第67話 ひとまずの平和
技術革新に関して、私ができることは少ない。あれこれと知識を持ち出したところで、私は専門家じゃない。鉱石見せてくれるなら、それがなんであるかは調べたうえでわかるけど、こっちの世界には顕微鏡もないし。
「本当に、昔の世界なのよねぇ」
いまだベッドから離してもらえない私は、窓から外を眺めてつぶやく。
どうにも、これ幸いにと屋敷の者たちが私を長い休息にぶち込もうとしているようだった。
起き上がろうとすると「働きすぎ」とか「旦那様のご命令ですので」とかの決まった返答がやってくる。
押し問答を繰り返しても意味がないと判断して、私は書類整理の用意だけをさせて、ご厚意に甘えることにした。
「うぅん、でも心配ね……ちゃんとできているかしらあの人たち。書類を確認する分には問題はなさそうだけど?」
ないものだらけの世界なのだなと今更に気が付く。車もないし、スマホもない、パソコンもない。その生活に慣れては来ているし、なんだかんだと領主の妻という地位にいるおかげかそこそこの生活も出来ている。
以前じゃ考えられない莫大な権力も手に入れて、ある意味では順風満帆だ。
その分の責任というものが、のしかかっては来ているのだけども。
「戦争特需なんて嘘ね。むしろ出費の方が多すぎるわ」
それでもって書き記される数字を眺めるとちょっとため息も出てくる。
一時的な赤字なのだけど、じゃあこれを取り戻すのにどれだけ働かせなきゃいけないかを考えると頭が痛くなってくる。
蒸気機関作ろうとか騒いでいる場合じゃないわね、うん。
「休めと伝えさせたはずなのだがな?」
ガチャリと、ドアが開くとゴドワンが姿を見せる。彼、何気に朝いちばんには様子を見に来てくれるのだ。まぁ、建前では私たち、新婚だからね。それに、この人は基本的に、根が善人なので意外と優しい。
領民にも公平な姿勢を見せているし、出自も大して問わない側の人だった。単純に能力を示せばそれ相応に起用はする。とはいえ、いきなり重役を任せるというわけじゃなく双方にとってのバランスもとる。その塩梅が絶妙なのだ。
「ノックもなしというのは失礼じゃありません? 例え、夫婦でも」
「これまで、ノックは欠かさなかったが、お前は気が付かなかったと思うが? 仕事もいいのだが、お前は働きすぎだ。まくらの代わりに書類の束が置いてあったのを見たときは呆れたぞ」
「う、それは……」
元いた世界でも結構やらかしていたことだわ……仮眠室にまで残った仕事もっていって結局延々と整理してたこともあったっけ……いけないわね、癖っていうのは抜けきれないものみたい。
「フン、そんな仕事好きなお前の為に、報告だ。ハイカルンへの攻撃が決まった」
「……そう」
まぁ、そうなるでしょうね。
「前回の流れで、奇しくも我が方は準備が整っている。すぐさま出陣が可能となっている。そこにダウ・ルーをはじめ、いくつかの同盟国との連合軍が結成される。完全な包囲網だな」
「ということは、私たちの出番はない感じ?」
「馬鹿を言え、鉄の供給は続ける。ただ、兵士たちには休息が必要だ。それぐらいはもぎ取れる。こちらは王子と姫を守り通したのだぞ?」
「それもそうね。第一、こっちの兵力の過半数は難民だものね……」
「連中はやる気だがな。止めはしないが」
あの人たちは、正確にはまだ領民じゃないからね。
「それと、コスタの方でも動きがあった。前回の王子襲撃を宣伝して回ったこともあってか、大半の商業ルートがハイカルンから離れていくとのことだ。こちらの提示する物資が魅力的だというのもあるらしいがな」
「良質な鋼、石炭、それはそうでしょう。ダウ・ルー程じゃないにしてもお塩も用意できるようになってきましたし」
「あぁ、だがそれでもハイカルンの動きが止まらないのが疑問だな……もはや勝ち目などないというのに。ハイカルンの王はそこまで愚かではないはずだが」
むしろ、どうしようもないからやけになっているんじゃないでしょうね。
そうなると殲滅戦になるってベルケイドが言っていたような気がする。
「そもそも、ハイカルンの内情はわからないんですか?」
「鎖国状態だからな……だとしても不透明すぎるのは気味が悪い。いくらなんでも、一国がここまでかたくなになれるものか……皇国とやらの支援とはそこまでのものなのか」
「アルバートからの情報はないのですか? 海域はダウ・ルーが見張っているということですが」
「……どうにも王子との一件以降、皇国の船は見かけないようだ」
「しっぽ切りじゃないですか」
「だろうな」
なんだかややこしいことになってきたわねぇ。
皇国のこともわからなさすぎる。海を隔てた国というのはそこまでわからないものなのかしら。
「明日、ハイカルンは攻め滅ぼされるだろう。もはや彼の国は、引き戻せないところにまで来てしまった。未確認だが、国を脱出している国民も出てきているという」
「それじゃ、その人たちの保護を」
「もう納めれる領地はないぞ」
「ポーズでもしておけばよろしいでしょう。それに、なぜ私たちだけでやらなきゃいけないのよ。サルバトーレ全部でやらせるのよ。無理でもね。ダウ・ルーとかも協力してくれないのかしら」
「まぁ、そこは戦いが終わってからだな……我々も、このような大きな戦は、初めてだ……どのような結果になるか、想像ができない」
「……そうですね」
私だってわからないわ。
私だって、こんな経験ないもの。
ないから、怖い。怖いから、できる限り、リカバリーできるように準備をする。
そうしてきたつもりだった。
ただいま絶賛赤字だけど。
「とにかく、残っている山を掘りましょう。こういう時こそ、初心に戻るべきです」
***
そして、翌日の事。
サルバトーレを中心とした連合軍はハイカルンに対して攻め込んだ。兵力差は連合軍が二十五倍という圧倒的なものだった。
ハイカルンに、そんな軍勢を食い止められるような力はない。逃げ場所もなく、完全包囲を敷かれた。
なのに、あの国は、いえ、あの軍隊は戦いを続けていた。
連合軍はハイカルンの国民には手を出さないことを厳命しているようだけど、絶対とは言えない。犠牲は出る。
それでも、戦いは一方的なものとなった。たった六時間。それで、ハイカルンという国は、陥落した。
攻め入った連合軍が見たもの。それは、荒廃しつくし、やせ衰えた国民が倒れる国内の姿。
そこに……ハイカルンの王族の姿は、なかったという。
形はどうあれ……戦争は、終わった。
ひとまずの平和が、訪れることとなった。




