第61話 ヴィクトリア朝を目指して
突如として出現した四百の敵兵はこちらの六百の兵力で十分に抑え込める程度には混乱していた。
もとより私たちは二千の軍団。そこから六百の離脱はかなり痛手なのだけど、この際は仕方がない。もう今更、やっぱりやめましたなんて出来やしないのだから。
むしろ、この状況は私たちに大きく味方をしている。
敵は、こちらのお姫様を狙った。同時に今現在では和平交渉の使者である王子を殺そうとしている。
もはや、私たちの動きを阻害するものはない。こちらには十分なぐらい、戦力を送り出す理由ができたのだから。
「イスズさん、ガーディは助けられるの?」
当初予定していた兵力が一部離脱する形となってしまったのは、彼女としても不安の残るところだ。私だって予想外の事で、不安もある。
だけれども、あなたがそんなんじゃ士気に関わるわよプリンセス。
「できるかどうかじゃないわ。やるしかないのよ。そりゃ、究極的なことを言えば、かわいそうだけどあなたに未亡人になってもらう方が手っ取り早いわよ。そっちならこんなばくちをしなくても、こっちには報復をなすだけの理由が生まれる。でも、あなたはそれを認める?」
「絶対に嫌。そんなことは、させないわ」
「じゃあやり遂げるという意思を持って。それに、今は敵を倒す必要はない。ガーフィールド王子を助け出せればそれでいい。そうよね、アベル」
「あぁ……」
戦況を観察しているのか、籠の小さな窓からアベルが外を睨みながら答えた。
「どんだけ俺たちが戦力をかき集めても、この戦いで連中に勝てるわけがない。数の問題もあるからな。最終目標は王子の救出。それさえ果たせばあとは逃げるが勝ちだ。幸い、俺たちは機動力がある。そのための準備もしてきた……そうだよな?」
「えぇ、土壌汚染も甚だしいことをやるけど、きっと神様も許してくれるわよ。人助けだもの」
今できることをやれるように準備はしたはず。それでも穴の多い作戦。殆どグレースの予知だよりで、相手が油断をしている前提の作戦だわ。私にもっと天才的な軍事センスがあればスタイリッシュな作戦を展開したでしょうけど、それは無理。素人のみんながあぁでもない、こうでもないと言い合いながらひねり出したことをやるしかないんだ。
「ハイカルンも、王子に手を出したこと、我々をだまし討ちしようとしたことを後悔させてやるわ」
とはいえ、こっちもこっちなら、ハイカルンもずいぶんと穴の多い作戦を展開してきたものだわ。
サルバトーレだけじゃない。他の国にも喧嘩を売るようなことだ。なのに、彼らはそれを選択した。よっぽどの自信があるのだろう。
背後にいるであろう皇国とかいう存在のおかげかしら。
「正直、こんなことをしてもハイカルンには一切得がないんだが、もうやりだしている以上、理由を考えても仕方ねぇさ……とにかく今は王子を助ける。それがイコールとして連中の足止めにもなるはずなんだ」
希望的観測って奴だけど、今はそれに頼るしかないのよね。
「恐れることはないわ。大義は私たちにある。そして幸運の女神様もいるわ。どんな困難も、深い愛に結ばれた王子と姫ならば乗り越えられる。おとぎ話のようなことを実現させるのよ」
「お前、それ言ってて恥ずかしくないのか?」
「気分を盛り上げるのは大切でしょう? それ以外に、私たちができることはもうないわ。さぁ、進軍を続けて。運が良ければ本国からの増援だって来るはずよ」
どれだけ早急に準備を整えても私たちの下にくるには半日はかかりそうだけどね。
やっぱり、もっと早い乗り物でも作るべきかしら。あぁ、こんなことなら蒸気機関の研究をもっと推奨するべきだったわね。
「これが終わったら作らせてやる……! 戦争に使うのはまっぴらごめんだけど、こっちを怒らせた報いを受けてもらうわよ。見てなさい。近代社会のパワーをなめるんじゃないわよ、中世ファンタジー……! 領土欲と支配欲の権化め、私たちの世界の大英帝国が見せつけた本物の蹂躙劇を再現してやるわよ」
かつては七つの海を支配し、大陸の大半を支配下に置いた大英帝国。十九世紀において間違いなくあの国は最強だった。その背景にあるのは容赦のない領地拡大の手腕、そして純粋な軍事力。産業革命において生まれた数々の資本と技術による殴り合いだったわ。
それもいずれ終焉を迎えるけれど、それでもかの国は立場を変え、状況を乗り越え、今なお健在している。
ならばこそよ、ちゃちで姑息な作戦を展開する敵に目にもの見せるときがいずれくる。だからこそ、この作戦を成功させ、生き延びて、目の前の戦争を終わらせる。
えぇそうよ、グレースにはこの世界のヴィクトリア女王になってもらうかもしれないわね……もしくはグルジアのタマル女王……どっちも斜陽に片足突っ込むけど、まぁこれはものの例えよ。
「あ、あの、アベルさん。イスズが何だかとても悪い顔をしているのだけど……あれ、私をいじめていた時以上に悪い顔です」
「気にするな。あいつ、興奮するとたまにあんな顔をする。多分ろくでもないこと考えているぜ」
「私、なんだか寒気というか、嫌な未来が垣間見えるような気がするんですけど……なんだか後の世界で、凄く不名誉なあだ名をつけられそうな……」
「そりゃそうだろ。こいつ、はたから見りゃ悪女だぜ? 天使のような顔をした、悪魔って奴だ」
ちょっと、そこ、聞こえてるわよ!
失礼なことを言うんじゃないわよ全く。
「綺麗ごとでこんなアホなことが終わるものですか! やるんなら徹底的よ!」