退場した悪役令嬢の行先とある男の懺悔
主よ、私は罪を犯しました。
◆◆◆
なぜわたしの言い分は聞いてくれないの?
「あなたはアリスに毎日の様に嫌がらせを繰り返しているそうだな。義妹だろう、なぜそんな事をする」
嫌がらせなんて些細な事じゃない!
お父様に可愛がられている浮気相手の娘なのよ?無条件に優しくできるほどわたし聖人君子じゃないわ!
「社交パーティで嫌味を言ったそうだな。おかげで他の令嬢から相手にされないとアリスは悲しんでいたんだぞ」
社交パーティに嫌味は付き物じゃない。令嬢たちの会話を聞いた事がないの?わたしがどんな言葉と戦っているのかご存知ないのね?
「挙句アリスがお父上から貰った宝石を奪ったそうじゃないか」
あれはわたしのお母様の形見じゃない!!
「父親からのプレゼントを奪うなんてどうかしているぞ。君にだってそれを奪われる気持ちはわかるだろう。返したらどうだ?」
わたしはお父様からプレゼントなんてもらった事は無いわ!だいたい何故お父様がお母様の形見を勝手にプレゼントするの?!あの子はお母様とは血が繋がっていないじゃない!
なぜわたしだけが責められるの?!何故一言もわたしの言い分を聞こうともしないの?!
なぜあなたはいつも怒ったような顔でわたしを咎めるの?!
王宮で開かれた春の到来を祝う恒例のパーティー。その華やかな喧騒から外れた会場の隅で、わたしは義妹を隣に置いた婚約者に糾弾されていた。
なぜ?
あなたの婚約者はわたしじゃないの?なぜわたしの隣にいないで義妹をかばうの?
これでは、これではまるで……
まるでわたしは悪役令嬢だわ……ヒロインは義妹、そしてヒーローがあなた……
そう思ってみれば、父が義妹の為に新しく仕立てたのであろう薄緑のドレスは、彼の新緑のような瞳とまるで揃いのように調和していた。
くすんだ銀髪に薄い青の瞳のわたしと違って、波打つ派手な金髪と濃い青の瞳を持つ義妹は濡羽色の髪をした彼の隣に並んでもなんの遜色もなかった。
それどころか、わたしは痩せぎすで背ばかり高く、彼と大差ない身長だというのに、小柄で肉付きも良い義妹は彼の隣に並ぶとちょうど胸の辺りに頭が来て、二人が並んだ姿は一枚の絵のようだ。
それはまるで彼の隣は義妹のものであると言われているようで。
ああそうか、そうだったのね。
お父様は他の貴族と話しながらこちらの様子を伺うだけ。
お友達だと思っていた方たちはこの様子を遠巻きに見守るだけ。でもそうね、こんな騒ぎには近付きたくないわよね。
わたし、わかりましたの。
なぜ誰もわたしの言い分を聞かないのか。
なぜ彼は義妹の言う事だけを信じるのか。
どうして今までこんな事に気付かなかったのかしら。
簡単な事だったのよ。
あの場所はわたしのものではない。
わたしは誰からも好かれていないし、誰にも愛されていない。
わたしは……望まれていない。
いつの間にかわたしは、会場の隅に追い詰められていた。それはまるで今のわたしの立場そのもののよう。
後ろにはバルコニーへ通じる窓が闇夜へ誘うように開いている。浮かぶ月さえわたしを嘲笑っていた。
そう、そうね。望まれない悪役令嬢の行先は一つしかないわよね。
いいわ、構わないわ。むしろせいせいするわね。
「……今まで気付かなくってごめんなさい。フィニアス様、お父様それに皆様。……わたし、失礼しますわね」
これがきっと正しい事。
ああ、皆様、
さようなら!
◆
婚約者がバルコニーから身を投げた。
彼女の義妹に対する振る舞いが直ればいいと思って話し掛けた最中だった。
こちらに睨むような目を向け気丈に聞いていた彼女は突然、何かに気付いような顔をした。
その様子に違和感を抱いていると、今まで見たこともないような柔らかい顔で別れの言葉を告げ、そしてそのまま――……
その後両親にこれでもかと言うほど叱られた。
彼女が行いを改めるようにした事だと言えば母には呆れられた。
令嬢の嫌味嫌がらせなど日常茶飯事だと。目立つ彼女が受けていた妬み嫉みなどその程度では無かったと。
彼女付きのメイドからは、彼女が奪ったと言う宝石が彼女の母の形見である事を教えられた。
優しい父親に見えた子爵は、彼女に対して決してそうではなかった事も知った。
そんな事何一つとして知らなかった。
俺は彼女の事を何も知らない。何故彼女があんな事を言って闇へ身を投げたのか、その理由さえわからなかったんだ。
他人から聞いただけの彼女の振る舞いを信じて、彼女を非難したのは自分だと言うのに。
婚約者として彼女の傍にいておきながら俺は一体何を見てきたのだろう?なぜ一言も彼女の言い分を聞こうとしなかったのだろう?
