第58話 出陣前夜
グレースがマッケンジー領を訪れてから早いもので三週間が経つ。すでに彼女は王都へと戻っていったが、その瞳には今まで以上の熱意のようなものを灯していた。
責任を取る。彼女はそういった。最高権力者の妻が、そのような言葉を口にするということがどういうことなのか。それは私以上に、彼女も理解しているはずだ。
それは同時に、これから私たちがやろうとすることを黙認し、場合によっては庇ってくれるという意味でもある。
「部隊編成はそちらに一任する。我々は軍事的な知識は皆無だからな。それより騎士ベルケイド、兵士の育成はどうなのだ?」
マッケンジーの屋敷にて、私とアベル、そして王都から帰ってきたゴドワンとで、ベルケイドの報告を受けていたところだった。
作戦はいつでも遂行可能であるという報告である。
「悪くはありません。正規兵に比べれば、未だ練度は劣りますが、士気は旺盛。途中で逃げ出すものはいないと思います。それに、最新鋭の鋼の武具というものは恐怖を薄めるでしょうし、バリスタや投石器、虎の子の大砲もあります。最悪、彼らにはこれらを運ぶだけでも兵士の動きに余裕が出ます。むしろ、彼らを抑える方が大変でしょう」
今日にいたるまで、ベルケイドたちは訓練を続けてくれた。難民からの志願兵も集い、数という点でだけ言えばマッケンジー領の戦力はかなりのものだ。といっても、これらの戦力は本来であれば王国、そして王家のものだ。
防衛戦闘であればまだしも、勝手に戦いを始めるという行為は普通、許されるものではない。
だからこその、グレースの協力があるのだ。
何かを問われても、私たちはグレースの指示の上で、行動をしたという理由が生まれる。
「卿らの働きに感謝する。悪いようにはせん。万が一があっても、首が飛ぶということはないようにする。生きていればの話ではあるが」
「了解致しました。何事も、起きてくれなければそれでよいのですがね」
ベルケイドは作戦の概要が書かれた書類の写しを手にして、つぶやくように言って、その場を後にした。
「ふー……王都から戻ってみれば、わしの知らん間に動きがありすぎる」
ゴドワンは少し、疲れが見て取れた。この人も、結構な歳なのだ。領地から王都への往復はそろそろきつい頃だろう。
第一、爵位の上昇や王族との謁見、そして各種パーティーに議会、会議も行えば、誰だって疲れる。
「オヤジも休んだらどうだ。向こうから帰ってきて、すぐだろう?」
「馬鹿を言え……と言いたいが、確かに疲れたな。ふん、歳は取りたくないが……」
アベルの心配に対して、ゴドワンは素直だった。
これは結構珍しい気がする。
「だが、今ある仕事ぐらいはやるつもりだ。隠居をするにしても、貴様はまだ小僧だからな」
「そうは言うがなオヤジ、さっさと家督を俺に譲ってのんびりと紅茶の葉でも育ててる方が長生きするぜ?」
「何年も家を放り出していた貴様に、おいそれと家督を譲れるか。領民が納得せんわい」
「どうかねぇ、俺だって結構頑張ってるぜ?」
「それはこれまでの貴様のふがいなさの補填でしかない。とにかく、この戦が終わるまでは家督を譲るつもりはない。それよりもだ、本当に、起きるのか? その、王子への襲撃というのは」
ゴドワンはカリカリと額をかいて、溜息交じりに言った。
彼が戻ってきてすぐに、私はグレースのことを伝えた。
さすがのゴドワンも驚いた表情を浮かべていた。いきなり、お姫様には予知能力がありますと言われればそうもなる。
そこで頭ごなしに否定せず、領内の動きからある程度を理解できるゴドワンはやはり、凄い人なのだと思う。
「よもや、プリンセスにそのような力がな……いや、しかし、予知と言っても、星詠みは必ず成功するものではない。何事も起きぬ可能性もある」
その通り、何事も起きなければそれに越したことはない。だが、そうはならないと私たちは考えている。
これはゴドワンだって同じなはずだ。
というより、軍部の者たちは今回の和平交渉に応じたハイカルンは間違いなく罠を張っていると踏んでいる。
それなのにこのような状況になってしまったのは、良くも悪くも、サルバトーレという国が大きく、豊かで、そして平和だからだ。なおかつ初戦に勝利したという自覚もある。
「この大陸は、もう何十年と戦争なぞしてこなかった。それが、当たり前になっていたのだ……だから、皆がどこか、すぐに終わるものだと思っていた」
ここ何十年と、それこそ現国王陛下ですら戦争なんて体験していない可能性もあるこの国だ。一回の勝利で、大国の強大さを見せつけ相手は必ず折れるという慢心があるのだと、ゴドワンは語る。
「よく、わからないのだけど、なぜ平定するみたいな動きにはならないのかしらね。敵は、理由はどうあれ奇襲をして、一国を焼いているというのに。和平を結んだところで、賠償金はすさまじいと思うのだけど」
そこが私の疑問なのだ。平和ボケは良い。がつがつしているよりは遥かに良い。それでも気にはなる。いくらこの国がおとなしくても、大義はこっちにある。どの国も文句は言わないはずだけど。
「みな、怖いのだよ……バランスの取れていた関係性が崩れるのがな。だがハイカルンはそれを崩した。よりにもよって我らに牙をむいた。で、あるならば我々は立ち向かわねばならない。無抵抗をするほど、こちらもおとなしくはない。だがな、いやおうなしに、我々はこの大陸のバランスを崩すことになる。それこそ、他に飛び火する可能性も高いのだ。だから、どの国も戦争なぞ起こさなかった」
あとには引けないのはあっちも同じってことね。
「じき……王子を中心とした使者団が出発する……そこで何が起こるかはわからんが……そこで起こったことが、我々らの運命を大きく変えるだろうな」




