第65話 夢の蒸気機関が欲しい
蒸気機関と一口に言っても、私はその構造を完璧に把握しているわけじゃない。
だけど、蒸気機関のシステムは理解しているつもりだ。それこそ、言ってしまえばあれは小学生の理科の内容そのものなのだ。
蒸気機関の動力源でもある水蒸気。その水蒸気を構成するのは当然、水というわけ。
水を熱して、水蒸気にすると、水の体積は数倍に膨れ上がる。わかりやすく言えば袋の中に水を入れて、熱してみれば袋はパンパンに膨れ上がるというもの。
逆に水蒸気を冷やすとどうなるか。答えは水になるというものだ。蒸発と凝縮という変化が起きる。そこにはエネルギーが生じている。確か、真空状態になるものと気圧の変化だったかしら。
これらを利用したのが蒸気機関というわけだ。
「とはいえ……この原理を簡単に説明したところで、果たして蒸気機関にまで発想が飛ぶかどうか」
世界初の蒸気機関は何と紀元前にまでさかのぼることができるというのを聞いたことがある。機関としての実用性はほぼ皆無だったようだけど、原理を利用してものを動かすという点だけは可能だったとか。
そこから、時代が進んで十七世紀頃になってやっと実用可能な蒸気機関が発明される。そこからさらに改良を加えていくことで、初めて『馬力』などと呼ばれる単位が生まれることになった。
「私もそこまで理科が得意ってわけじゃなかったからなぁ……」
広い自室のベッドの上。
私、一応病人扱いで休まされているけれど、目がさえて、思いついてしまった以上、止まることはできなかった。
何かあった時の為に羽ペンと羊皮紙だけはそばに置いておかせて正解だった。
この二つを取り出して、私はへたくそな図形を描いていく。
私が覚えている限りの蒸気機関のプロセスだった。
「ボイラーとかで水を沸騰させて、シリンダー内に蒸気を送り込んで、物体を動かす……その水蒸気を冷やして、真空にすることで物体が元の位置に戻る……上下の運動がこれで可能になるとかそんな感じだったわよね……あれ、違ったかしら?」
ピストン運動を行う為の機構に水蒸気の働きを利用するってだけの話だけど、これ、意外と他人に説明するの難しいわね……誤解のないようにできるかしら。
「あぁもう、これほどまでに小学校の理科の教科書が欲しいと思ったことはないわね!」
水と水蒸気の変化はわかるし、そこで発生するエネルギーもわかる。でもそれを機械という形で転用するにはどうすればいいか。頭の中で、それとなく記憶はあっても、実際にこれらを説明するには私の知識は中途半端が過ぎた。
「確か、このシステムは非常に効率が悪いはず。それでも、作業効率は十分に短縮された……でも消費される燃料が馬鹿みたいに高いってのは聞いたことがある」
確かこれらを改良したのが、あの有名なワットと呼ばれる科学者だったはずだ。
彼の改良によって、蒸気機関は飛躍的な進歩を遂げて、それらが後の蒸気機関車、蒸気船へと転用されていく。
「この時代に、この二つを実現出来ればはっきりいってオーバーテクノロジーを実現させるも同然。多々生じる問題点に目をつぶれば、人力を超えるパワーを発動できる」
同時に、これらの機関は石炭の地位をさらに高めることになる。需要が高まるというものだ。もちろん、これら以外にも石炭は冬場の暖房の火種としても使える。今に思えば、石炭とはなんとも都合のいい石だわ。
火で燃やすことができて、その構成物質には多くの利用方法があり、燃料になり、原料になる。鉄を作ることも、巨大な機械を動かすことも出来て、さらには地中奥深くにたくさん眠っている。
まぁ、そんな石炭を狩り尽くすのが人類というわけだけど、それはそれ、未来の話であって、今は関係がない。
何百年、何千年もの先の話の責任を私に問われても知りませんというものだ。
何より、このサルバトーレという異世界の国は日本のような狭い国土ではない。焼石に水みたいな話だけど、いくらかの余裕はある。
「蒸気タービンエンジンまではどう説明したところで実現は不可能だろうから、やっぱりまずは蒸気機関。最初期の非効率なものでもいいから作らせて、実用化させないと……その為には……やっぱり教育に力を入れるべきね」
やはり何事も勉強なのだ。私が言えた義理じゃないけど、私にできないことはできる人に任せるしかない。できる人を作りだすしかない。蒸気機関はいずれ人間が、自分たちの発見だけで作り上げるもの。
私の場合はそれらに近道を提供するだけだ。
「ふぅ……お金が飛ぶわねぇ……」
技術者を用意するだけじゃない。蒸気機関の本体を作るための鉄鋼資源、そこから試作、実験も踏まえて、果たしてどれだけのお金が飛ぶか……。
水と熱があれば水蒸気、蒸気機関は簡単にできるってわけじゃない。理屈はそうでも、実際はそうじゃない。
気が遠くなってきそう。実現不可能じゃないってのはわかるのに。
「でも、やらせないといけないしなぁ」
先行投資と言えばそれでもいいけど、マッケンジー領は先の戦いでかなりの損失を出しているから、どうかしら。今は大人しくお金儲けに集中するべきだろうか。
いえ、でも投資ってのは今ここで使わないと損をするはず。思い上がりと見下しもあるけど、この世界の住民が蒸気機関の構造を瞬時に思いつけるとは思わないし、まごついてたらできることはどんどん遅れてしまう。
「いや、待てよ。グレースならどうだろう。あの子の無駄に広い人脈をたどればその手の研究をしている人たちもいるんじゃないだろうか」
一応、私の領内にいる芸術家、技術者たちにも声をかけてみよう。多分、結構いそうな気がする。もともとは彼らを教育、研究をさせて作らせようとしたものだし、そこに新しい視点を加えさせるのは悪くないはず。
とにかく、数打てばなんとやら。蒸気の研究を続けさせればいいわ。
「あとは……魔法、魔力機関かしらねぇ」
蒸気機関と同じく、私は別のことも意識していた。この世界に存在する魔法というパワー。ただ、どうにもこの世界の魔法は人間が内包するパワーが主なのだ。空気中の魔力がどうのって話はあまり聞かないし、存在はしていてもどうなんだろう。そう都合よく存在しているかしら。
一応の例外と言えば……
「……魔石の転用はどうかしらね」
魔力が込められた石と言えば簡単だけど、この魔石は少し意味合いが違う。
「ガチャ石……だったかしら先輩がそういってたし」
この異世界のもとになったゲーム。これにはガチャなるものがあって、専用のアイテムを使うことでそのガチャが回せて、攻略キャラへのプレゼントとか衣装を手に入れたり、スキンだとかアバターだとかが手に入るって話。
あれがゲームだけの存在とは思えないし。
「いえ、あるはずよ」
魔石の利用方法はさておき、件のガチャ石は存在するはずだ。
だって、私はそれをもとの世界で見てきたはずだ。
「青い、羽のような模様のついた宝石……」
そういえば、あれって、この世界ではどんな意味合いを持つんだろう?