自責の念は彼女に会ってより一層酷くなった。
彼女はいなくなっていた。
バルコニーから落ちた彼女の命に別状は無かったが、長い昏睡の末に起きた時何も覚えていなかったのだ。
否、周りの事は覚えていた。
昏睡する彼女に一人寄り添い続けたメイドの事も、子爵家に迎えられた愛人の子である義妹の事も、婚約者である俺の事も。
ただ彼女は自分自身の事を一切忘れていた。
「私はルナよ」
彼女はルナと名乗った。
「ミラはいないの。彼女、いなくなっちゃったのよ」
子爵令嬢であったミラはもうここにはいないのだと言った。自分はミラの身体に入った別の誰か、彼女は自分の事をそう言った。
気が触れてしまったんだと子爵は言った。
こんな娘は子爵家に置いてはおけないと、彼女を遠い修道院に追放して隠そうとしていた。
だから俺が彼女を貰うと言ったんだ。
あの後両親は侯爵家を弟に継がせることにしていた。俺は王宮のパーティーであんな騒動を起こしたのだから当然だ。
そうでなかったとしても、俺は彼女を連れ逃げ出す事にしていただろう。自分が犯してしまった罪への贖罪になると信じて。
例えそれが彼女の望みではなかったとしても……
次期侯爵としてではなく接した子爵は今までの態度が嘘のように冷たかった。彼は姉の代わりに義妹を次期侯爵の婚約者にしたかったのかもしれない。
今はもう関係無いけれど。
彼らから押し付けられるように奪った彼女と共に、俺の両親が用意してくれた田舎で暮らし始めた。
侯爵領の奥地にあるその一帯の管理を俺に任せるという名目で。
小さな屋敷には彼女のメイドと他の数人の使用人が両家から付いてきてくれた。
そんな彼らに彼女は、ありがとうと言った。こんな田舎までついてきてくれてありがとう、と。そして俺に、生活の面倒を見てくれて、こんな立派な屋敷を用意してくれてありがとう、と言ったんだ。
「俺は……君に礼を言われるような立場じゃない」
「……でも、ルナは嬉しいと思ったの。だからありがとう、なのよ」
微笑んで言った彼女の表情は、俺の知らないものだった。
どこまでも続くかのような草原に囲まれたこの長閑な村で、彼女はよく笑った。
少ない使用人にも分け隔てなく接し、周囲の村に住む農民たちとも積極的に関わり、とても楽しそうに毎日を過ごしていた。
知らない顔を見せ、知らない声音で話す彼女はもうミラなどいないと断じているようだった。
だが本当にそうなのだろうか?
君の顔を思い返そうと思っても、俺は君がどんな風に笑っていたのかわからないんだ。傍にいたはずなのに、君はどんな顔をして俺の隣にいてくれたのか何も思い出せないんだ。
……俺が知らないだけで、本当の君はあのルナのように無邪気に笑うのかもしれない。
誰も彼もがみな、変わってしまった彼女を受け入れた。
何も知らない村人たちは当然にしても、以前の彼女を知る使用人たちでさえ彼女がルナでいる事になんの違和感も持っていないようだった。
「お嬢様が幸せそうなら、わたくしどもはそれでいいのです」
彼女のメイドはそう言った。以前の彼女は幸せではなかった、暗にそう言われていた。
「ですが……本当は、お嬢様は……」
出過ぎたことかもしれませんが、とメイドはある一冊の本を渡してきた。
彼女は恋愛小説を隠れて読んでいたそうだ。そしてあのパーティの直前まで読んでいたのがこの本だと言う。
それは嫌われ者の令嬢に別の魂が入ってしまうという話だった。別人の魂が入った令嬢は性格が変わり、今までの嫌われっぷりを覆すように周りから愛された。
その別人の魂という主人公の名はルナ。彼女が名乗った名前だった。
さようならと言うのはそういう事だったのか?
自分が自分でなくなれば愛されると思ったのか?
君は誰からも愛されていないと思っていたのか?
なぜ?!
俺は君を愛していたのに!!
こちらから望んだ婚約だった。俺が親に頼みこんで彼女に婚約を申し込んだんだ。
君のその誰にも傷つけられず一人で凛と立つ姿を、気づけばいつも目で追っていたから。
彼女が婚約を受けてくれたと知った時、彼女が俺の気持ちを受け入れてくれたのだと喜んだ。
けれど俺の気持ちは何一つ伝わっていなかったのか?
俺は君にちゃんと伝えられていなかったのか?
俺は君に何をしてしまったんだ?!
ああ……そうか……
今までもあんな風に彼女の行動について申し立てた事があった。
だがその度に彼女は他には何も言わず、
『承知致しました』
と言って微笑んだから全てわかってくれていると思っていた。彼女の為を思っての事だと。
醜い嫉妬や幼稚な嫌がらせなど美しく聡明な君には似合わないから。
未来の侯爵夫人として相応しい振る舞いこそ気高い君に似合うと思っていたから。
でもそんなのは俺の押し付けでしかなかった。
本当は君はどう思っていたのだろうか?
