06
最悪の状況だった。
「聞いてませんよ、レンさん……」
すぐ背後にいるメガネが毒づいた。
私たち5人は、お互いに背を合わせるような形で陣形を作っている。
「すまぬ。どうやら探知をしくじったらしい。こやつら……できるようでござるな」
レンがぎりと奥歯を噛む。
視線の先には……オーガ。そして、背後にもオーガ。
2体のモンスターは、私たちを挟み撃ちするような形で仁王立ちしている。2体とも、とくに距離を詰めてくる様子はない。そのさまは、私たちの隙を伺っているというより、まるでこの状況を楽しんでいるように見えた。
少しでも動けば、攻撃してくるつもりだろう。なんと憎たらしい。
「助けてくれたのはありがたかったけど……どうしてよりにもよって、こいつら相手にそんなミスをしたのよ」
「……面目ない。普段はこんなことはないのだが」
せめて「トランセンド」の連中がいれば、なんとかなるかもしれないのに。
この状況で生き残ったパーティは、そうは居まい。
考えたくもないほどの状況だ。
さきほど2度も死にかけたばかりなのに、またである。
もう頭がおかしくなりそうだ。
「ヘイブンどの。ほかのメンバーは」
「湖の反対側です……。おそらく、こちらに気づいてもすぐには来られないでしょう」
「ど、どうすんだよお」
弱気な声をあげたのは、私のすぐ左にいるバズールである。
がちがちと鎧がゆれる音が聞こえる。どうやら震えているようだ。
「聞いてねえぞ、こんなの……。オーガ2体だなんて……どんなにレンさんが強いったって、勝てっこねえよ。お、おしまいだ」
「落ち着いてよ、バズール」とリーザ。
「うるせえんだよ、リーザ! だったらお前が囮になれよ! いつもうちのギルドでやっているみたいに、胸元を見せてあいつらを誘惑してみろ!」
「……最低」
だが、このバカが言うことも一理ある。
囮でも使わない限り、ふつうなら全滅だ。
「落ち着いてください、バズールさん。ここでオーガを刺激して攻撃されたら、それこそ助かりません。なんとか、隙を探しましょう。倒すのが難しくても、脱出くらいはできるはずです」
「できるわけねえだろ! あいつらは足が遅いって言っても、腕が長いし、攻撃だけはメチャクチャ速いんだぞ。お、俺の友達は、こいつに殺されたんだ。こうなったら、最後は男らしく戦って死んでやる!」
「待って。うかつに動いちゃダメ!」
思わず私は杖を落としながらも、剣を構えるバズールの手を取った。
こいつ、本当にバカだ。
それは最悪の手段。「殺してください」とこちらからお願いするようなものだ。
だが、どうする。
このままじゃこいつが限界になって突っ込んでしまうだろうし、オーガもいつまでも待ってくれるワケじゃない。
何か手はないのか。
「……魔法を使えるのはアムルさんだけです。『リターン』は覚えていませんか」
「リターン」。術者が指定した場所に戻ることのできる、移動魔法である。
ヒーラーよりの魔法だが、錬成を補助するスクロールさえあれば、例によって私も初歩的なものを使うことができる。消費“魔力”はアホみたいに高いが、100メートルくらいは移動できるから、使うことさえできれば、すべて解決だ。
だが。
「残念だけど左腕が折れてるみたいなの。『リターン』を使うほどの“魔力”は錬成できないわ……スクロールもないし」
「ちっくしょう! だったらもう、戦うしかないじゃないかよ!」
「待て、やめるんだ! もっといい方法を――!」
その時、最悪の事態が、最悪のタイミングで起きた。
私とバズールの前にいるオーガが一歩、足を踏み出したのだ。
単なる一歩。まだまだ私たちとの距離はある。焦る必要はない。
だが、ここにいるバズールという男の精神を限界にさせるには、あまりにも十分すぎた。
「うあああああっ!!」
「バズール!」
とうとう剣を持って走り出すバズール。
オーガは、さっき私にやったみたいに、腕を振りかぶって構えた。狙いはもちろん彼だ。
私には、その様子がスローモーションで見えた。
脳が、フル回転して思考を巡らせる。
ダメだ。このままでは、バズールが死ぬ。
確かにイヤなヤツだが……。
さっき、リーザを助けた時。
彼女は、私を抱きしめてきた。
私を、抱きしめてきて、くれたのだ。
私に、感謝してくれたのだ。
まだそういう、可能性が残っていたのだ。
レンが言っていたことが、ようやくほんの少しだけわかってきたところなのだ!
