原初より、伝えられし音
酒場に逗留しているシンが、ラドの一族だと知った街の権力者はこぞって家に招待した。シンはそれに慣れているので、一人で出かけていった。
私は留守番し、出かけないように厳命されている。
「カイラスが困っていたら助けるけど、出来れば困ることになって欲しくない」
本当に友誼に厚すぎる。
セフィラに褒められたい願望もあると正直に告白していたので、微妙な気分にはなったけれど。
あの一族のセフィラ好きは病的だ。
彼が軽く逃げていくことが予想できる。
いやぁ、めんどくさいじゃないですか、とか言いそうで。
酒場でリュートをつま弾く。
店主は今日は、休みにすると宣言していた。遠くに仕入れに行くと言っていた。夕方には戻るから出かけないようにと念押しをしていて、過保護だなと笑ってしまった。
今日は一人で留守番だ。
逆に危ないのでは? と思うが、仕方ない。
一人なので何も気にせず歌を作ることに没頭出来る。
遠き雷。
呼ぶ声は敵を。
望は死を。
誉れを
捧げよ
捧げよ
加護を受けし者よ
信じよ
誓いを
遠雷は竜の声
討ち果たすのは我ら
誉れを
「……赤金の鱗が光る。
牙が爪が、大地を裂き、森を壊す。
触れることも許されず、地に伏すもの。
矮小なりし人の子」
どうにも収まりが悪い。古典的な手法なのがダメなのか。
いくつかの言葉を足したり引いてもしっくりこない。竜の恐ろしさを強調したいところではあるけれど、長々語ってもつながりが悪くなるだけだ。
どのくらいそうしていただろうか。
日が傾いてきたのか、酒場の中が薄暗くなってきた。灯りを付けておくかと立ち上がる。さすがに腰が痛い。
「カイラスーっ! にげてーっ!」
ばーんと扉を開けてシンが転がるように入ってきた。
「は?」
「とにかく今は逃げる」
手をつかまれて裏口から走り出す。
一体何があったのかわからない。
「事情はあとで言うから」
引きずられるように町の外まできた。
それなりに体力はあるけれど、さすがに息があがる。
「……で、なに」
「ローグリアから使者がきてた。宮廷楽師として迎えたいって」
「あー、うん、ナイス判断」
見つかってしまった。これでこの地ともおさらばか。
感慨深い。
いつかセフィラと別れた丘から街を見下ろせば、金色の麦の穂が揺れていた。
「荷物まとめてさっさと出るべき。さすがに国力が違うし、別に罪人じゃあないからあっさり渡されちゃうよ」
「そうだよねぇ。店主が今日はいないんだけど」
「それも仕向けられたみたい」
何とも言えない顔でお互いを見合わせてため息をついた。ご迷惑をおかけしますと頭を下げなきゃいけない。
「シンもごめんね」
「いいって。今度は二人旅しよう。これはいよいよセフィラに会わなきゃ割に会わない」
本音がだだ漏れしている。
「まあ、今日はここで夜明かししようか」
「そうね」
シンが常に持ち歩いているという虫除けの香炉に火をいれた。
独特の匂いが辺りに満ちる。
火を付ければ誰かいるかわかってしまうので星空だけで夜明かしになる。野生生物避けもかねている香炉は高級品だ。
ラドの一族はこう言うものを開発するのが上手だ。
裏技でズルと言ってはいたが。
私の一族も相当のズルをしている。
祖父から引き継いだ、魔法の詩。
「残りの話もしてしまおうか」
国から追われるとは尋常ではない。シンはそれでも聞かずに済ませてくれるだろうが、黙っているのも公平ではないだろう。
聞いても友情というモノが残っていて欲しいと願ってはいる。
「呪歌って知ってる?」
「うん? ラドのお話では聞いたことがあるな。祖先や親族もちょっと会ったことがあるって」
「あれは詩とは違うの」
人の言葉ではない。
世界に語りかける専用の言葉で作られた圧縮された言葉。1音に文章量ほどの意味を込めて、謡う。
通常、人には聞こえない音だ。
「魔法のような、ものかな」
祖父が言うには、世界は一度滅びたという。
その滅びた世界の言葉だ。
世界を意のままに操ろうとして、滅びたもの。
特定の血を引き、才能があり、努力して、ようやく開花するかもしれないもの。
私に芽生えてしまったもの。
「ああ、セフィラが、護衛とか言ってた理由がわかった。そっか、そーなの」