君は一度だって俺に自分の気持ちを言ってくれた事はなかった。
あの日に犯した罪だけじゃない。
俺はずっと彼女の為と言いながら彼女を追い詰め続けていたんだ。
あの時、伸ばした俺の手を振り払うように君は落ちていった。
当たり前だ。君を奈落へ突き落としたのは他ならぬ俺自身だったのだから。
ミラ、君はまだ、俺が突き落とした奈落の底にいるのだろうか?
どれだけの時間そうしていたのか。
暗い居間のソファでうなだれていた俺の顔に月光がかかった。雲に埋もれるようにあの日と同じ、冷たく突き放すような三日月が覗いている。
「フィニアス?」
暗闇から声がした。
「どうしたの?珍しいね、眠れないの?」
目を向けた先には、彼女がいた。
闇に埋もれるその顔は見えず、白い夜着を着たその肢体がぼうっと浮かぶ様に、あの時の落ちていった彼女の姿を思い出して背中がゾワリとした。
「それとも……後悔してた?こんな田舎に来ちゃった事。私を……選んだこと」
「なにを……」
馬鹿なことを言うのかと、伸ばした手を彼女はよけた。
彼女の声は、昼間の明るさが嘘のように暗く沈んでいる。その声色はまるで、以前の彼女のような……
「だってあなた、アリスの事が好きだったんでしょ?」
雲間から差した月光に照らされた顔は、あの日見た睨むような目をした気丈な表情だった。
そう……か、そうだったのか、彼女はいなくなっていたわけじゃなかった。
ずっとここにいたんだ。彼女はずっとルナを演じていたんだ。彼女は……ミラでいる事をやめてしまったんだ。
……俺の、せいで。
「違う!!違うんだ……ミラ……」
君はずっと俺がアリスに懸想していると思っていたのか?君のことを嫌っていると思っていたのか?なら何故君と婚約したと思っていたんだ?
だが、君にそう思わせてしまったのは俺自身なんだ。
「彼女のことはなんとも思っていない。あれは……君に……そんな振る舞いをしてほしくないと思った俺のわがままだったんだ。真偽を確かめずに君を非難して本当に申し訳ないとおもっている……」
こちらを見据える君と正面から相対しているとあの日のパーティーを思い出す。
誰も寄せ付けず一人凛と気丈に立つ強い姿は会場のどこにいたって俺の目を奪った。
だが違ったんだ。彼女のそれはただの強がりだった。今も、あの時も、きっとずっと前から、君は自分を守るために強いフリをしていただけなんだ。体が震えることのないように、足が竦んでしまわないように叱咤してなんとか立っていたんだ。
君の姿はこんなにも、触れれば消えてしまいそうな幻のように頼りない。
「けれど俺が……、俺の隣に立ち共に歩んでいきたいと望んだ相手は君だけだ。君だけなんだ」
ミラの瞳が揺れている。
きっと、俺の言う事を信じるべきか迷っているのだろう。……俺のことはもう信じられないのだろう。
それでも、俺にはもう君に言葉を尽くして伝える事しか残されていないんだ。
俺が馬鹿だった。本当の君を知らないで好き勝手に言って押し付けて、追い詰めて、あんな行動を取らせてしまった。闇に身を投げた方がマシだと思わせてしまった。
でも俺は断じて君にそんな事をさせたかったわけじゃないんだ。
君の銀髪が好きだ。月明かりを受けて輝くそれはなんて魅力的なのか。
君の青い瞳が好きだ。薄く消えてしまいそうなその色は、だがなんて力強く見えるのだろう。
君の意志の強さを感じるまなざしも、媚びることのない凛とした佇まいも、君の全てが好ましい。
君の身長は俺と大して変わらないから、俺はいつだって君のその顔を、その表情を真正面から見る事ができた。俺はその事がとても嬉しかったんだ。
君は聞きたくないかもしれない。
どれだけ言葉を尽くしても君には届かないだろう。
それでも俺は君に伝え続けなければならない。君は知っていなければならないから。
どれだけ愚かな男がどれほど愚かな愛し方をして君を奈落へ追いやったのか。
すまない、ミラ、
「君が、好きなんだ……ミラ……」
「……ミラはいないわ」
そう答えた彼女の表情は、紛れもなくミラのもので、いつも彼女が見せていた微笑みだった。
ああ、けれど。君は、こんなに悲しそうな、泣きそうな顔をしていたのか。
ずっと君を真正面から見てきたはずなのに、俺はこんな事にも気付かずにいたんだ。
伸ばした手は届かない。何故なら罪深い俺の手にそんな資格はないから。
俺の事を許してくれなくていい。許される事だとは思っていないから。
ただ、これから先君の傍に居続ける事は許してほしい。君が君を取り戻すまで。
例えその時望むのが俺の隣でなかったとしても構わない。
その時までは、君だけを見て君の声にだけ耳を傾けていたいんだ。
頑張ればハッピーエンドにたどり着けることでしょう。