水色のたまご
さくらは寂しかった。
だから、誰か傍にいてくれる人が欲しかった。
ある日公園にいたさくらは誘われるように森に入った。
それはさくらが8歳になったある日のことだった。
『こんなところ、……道なんてあったっけ?』
そう不思議に思ったけれど、さくらは森をどんどん奥まで歩いた。
そこはとても不思議な森だった。
いつの間にか空には太陽がふたつも見えて、にじいろのタンポポの綿毛が飛びかっていた。
薄桃色のウサギの親子
まるでパールのように輝く白いカラス
青い薔薇
さくらが見たことのない動物や植物が沢山いる美しい森だった。
『うわ!きれい!!』
何故だかこれが彼らのもう一つの姿だと素直に信じられた。
驚きながら、森を進むととても美しい湖に行き着いた。
二つの太陽からの光の光線により七色に輝く美しい湖面。
さくらはその美しさにしばらく目を奪われていたが、次の瞬間、眉を寄せた。
(え……あれって何かしら… 卵??)
湖の上に、一つの大きな大きな卵が浮いているのだ。
『まぁ 大変。沈んでしまったらきっと死んじゃう』
さくらは大きな木の枝を手にして一生懸命に岸から手をのばして、卵を引きよせた。
ようやく卵を岸に寄せたさくらはその卵を抱き上げてギュッと抱きしめた。
『はぁ…よかった卵さん、ケガはないかしら?』
さくらは卵のすみずみまで、よく見てひびわれがない事を確かめてニッコリ微笑んだ。
『よかった。まだ温かい。きっと大丈夫だよね。元気にでてきてね。』
さくらは、誰かが卵に悪いことをしないようにあたりを見まわして、人に見つかりにくい木の下に卵をそっと下ろした。
そして上から、木の葉をたくさんかけて、人から見えないようにして卵に話しかけた。
『卵の中の赤ちゃん。これで大丈夫よ。』
さくらはそう言って再び卵に微笑みかけて、ツルリとしたカラをそっとなでた。
そして、ここに来てから随分と長い時間がたっていることに気付いた。
『あ! もう帰らないと… 』
さくらの家にはおとうさんとおかあさんはいないのだ。
二人が死んでしまってから、さくらは家族がいない子供達と街のシスターと教会で暮らしていた。
シスターはとても優しくて、そこには同じくらいの年の子供達もいるけれど、そこになかなか馴染む事のできないさくらは毎日とても寂しかった。
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『あら、さくらちゃん お帰りなさい。』
そう言ってシスターがほほえみかけてくれる。
『ただいま。シスターももこ。』
さくらは、シスターに挨拶をした。
今日も一人だったさくらを見て、シスターは心配そうに眉をよせた。
『今日も一人だったの? お友達と一緒に遊べばいいのに…』
シスターはそう言ってくれるけれど、さくらはまだここにきたばかりでお友達とそんなに仲良くなれてはいない。
ここにいるお友達はみんな黒い髪の毛に黒い目をしているけれど、さくらの毛は、それと全然ちがうのだ。
さくらの髪の毛はピンクのような金髪で、目の色は緑色なのだ。
ここにいる友人達は、初めてみるさくらの髪の色に驚いた。
それも仕方がないのかも知れない。
さくら自身も、自分と同じ色の髪と瞳をした人間を他に知らないのだから。
(なぜ、私はみんなとこんなに違うのだろう……)
『なにあれ??』『変じゃね…?』
そう言っていた子供達を思い出したさくらはまた悲しくなって俯いた。
『だって…。さくら、みんなと違うから…』
泣きそうになってそう言ったら、シスターは優しく、さくらの髪の毛をなでてくれた。
『どうして? その髪の毛も、目の色も、私はとっても綺麗だと思うけどな…』
シスターはそう言ってくれたけど、人と違うことをお友達から言われるのはとてもさくらを苦しくするのだった。
その日、食事をして、お風呂にはいって、ベッドにもぐりこんださくらは昼の卵のことを思い出した。
『卵は大丈夫かしら? 鳥や、怖い獣に見つかったりしてないかしら?』
そう思うと、さくらはとても心配になった。
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次の日さくらは、卵が心配になってあの森に向かった。
教会を出ようとしたら洗濯物を大量に抱えたシスターに声をかけられた。
『あら、さくらちゃん。 今日もお出かけするの?』
そう言われ、さくらは頷いた。
『うん、公園の横の森に行くの。遅くならないようにするから、行ってきます。』
そう言ってさくらは駆け出した。
するとシスターは首をかしげて、不思議そうにつぶやいた。
『公園の横…。 森なんてないはずだけれど…?』
さくらもシスターも知らなかったのだ。
その森が現在、不思議の国への入り口になっていたことを。
さくらの為に懸命に作られたこの世と異世界を繋ぐ道だったことを。
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『よかった。卵さん。無事だったのね。』
