第十五帖:火事場の恋力
――過ぎ別れぬること、かへすがへす本意なくこそおぼえはべれ。月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。
さっきまで大歓声が爆発していたスタジアムは、今や大混乱の真っ只中だった。下の通路から火が出て、客席スタンドはあっという間に逃げる人と煙でごった返していた。あれだけ超満員だったんだから、いっせいに動き出したらとんでもない騒ぎだ。
「おーい! かぐや!」
外に出ようと押し合う人混みの中で、オレは逆走しながら叫んだ。試合前に応援していた席に、あいつの姿はなかった。先に外へ出ていればいいんだけど、最前列の席からじゃ、出口はかなり遠いはずだ。まだ、このどこかにいるかもしれない。
「すみません、長い髪の女の子を見ませんでしたか? 東側の最前列にいたんだけど」
途中で通りがかりを捕まえても、みんな自分が逃げるのに必死だった。中にはサインなんか頼まれて、こんなときじゃなきゃうれしいんだけど今は却下だ。何人目かで、やっと知っているヤツが見つかった。
「そんな感じのコが、まだ奥にいたぞ。あのあたりはみんな逃げた後だったのに」
Tシャツ姿のちょんまげ男は親切に教えてくれたんだから、笑っちゃいけない。オレは頭を見ないようにお礼を言って、まだまだ湧き出てくる人たちをかき分けて、さらに通路を進んでいった。あいつ、何やっているんだよ。他人を押し退けてでも、真っ先に逃げるかと思っていたのに。……逃げてほしかったのに。
「ごほっ、ごほっ……!」
くそっ、煙がひどくなってきた。火元が近いのかな。さすがにここまで来たら、みんな逃げた後みたいで誰もいない。
「かぐや!どこだ!?」
返事どころか、不気味なくらい物音ひとつしない。叫んだら煙を吸い込んでしまって、喉がひりひりした。目も痛い。むっとする熱さだ。壁の案内板によると、現在地は客席Aエリアの入口近く……このあたりのはずなんだど……
「うわっ……!」
扉を開けたとたん、赤い光と衝撃に吹っ飛ばされた。一瞬、爆弾が爆発したのかと思ったけど、扉の向こうの炎が噴き出してきたんだってわかった。あぁ、部屋に空気が入ったら一気に燃え上がるって、科学の授業で習ったような気がするよ。
「……かぐや!」
やっと見つけた。よりによって、この部屋のど真ん中……火と崩れた瓦礫に囲まれた、この中に。目立ったケガはないみたいだけど、呼びかけても倒れたまま動かない。
「おーい、シュウ!」
ナリミチ! あいつまで、なんでここにいるんだよ。
「1人じゃ危ねぇから追っかけてきたんだ。あのコは見つかったのか?」
「あぁ、あそこに」
オレが目で示した先を見て、ナリミチも顔を歪めた。見えるところにいるのに、天井まで立ち上がった炎が道を塞いで、とても近づける状況じゃない。
でも……。
「ここからじゃ無理だ。あっちの階段からまわりこむぞ!」
……でも、あいつを見捨てるわけにはいかない!
「他の道を探している暇はない。オレが行く!」
「ムチャ言うなよ。火の勢いがすげぇし、ここだっていつ崩れるかもわからねぇんだぞ!」
「やってみなきゃ、わからないだろ」
いや、やってやる。かぐやはオレが絶対に助けるんだ。もう――
『じゃぁな、かぐや』
『さようなら、ミ……』
「――あいつと離ればなれになるのは嫌なんだ!」
「シュウ、お前……」
制止しようとするミチナリの手を振りきって、炎の壁に突っ込もうとしたけど、やっぱり簡単には行けなかった。服のすそが焼ける匂いがして、ますます息が苦しくなる。火が熱いのなんてわかりきったことなのに、今さらためらってどうするんだよ、オレは!
「待てよ、シュウ。どうしても行くなら、こいつを着ていけ」
止めようとするのをあきらめたナリミチが、ふかふかなのに薄手のロングコートを手渡してきた。何かの毛皮の……まさか、これ!?
「優勝賞品の“火ネズミの皮衣”をかっぱらってきたんだ。ま、さっき俺たちがもらうはずだったんだから、先に使ってもいいだろ」
「これなら、火の中でも燃えないんだな!」
「本物なら、な」ナリミチが泣きそうな顔で苦笑した。「でも、こいつがあの伝説の皮衣だって証拠はねぇ。もし違ったら、毛皮だからな、普通の服よりさらに燃えやすい。それでも、行くか?」
「もちろんだ。ありがとう、ナリミチ!」
大丈夫だ。ヨーがここにあるって言っていたんだし、長屋で見た安っぽい偽物毛皮とも全然違う。袖を通したら、毛皮なのにひんやりと冷たい不思議な感触だった。
「俺は出口を確保しておくから、早く来いよ!」
「あぁ、そっちは頼んだ!」
頭を低くしてナリミチが走ったのと同時に、オレも火の中に飛び込んだ。いちおう、それなりに覚悟していたけど、コートに隠れた肩から足首まで全然熱くなかった。すげぇ、これが秘宝“火ネズミの皮衣”なのか。靴と頭だけ燃えないように気をつけて、オレはまっすぐにかぐやに駆け寄った。
「かぐや、大丈夫か? しっかりしろ!」
「……」
抱き起こして叫んでも、全然目を覚まさない。ヤバい、煙を吸いすぎたのか。どうしよう、どうすればいいんだ? 応急処置できるものなんて、何も持ってこなかったし……いや、1つだけできることがある、けど……。
「……仕方がない」
かぐやを床に横たえて、少し顎を持ち上げた。こうなったら人工呼吸をやるしかない。保健体育で人形相手にしかやったことないけど。えぇっと、気道を確保したら、口を……口を……えぇい、こんなところで迷ってどうする!
「……」
初めて触れた唇の感触は、柔らかくて温かくて、今にも壊れてしまうんじゃないかと思った。そっと空気を送り込んで、次は胸に手を当てた。お、思ったより柔らかい……って、そんなこと考えている場合じゃない。強すぎないように心臓マッサージをして、また息を吹き込む。何度も、それをくり返して。かぐやの目が覚めるまで。何度でも。
なぁ、頼むから戻ってきてくれ。
月に帰るんじゃなかったのかよ。やっと宝を2つ見つけたばっかりなのに、まだまだこれからなんだぞ。
オレはもう二度と……“もう”?
オレ達、どこかで会ったことがあったのか? なぁ、他にも知りたいことがたくさんあるんだ。だから早く起きてくれよ……。
「ん……」
かぐや!? 起きた!やった!!
「シュウ? 私……」
「いいから。さぁ、外へ出よう」
薄く目を開けたかぐやを横に抱き上げて、できるだけ2人とも隠れるようにコートを着直した。かぐやが目を覚ましたんだから、ここから逃げるくらい簡単なことだ。出口で待っていたナリミチと合流して、オレ達は明るい空の下、スタジアムの外へと飛び出した。
冒頭出典:『竹取物語』より