「言ってないけど」
「……あれ、言ってないの? 何か他の考えがあったのかな。でも、間違いはないから大丈夫」
自信満々に言い切るシンに苦笑する。セフィラがとても万能のように言う。
風がそよそよと通り抜ける。生ぬるいそれが夏が近いことを知らせる。
あれは春の終わりのころだった。
雷鳴を聞き、北方の街に急ぐ。
既に蹂躙された街と傷を負う竜。
それは苦闘の末に討ち果たされる。
わざと置いて行かれた私が、ついたときには、既におわっていたのだ。
なにが、戦いを謡えというのだ。
なにも見せなかったではないか。
それが、彼らにとっては優しさであったことに気がついている。
それでも、連れて行けと。
ふざけたことをと悪態をつきながらも胸の奥に焦燥と不安が渦巻く。辛うじて絶望はしなかった。
竜は討ち果たされた。
これで彼らは帰れる。
街は焼け、さながら戦争があったようだった。
あるいはヒトならざるモノとの戦争ではあった。
傷を負うものは多く、ばたついた中で、私は彼らの行方を聞いた。
顔を知った者に出会ったときにはほっとした。怪我をしているのか包帯を巻いていたが、確かに歩いていたし、欠損はないようだった。
「……大体は、無事というか命の危機は脱しました。幸い、治療術師が怪我もせずにいたので」
隊長もアドルファスも意識不明ながら、生存はしている。命の危機とまではいかないようだ。他の人の話の中に聞こえない名前が一つ。
嫌な予感はしていた。
連れて行かれた天幕は、しんと静まりかえっていた。他の場所では治療を待つけが人のうめき声や話し声が聞こえるのに。
「ディグラ、入るぞ」
返事を待たずに、入る彼に続く。
血臭と奇妙に甘ったるい匂い。
その匂いを私は知っている。それは今も隠しにいれてある。
痛みを消し、体を無理矢理動かすための薬。
一人で旅をしているときにどうしても無理をする必要があるときにだけ使うように言い含められていた。
それを使ったあとの体がどのくらい持つかはその無茶にもよる。
加えて薬の切れたあとの反動は、苦しい。
死ぬかどうかの瀬戸際でも使うのを躊躇するくらいのもの。
「ああ、やっぱり、運が良いな」
椅子に座らせられているようだった。くるりと布で覆われていて顔くらいしか見えない。
妙に白く、穏やかな顔。
「外にいるので何かあれば、呼んでください」
聞こえた声に振り返ることもなかった。
「なにか謡ってくれよ。楽しそうなの」
笑う姿に言葉が出ない。
なぜと問うこともできない。
彼らは、こうなることを知っていた。一人残らず死んでしまっても、構わないとさえ考えていたように思う。
それが、これだけ残ったのだから良い事なのだろう。
「わかりました」
物わかりの良い吟遊詩人のように、気持ちを飲み下して床に座る。
死を前に詩に慰めを求めて、死の床の呼ばれることも時折ある。死には慣れている。
ただ、知っている人が、死んだ事はない。
「はるかなりし国の酒飲みの名はディ。
昨日も朝から酒を飲み、
夜遅くまで飲んで、
樽は空っぽ
楽しい記憶も空っぽ」
バカらしい歌を。
心も弾むような歌を。
おかしな歌を。
止まりそうな声と指を必死に動かして歌う。
これから、故郷に帰れるのではないか。
汚名をそそげるのではないかと。
どうして、自分だけがと言わず笑うのだと胸ぐらをつかんで揺すってやりたい。
しかし、私はただの吟遊詩人で、部外者なのだ。
「ごめん、それから、ありがとう」
小さな声に手を止めた。
「大丈夫だから」
こちらを労るような声に、吟遊詩人の仮面が崩れかける。
「……なにが、大丈夫なの。私は、こんな歌、歌いたくない。めでたしめでたしで終わる歌しか作りたくない」
腹の奥からなにかが、渦巻いているようだった。
重ねて小さく、ごめんと呟かれた。
誰かを呼ぶように願われた。苦しげになる息が、薬が切れたことを示している。
それは、おしまい、ということ。
「認めない」
使える日が来ないといいと祖父は言っていた。
使うものには呪いにしかなり得ない一族に伝わる歌。
息を吸い込んだ。
「最初の音は、『 』、原初より、伝えられし音」
その歌の音は、『 』、しかない。人の耳では聞き取れない特別な言葉。
