第二十五帖:廻る縁(えにし)の輪
――逢ふことも なみだにうかぶ 我が身には 死なぬ薬も 何にかはせむ
「……さて」
酒(ウォッカのストレート)を飲み干して、タバコを3本同時に吸いつぶしたミカドは、やっと落ちついたみたいだった。禁断症状が治まったら、また目に鋭い光が戻って、表情も活き活きとしている。ウチの親父も毎晩なかなかの量だけど、こいつは完全な中毒レベルだ。
「シュウ、何から訊きたい? なんでも話してやるぜ」
赤い顔で上機嫌のミカドに言われて、オレはちょっと考えた。訊きたいことは山ほどあるけど、どれから訊けばいいんだろう? 1番知りたいことは、どうしてオレが1,000年前に飛ばされてきたのかってことだけど……。
「最初から。全部」
迷った末に出てきた言葉は、それしかなかった。このおかしな世界のこと、かぐやのこと、オレを知っているあんたのこと。お言葉に甘えて遠慮なくにらみ返したら、ミカドはおかしそうに笑った。むぅ、なんだか子供扱いされているみたいだな。
「最初から全部、か」 ミカドは目を細めながら、じっと考えて。「……やっぱ面倒くせぇ」
ぅおいっ!
「シュウには知る権利があるし、あなたが言わなければならないわ」
思いきりひっくり返りそうになったオレがツッコむ前に、横からかぐやが静かに言った。静かだけど問答無用の圧力が、オレにもひしひしと伝わった。なのに、厳しいだけじゃない、追い詰められた決心みたいなものも感じられたのは、どうしてなんだろう。
「わーったよ」 ミカドはむすっとしたけど、タバコの灰を灰皿に落としただけで逆らわなかった。「始まりは6年前……都のはずれに絶世の美女がいるっていう噂を聞いてな。当然、俺のものにしようと思った」
どんな男の誘いも突っぱねるかぐや姫の評判を聞き付けて、ついに天子までもが興味を持って訪問したっていうくだりが、物語にもあったな。
「だが、その女は月に帰るなんてぬかして、俺の出向命令もシカトしやがった」
「当然でしょ。用があるなら自分で出向きなさい」
「お前なぁ、天子が外に出るっつーのがどれだけ一大イベントか、わかっているのか? すげぇ労力なんだぞ」
「私の知ったことじゃないわね」
一方的にモノにしようとするミカドも、帝じゃなきゃ超自己中だと思うところだけど、その帝王の命令まで一蹴して、かぐやはいつもの高ビー全開だ。こいつには怖いものなんかないだろうな。
「まぁ、俺様が直々に出向いてやったらイチコロだったがな」
「あんたがしつこいから、しょうがなく会ってあげたんでしょ」
「相変わらず意地っ張りなヤツだな。ククク、初めてのデートのときなんか、何度も転びそうになるくらい緊張していたくせによ」
「ちっ、違うわよ! あれは高いヒールで歩きにくかっただけよ!」
おかしそうに笑う酔っ払いとは違う意味で真っ赤な顔になって、かぐやは怒鳴り捨てて部屋を飛び出していった。あの冷淡なかぐやが、めちゃめちゃ狼狽していたぞ。天然記念物並みに貴重なものを見られたのはうれしいけど、オレは素直に笑うことはできなかった。
「なぁ、さっきの話は、つまり……その……」
「ん? あぁ、俺たちがどこまでヤッたか聞きたいのか?」
「えぇっ!? あ、いや……」
「ハハハ! 冗談だよ。だが、かぐやが元カノだってのは本当だ」
胸がぐっと詰まった。なんとなくそうなのかもしれないって思ってはいたけど、実際に本人から言われると、悔しいのか悲しいのか残念なのか、自分でもよくわからなくなった。ただ……ただ、息が苦しかった。
「そんなにがっかりするなよ。いや、本当はがっかりしてくれた方がうれしいんだがな」
ミカドが何を言いたいのかも、悲しげな自嘲の意味も、考える余裕がなかった。
