第十帖:母イズミ子イズミ
――大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
都に数あるキャバクラの中でも、断トツの人気を誇るキャバ嬢イズミさんは、ここ20年間トップの座を明け渡したことがないらしい。20年も変わらない完璧な美貌、心をつかむ接客、とろけるような声は、魔性とも伝説とも言われている。
「イズミさん、つかぬことをお聞きしたいんですけど……」
「うふふ、女性に年齢を聞くのはご法度よ」
気になって仕方がないオレに、イズミさんはにこやかに微笑んで話を流した。さすがに仕事がら、質問をかわすのがうまい。そんなまぶしい笑顔を向けられたら、些細な疑問なんてどうでもよくなってしまったよ。
「些細どころか、重要な問題よ」
怖い顔のかぐやにまた耳をつねられて、オレは鼻の下が勢いよく縮んだのがわかった。
「あなた、秘宝を持っているわね」
「秘宝?」
「とぼけても無駄よ。何年も歳をとらないのは、秘密の力なんでしょう?」
じっと挑戦的ににらみつけるかぐやの視線を受けても、イズミさんはにこにこ笑ったままだった。すごいな、秘宝のおかげで歳をとらないなんて。ゲームか漫画に出てきそうな、まさに伝説的な力だ。
「うーん、それじゃこっそり教えてあげるけど……」イズミさんの顔が、ちょっとだけ赤くなった。「あたし、じつは今年で40歳なのよ」
……。……。えぇーッ!?
「40って……マジですか?」
「マジなのよー。ふふ、でも誰にも秘密よ」
いや、でもやっぱりおかしいよ。20歳って言われても充分うなずけるこの美貌にしては歳が上すぎるし、ハルアキさんのお母さんにしては若すぎるし……。
「ハルアキ君? あの子はウチのお隣の子供よ。彼のお母さんは、あそこ」
イズミさんの視線を追っかけてカウンターの方を見ると、ごっつい化粧をしたおばちゃん(おばあちゃん?)が恐ろしく満面の笑みで手を振ってきた。あー、あぁ……あれ、ね。言われてみれば、イズミさんがハルアキさんのお母さんだって、誰が言ったわけでもない。そもそも、なんで勘違いしていたんだっけ?
「なんでハルアキさんがここを教えたってわかったんですか?」
「女の勘よ」
もうこうなったら、親子であろうがなかろうが関係ない。意味ありげに知り合いみたいに言うから、話がややこしくなったんじゃないか。……でも、このきれいな顔に笑いかけられると怒れないのが悲しい。
「それで、宝ってなんのことなの?」
無駄に遠回りした後、やっと本題に入った。待ちかねたかぐやが、月に帰るために必要な秘宝のことと、それがこの店にあるってハルアキさんから聞いたことを話した。
「ツバメの子安貝、ねぇ。これが?」
イズミさんは、胸元の白い貝殻を白い手でさわって不思議そうな顔をした。
「それ、貸してもらえませんか?」
月に帰る魔法か何かがうまくいったとしても、よくあるパターンでそのとき秘宝が砕け散るって可能性がないわけでもないんだけど、いきなり初対面で人の物をくれとは言えなかった。今にも言い出しそうなかぐやが黙っていてくれることを祈りながら、オレは切実な目でお願いしてみた。
「月へ帰るためには、その秘宝がどうしても必要なんです」
「そうねぇ。これ、結構気に入っているのよ。娘からのプレゼントで……」
「お母さん」
小さな声がしてふり返ったら、小さな女の子がオレ達を見上げていた。こんなおミズの店に、なんで子供が……ん? 今、お母さんって?
