第56話 直面する現実
領内近くのゲットーは、難民キャンプという扱いとはいえ、他のゲットーよりは比較的マシな状況だ。言ってしまえば最初期に逃げてこられた人たちだし、わずかな差とはいえ、私たちの街が近くに存在するということが少なからずの影響を与えていたらしい。
もともと、製鉄工場を増築する予定の場所だったのも大きい。そのせいで、土地の質は悪いけれど、畑が作れないというほどじゃないし、何とか連れ出せた牛やヤギも飼っていける広さはあった。
「他のゲットーはもっと悲惨だわ。王国からも援助が来てはいるけど、それ以上に難民の数は多いし、治安だってそんなに良いわけじゃない。ここは、マッケンジー領が近くにあるのと、騎士団がいることもあってか、安定はしているけど、彼らの不安や不満は完璧に解消されてるとはいいがたいわね」
利用している手前、彼らの復讐心は貴重であり、事実効率も上がっているけど、それはそれ、これはこれという流れもある。
今は目的を持たせて、仕事に就かせているから表面上は言うことを聞いてくれているけれど、徐々に冷静になれば狭く、荒れた土地という不満は噴出することだろう。
「世情が安定しないと、大きな街も作れやしないわ……そのあたりは私の仕事じゃないけど、彼らを最終的に雇用して、兵士にするにしても、従業員にするにしても、戦争という行為がどうしても足を引っ張るわ。早く、ハイカルンを打倒して難民の土地を奪還してあげないと……って、簡単に言うけど、こんな話、本当なら十年ぐらいは視野に入れないといけないことだけどね。でも、みんなの意識が戦争に向いてるから、ある程度はごまかせる。そして、そっちにリソースを割かなくちゃいけない事実もある……ほんと、ままならないというか、ややこしいというか」
戦争は、経済活動や外交活動の延長線という言葉を聞いたことがある。
それは多分間違いじゃないし、概念的な話はさておいても、行きつく場所はそういう考えにまとまっていくのかもしれないわ。
でも、中世での戦争というのはどちらかと言えば支配欲の方が強いというイメージがある。まぁ、結局、これも大きな枠組みに当てはめれば経済的な理由がそこにはあるのだろう。
「人間は、土地がなければ食べていくことも、お金を使うことも出来ない……」
グレースがつぶやくように言った。
彼女の言う通りだ。何を持っていようと、それを安定して使える場所が提供されなければ意味がない。
だからこそ、このゲットーはまだ安定している。土地はあるし、お金も使える。遠い場所にある他ゲットーでは騎士団による輸送部隊が物資を運ばないといけない分、手間がかかるし、どうしても後回しになることがある。
正直、マッケンジー領内だけの支援ではきっつい。
「だがね、お二人さん。人間、やろうと思えば裸のままでも暮らしていける。俺たちのご先祖様は実際、そうやってきたぜ?」
アベルはもくもくと上がっていく工場の排煙を見ながら言った。
彼らの一族はサルバトーレ建国時からの古い家だったはず。そこから地方とはいえ、貴族に上り詰めていったとか。
「我がマッケンジー一族は、まぁつまり山師だ。山の民って言われていた一族の末裔でな。魔法が使えるから、俺たちはサルバトーレに加わって貴族になれたが、本質としては裸足で駆け巡ってた側だった。山を切り開いて、地下水を確保して、土壌を作って……一つの領地として安定したのはそれこそ何十年とかかったらしいが、できるんだよ、人間ってのはな。ダウ・ルーの国もそうだぜ?」
ダウ・ルー。アルバートの国。海に面した海洋国家。実物はまだ見たことないけど、海上国家でもあるというかの国は塩害と水害に悩まされていたという。それを何とか安定させて、逆に利用したからこその繁栄をしてきた。
確かに大きな成功例がここにはある。それは希望でもある。
余裕ではないが、悲観するほどでもないということである。
「彼らは彼らでやるべきことをやってくれているわ。グレース。あなたの視た未来がどういうものなのかは、私たちにはわからないけど、こうして頑張る彼らの姿を見れば、心強いと感じないかしら?」
タイムリミットは近い。
和平交渉に向かうガーフィールド王子と一部の軍は敵の奇襲を受ける。その結果がどうなるかはグレースにもわからないようだけど、ならばこそこちらはそんな罠を真正面から食い破れるような準備をするだけ。
それは大義名分でもある。
「だからね、グレース。彼らに、声をかけてあげて欲しいの」
「え? 私が?」
「そうよ。王国のプリンセスが、自分たちのことを見てくれている。助けてくれているという事実は彼らに勇気を与える。彼らに意味を見出せられる。戦争に協力してるようで、嫌かしら?」
「……それは」
グレースは改めてゲットーを見渡す。難民たちはまだ私たちには気づいていない。こっちが離れた場所から眺めているのもあるけれど。
ゲットーは騒がしい。工場は全力稼働しているし、荒れた土地を今なお耕すものもいるし、兵士として訓練をつづける若者もいる。
だけど、それとは別に笑顔を見せて遊んでいる子供たちもいれば、お互いに協力しながら仕事を続ける大人たちの姿もある。
決して悲壮的な現実だけが転がっているわけじゃない。
それでも彼らの中には不安が残っている。それを解消できるのは、グレースなのかもしれない。
そして私は彼女をも利用しようとしている。
「お城にいるだけじゃ見えないことってあるのだと思っていました。私は、元は平民で、苦労を理解しているつもりだった。でも、ここにはそれ以上の苦しみがあるのですね……」
どうせなら、経験をしたくない苦しみだと思う。
私だって、嫌だ。
「これが、勝たなければこれが続くのですね? 新しく、生まれるというのね?」
「えぇ」
短く、頷く。
それが現実だと思うから。
「そして、勝てば、私たちがこの現実を作り出すことになる」
「そうね。でも、そうはならないかもしれない。私たちは、大国サルバトーレよ?」
意味のない自信だ。
でも、そうでも思ってなきゃやれっこないわ。
「……わかった。私、行きます」
グレースは顔を上げた。
もう、そこに、迷いはない。




