第60話 狙われたグレース
「情報によりますれば、敵部隊は会談の場所となりますバクシャールの平原後方に部隊をひそめていたとのことです」
急ぎの籠に乗る私たちと馬で並走しながら伝令兵の若い士官が報告をしてくれた。
馬蹄の音がうるさく、若干聞き取りにくいところもあったけど、もたらされた情報は私たちの想定内であることに安心もするが、同時に焦りもする。
若い士官はそのまま簡易的な会釈をして、離れていく。
私たちを内包する集団は大部隊だ。それこそ領地内全ての騎士団、および周辺ゲットーからはせ参じる難民兵とそれを指揮する地方騎士たち。
だが彼らは正規兵並みの重装備を施している。みな、いすず鉄鋼が作り出した武器だ。
「予想通りの展開ではあるけど、ここからは時間と、純粋な運の勝負になるわね……」
今のところ、ガーフィールド王子は無事だという報告もある。こういう時、魔法は便利だ。ようは魔法による念話、テレパシーなどが使える。ただし、同じようにそれらを阻害するジャミングというような魔法もあるので、この念話ももう恐らく使えなくなる。
で、こうなると結局、物理的に連絡を取る手段が必要になるので、先ほどの伝令兵という仕事はなくならないというわけ。
この世界で通信が使えるのはほんの数分だ。でも、そのほんの数分が勝負を分ける……なんか、戦争のことを分かり切ったように言ってるけど、これはこっちの準備が早かっただけだ。
そしてグレースによる予知という事前情報。まさか、ガーフィールド王子側も念話が通じるとは思ってなかったかもしれない。
「王子たちにも護衛の部隊がいるとはいえ、人数が少ない。それに、どうやらハイカルンの連中は三方から取り囲むように攻めているようだ」
籠の中は小さな丸テーブルが備え付けられていて、そこにアベルが地図を広げる。
王族専用の籠にいくら領主の妻、その関係者とはいえ乗ることは不可能なのだけど、この状況だ。グレースが許可を出す形で私たちを乗り込ませた。
侍女や親衛隊たちも文句は言えない。それに、物々しいこの大部隊を見て、さらには王子の危機ともなればそちらに意識を向けるわけだし。
「頭が痛くなるわね……ハイカルンの主だった将兵はこっちに捕虜として残ってるのに、軍団を指揮できる連中がまだそんなにいるっていうの? とんだ軍事国家じゃない」
そもそも、三つに分けられるぐらいの兵力って、なによ!
もうこれって、あからさまじゃないの!? それとも本当に兵力を温存していたってわけ? 何か魔法でも使ってるんじゃないでしょうねぇ!
「ハイカルンという国はそこまで大きくないと聞いたことがあります。ガーディも、それだからきっと和平に応じてくれると……あ、いえ、でも、あの国の背後には、いるんですよね? 何者かが?」
送られてくる情報はどれも絶望的なものに聞こえる。こっちはいくつかの準備をしてきても、戦闘経験なんてない私たちからすればもう恐ろしいの一言だ。
グレースもさすがに顔色が悪くなっている。
「しっかりなさい、あなたには気丈にふるまってもらわないと困るのよ!」
「わ、わかっています……! でも、やっぱり、恐ろしいんです」
「私だって嫌よ! 怖いわよ! 何が悲しくて軍団と一緒に戦えない私たちが戦場の近くまでいかなきゃならないのか、それがわからないわよ! でも、やらなくちゃあならないのよ!」
それは今回の作戦のシナリオにどうしても必要なことだからだ。
深い愛で繋がれた王子と姫。王子の危機を悟った姫君は無理を通して、軍を動かし、愛する王子を助ける。極端な話がこれだ。たったこれだけの無茶の為に私たちは動く。
その為には敵が仕掛けてくること前提で、なおかつ王子の危険は大きい。
先発隊なんてものは出せないし、こっちは咄嗟に動いたという事実がなければいけない。
そもそも、現状にしたって早すぎるぐらいなんだ。
「だが、このまま進めば王子の部隊と合流できるはずだ……む?」
そう、このまま何事もなく進めれば問題はない……そのはずだった。
「アベル、どうしたの?」
「左翼の部隊が騒がしい気がする。なんだ?」
アベルが何かに気が付いたようだった。
「あうっ!」
同時にグレースが頭を押さえた。
「何なのよ!」
「あ、危ない! そんな、こんなこと、視てない……敵が、来る!」
