第十八帖:歴史的大小説、執筆中
――いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
長い長い塀の横にぽつんと建つ一軒家は、特にボロいわけでも狭いわけでもないんだけど、あの規格外の大豪邸を見た後じゃ、どうにも貧相に思えてしまう。ここの住人が誰なのかはわかっている。……けど、どんな人格で来るのかは油断できない。何しろ、清少納言が“アレ”だったからなぁ。まさか、敵対するレディースだったりして……いや、史実上もライバルだった彼女なら、充分にあり得るかも。
「あら、どちらさん?」
出てきたのは、とりあえず見た目普通の女性だった。少なくとも、改造バイクや鉄パイプはない。お隣のドウシンさんに紹介されて話を聞きに来たって説明したら、ちょっと困った顔をしたけど、中に入れてくれた。
「散らかっていて、ごめんなさいね」
某総長の下宿部屋と同じように、床に散らかった資料やら丸めた紙切れ。それはいい。机からも棚からも崩壊直前の本の山。これもいい。いかにも小説家らしいモッサリした感じは、まぁイメージどおりと思えば想定内だろう。
……問題は、この壁一面を埋め尽くしているモノだ。
「悪夢の館と呼んであげるわ」
かぐやの端的かつ的確な感想が、すべてだった。壁という壁、ドアの裏から天井まで隙間なく張られたポスター。そのすべてに映っている男が、サラサラ茶金髪に白い歯をキラッと光らせて、爽やかな笑顔を振りまいている。爽やかなんだけど、中身を知っていると濃すぎて、まったく落ちつかない。これは確かに悪夢だな。
「ほんっと! こんなにミッチー様に囲まれているなんて、まさに夢の館よね!」
都合よく聞こえたらしい小説家は、部屋中にうじゃうじゃいる人気ナンバーワンアイドルをうっとり眺めながら絶叫した。やっぱり、この世界はどこかズレている。オレが過去を改ざんするまでもなく、充分にイカれているぞ。
「念のために聞いておくけど、紫式部さん、ですよね?」
「パープル・紫のペンネームは、覚えておいて損はないわよ」
得意そうに笑って見せてくれた書きかけの原稿は、大長編のあらすじをまとめたものだった。とある帝がぞっこんの側室ねーちゃんが、玉のように輝くばかりの子供を生んで、その子が超絶美形青年に育って数多くの美女をたぶらかす女性遍歴の物語――と。後世で「世界最古の長編小説」と賞賛されている作品も、こんな身も蓋もない説明をされたら、もはやドロドロの昼メロにしか見えない。いつの時代も、美形と愛憎劇は王道のツボらしい。
「どう、その話? おもしろい?」
「まぁ、ただのありきたりなお約束――」
「絶対に大ヒット間違いなしだ。歴史的傑作だよ、うん」
「本当? ふふ、そんなに褒められると、うれしいじゃない」
正直に思ったことを吐きかけたかぐやの口を塞いで、オレは感想じゃなく事実を言った。かぐやに思いきりにらまれたけど、これは史実なんだから歴史に影響はないだろ。それに今は、パープルさんを怒らせるのは得策じゃない。気分をよくしたところで、さっそく秘宝のことを訊いてみた。
「あぁ、あれね……」
菅原邸にあった“蓬莱の玉の枝”のことは、すぐに思い出したみたいだけど、なかなか渋って次の言葉を出そうとしない。でも、オレ達のことを警戒しているわけじゃなさそうだから、もう一押しだ。
「それじゃ、これと交換っていうのはダメかな?」
ここぞとばかりに取り出したのは、前に三条川原で本人から無理矢理押し付けられたミッチーのサイン入り色紙だ。これだけ部屋中にポスターを貼りまくっているからには、ファンじゃないはずがない。案の定、パープルさんの目の色が一瞬で変わった。
「まっ、まさか! それ、本物……なの?」
「もちろん。本人から直接もらったんだ」
「ほ、本人!? ミッチー様ご本人から!?」
大興奮のパープルさんは、鼻息だけで牛も吹っ飛ばせそうな勢いだった。あのとき川原で取り囲んでいた女の子たちも同じくらい熱狂的なファンだったけど、あのナルシスト優男、そんなにスゴいのか……?
「お、お願い! それ、ちょうだい!」
言うが早いか色紙をひったくったパープルさんは、ひとしきり眺めて感動した後、神棚にお供えしてしまった。そ、そこまで喜んでもらえたら、邪魔だけど捨てずに取っておいたかいがあったよ……。
「さ、約束よ。秘宝を渡しなさい」
パープルさんの狂喜ぶりをあきれてみていたかぐやが、やっと落ちついたところで話を戻した。あんなサインくらいで宝と交換してもらえるなら、安いもんどころか詐欺みたいな気もしてしまうけど、本人が満足しているならいいよな。これで3つ目、やっと半分以上が集まったと思ったら、パープルさんが申し訳なさそうに苦笑した。
「残念なんだけどね。あれ、もうあげちゃったのよ」
「あげた!?」
本日2度目、オレとかぐやはまた同じセリフをハモってしまった。ここでも同じことを言われるなんて……がっくりしたけど、ハイそうですかで諦めるわけにはいかない。
「それじゃ、今はどこにあるんですか?」
「プレゼントしたのよ、ミッチー様に」
「ミッチー……あいつにか……」
「ミッチー“様”よ!呼び捨てなんて失礼でしょ!」
いきなり怒鳴られたから、ビクッと首をすくめた。熱狂的ファンの前でそいつを冒涜することは自殺行為だってことも、全時代全世界共通だってことを、今さらながら身をもって学んだ。
でも、こうなると彼に会いに行くしかないな。面倒というか厄介というか、生理的に勘弁してほしいというか……とにかく、できるなら遠慮したいってオーラはかぐやの方が満々だけど、今回はそうも言っていられない。
「自分から行ったりなんかしたら、あいつがどれだけ絶叫して喜ぶか、今から想像しても頭が痛いわ……」
心中、お察し申し上げます。……それとも、ご愁傷様、の方がいいか?
「あなた達、まさかミッチー様に会いに行くの? っていうか、そんなに簡単に会えるわけ?」
「たぶん、ね。コンサートに招待されていたし」
「私も行く! いいえ、絶対に付いていくわ! 待っていて、ミッチー様!」
狂喜乱舞するパープルさんをよそに、もうどうにでもしてくれと、かぐやが頭を押さえてため息をついていた。このパープルさんの勢いと、なぜか気に入られているかぐやの顔パスがあれば、人気アイドルからファンプレゼントを強奪……もとい、譲り受けるのも楽勝かもしれないと、オレは密かに計算していた。
冒頭出典:『源氏物語』より