落日の白
目蓋が腫れぼったい。私は井戸水に布を浸す。目元にあてればひんやりとした感触が気持ちよい。
吟遊詩人の夜は遅い。それに伴い朝は大分遅かった。
太陽は既に高く、通り抜けた厨房では酒場の仕込が始まっていた。
世界が終わったような気持ちで泣いても朝は来てお腹は空くものである。
おそらく確実な未来を予想して泣いても良いことはないと知っていても心折れる日はある。
中途半端な実力が、良くない。もう少し、生活できないくらいに劣っていたら諦められたかもしれない。もう少し、人目に止まるほどであったら貴族の家に雇われたかもしれない。
しかし、それには少し多すぎて、少し足りない。
お嫁さんになればよいのに。
記憶の中の金髪の青年はそう言って笑った。なるほど、それで自由を捨てるのかと思った私はやはり足りなかったのだろう。
想いはくすぶっている。
それもいつか何かに化ける日がくると信じたい。
「ああ、恋歌が聴きたい」
「おはようございます?」
不覚にも人の気配を感じ取れなかった。昨日の詩人がいた。名前、と思い出そうとするが、名乗ってすらいなかったことを思い出した。
相手は知っていて自分は知らないのは微妙な気持ちにさせるが、今更聞くのも気まずい。
彼もさすがに昼間は軽装なのか、シャツにズボンというどこにでもいそうな格好だった。寝起きとは思えないほど小綺麗な格好だったので、こんな裏手に何の用があったのだろうか。
「ご要望とあれば、歌うこともやぶさかではありませんが?」
男の声が笑っていた。私は赤面する。大変恥ずかしい。大体のことは恥ずかしいとは思えなくなったと思ったのだけど。
「……何が良いと?」
唸るように問いかける。その選曲が気になったのは職業病だったのだろうか。
ごまかせば良いとは思わなかった。
彼はゆっくりと瞬いて、あごに手をあてる。
「落日の白などいかがでしょう?」
「恋歌?」
「たどり着かなかった想いが恋ならば」
なんだか、ひねくれ者、なのだろうか。
落日の白。
私は冒険譚と分類していた。
しかし、たどり着かない思い、ときたか。
私だったら、星より遠い、追想、なんてのを選びそうだ。片恋の詩ばかりでひっそり心沈む。吹っ切れてなんかいないのだと思い知らされる気がして。
何者にもなりきれない。
覚悟が足りていない。
指摘されるまでもなく、自覚はしている。
千年残る詩を残そうとした先達のようにはなれないと。
思っていたのに。
「聞かせて貰ってもよいのかしら」
「楽器を持ってきましょう。これで新しい歌が出来れば良いのですが」
余計なお世話だ。
しかし、新しい発想が出るかも知れないので聞かないとは言わない。
身支度を調え酒場に顔を出した頃に彼は上階から降りてきた。あまりここら辺では見慣れない楽器を抱えて。
夜の準備をしていた店主に一声かけておく。邪魔にはしないだろうが、仕事が中断するかもしれない。
ここの店主は本当に歌が好きだ。
彼は無造作に座って楽器の調律をはじめる。
「聴く前に名前を伺っても良いかしら」
「あ、ああ」
急に何を言われたのかときょとんとして、それから笑った。
「セフィラ」
懐かしそうに大切な言葉のように彼は名乗った。
それを名乗る意味を知るから、ため息が出た。
聞かなければ良かった。
セフィラ。
これにはいくつかの意味がある。
現在も存在する国家としてのセフィラ。
境界線上の魔王を謡ったセフィラ。
そして、もう一つ。
「収集家セフィラ」
「ん、よく知っていました」