「あたしの娘なのよ。早番のときは連れてきているの。ほら、お客さまにご挨拶しなさい」
「初めまして、コイズミです」
ハキハキとした声と丸いまっすぐな目は、とても利口そうだった。まだ10歳にもなっていないんじゃないかな。
「お母さん、さっきの話、聞こえたんだけど」
「そう。でも、これはあなたが誕生日プレゼントにって、わざわざ海から取ってきてくれた、大切なものでしょう。どうしようかと思って」
「うん、だからね。私のクイズ問題が解けたら貸してあげるっていうのはどうかな?」
「でも、それじゃぁ……」
コイズミちゃんが提案しても、まだイズミさんは渋っていた。これは秘宝を貸してもらえるチャンスかもしれない。
「いいよ、オレ達は。コイズミちゃんの、その条件で」
「本当に?」
親子そろって訊かれたから、ちょっと言葉に詰まってしまった。たかが子供の遊びに付き合うだけじゃないか。オレ、小さい子は結構好きだし、そんなことで貸してもらえるなら簡単なことだ。もう1回うなずいたら、冷めた感じのコイズミちゃんがかすかに笑った。
「問題は3つ出すから、1つでも正解したらお兄ちゃん達の勝ちね」
「わかった」
これくらいの子供って、クイズとかなぞなぞが好きなんだよな。オレも小学生のころは、友達と出し合いっこをやったよ。久しぶりだから、楽しみ……
「第1問。S系でx1 = βx0,x2 = x3 = 0の曲線で表される、つまりx軸方向に速度vで移動する物体を考えると、この物体が静止してみえるS'系でx'0だけの時間が経過したとき、S系で経過する時間は?」
「……。……はい?」
一瞬、自分の耳がバカになったと思った。エスが、エックスで……えぇ?
「日本語をしゃべってくれ」
「特殊相対性理論における時間の遅れの現象よ。知らないの?」
言葉に詰まるどころか、頭の中が完全に停止した。平凡な高校生が、そんな意味不明な公式なんか知るわけがないだろ……つーか、アインシュタインの理論を、なぜ平安時代のガキンチョなんかが知っている。そっちの方が不自然極まりないぞ。念のために隣を見たら、かぐやはむしろオレをにらみつけていた。さっさと答えろと、無言の威圧感がとてつもなく痛い。
「次、行ってくれ」
「お兄ちゃん、科学は苦手みたいだから、今度は国語にしてあげる」苦手というレベルの問題か? 「第2問、『帝紀及本辭 既違正實 多加虚僞』――この意味と出典は?」
コイズミちゃんは、これまた意味不明な漢字の羅列をすらすらと書いて、その紙を差し出した。見たことない字もあるけど、中国語じゃないなら、かな文字を使う以前の古文だから……。
「古事記か日本書紀か、そのあたりかな?」
「へぇ、お兄ちゃん、やっぱり国語は得意なんだ」
コイズミちゃんは、意外そうに目を丸くして驚いた。なんか、褒められているのかナメられているのか、微妙な言い方だな。でも、読み方も意味もさっぱりわからない。
「惜しかったわね。出典が古事記の序文ってところまでは合っていたんだけど」
悔しいというよりも、だんだんハメられた気分になってきた。何なんだ、この子は。ただのお子ちゃまじゃない。
「コイズミは、IQ200の天才なのよ。母親のあたしが言うのもなんだけど」
イズミさんが、笑いをこらえながら言った。IQ200って、おい……理論公式やら古典文学やらをソラで暗記している天才の「クイズ」なんか、まるで詐欺じゃないか。
「……待てよ」
男性遍歴が数知れない女流歌人と、天才少女と謳われた娘……どこかで聞いたことがあるぞ。
「もしかして、和泉式部と小式部内侍じゃ?」
「あら、歌会でのペンネームを、よく知っているわね」
今度こそ本当にびっくりしたイズミさんとコイズミちゃんは、さっきとは違う意味の意外性を込めてオレを見た。ペンネームだったとはオレも知らないけど、なるほど、どうりですごい親子のはずだよ……。
特殊相対性理論と古事記についての記述は、ともにウィキペディアより抜粋させていただきました。
冒頭出典:『百人一首』第六十首