「俺たちはもう終わっている。……あぁ、終らせたんだよ」
酒ビンに揺れる液体を見つめる目は、昔の光景を思い浮かべているように見えた。確かに、すべてを話してほしいけど、2人の間に何があったのかは訊かないでおこうと思った。
ミカドは新しいタバコに火をつけた。灰色の無骨な灰皿には、すでに吸殻が溢れそうになっている。煙をひとつ吐き出したら、表情が少しだけ硬くなった。
「お前とは、2人だけで話をしたいと思っていた」
そのとき、オレもやっと気付いた。今までのは、わざと恥ずかしい思い出話をして、かぐやを追い出すための前置きだったのか。あいつの性格を知り尽くしているんだなって、また黒い想いが暴れそうになった。
「お前は、月へ行く方法を知っているか?」
「え? それは、5つの秘宝を集めて……」
「そうだ。そうすれば、この世とあの世をつなぐ橋が、月への架け橋になる。……だが、それだけでは月へ行くことはできねぇ」
一瞬、あのエセ陰陽師に騙されたかと思った。けど、秘宝を集めるところまでは合っているらしいから、まだ続きがあるってことなのかな。
「月へ行く……正確には、元いた月の民しか行けないから『戻る』ということだが、彼らが天の羽衣をまとえば空に還れるらしい。羽衣は、5つの秘宝がそろえば現れる」
「それじゃぁ、他に何が必要なんだ?」
「必要、というか、あってはならないもの――この地に縛り付ける“想い”だ」
「縛り付ける、想い……?」
「未練を残して月に帰ることはできねぇ。心から帰りたいと強く願うか、さもなきゃすべてを忘れてしまうしか、な」
あぁ、そういうことだったのか。感情のない言葉で淡々と話すミカドに、オレは2人の過去がはっきりと見えた。
どうして別れたのか。
どうしてあんなに互いを哀しい目で見ていたのか。
どうして、4年も独りでこの都に留まっていたのか……。
「あいつが月に帰れなくなったのは、俺のせいなんだよ。俺があいつを引き留めたから……俺は見てのとおり、こんな体たらくだ。あいつを愛する資格もねぇのにな」
一気に酒をあおったミカドは、もう酔ってはいなかった。完全に冷めた眼で、ここじゃないどこか一点を見つめている。
国を支える王が、好き勝手に生きることなんか許されるわけがない。きっとミカドはオレなんかにはわからない、大きなものを背負っている。どんなに好きな人ができても、すべてを投げ出して自由になることはできないんだろう。でも、それでもかぐやを愛してしまって……かぐやも……。
月には家族や友達がいるだろう。どれだけ好きでも、一緒になることはできない。たった1人で異国にいるよりも、故郷に帰った方がいいに決まっている。だからミカドは、かぐやを月へ帰すために別れた……かぐやも、4年もかけてミカドを忘れようとした。だったら、オレは……。
「どうしてオレなんだ? かぐやはオレじゃなきゃ月へ帰る方法を探せないって言っていた。でも、条件はもう全部そろっているんだろ? だったらオレがここに来る必要なんかないじゃないか」
「あるんだよ。お前である必要が。なぜなら、俺がそう約束したからだ」
言っている意味が……ミカドの射すくめるような笑みの意味がわからない。どういうことなんだ?
「俺がかぐやに約束したんだ。あいつを月の都へ帰してやると。そして、たとえどんな未来のどんな場所だろうとも、いつか必ず一緒になるとな」
「それが、オレとどういう――」
「俺の諱は修成だ」
お前と同じ修の字だと言って、ミカドはそれきり黙り込んだ。すぐに答えがわかったオレの心の中を探るように、じっと見据えている。
でも、オレは何も言えなかった。ただ目を合わせないように、意味もなく灰皿をにらみ付けることしかできなかった。
冒頭出典:『竹取物語』より