すれば、確かにひた隠しにするのも頷ける。
そういうわけで彼との修行は秘密裏に行うため、街から離れた場所で行うことにしたのだが、その際の移動手段はどうもお気に召さなかったらしい。初めのうちはずっと悲鳴を上げていたが、3年もやっていたので今ではすっかり慣れたものだ。
それにしても彼の特異性には驚かされた。魔力門の脆さ、鋭すぎる感性、そして後に習得した恐ろしく精密な魔力操作。これ程に尖った個性を持つ魔術師は、少なくとも私は見たことがない。
できることとできないことが非常に明確に分かれており、初めのうちは欠点をある程度まともになるようにしようとも考えたのが、13歳まで時間が限られていること、私にも正しい指導ができなかったこと、そして何より彼の覚悟の強さに賭けることにしたので、この3年間ひたすら長所を伸ばすことに専念した。
そして何より方針の決め手となったのは、彼の人間としての本質をある程度理解したからだ。
3年間彼を指導して思ったのは、彼は感情で生きる子だということだ。だがそれは決して気分屋で制御不能という意味ではない。むしろその逆で、彼は非常に聞き分けのいい子で、家族と喧嘩したこともないのだという。
同年代の友人とは時々喧嘩することはあったそうだが、その度にしっかり禍根を残すことなく仲直りをしてきたため、友人達からの信頼も篤いそうだ。
ではどこが感情的なのかというと、これは表現するのが非常に難しいのだが、端的に言えば彼は感情で思考するのだ。
例えば友人と喧嘩した際、彼は決してその相手を悪く言わない。これは自分には自分には自分の言い分があるのと同様に相手にも相手の言い分があることを理解しているからだそうだ。
普通の人間はこういった答えをを論理的な思考から導き出すが、ロッド君は感覚と感情によって理解していた。
彼曰く、家族に自分の意見に反対された時は決して否定されることはなく、丁寧に説明して納得させてくれたから嫌な気分になったことはなかった。
だから友人にも嫌な気分になって欲しくないし、否定したくないしされたくもない。ちゃんとみんなが納得できればそれが一番嬉しいから、と。
理性と感情を整理して思考するのではなく、自分の感性で周囲の人々が幸福となる方法を選択する。彼の根底にある善性があってこそのものだろう。そしてその善性を育んだのはオーリスさんとニーナさんに他ならない。
だが、今の魔術社会では少々無防備でもある。彼の出自、素質、使用する術、それらを嘲笑うものが出てこないとも限らない。というよりほぼ確実にいるだろう。
他人の立場と意見を慮り、決して否定しない彼の姿勢は素晴らしいが、魔術社会には彼の存在そのものを否定しかねない愚か者共が大勢いる。
だから私はそういった輩に喧嘩を売られた際は、叩き伏せるよう教えた。正面から勝てそうにない場合でもそれを可能とする方法も。
結果、彼は現代の魔術社会の常識からすれば邪道、もしくは卑怯とすら呼ばれかねない程の異質な魔術を使いこなすに至った。そうなる前にロッド君には何度も意思確認をしたのだが、彼は一切迷わなかった。
もとより私が彼に自分で決めろと言ったうえ、やってしまえとも言った以上、私は否定する気もなかったのだが。
それに少し楽しみでもあるのだ。利権としがらみに囚われた悪鬼共が跋扈する今の連邦に、彼の存在が一石を投じることになるのではないかと。
とはいえ彼はあくまで一般家庭の出身なので、当然後ろ盾となるものがない。もちろん私は彼の味方だが、万全を期するとまではいかなくともそれなりに安定した学院生活を送ってもらうために、馴染みの者や昔の伝手を使わせてもらおう。
ロッド君にもとっておきの秘密兵器を渡しておいた。
他に懸念があるとすれば......私の孫だ。あの子とロッド君は同い年なので必然的に同級生になるのだが、何せ私はこの3年間、手紙の文面でしかあの子の様子を知ることができていない。
素直でいい子だったから、ロッド君と接する機会があったら仲良くできるだろうとは思うが、どうも不安が拭えない。まあ、これは当人達がうまくやることを期待しよう。
ロッド君にも仲良くしてやってくれと言ってある。
そんなこんなで充実した3年間を過ごすことが出来た。オーリスさんとも普通に話せるようになったし、彼の作る食事は本当に美味しい。私も自炊する方だが、この腕にはとても敵わない。
ナターン家の食事を摂るようになってから、体の具合が絶好調なのだ。首都にあるそこらの飲食店とは比べ物にならない。
ナターン家とお別れするのが惜しい理由のひとつだ。
ニーナさん、オーリスさん、ロッド君。ナターン家は本当に幸せに満ちた家庭だった。
私はロッド君を見送ったら実家に帰るが、今後もナターン家にはお邪魔させてくれないかと頼んだら快諾してもらえた。いつか私の家族を紹介するのもいいだろう。
ナターン家のみなさんが、また会う日まで元気でいられることを願う。
長くなったので分割しようか迷いましたが、予告通りここまでで序章は終了となります。




