第28話 鋼を生み出すもの
元の世界にヘンリー・ベッセマーという偉大な発明家がいた。
彼は様々な発明を行い、その地位を確かなものにしていったのだけど、そんな彼の最大の発明はなんと言っても転炉と呼ばれる製鋼方法だろう。
彼が生きていた時代は産業の発展が目覚ましく、鉄の消費量も跳ね上がっていった。鉄道や銃器の生産などに質の良い鉄は必要とされるのだから当然だ。
機械を作るのだって同じ。質の良い鉄で作った機械は丈夫で長持ちするのは当たり前。
そんな社会のニーズに見事応えて見せたのがヘンリー・ベッセマーという発明家だった。
彼が考案した転炉とはもの凄くシンプルなもので、製鋼用の炉の中で溶けた銑鉄に空気を吹き込み、その化学反応で不純物を取り除くというもの。
この方法はマッケンジー領内の工場長さんたちにも簡単には説明したことなんだけどね。
で、やはり重要になるのは製鋼炉だ。まず耐火性に関しては粘土や銅などを使い補強しつつ、形にもこだわる必要がある。
転炉の多くはその形は西洋梨型、もしくは卵型で頭頂部に資材投入及び精錬された鋼の抽出口を兼ねた穴がある。
また炉の下部には羽口と呼ばれる穴がいくつもあり、そこから空気を流し込む事が出来たのだ。当然、その穴から溶けた鉄が流れ出ないように構造を気を付けないといけないのだけどね。
またこの特殊な形をした炉はトラニオンと呼ばれるパーツと組み合わされくるくると回転させる事が可能となる。
ちなみにトラニオンとは乱暴な説明をするなら、大砲とかにとりつけて砲身の角度を調整する構造だと思ってくれたらわかりやすい。
なので、資材を投入するときは横に寝かせて、精錬中は立てて、終われば再び寝かせて、注ぎ口から取り出す。本当、言葉にすれば簡単なものだ。
「グレージェフ、中の鋼の状態をよく観察して頂戴。ディバ、空気の注入には注意して。溶けた鉄が溢れるような事があればすぐに離れなさい。型の準備は!」
いすず鉄工総がかりで鋼の精錬を始める。理論は理解していても、実際に試すのは私だって初めてなのだ。鉄の生産をほどほどに、メインは鋼の生産に集中する手前、一刻も早く結果を出さなければいけない。
アベルには偉そうなことを言ったけれど、これはかなりギャンブルだ。
「とにかくここまで来たら感覚よ、感覚。自分たちの体で感覚を掴んで鋼を作り上げるしかないわ。この転炉はしょせん道具でしかないのだから」
さて、この転炉だけど、最初から在ったわけじゃない。当然作る必要があるのだけど、そんなものが作れる技術者は我がいすず鉄工にはまだいない。
かと言って他の工場にいるというわけでもない。
ただ一人、この領内でそのような事が可能な人物がいる。それが、ゴドワンだ。彼は優れた錬金術師で、私が作った小さな鉄の塊をステッキに作り変えていた。
そこに私は目を付けたのだ。この人ならば、転炉に適した炉を作る事が可能なのではないか。
ゆえに、私はゴドワンにそのことを相談した。当然、包み隠さず、これまでの経緯を話したうえでだ。
するとゴドワンは苦笑しつつも、「面白い、やってみろ」と承諾してくれたのだ。
私はゴドワンから恩の前借という形でこの転炉を製作してもらい、必ず結果を出すという制約の下で今回の大博打を始めたのである。
どちらにせよ小さな工場が生き残るにはこれしかないのだ。
「鋼を作り出さなきゃおしまいよ。みんな、気を引き締めて取り掛かって」
魔法に頼るのはもうこれでおしまいだ。
ここからはまさしく人間だけの手で完成させなければいけない。魔法で、錬金術で不純物を取り除く。
そりゃ簡単だわ。でも、魔法は便利でもそれを使う人間によって左右される。少なくとも、今現在の魔法使いと非魔法使いのバランスでは彼らは協力などしない。
