第53話 いすずの休息 その2
改めて、領内を見て回れば、実感できるのは中世から近世への移り変わり、産業革命前夜というのはこういう光景だったのかもしれないと思うことだった。
まだ石畳の道路に、馬が闊歩して、露店が立ち並ぶような光景が広がっているけれど、この街には各所に工場の煙突と煙が見え隠れしていて、あちこちでは作業の音が聞こえる。
同時に、私がそうするように推奨したことも大きいけど、経済活動の活性化がよくみられる。みんな、よく働いているし、子供は騒がしく遊んでいる。
戦争状態の国とは思えない、良い意味での騒がしさがそこにはあった。
そして、これを自分が成し遂げているという自覚が、今更に再認識させられる。
かつてはただの三十路研究員、ついでに独身。それが今や、転生というファクターを踏まえても、領主の妻で、経営者になってしまった。
人生、何が起きるかわからないってのはこういうことを言うのかも。
「どうした、まるでおのぼりさんみたいな顔してるぜ」
アベルの指摘に、私は思わずムッとした。
確かに、ちょっと呆けていたかもしれないけどさ。
「私の街よ。感動してたの」
「あぁ、これは感動ものさ。なんせ、ここは元は地方。それが、首都並みに栄え始めている。人も増えて、ちと手狭だが、それでもみんながやることをやって、飛び出せている」
「まだ問題が表面化してないだけよ。そろそろ、工場の移転や健康被害も出てくるわ。その時、私たちの手腕が問われるの」
産業革命を目指す。それは良い。
というか、今のところのゴールはそこにある。だけど、過剰な工業化だけを進めて利益だけを求めて、他は無視というのは私個人の中で嫌なのよね。それが綺麗ごと、絵空事だとは言え、できる限りの努力はしたいじゃない。
だから私は炭鉱の活動もローテーションを組ませて、どこまで意味があるかわからないけど、手洗いとうがいは徹底させている。
彼らはなぜそんな無意味なことをするのかと首を傾げているけど。
それらを行っても、体を壊すものは出るし、事故やケガも出る。結局は、そう完璧なものはないってわかる。
「……まぁ、その手の問題は私たちの子供か、それか孫の世代に任せるとしましょう。それで、おいしいランチはどこ?」
「えらい話題の切り替わりが大きいな」
「だって、今ここで真面目ぶって話してもなにも解決しないでしょう? 私たちが解決する問題は一つ、無駄な戦争をしかけるハイカルンを潰すこと。二つ、今すぐに私のすきっ腹をどうにかすることよ」
「へいへい、奥様の言う通りに……といっても、レストランなんて行きたくはねぇだろ? 炭鉱連中の集まりの店がある。そこはどうだ。ちゃんとした店だぜ」
「えぇ、そこでいいわ。格式ばったお店はもっと別の時で……あれ?」
馬車を止めて、市街地は歩きになる。馬車から降りている途中、私はちょっとした人だかりを発見した。
「何か、騒がしいわね。どうかしたのかしら」
「んー? 別に今日は祭りがあるとは聞いてないが……」
市場はいつも開いているし、大安売りをするような時期でもない。
それに騒がしいといっても喧嘩とかの騒々しさじゃない。むしろ、これは有名人でも見かけたのかって感じの……
「あの子、なにやってんのよ」
そこまで来て、私は人だかりの中心にいるのがグレースだと分かった。
服装はプリンセスのそれじゃなくて、かなり落ち着いた、それでも良家のお嬢様といった感じ。
いや、それにしてもプリンセスがおつきもなしに外出って……私も人の事言えないわね。アベルに連れ出されたオチだけど。
それはさておき、グレースの様子はどうやらかなり困っている感じ。人の群れに圧倒されてるってことかしら。
「あぁ、やれやれといったところかしらね」
放っておくのもなんだし、私は溜息一つ、彼女の下へと向かう。
「おーし、どいてくれ、どいてくれ、マッケンジー夫人が通るぜ」
アベルも私の意図を理解して、民衆を遠ざけてくれている。
ただ、それは同時にイスズ夫人という存在を見せつけることにもなるので、当然、私の方にも注目が集まる。
「夫人!?」
「領主夫人様よ!」
「イスズ様だ!」
まぁこれは予想の範囲。
たまに外に出ればこういうこともある。私も最初、これには慣れなかった。とりあえず余裕でございますみたいな表情を作って、適時手を振るぐらいで乗り切ったわ。
だから嫌なのよ、だから私はインドア派なのよ!
なのに、こうして自分から注目を浴びていくのは本当に大変だ。
「あ、イスズさん……!」
やっと知っている顔に出会えたのか、グレースは目に見えて明るくなる。
すすっと駆け寄ってくる。
「あなた、まさかと思うけど、学生のノリでお出かけなんてつもりじゃないでしょうねぇ?」
ゲーム序盤のイメージしかないけど、グレースというキャラはたびたび学校外に出て活動している。まぁ学園の外に出てはいけないなんて校則はなかったはずだし、それで攻略キャラたちとのふれあいの場が出来ていたらしいし。
それと、彼女にとって学園は窮屈で、落ち着けない場所という認識もあったはず。
まぁ、ゲームだから仕方ないけど、王子とか各地の権力者の息子をとっかえひっかえして街に繰り出すってすごいことしてたわね。
「う、それは……」
「あなた、もう学生じゃないのだから、自覚しなさいな」
その純粋さは羨ましいというか、尊敬するし、憧れるけれども。
「皆さん、ごめんなさいね。ワタクシたち、これからランチですの。道をあけてくださる?」
と言いつつ、グレースの手を掴んで、突き進む。
「はい、どいてくれよ。ご婦人方のお通りだぜ」
アベルが後ろからついてこようとする民衆を抑えてもくれている。
「あ、おい、お前ら、手伝え、俺はご婦人とお食事だ」
「旦那、お任せくだせぇ」
「はい、あんたら、仕事に戻れ、仕事に。俺たちも忙しいんだ」
ついでにどうやら鉄を運んでいた同僚を見つけたようで、彼らに後を託して私たちと合流する。
「ありがとアベル。あなたたちも、あとでお酒をおごりますわ」
「ありがとうごぜぇます社長!」
「あ、あの! ありがとうございます!」
グレースも深々とお辞儀をしてお礼の言葉をかけていく。
「それで、なんだって外に出てるのよ」
「ご、ごめんなさい。この街が、大きくて、それで楽しそうだなぁって思って」
「我が領地をほめてくださるのは嬉しいけれど、あなたプリンセスなのよ、全く。顔を知られていないなんてことはないのに」
何気にこの世界、魔法技術の関係か写真みたいな絵が出回る。なので王族関係者の顔はわりと全国民に知れ渡っていたりするのだ。
なんかそういうところだけはほんとファンタジーよね。歪な技術発展してるわ。
逆になんでそこで停滞するのかが不思議だけど。
「む、昔はこれで全然いけちゃったから」
「今は無理に決まってるでしょうに……まぁ、その行動力はもっと見習ってほしいところだがな、イスズ?」
「怒るわよ。それと、この場では私が上です」
「そりゃ失礼をば。それで、予定はどうするかね。変更するか? プリンセスまで同行となったら」
「いいわよ、元の店で。グレース、あなたもちょっと付き合いなさい。どうせ、一人にするとまた同じことが起きるわ」
「でも、迷惑じゃ?」
「もう迷惑こうむってるから今更よ。ほら、客人なんだから大人しくしてなさい。王族でも客は客よ」