第二十六帖:気持ち、全部
清涼殿の屋根からの眺めは、なかなかの絶景だった。壮大な町並みも悠久の歴史もひとり占めして、ここなら誰にも邪魔されない自分だけの世界がある。でも、帝の住まいの上に登るなんて不届きなことをやってのけたのは、オレだけじゃなかった。
「……かぐや」
いつも束ねている長髪が、風に広がって流れていた。夕日がまぶしくて表情はわからないけど、その手にはしっかりと赤い髪飾りを握りしめている。かぐやは目だけでふり返って、またオレンジの空に視線を戻した。
「聞いたのね、全部」
「まぁな」
「驚いた?」
「まぁ、な」
オレも隣に座って、気のない返事を吐いた。普段ならドツかれるところのはずだけど、まっすぐに前を見つめるかぐやは彫像みたいに動かなかった。たぶん、こいつもミカドの考えに気付いていて、わざと怒って席をはずしたんだろう。2人の関係は、オレにはわからない深いつながりがある。さっきはあんなにイラついたのに、今は不思議と落ちついていた。
「オレの前世がアル中のヘビースモーカーだったなんて、ちょっとショックだったな」
未来の約束を残して、2人は過去と別れた。そして、オレは彼らの名前と想いを背負って生まれた。止まったままの時間を動かすために生まれてきたのかもしれない。
それは別に構わない。たとえ血のつながりのない赤の他人でも。何百年、何十代離れていても。故郷に帰りたいかぐやと、それを叶えてやろうとしたミカドに、できることなら力になってやりたいと思うよ。
でも、今のオレは……オレの気持ちは……。
「ごめんなさい。本当ならあんたには何も関係ないことなのに、巻き込んでしまって」
素直に謝る言葉に、これも普段のオレならびっくりしてツッコむところだけど、今は胸が突き刺されたみたいに痛かった。
何も、関係ない、か……。意味もなく凝視する夕日がまぶしすぎて、瞬きをすることもできなかった。言いたかったことがたくさんあるのに、言葉にならなくてもどかしい。でも、言葉にするのが怖い気持ちもあった。
「なぁ、かぐや」 しばらくして、やっと口が開いた。「竹取物語のかぐや姫は、愛する人と別れて月へ帰って、幸せだったのかな」
ずっと気になっていたんだ。物語は終わっても、かぐや姫の生活は続いたはずなのに。彼女は、どんな思いで都を離れたんだろう。どんな思いで、その後の人生を過ごしたのかな。
「終わらせなきゃいけなかったのよ。でないと物語は終わらないし、誰も前に進めないから」
すべてが幸せな結末とは限らない。かぐやはぽつりと答えたけど、それは自分に言っているようにも見えた。4年もかけて、やっと前に進もうとしたけど、夕焼けに染まるかぐやの目には、まだ悲しい光が残っている。オレは急に、無性に腹が立った。
「オレがここに来たのは、お前が月に帰るのを助けるためだっていうのはわかったよ。でも、お前とこうして一緒にいるのも、オレがミカドの生まれ変わりだからなのか?」
「それは……」
「オレはお前らの願いを叶えるためだけに呼ばれたのかよ。お前は月に帰って、それで終わりかもしれないけど、オレは……オレはどうなるんだよ」
困惑するかぐやに気を配ることもできずに、オレは胸の奥でぐるぐるしていた黒いモノを手当たり次第に吐き出した。
「最初は無理矢理で、嫌々だったけど、都中をまわって秘宝を探すのがだんだん楽しくなっていたんだ。でも、宝が集まれば集まるほど、お前が月に帰る日が近付いているのに気付いて……そのためにがんばっていたっていうのにな」
「シュウ……」
「知っていたか? 物語のかぐや姫が帰った後、残された帝は形見に受け取った不死の薬も飲まずに泣いたんだよ。きっとミカドも同じ気持ちだと思う。なのにオレもまた、好きな人と別れなきゃいけないのか」
前世の記憶があるわけじゃないけど、火事現場でかぐやを失うかもしれないと思ったとき、オレはもう二度と別れたくないと思った。それはミカドの想いだったのかもしれないけど、今はオレが、自分の意志でそう願う。オレはかぐやが好きだから、ずっと離れたくない。
「私は……」 かぐやは何かを言いかけて、ぐっと髪飾りを握りしめた。「私が月に帰るかどうかは、あなた次第よ。確かにここへ呼んだのはミカドとの約束のためだったけど、この物語にどんな結末を選ぶかは、あなたの自由だわ」
かぐやは初めてオレと目を合わせた。……ズルいよな。そんなことまっすぐに言われたら、オレには選択の余地なんかないじゃないか。ずっと帰りたいと思い続けて、最愛の人と別れて、4年も独りで悩んで……やっと前に進んだっていうのに。オレにはかぐやの幸せを選ぶことしかできないっていうのに。
「心配しないで。たとえあんたがどんな答えを出しても、私は後悔していないから。4年前も、今も」
金色の夕陽に照らされたかぐやの笑顔は、まぶしくて哀しかった。そこに、今までの思い出とオレ達の心全部が詰まっているような気がして、オレも笑い返すことができた。もう、迷うことはない。
「1,000年もかかってしまったけど、約束を果たすよ。帰るべきところへ、一緒に帰ろう」
無意識のうちに伸ばしていた手を、かぐやがそっと包んだ。白く細い手は、今にも消えてしまいそうなのに、柔らかくて温かい。
「ありがとう、シュウ。あなたがあなたで、よかったわ」
夕陽が山の向こうへ沈んで、都は夜の闇に溶けた。でも、オレ達は月が高くなっても、ただ隣に並んで座っていた。つないだ手を、今は、今だけは離したくなかった。