非魔法使い側が絶対的な優位性を得るのはもっと先だ。その先を目指す為にもこの鋼は完成させないといけない。
だから私たちは作っては、品質を調べてを繰り返す。どれだけの時間をかければよいのか、どれだけの分量で溶かせばいいのか。ここからは地道な計算だ。
計算は苦手だ。でもそんな事言ってられない。
一日で完成に近づくなんて思っちゃいない。
「作り続けて、実験を続けて。わが社の運命はこの製品にかかってるわよ」
***
とはいえ、製鋼は難航が予想される。
というのも、このベッセマー方式には弱点も存在するのだ。というか、意外と欠点が多い。まず、この方法での精錬では鉄鉱石にリンが含まれていると、とたんに脆い鋼が出来てしまうのだ。
このリンを取り除く方法もあるのだけど、今はそんなことをしている暇がない。
しかしこれに関しては運も味方した。我が国で産出する鉄鉱石にはリンがあまり含まれていないことだ。
これは実験で精錬した鋼の強度からわかることだった。
しかしそれだけじゃない。もっと質の良い鋼を作り出そうとするなら、ここにマンガンと呼ばれる鉱物資源も必要となる。
そう、マンガン電池などに使われるあのマンガンだ。といっても、現在の私たちにそれを取り扱うつてもコネもない。
そもそもマンガンは自然界にそのままポンと存在しているわけがなく、軟マンガン鉱などの鉱物から抽出しなければならないのだ。
なので、今はそれらも無視。ないない尽くしでやっていかないといけないわけである。
正直、ひーひーと悲鳴を上げるレベルだ。
そんな中で、私たちにある救世主が現れたのである。
「あ、あのぉ、お忙しいところすみませぇん……」
絶賛、徹夜中な我がいすず鉄工に舞い降りた救世主。
その名はコスタ。以前、私に上から目線で色々と説明しにきた商人だ。ゴドワンの配下でもあるこの男だったが、木材関連の仕事が停滞して、しかも領地内で買い手がつかなくなってしまったとか何とかで、最後の手段で私たちに売りに来たとか。
「あら、どうも。ごめんなさい、今、とっても忙しいの」
コスタが来た当初、私たちは結構イラついていた。
いすず鉄工従業員全員の血走った眼を向けられてコスタは小さな悲鳴を上げていた。
「話があるのなら、手早く。本当に、忙しいから」
「そ、それはもちろん。あの、何かご入用なものなどございませんか?」
「マンガン鉱石があるならすぐにでも買うけど」
「ま、マンガン? あぁいや、わたくしの方では取り扱っていないですね、はい……」
「ちっ」
思わず舌打ち。
がりがりと頭をかきむしる。
あぁ、時間の無駄。とっとと消えて欲しい。そんな風に思っていた。
だけど、ここで私はあることを思いついたのだ。
この人、商人。頭、良い。計算、できるはず。
「ねぇ、あなた、計算は得意かしら?」
「へ?」
「同じことを説明させるつもりかしら」
「い、いや、得意です得意です! そりゃ商人ですから計算は真っ先に……・」
「じゃあ、ちょっと協力なさい。今、計算で色々と悩んでいるの」
「あのぅ、それはつまりどーいう?」
「良いから、手伝え」
ということで、救世主兼計算機として私はコスタを無理やり巻き込む事にしたという流れ。
計算式は一度算出してしまえば、よっぽどの事がない限りは変わることがない。
いわゆるマニュアル作りというものだ。
ないない尽くしで嘆くより、ないならないままでも品質が保てるものを用意する。
それが、人間の努力というものだ。
「お国の為、領地の為、私に協力なさい。OK?」
「お、おーけー? あの、おーけーってどういう意味の言葉……」
「はい、これ、今から計算して、今夜には区切りをつけるから。安心して、お金は出すわよ」