だだの1音で、世界は、意を汲む。
声の限りに、謡う。
世界に願う。
損なわれた者を戻すように。癒すように。
あとから聞けば、地面から白い光が現れ、人々を覆ったという。
一夜歌い続けばったりと倒れ、一昼夜意識不明だった私にはわからないことだ。冥界の深き川のほとりなのか懐かしい声に説教された。
目覚めてしばらくは、声も出なかった。
吟遊詩人として終わったと思えば、さすがに落ち込んだ。
礼は言われたが、それ以上に心配からの説教は人を替えて山ほどされた。死んだかと思ったと、生きててくれて良かったと言われれば大人しく拝聴するしかない。
反論しようにも声が出ないのだから仕方ない。
一月もしない間に戻った時には嬉しくて、一晩中歌い続けて怒られた。また、声が出なくなって説教もされた。
ディグラは、二月もの間、眠ったままだった。光の膜に覆われて、そこにあるが生きているかさえ定かではない。
竜は、大きなトカゲのようだった。
物語の中のものとはちょっと様子が違う。現実的なモノというのはこういうものなのだろう。
それの鱗を剥いだり、解体などしたりと街の皆も忙しいそうだった。私は手慰みにリュートをつま弾いたり、相変わらずご飯を作ったりとしていた。
光が現れ癒されたことは奇跡とされ、私の仕業だということは隠された。
あの日から三ヶ月と少したった頃に故郷へ帰るという彼らに同行したのは、もはや強制だった。
証拠の品は馬車に載せたが、証人としてと言われれば断りづらい。
その旅は、あちこち寄り道をしたものだった。
竜の頭部の骨を各地の有力者に見せたり、大量に手に入った鱗を数枚進呈したりと実績のアピールに余念がない。
そのまま戻ればもみ消されることも考えられるなら、これもありなんだろう。
私もその様子を語ることを求められたが、いなかったものは語れない。
聞き取り調査をし、空白を埋めるという謎の作業に明け暮れる羽目になるとは思わなかった。
明らかになったのはディグラの驚異的な戦闘能力と身体能力と根性ってヤツだった。
人なのか、と呟いたくらい。
完成したそれを隊長に見せようとしたが、彼は不在だった。
代わりにアドルファスが渋い顔で報告見ていた。書類仕事は苦手だと言っていたが、代わりはいないのだから仕方ないとぼやいている。
「国一番の騎士だ。あれでも」
アドルファスが複雑そうな顔で言っていた。隊長が不在の時は、相談するように言われていたので良く顔を合わせるようになった。一時、全く顔を見なかったので心配していたのだけど。
口にしたら嫌がりそうな気がするので黙っているけど。
彼は完成した当日の戦闘全容を見ても渋い顔をしていた。
バカなんじゃないかと呟いていたが、その通り。誰かがしたミスのフォローが早すぎる。その結果で浅い傷を無数に受けても、それが深くなっても立ち続けたと。
秘薬はおそらく最後の方で使われたのだとわかった。
ぎりぎりまで、生き残る選択を残していたことにほっとした。
「ディグラは、もう、家族も名乗るべき家名もない。だから、だろう」
「そういうのは好ましくありません」
「吟遊詩人に謡われる最後なんて上出来だと言っていたがな。ざまあみろ」
目覚めても当の本人は半日以上寝て過ごしている。元通りになるかはわからない。他の人にしても傷がひどい人には癒しは完全ではなかった。日常生活に困らないくらいでしかない。
元のようには戦えない人ばかりになってしまった。
それでも感謝されるのが、納得がいかない。
そうして、国に戻り彼らは歓声の中、迎えられた。
その二日後、逃げるように国を出て、今に至る。
「……で、ロマンスは?」
シンが真顔で聞いていた。
真面目に話を聞いていたのだろうか?
「ないの知ってるでしょう?」
「聞いた話と微妙に違うような。でも、呪歌がばれた、と思ってるわけね」
「違うかもしれないけど、次も求められるかもしれない」
「あれは特別だと知っていても、親しい人が死にそうになったり怪我をしたら、願うかもね」
ごろりと寝転べば星空が輝いている。
「明日からは星空が屋根で、大地がベッドな生活になるよ。慣れてるとおもうけど」
シンが妙に楽しげだった。
「久しぶりに賑やかになりそう」
妙な胸騒ぎがするのはなぜだろう?