痕苦裏塊和歌集・春
かの文人・寺山修司は学生時代、月に百句の俳句を作っていたそうな。
その話を聞いて対抗心を燃やした自称大文化人である私不肖住友は「そんくらい俺にだってできらあ!」と鼻息高らかに腕まくりして俳句作りに挑戦。これで自らの圧倒的文才を発揮して世間という奴を驚かせてやろう、寺山修司も『小説家になろう』の連中も突き放してやるぜイヒヒヒヒ梅と桜とかいう格好の題材だから百句くらいラクショーだろいう下心満載、野心剥き出し、希望的観測、自作小説の執筆が進まないことの憂さ晴らしをしたい等
ドス黒い輝きを放つ心もちで約一カ月の間高尚な俳人に成り切った。
「おや、あれはカワズ飛び込む池のオトじゃのぉ」
「うむうむいとみやびいとみやび」
みたいな。
結果、できたのは俳句ではなく短歌。
住友がやたら長文を書きたがるという無駄な能力を発揮してしまったために、渾身の俳句は寝かせてしまったラーメンのごとくことごとく五七五七七に伸びてしまったのであった。しかも頭数はたった二十八。目標の四分の一の量である。完敗合掌。
しかし純粋に短歌として見れば中々うまくできたのではないかと自らに言い聞かせ、再び俄然奮い立ち、発表することを決意し、我が敬愛する文化評論家・小林秀雄が敬愛する大歌人・源実朝の『金槐和歌集』にちなんで「ずばり新金塊和歌集だ!」と題しようとしたが、思い直し、落ち着いてから改めて自己評価した結果
「玉と瓦の例えもあるし、源実朝が金塊ならば私は『新金塊』どころか『銀塊』でも『銅塊』でも『鉄塊』でも『石塊』でもなくせいぜいコンクリの破片だろう」ということで「コンクリの塊」の当て字で「痕苦裏塊」と題いたした次第。
まだまだ浅学の身ですので古語の用法の誤りのご指摘等勉強になるご批判は大いに歓迎いたします。しかし古語を使っていると言っても全体的には単純幼稚な擬古文ですので現代語訳の併記は不要と判断しました。現代に馴染みのない言葉にのみ注釈をつけさせていただきます。
ほんの僅かでも後進の青少年らが和歌に関心を持つ
きっかけになれれば本望であります。
詞書(ことばがき。詠んだ歌の趣旨の表明。)
「散歩中に見かけたど根性大根ならぬ
ど根性梅を讃えて」
1
野の梅の葛の影を払いけり
盛れよ花よ明くる年こそ
(2019.3.1?)
2
野の梅の葛の影を払いけり
見るらん花を明くる年こそ
(2019.3.1?)
※最初からいきなりダブりましたね。
そっくりな歌二首一組があと一組あります。
※見るらん……見られるだろうか
詞書
「『汝』という字を『な』と読めることを知って
覚えたての言葉を使いたがる少年のような気持で詠んだ歌」
3
東風吹かば羽落としてよほととぎす
汝を啼かしめたりし梅に倣いて
(h31.4.12 金)
4
ほととぎす梅恋しく鳴きしきる
汝が去りし後は風を聴くなり
(h31.4.12 金)
5
荒風を我が物とせし斑の蝶よ
汝を例えるなら落梅の歌
(h31.4.13 土)
※落梅の歌……新元号『令和』の典拠とか言って
話題になっていたので詠み込んでみた。
詞書
「税金や年金をお金ではなく
春の自然を詠んだ歌で納められたらいいのに」
6
通り雨
目ざめる石竜子
日かかる桜
これが我らの春の幣なり
(h31.4.1)
※幣……ささげもの。貢ぎ物。
詞書
「近所の地名で一首」
7
阿千田の峠の桜の花こきたれて
弘法源氏も地を踏みしめたるかな
(h31.4.1)
※花こきたれて……花をしごくように。
※阿千田峠……かつて弘法大師(空海)や
源義経が通ったという住友(の親戚の知り合いの)近所なのだ
詞書
「本歌取りに挑戦」
8
人妻にも手は触るといふをうつたへに
桜といえば触れぬものかも
(h31.4.1)
※本歌「神木にも手には触るといふをうつたへに
人妻といヘば触れぬものかも」(万葉集巻第四、五一七、大伴安麻呂)
(神木にも手を触れることはあるというのに
人妻には絶対に触れてはならないものなのでしょうか)
※うつたへに……絶対に。決して~しない。
詞書「試みに自作小説のヒロインの名を入れて詠んだ歌」
9
令月に一人歩きの甲斐性無しを
樹雨で撃てよ桜の森よ
(h31.4.10)
※樹雨……木に溜まった雨の滴が降ってくること。
※令月……新元号『令和』で話題になったから入れてみた。
10
樹雨よと叫ぶ桜が散りぬるを
日よ疾く差せよ雨やめたまえ
(h31.4.10)
※樹雨が降る様子を桜が叫んでいる、
樹雨が降る音は樹雨よと叫ぶ声なのである、と
擬人化して表現してみた。俺天才。
天才だよね? 誉めて。高評価よろしく!