子供を褒めるようにセフィラは言う。彼からしたら私なんてヒヨコも良いところだろう。
それは生きる伝説だ。
新作の歌があるところにやってきては歌をねだり去っていく。ただ、それだけなのだけど、記録に残っているだけで数十年、怪しい証言を含めると数百年語られる名だ。
一説によっては境界線上の魔王を謡った吟遊詩人と同一ともされる。
だとすれば何百才だというのだろう。
そういう背景もあってその名を名乗る吟遊詩人はいない。
なぜなら彼はこの世の歌を全て集めて、正確に歌うという。
名を騙るならばその証明をしなければならない。際限なく歌を歌わされる。一つの音の狂いも許されず。
昨日の歌を聴けば嘘とは言えない。
背後で話を聞いていたであろう店主がなべの蓋を落下させていた。
店主の質問攻めの気配を感じたのか気負った様子もなく、彼は弦をかき鳴らす。
「落日の白」
古い物語曰く、
この世の果てより遠くに白い砂漠があり、果てがなく、いつしか元の場所に戻されるという。
これはその真実を求めた少年の物語。
きらめく白の砂にただ立つ番人が一人。
対峙するは遠い祖先。
この先は何があるのだ。
これより先は人の世の果て。
帰るが良い。
まだ幼げな番人と言葉を交わしたと伝える夢物語を聞き続けた童子。
いつかの寝物語に聞いたそれを忘れず童子は少年になった。
少年が旅に出るのも時間の問題だった。
その世界の果てがあるのかと見に行くと。
そして、少年はたどり着き番人に会う。
この先はなにがあるのだ。
これより先は人の世の果て。
帰るが良い。
番人は妙な顔をして少年に答える。
また、来たのか。
少年は笑った。
貴方に会いに来たのだ。
祖母の足跡を追って。
思いを辿って。
番人は思案し、呟いた。
ああ、あの人はもういないのか。
番人はどこからか取り出したのか白き花を差し出す。
楽しかったと伝えてくれ。
少年が答えを口にする前に遠く故郷の墓標の前に。
あたりを覆い尽くすほど白い花と共に。
出会いの時に咲いた真白き花。
寝物語に聞いたそれは正しいと少年は笑う。
落日の白と名付けられた花はかの一族を彩る。
踏破せし一族として。
最後の一音が消える。
息を詰めていたことすら気がつかなかった。
これは記憶にある落日の白とは違っていた。
概要はあっていても全然違うモノになっていることはよくあることだ。
しかし、衝撃だ。私は頭を抱えたくなった。
落日の白はラドの一族の少年の詩だ。
昨日聞いた境界線上の魔王で最初に番人に会ったとされる人の孫とされている。実際はどうなのか不明だが確かにあちこち旅して回ったことと彼以降は象徴として白い花を持っている。
私も現物を見たことがあるが、現実離れした白さだった。白い布さえもくすんだ色と思えるほどに。
歌われるラドの一族は大陸でも有名な存在だ。
美しい白い花を彼らは飾り、各地を旅して回っている。
彼らの生業は冒険家、あるいは地図製作だ。未踏地域を知るや探索に乗り出す。新しい道を作るとしれば実際歩きに来る。新しい街も、村も全て記載しなければ気が済まないんだろうかと私も思う。
知り会いに一人だけいるが、セフィラ国に行くと言って帰ってこなかった。居心地がいいのか別のところを放浪しているのか。
セフィラに一度でよいから会いたいと切望していたが、ここにいるとどう知らせたら良いだろうか。
でも、あの熱狂としか言いようがないものは迷惑ではないだろうか。
ちらとセフィラを伺う。
何でもないような顔に見えるが妙に緊張しているような?