昨日昨日のままそこにあった卵を見つめるさくら。
何故か薄い水色の卵は嬉しそうにピクピクとさくらを歓迎するように震えた。
さくらは卵が壊れてしまわないようにそっと抱きしめた。
『殻の中は、寂しくない?ずっと、一人でいるんだよね?』
プルプルプルと卵は震えるように返事した。
『こうしてると温かいね。卵さんにはお父さんとお母さんはいないのかな…。
鳥の卵は、お父さんとお母さんが温めてヒナが生まれるって聞いた事があるのだけれど…。』
卵の周周りには、それらしい姿はなかった。
『誰かに温めてもらわなくても、ちゃんと生まれてこれるのかな…?』
そう言って、さくらは卵を抱きしめた。
卵は、気持ち良さそうにその身体を震わせた。
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それからもさくらは、毎日卵のところにかよった。
毎日毎日少しでも温めてあげたくて時間を作ってかよった。
そして毎日話しかけた。
その日にあった嬉しい事…
少しだけ哀しいけれど、人には言えないこと…
そして毎日、最期に卵に言うのだ。
『元気で出てきてね。卵の赤ちゃん。』
そのたびに、卵はうれしそうに震えてこたえた。
でもさくらは最近、不思議に思い始めていた。
『…でも、あなたは何の赤ちゃんかしら? やっぱり鳥? でも大きいからダチョウかしら? 』
さくらは卵に話しかけるように考えた。
『う~ん、卵からでてくる赤ちゃん…。やっぱり鳥だと思うのだけれど、あっ!!もしかしてペンギン?? あ、でもトカゲやワニってことも。 …蛇だったらちょっとだけ怖いけど、でも大丈夫。卵の赤ちゃんが何になっても私はきっとあなたが無事に生まれてきてくれたらうれしいの。…大好きだからね。だから絶対絶対に、元気にでてきてね。』
そう言って卵をなでるさくらに、卵は少しだけ困ったようにフルフルと震えた。
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そうして卵と初めて出会った春から、夏を過ぎ、秋になって涼しい風を感じるようになったある日、さくらが卵のところに行くと、まるで卵はさくらを待っていたかのように、大きく身をふるわせて、ごろりと横に反転した。
さくらはその様子にあわてた。
その瞬間ミシリと卵は音をたてた。
『え…、卵の赤ちゃん、カラが… 大切なカラにヒビ入っちゃったよ…、ちょっと、どうしよう…』
卵にキズがついたことに気付いたさくらはどうしていいかわからなくなった。
卵の赤ちゃんが死んでしまったらどうしようと怖くなってしまったのだ。
『赤ちゃん…、卵の赤ちゃん、お願い… 死なないで。ああ、何かカラを塞げるものはないかしら?』
さくらは泣きそうになりながら、周囲をさがした。
どうにかして卵の赤ちゃんを助けたかったのだ。
そんなさくらの後ろでは、水色のたまごが、ピシっ ピシリときしむような音をたてていた。
そんな事も気付かずにさくらは泣きながら何かを懸命に探していた。
『お願い生きていて… 死なないで…』
その瞬間、後ろから何かの泣き声がした。
『ピ……??……ピ!? …ピルルルル…ッピー☆』
『え……?』
さくらはその声に振り返った。
そして、さくらは驚きで目を見開いた。
『あなたは……?』
そこには、水色の濡れたような鱗に覆われた身体に、サファイアのような青いつぶらな瞳をした何かが、|懸命に卵から這い出るようにさくらを見つめていたのだ。
『ピ… ルルルルル? ハッピー?? ルルルル…グルグルグルグル☆☆☆』
そう言って、その水色の生き物は、さくらのそばまでハイハイして近付いた。
そしてさくらのほっぺたに自分のほっぺたを合わせて何度もスリスリしながら、きれいな青いひとみを細めたのだ。
そして、青い瞳から一筋の涙を流した。
『あ… た、卵の赤ちゃん??』
さくらが、その動物を見つめて目を見開くと、青い生き物は『ピ…ルルル…』と一度鳴き声をあげて、さくらを見つめて首を横にかしげた。
その後、自分の姿を確認するように自分の手足をみつめたその子は一瞬だけハッとしたように目を見開いた。
そいて次の瞬間『ピッピールルッルル…』と何かまじないでもとなえるかのように、瞳を閉じた。
その瞬間、光を放ったように周囲が眩しく光り、さくらは思わず目を閉じた。
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『…………さくら…? ね…こっちむいて??』
ひどくたどたどしい言葉でそう呼びかけられたさくらは、ハッとしておそるおそる目を開いた。
そこには、プニプ二としたふくよかな頬に、淡い金髪に、水色の瞳をした1歳過ぎくらいに見える赤ちゃんが懸命に立っていた。
(赤ちゃん…?)
天使のように可愛らしいその姿はこの世のものとは思えなかった。
でも、その子は言うのだ。
『これで…? 一緒?? さくらと同じ??
