第五帖:枕de夜露死苦
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――春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明かりて 紫だちたる雲の 細くたなびきたる
平安時代の摂関政治全盛期――つまり、あの藤原道長が絶好調だった時代だ――、一条天皇の中宮定子に仕えた女房、清少納言が書いた、宮中の様子やまわりの考察を記した随筆の一文だ。女房っていうのはただの使用人ってだけじゃなく、エラい人たちのサロンには優秀なブレーンがつき物ということで、頭の回転が速くてとっさの機転も利いた彼女は、皇后様の家庭教師もしていたらしい。
この日本三大随筆のひとつ『枕草子』は、高校の教科書じゃ常連だけど(なぜか歴史よりも古典でよくお目にかかる気がする)、この四季の項を全部暗記しているオレは、かなりマニアックな部類だろう。残念ながら、テストで役に立ったことは、あまりないけど。
三条川原から西に行ったところにある峠の茶屋でだんごを食べながら、とりあえず一息。ウグイスの鳴く桜の木と、薄く流れる雲を見ていたら、ふと春の一文が頭に浮かんできた。もちろん今は夜明けじゃないけど、オレの住んでいる街じゃ、こんな静かでのどかな時間はないから、つい熱いお茶をすすって和んでしまった。
「今、あんたが、昼下がりの縁側で猫とまどろむじいさんに見えたわ」
隣でメロンソーダを飲むかぐやが、とんでもなくしみじみと言った。自覚は充分あるから、そんなに具体的に説明してもらわなくてもいいです……。
「ところで、かぐやはどうしてこの都に来たんだ?」
「いろいろあるのよ、大人の事情ってやつが」
なんとなく気になって訊いてみても、あっさりはぐらかされてしまった。どうせオレは、部活のサッカー命の、しがない高校生だよ。
「それじゃ、こっちに来てどれくらいになるんだ? この都のこと、けっこう詳しいみたいだけど」
「……4年。もうすぐ5年になるわ」
「へぇ、4年もずっと、1人で月に帰る方法を探していたのか」
「……まぁ、ね」
いつも威勢のいいかぐやは、自分の話になると急に目を逸らす。何か言いにくい秘密があるんだろうってことはわかっているけど、オレはあえて気付かないフリをしておくことにした。人には言えないことなんて誰にでもあるし、必要があればいつか話してくれるさ。
「とりあえず、このまましばらく都を案内してあげるわ。月に帰る方法はあなたにしかわからないから、その中から見つけ出しなさい」
「なんでオレなのかってことも……」
「もちろん、大人の事情よ」
お前、オレと同じくらいの歳だろうが。それとも、じつは10歳くらいサバを読んでいるとか……
「いっ痛〜……!」
容赦のない握りこぶしが、ぼーっとしていたオレの脳天を直撃した。ど、どうして想像していることがバレたんだ……。
「さ、バカなこと考えていないで、早く次に行くわよ」
「えぇ?もうちょっといいじゃないか。あと一皿、団子を食べるまで」
「あまりこのあたりで長居しない方がいいわよ。何しろ、この峠は……」
言いかけたかぐやの言葉をさえぎって……というよりも、それに答えるように、オレ達がやって来た坂道の下から爆音が響いてきた。それがあっという間にこっちに近づいてきて、気が付いたら数十台のバイクが小さな茶屋を取り囲んでいた。
「なんだ、お前ら?」
それはこっちが訊きたいよ……なんてもちろん言えるわけがない怖い人々が、ずらっと半円になってにらみつけてきた。
金髪パーマは当たり前。顔半分もあるマスクをしていたり、たばこをくわえていたり、鉄パイプを担いでいたり。そして、そろいの足首まであるロングスカート。ひるがえる漢字だらけの旗。
こ、こいつはもしかして、世間でいうレディース暴走族ってやつですか……?
「この峠は、彼女たちのシマなのよ」
かぐや、言うのが遅いって!っていうか、なに落ちついているんだよ!
「あたいらの出入りの店で茶ぁシバいているたぁ、いい度胸じゃないか」
「いや、ちゃんとお金は払いますから……なぁ、かぐや?」
「私、お金なんて持っていないわよ」
なっ……なんですと!? 休憩しようって言ったのはお前じゃないか!
「女の子にお茶代を出させようなんて、最低ね」
あきれながら言い捨てるかぐやに、同調してますます殺気立つレディースの皆様。ちょっ、待ってくれ! なんでオレが悪者になっているんだ!?
「てめぇ、そのふやけたうどんみたいな根性を叩き直してやる!」
「うわっ!」
いきなり振り下ろされた鉄パイプを、とっさに体をひねってよけたら、座っていた台がまっぷたつに折れた。それでかえって逆上した他のメンツが、次々と鎖やら棒やらで迫ってきたから大変だ。オレ、これでも真面目な高校生だから、ケンカなんかやったことない。ただ、運動神経だけは学校でも1番の自信があるから、どうにか避けて逃げまわることはできた。
「くそっ! このガキ、ちょこまかと……!」
「あぁもう、うるさい!」
この騒ぎの中でも、ひときわ大きく響く高い声がして、それぞれに武器を振り上げていた面々が一瞬で固まった。オレもびっくりしてふり返ったら、茶屋の2階から真っ赤なロングヘアの女性が苦い顔で出てきて、止まったままの一同をぐるっと見まわした。
「あんたら、あたいの創作タイムの邪魔をするなんて、いい度胸しているじゃないかい」
「もっ、申し訳ございません!」
さっきオレ達が絡まれた脅し文句と同じような言葉なのに、ドスのきいた静かな声はまるで重みが違う。レディースの皆様はいっせいに退いて、そろって頭を下げた。軍隊顔負けの見事な整列と、某会社重役の記者会見も真っ青の完璧なお辞儀だ。一瞬で乱闘を黙らせた鋭い視線は、最後にオレに止まった。
「あんた、若いのにいい動きをしていたじゃないか」
「あ、どうも……」
やっぱり長いスカートに赤いベストのお姉様は、なぜか鉄パイプではなくペンを1本持っていた。年のころは、オレより5歳から10歳くらい上なのかな?髪の色にも負けないばっちりメイクのおかげで、素顔も年齢もまるでわからない。
「あんた、名前は? ここいらの人間じゃないね?」
「修平、っていいます。えーっと……ちょっと遠くから来ました」
「シュウ、か。いい名前だね」にっこり微笑んだだけでも、迫力というか凄みがある。「あたいはセイコ、この峠をシマにしている『魔苦羅乃葬死』の総長だよ」
まくら、の……?「ひょっとして、本名は清少納言さん……とか?」
「へぇ、よそから来たのに、よく知っているじゃないか」
やっと落ちついて旗を見たら、黒地に赤い六文字熟語がひるがえっていた。マ、ク、ラ、ノ……いやいやいや、確かに同じだけどさぁ。その方向性は、あまりシャレになっていないぞ。いいのか、それで?
「シュウ、あんた、なかなか見所がありそうじゃないか。ま、ひとつ夜露死苦ね」
なぜか総長に気に入られてしまったらしいオレは、しっかり握手までしていた。本当にいいのか、これで……?
冒頭出典:『枕草子』より