「敵!?」
その一瞬、グレースが何を視たのかが分かった。
それを補足するように別の伝令兵がやってくる。
「敵の別動隊と思しきものを発見との報告……! 数、四百!」
「四百……? ずいぶんと少ないじゃねぇか。こっちは寄せ集めとはいえ二千の部隊だぞ」
一領地が二千もの部隊を内包できるわけがない。これは難民たちの数を含めている。四百の敵ならばそう恐れることはないのだけど、今回は予想外かつ少し厳しい。
「待ってよ、このルートで接触ってどういうことよ。敵は本国を狙うつもりだったの? たった四百で? 意味がわからな……」
その時、爆発が聞こえた。
かなり遠くだけど、左翼の部隊でついに戦闘が始まったようだ。
伝令兵たちの矢継ぎ早の情報が飛び交う。
「騎士ベルケイドより入電! 左翼の部隊、六百を対応に切り離すとのこと!」
「本隊はそのまま前進されたし!」
「敵部隊、浮足だっており、こちらが奇襲を仕掛けた形となります!」
「敵、敗走の気配濃厚!」
しかし、飛び込んでくる情報は意外にもこちらに都合がよかった。
「ど、どういうことだ?」
これにはアベルも目を丸くする。顔面蒼白だったグレースもちょっと呆気に取られている。
「……まさか、敵はこっちがこんな大部隊を用意しているとは思っていなかった?」
そうとしか考えられない。
いや、だとしてもちょっと都合がよすぎる。これはグレースの力?
それは違う気がする。なんだろう、意味が分からない。この奇妙な、拍子抜けな感覚はなに?
敵は四百でこっちにちょっかいをかけてくる理由はなんだ?
四百でサルバトーレの首都を襲うなんてさすがに無謀が……。
「違うんだ。敵の狙いは……グレースなんだわ」
「あ? どういうことだ。プリンセスを狙う?」
「だって、そうじゃないとおかしいじゃない。たった四百で敵国の首都を奇襲してどうするのよ。本国の控えの兵力は多いのよ。混乱は出せても、制圧は不可能よ。だから、さっきの部隊の狙いは視察にきたグレース……」
「ちょい待て、プリンセスが視察に行くなんて情報は敵にわかるわけが……スパイか?」
その可能性は高い。でも、それもそれで疑問が残る。
スパイなのは良い。説明はつく。でも、グレースを襲いますとなって四百程度で?
ちょっと舐めすぎじゃないかしら。
「私がマッケンジー領への視察に行くことを知っているのは大臣クラスぐらいです……でも、彼らの中にそんな、裏切者が……?」
「いたからこうなるんでしょう。だとしても、ちょっとこれはどうなのさ。失敗、自爆してるようなものじゃない? ん、待てよ、違うのかしら……」
ふと思う。
果たして敵は、私たちがこうして大部隊を整えて、戦う準備をしていることを知っていただろうか。だって、これは本国には一切報告してない、ある意味ではばれたら謀反の疑いでもかけられかねない行為だ。
だから今回の兵力の動きはバレないように、各所で秘密裏に勧めた。製鉄の増産も適当に交易利益の為みたいなことをでっち上げたし、事実、ダウ・ルーとの交易にも使っている。
そしてグレースの視察が実は嘘で、対外的な演技であることなんて、知ってるのは私たちぐらいだ。
でも、彼女は公式の、政務としてきている。大臣たちが知っていて当然だ。
だが、彼らの中で私たちが独自兵力の増強及び集結、そしてガーフィールド王子救出の為の準備をしているなんて知る由もない……
「……まぁいいわ。むしろ大義名分が生まれたと思えばいい。敵は、卑劣にもプリンセスを狙った!」
使えると判断した。
私は並走する伝令兵に向かって叫んだ。
「全軍に伝えて! あと本国にもー! 敵はー! 王子と姫のお命を狙う卑怯者よー! 行けー! 早く伝えてー!」
「は、ハァーッ!」
予想外のことが起こるけど、いいわ。これも利用してあげる。
しかしまさか裏切者がいるなんてね。いよいよもって、おかしくなってきたわね。
一体誰なのかはことが終わってからじっくりと調べることにしましょう。
むしろこの邪魔のせいで、ガーフィールド王子救出が失敗したら……いいえ、今は無視。そんなことを考えるな。
突き進むしかないんだ。
「この世界は、緩いゆるいラブコメファンタジーのはずなのにね」
そのつぶやきは、誰にも、聞こえていない。