「どうでしょうか?」
この解釈は聞いたことがない。
番人が特別な何かを持っていたとも、ラドが特別に思ったことも。
少年が故郷を出て旅の果てに番人に会い、象徴としての白い花を得る。
そんな冒険譚としてしか。
それらが加わった代わりにその世界の果てがあるのかと見に行くと。から、そして、少年はたどり着き番人に会う。までがざっくり省かれた。最初からなかったかのように痕跡すら残していない。
改編するにしても大胆すぎる。
それにしても恋歌でもこれは悲恋じゃないだろうか。
「少々、気恥ずかしいものですね」
楽器を下ろし彼は隣に腰掛けた。店主がそっと出した水をちびちびと飲んでいる。白い肌に朱が散っているところを見るとホントに恥ずかしかったようだ。
出来が良いどころか。
「目から鱗が落ちるようでした」
「いえ、若気の至りといいますか」
「?」
「少しは気晴らしになりましたか?」
「へこまされました」
彼は苦笑した。それについては勝手にこちらが落ち込んでいるので、気にしないで欲しい。
「どちらの思いがたどり着かなかったと?」
彼は肩をすくめて答えなかった。
「完成度が妙に低いような気がするのは気のせいですかね」
店主が余計なことを言い出した。
……うん。
もうちょっと洗練させても良いとはおもう。セフィラもちょっと変な顔をしているのでこれ以上、突っ込まないで欲しい。
セフィラの収集癖は改編されたものにも及ぶと聞いているし、完成度関係なくそのまま覚えるらしい。
形式がちょっと崩れていたって良いではないか。
新しい解釈ってだけでも衝撃があるモノだ。
「練習がてらちょっと直してもよいのでは」
微妙な顔のままセフィラが提案してきたときにはいたたまれない気分になる。
店主もそうだそうだと肯いている。
歌を聴かせて貰って、その歌に駄目出しとかいたたまれない。
「いっそハッピーエンドに変えれば良いのかしら」
別な歌にすれば気にもならないかも知れないとおもったのだが、思いっきりイヤそうな顔をした彼に私は吹き出した。
完璧そうなセフィラの意外な弱点にちょっとだけ安心したのは秘密だ。
セフィラが作った歌というのが出回っていないのは、本人が歌を作るのが苦手としている説は案外あたっていたかもしれない。
『追憶』
白の花咲く季節にあった君の血族がここに来て知った。
長く時が流れたことを。
荒野の黄色の風が吹き荒れる時に現れて君を知った。
踏破すべき道の全てを記す野望を持つ君を。
晴れ渡る青の朝に去った君はまた来ると言っていたが、
もう来ないことは知っていた。
時が足りないだろうと知っていた。
人の世の果ては遠く、君の望みは果てしない。
忘れたのは、人の世の季節。
知らなかったのは己の望み。
失って、あの時は楽しかったのだと思い出す。
白い花咲く季節にあった君に白い花を贈ろう。
君を忘れないように。
君が忘れられないように。
君の望みが継がれていることを知った喜びに。
……即興で作ったにしてはそれなりに形になったと思う。
たぶん。
「60点」
店主の点の付け方は辛口だ。
「それでも前よりマシでしょうね」
隣のセフィラがひっそり落ち込んでいる。
手の中のグラスをもてあそんでいるが落っことしそうでひやひやする。
「店主、仕込は終わったのですか」
冷ややかな彼の声にはっとしたのか店主は仕込に戻る。
「私は良かったと思いますよ」
慰めるように彼に声をかければ、にこりと笑われた。
「ようやくわかりました」
「は?」
「バカにしてるのかとよく言われた理由を」
呆気にとられている間に彼はふらっと店を出て行った。
「なにあれ」
「逆に良かったと言われたらどう思います?」
……なるほど。
私なら逆ギレするかもしれない。完璧に謡える詩人にそんなことを言われたら嫌味かと思う。己が不完全なことを棚上げして。
「悪気はなかったんだけど」
「なおさら悪い」
せっかくの伝説の吟遊詩人なのに出て行ったらどうしようとぼやきながら店主は仕込を続ける。
とどめを刺したのは私かも知れないけど、余計なことを言ったのは店主だ。
へそを曲げたのかこの日は戻ってきても一度も酒場には降りてこなかった。麗しき吟遊詩人の噂を聞きつけてやってきたご婦人の一団に問い詰められている。
私はそれを甘ったるい恋歌を歌いながら、知らんぷりを決め込んだ。
きっと自業自得と言うヤツだろう。