ようやく会えたね。…ずっと、ずっと会いたかったんだよさくら。やっぱり君だった。ずっと、話しかけてくれてありがとう。』
男の子はそう言って、すごく可愛らしい笑顔で泣くように笑った。
それは、髪の色と瞳こそ違うけれど、人の赤ちゃんの姿だった。
『卵の赤ちゃん…?』
戸惑いながらそう聞いたさくらに、その男の子はにっこりと頷いた。
『うん!』
『人… なの?』
卵から人が生まれる事にさくらはどうしても納得がいかなかった。
そう問いかけられた男の子は、少しだけ困ったように首を横にふった。
『今は、さくらにあわせて人型をとっているけど、人じゃない。さくら、お願いだから怖がらないで…』
男の子は少しだけ、何かを恐れるようにそう言った。
『僕は、人じゃない。……竜なんだ。』
『……え!?』
考えもしなかった答えにさくらは固まった。
『りゅ…竜って、物語にでてくるあの……?』
驚きに固まるさくらに困ったように、竜は言った。
『物語にでてくるのかは分らないけれど、そう、僕は竜……。人の形で暮らす事のできる種類の竜なんだ。』
そして、竜は、マジマジとさくらを見つめた。
それはとても優しい、どこか懐かしいものを見るような瞳だった。
その瞬間、さくらは、頭を抱えてうずくまった。
心臓がバクバクと音をたてていた。
さくらは、この時感じたのだ。
この瞳に見つめられるのが今が初めてではない事を…。
(わたし… 一体どうしちゃったのかな…)
『さくら…、僕を見て…。』
竜にそう言われ、その青く輝く男の子の瞳を見つめた。
その瞬間、風を受けて空を飛ぶ光景が頭の中に浮かんだ。
さくらは人間だ。
空を飛んだことなんて無いはずなのに、はっきりとその光景が浮かぶ。
身体に受ける風の心地良さ。
見下ろした緑の大地や青い海の美しさ。
視界を奪う白く霞んだ雲を突き抜けた瞬間の爽快に広がる景色…。
(なぜ? なぜ私はこんな光景を知っているの……?)
さくらが困惑の表情を浮かべるのに気付いたのだろう。
『さくら…。もしかして覚えてる? 思い出してくれたの…?』
小さな竜は人型の赤ちゃん姿のまま、嬉しそうにさくらに抱きついた。
『僕だけじゃないよね…。さくら思い出して。君も、君も竜なんだ!! ようやく会えたんだ。』
そう言って、小さな赤ちゃんは再び、小さな子竜にその姿を変えた。
そして感極ったように子竜は鳴いた。
『ピールルッルルル!!ピー!!!』
そう鳴いている竜の言葉など人間であるはずのさくらには理解できるはずもないのに、この時さくらには子竜がなんと言っているのかわかった。
子竜は確かに言ったのだ。
『僕は約束を守ったよ。…また、一緒だよ、一緒に生きられる。嬉しい。ずっと一緒だよさくら……』
その言葉を聞いて目を見開いて固まっていたさくらの瞳からは自然と涙が流れた。
そして両親の言葉を思い出したのだ。
両親は、一度だけ、さくらに竜の話をしてくれたことがあったのだ。
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さくら、君が生きていくこの世には竜はいない。
幻の生き物なんだ。
でも、竜は確かに存在するんだよ。
両親は、あの時さくらにそんな話をした。
『竜?』
あの頃、そう首を傾げたさくらに、両親は優しく頷いて教えてくれた。
『そう、さくら、竜は確かに存在するんだ。
それは、ここにいるお父さんとお母さんが保証しよう。』
そう言って、父さんは小さく笑った。
それに続いて、母さんは優しく微笑みながら教えてくれた。
『さくら、竜はね。とっても大きくて強いの。でもね…その一方でとても寂しがり屋で愛情深い生き物なのよ。そして竜は一度誰かを好きになると、その相手を生涯の伴侶としてとても大切にするの。どちらかが先に死んでしまっても、竜は諦められないの。』
そう母が言うと、父はそっとさくらの頭を撫でた。
『そう、だからね、さくら…。もし、一人きりになったと、そう感じた時でも、信じていてごらん。きっと誰かが君を探しにくるから。 例え、君が待つ誰かが“君のいない世界”に生まれたとしても、きっと竜はそんな事を許さない。どんな方法を使っても君を探し出すから…。だから信じて待っているんだよ。』
そう言って、父は微笑んだ。
それは少しだけ、寂しそうな笑顔だった。
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『ルールッルルルルル ルルッ ピーナッツ!!』
突然口に何かを押し込まれて、私は目を見開いた。
竜の子は期待を込めた目で私を見つめた。
口に入れられた実を歯で噛み締めたさくらはそれがピーナッツであることに気付いた。
そして、また一つの記憶が蘇るのだ。
まるで天空のような丘の上で、地上を眺めながら、大きな温かい誰かとこうしてピーナッツを食べていた。
大きな大きな竜の水色の鱗。
その隣で佇んでいた、きっと自分の体であろう薄桃色に輝く鱗。
『ルールルルル プルルルルルル ピーピピピ』
(ずっと一緒だよ……)
小さな小さな水色の竜との、“時を越えた”長い長い約束はこうしてまた、時を越えて始まるのでした。
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おしまい