詞書
「第9首の変奏?」
11
令月は一人歩きの甲斐性無しが
桜に打たれる雨模様
(h31.4.10)
詞書
「竹藪の中の一株の桜を詠んだ歌」
12
花見をばいずこに求むる世捨て人
篁にはぐれしあの桜かな
(h31.4.12 金)
※篁……竹藪。
詞書
「近場のお花見会場の桜を見侍りて」
13
光陰の疾きは桜の如くなり
余燼くすぶるも春新し
(h31.4.13 土)
※余燼くすぶる……過去を引きずる
14
いろいろのかなたの名桜音に聞く
世とはまこと風に似るなり
(h31.4.13 土)
15
花の宴幕を引くは大烏
彼が漁るは夢の跡
(h31.4.13 土)
※松尾芭蕉の有名な句「夏草や兵どもが夢の跡」を意識した
16
あはれ人の身のはかなさの
似たるは桜かそれとも葦か
(h31.4.13 土)
17
桜咲きて散るは阿吽の息遣い
八千代を讃える謡なりけり
(h31.4.13 土)
詞書
「桜の花の色を説く歌」
18
この花は真白にありつつ紅色で
実に優なりけりまた勇なりけり
(h31.4.14 日)
詞書
「人気のない桜並木にて」
19
春の陽は楽しからずやこの花も
薄匂いつつ静かに踊れり
(h31.4.14 日)
詞書
「人間の認識能力は力への意志、意識、教養、
精神の規定に基づくことを説く歌」
20
心なくば春などしとねの生温さ
宴は酔えず桜も空摺り
(h31.4.14 日)
詞書
「雨後の泥に溜まる桜の花びらに思いを馳せて」
21
桜とて冷たき土に還るなら
凡夫が向かうは地獄か虚か
(h31.4.15 月)
詞書
「一重の桜がみんな散った頃に
だまになって咲く八重桜の異様な存在感に
心驚かされて詠んだ歌」
22
八重桜背高らかに赤漲りて
つぼみは一重の散りくるを待つ
(h31.4.15 月)
詞書
「丁度桜が散る頃に稲作が始まることが
やけに印象的に思えて詠んだ歌」
23
水引かれ日を照り返して田は光る
あの我が桜の散りしを合図に
(h31.4.17 水)
24
神風が花こぼし尽くして去る時は
田に苗そよぐしるしなりけり
(h31.4.17 水)
25
あはれ春風に散る桜の季節
にほひこぼれよ作付けの月
(h31.4.17 水)
26
たちこめる万朶の桜轟と晴れゆく
いざ稲田の季節の幕上がりけり
(h31.4.17 水)
詞書
「なんかポップな感じの歌」
27
春半ば桜が泣くその年一度
限りも知らに涙そうそう
(h31.4.18 木)
※涙そうそう……沖縄の首里方言で「涙がぽろぽろこぼれる」
という意味だそう。
詞書
「サルトル的省察に基づく歌」
28
桜の木花と呼ばれしさざれ石
散りしかと思へどよろづ代や経む
(h31.4.18 木)
※参照
「私は噴き出した。
なぜなら不意に、本に書かれている素晴らしい春のことを、
至るところではじけ、炸裂し、
巨大な開花で充満している春のことを思い出したからだ。
権力への意志と生存闘争のことを語った愚か者たちがいた。
つまり彼らはただの一度も、一匹の動物や一本の木を
眺めたことがなかったのか?
円形脱毛症のような斑のあるこのプラタナス、
半ば朽ちかけたこの樫、これらを、空に向かってほとばしる
若く激烈な力のように思わせたかったのだろう。
それならこの根はどうか? おそらく、猛禽の貪欲な爪が
大地を引き裂き、そこから栄養物をもぎ取るように、
これを想像することが必要だったのだろう。
物をそんなふうに見るのは不可能だ。
ぶよぶよなもの、虚弱なもの、それなら賛成だ。
木々はふわふわと漂っていた。
これが空にむかってほとばしっているなどと言えるのか?
むしろぐったりしていると言うべきだ。
今にも幹が疲れた陰茎のように皺になり、
縮こまり、襞のある黒く柔らかい塊になって、
地面に倒れるのが見られるだろう、と私は予期していた。
木は、存在したいとは思っていなかった。
ただ、存在をやめるわけにはいかなかったのだ。それだけの話である。
そこで木はそっと、大して気乗りもせずに、さまざまな小細工を弄した。
樹液は心ならずもゆっくりと道管を通って上って行ったし、
根はゆっくりと大地に食い込んで行った。
しかし木は絶えず、何もかもほったらかして、消滅しそうに見えた。
疲れて老いた木は、不承不承に存在を続けていたが、
それは単に死ぬには弱すぎたからであり、
死は外部からしか来られないためだ。」
(サルトル『嘔吐』)
※さざれ石……ここでは礫岩の意味。
「巌となったさざれ石」です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
「住友は竹藪や人気のない桜並木に出没する不審者だ」
「自分の小説のヒロインの名前で歌作るとか黒歴史だな!」
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おわり~っ
小説書けなかったら夏もやる。