第二十二帖:悪竜バルバドス
真っ黒な空に稲妻が走って、じっと見据えるドラゴンの赤い眼が光った。今にも雨が降り出しそうで、山頂の強い風に揺れる木の岩場が今にも崩れそうだけど、そんなことを心配している余裕はない。
いくら平安時代だからって、たとえ牛がチーターよりも早く走る世界だとしても、竜が実在しているなんて反則だろ。この圧倒的な威圧感さえなかったら、何かの冗談かと思いたくなる。どうせファンタジー路線で行くなら、このあたりで世界の平和のために戦う勇者が伝説の剣で危機を救ってくれる……くらいの用意はしておいてほしいんだけど。
「フハハハハッ! そこになおれ、悪竜バルバドスよ! 今こそ麿が成敗してやるぞ!」
マロが剣を振りまわして必死に叫んでも、相手はあまりに大きくて、幼児が相撲取りにケンカを売っているみたいに見えてしまう。……ダメだ。こいつじゃ期待も安心感もまるでない。
やっぱりマロが注意を引きつけている間に、なんとか秘宝をかすめ取るしか……うぅ、でも、実際に目の前にしたら、とてもじゃないけど近づけないよ。足が震えそうになるのを堪えるのが精一杯だ。
「ゆくぞ! 覚悟ぉぉーッ!」
「キャーッ!」
――ッ! ……ん? オレはとっさに頭を押さえて目を閉じたけど、なぜか何かが引っかかった。吹っ飛ばされるマロの悲鳴が聞こえるはずなのに、今、「キャー」って聞こえなかったか?
「……かぐや!?」
頭の回転が追いついて、あわてて顔を上げたら、まずしっかりと後ろに下がっていたかぐやの無事を確認した。無事どころか、眉ひとつ動かさないで平然としているよ……こいつの図太さを忘れて心配したオレがバカだった。
そうなると、さっきの「キャー」はいったい……?
「キャーッ! いやぁ! 助けてぇ!」
視線を元に戻したら、イヤイヤをする乙女よろしく、両手足をばたばたさせているドラゴンがそこにいた。さらにその背後の空には、悲鳴を上げる間もなく吹っ飛んでいくマロの小さな姿がちらっと見えた。えーっと……もしかして、キャラの路線を間違えた……か?
「あ、あなたも私をいじめに来たのね! それ以上近づかないで!」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! オレ達は武器も何も持っていないんだ! ほら、な?」
ごっつい図体を揺すって暴れるドラゴンは、恐ろしい眼をきょとんとさせて、オレとかぐやをじろじろと見た。白旗を振らんばかりに降参のポーズをして(かぐやも黙って両手を挙げた)、竜の警戒と誤解が解けるのをおとなしく待った。たぶん数秒間だったと思うけど、鋭い爪がすぐそこにあって、生きた心地がしなかったよ。
「ふぅん……それじゃ、本当に私をいじめに来たんじゃないのね?」
「あぁ、もちろんだよ」
それは本当に本心だ。現実的には立場が逆だったとしても。
「人間はいつも私をいじめるのよ。私、何もしていないのに。それに、勝手にバルバドスなんて格好悪い名前まで付けちゃって……私の名前はシャルロットなのよ」
シャ、シャルロット、ですか……。「ちなみに、今までここに来た人たちは?」
「さぁ。気が付いたらいなくなっていたわ」
西洋の伝説に出てくる竜まんまの姿をしているかと思ったら、中身はさながら西洋中世のお姫様ってところか。山に踏み込んできた人間に怯えながらも、無意識に片っ端から吹っ飛ばしていって、ますます討伐に来る人間が増えたってわけだな。誰だよ、最初に来た迷惑なヤツは。
「それで、貴方たちは何をしに来たの?」
「じつは……」
見上げる首が痛いぐらいはるか上にあるシャルロットの顔を仰ぎながら、ここに来た理由、“竜の首の珠”がどうしても必要だってことを話した。もしオレがド近眼だったら、貴族の令嬢と談笑していると思ったかもしれないくらい、いかつい竜は穏やかに聞いてくれた。
「そうだったの。こんなものがほしいの?」 シャルロットはしげしげと首飾りを見た。「私たち竜の糞なんか、何に使うの?」
「は? ふ、糞……?」
「奥山が晴れた日によく乾かして、丸く磨いたのよ。ふふ、きれいな宝石みたいでしょ?」
宝石、じゃないのかよ!? いや、百歩譲ってただの石ころでもいい。なんでよりによって糞なんだ。しかも秘宝なのに、量産できちゃダメだろ。
「あら、でも結構貴重なのよ。私たちは100年に1度くらいしか糞をしないし、奥山が晴れるのも100年間のうち数日なんだから」
すっげぇ超便秘だよ。そういうふうに説明されると、本当に貴重な宝に見えてくるから不思議だ。この恐ろしい風貌といい、秘宝の原材料といい、世の中知らない方がいいことが多い。シャルロットは短い手を器用に動かして、首の銀鎖を刃物みたいな爪で切った。
「ちょっと気に入っていたんだけどね。貴方たちにあげるわ」
「いいのか?」
「もしかしたら、これを狙って人間が来ていたんじゃないかと思って。静かにお茶ができるなら、これくらいいいわ」
まぁ、これが秘宝だとも糞だとも知らないだろうけど、高価な宝石として目を付けていた可能性はあるな。マロは単純に竜退治で名声を上げたかっただけにしても、武士に依頼して手に入れようとする権力者やコレクターならゴマンといそうだ。お互いの利害のため、ということで、オレもありがたく秘宝を譲り受けた。なんだか匂いそうな気がするのは、きっと気のせいだと思いながら。
「ありがとう、助かったよ」
「貴方たちなら、またいつでも来ていいわよ。今度はアップルティーでもご馳走するわ」
どんなサイズのカップで、そもそもどうやって飲んでいるのか、こいつは興味深い。ご機嫌で見送ってくれる西洋のお姫様に手を振って、オレ達は山を降りていった。こっちの東洋のお姫様は、ずっと黙り込んだままだけど、別に怒っているわけでもないみたいだから、今はただ横に並んで歩くだけにした。行きとは大違いの明るい気分だから、足取りも軽い。
そういえば、行きと違うことが他にもあったような……まぁ、いいか。