だから、見捨てたくはない。
今出来ることを考えろ! 全力で考えろ!
そして、動け!
「くっ!」
私が選択したのは“魔力”の錬成だった。
腕が折れているので激痛が走るが、すでに痛すぎてもうよくわからない状態になっている。問題ない。
「リターン」ほどの“魔力”は錬成できない。「ファイアウォール」もダメ。
だったら、どうすればいい。
攻撃魔法は? 弱いものしか撃てない。それじゃ意味がない。
回復は? 腕はもう間に合わないし、治ったところで次の魔法を準備することはできない。
だったら――!
「『アクセル』ッ!」
「アクセル」。対象の動きを一時的に速める、支援魔法である。
もちろん、私の使うそれは微力なもの。1秒か2秒、動きが速くなるだけだ。
だが今回は、それで十分だった。
「なっ!?」
つんのめって、その場にずっこけるバズール。
彼の先にいたオーガは、攻撃を外して地面を殴った。
ここに、少しばかりの隙が生まれた。
「いまだ! 全員あっちに走れ!」
私の叫びと共に、全員がバズールの方に走り出す。
最も早く駆けだしていた私は、オーガの目の前に出ると、その顔に「フラッシュ」をお見舞いした。
さすがに、この魔法は至近距離なら効く。ひるんだ隙に、バズールをすぐにたたき起こす。
「『空風』!」
そこに走ってきたレンがオーガに必殺技をぶちかますと、追ってメガネがタックルを食らわす。
ずしーんと、地響きをたててぶっ倒れるオーガ。
その脇を一斉に駆ける私たち。私はそんな中でも“魔力”を錬成し、それぞれに合図をしてから「アクセル」をかけていく。
全員が脇目も振らず走りまくった。
★
「はあ、はあ……」
数分後。私たちは、洞窟の入り口付近まで戻ってきた。
オーガの姿は見あたらない。
「なんとか、撒いたみたいね」
「ナイス判断でござった、アムルどの。加速魔法でバズールどのを転ばせたのでござるな」
そう。
支援魔法は、かける側とかけられる側のコミュニケーションが必要不可欠だ。
突然足が速くなったら、当然ビックリしてコケる。今回はそれを利用させてもらった。もちろん、ここまでうまくいくとは思っていなかったけど、結果オーライだ。
バズールは、ぜえぜえと息を吐きながら座り込み、放心した様子で地面を見ている。
やがて、彼はすっくと立ち上がると、私たちの前で頭を下げた。
「すまん! パニクっちまった。あやうく全員を殺すところだった」
「気にしないでください。私にもいくつか策がありました。もっとも、アムルさんにいいところをすべて持って行かれてしまいましたが」とメガネ。
「あ、あれだけの状況だったら、しょうがないわよ」とリーザ。
レンはこくこくと頷いていた。
最後にバズールは、私を見た。
彼はちょっぴりうつむいてから言った。
「アムル、礼を言わせてくれ。どうもありがとう。悪かったよ。いろいろとさ……。お前のことを、誤解していたと思う」
なんだこいつ。
イヤなヤツのくせして、礼なんか言いやがって。
似合わないっての。
「別に、アンタのためにやったワケじゃない。私たちが生き残るためには、ああするしか……痛っ!」
そこで、私の腕に激痛が走る。
そうだ。折れているんだった。
もう腕の感覚がほとんどなくなりかけている。
「大丈夫、アムル? 回復魔法は使えないの?」
「私がスクロールを持っています。帰り道で治しましょう、アムルさん」
「お、俺にやらせてくれ! アムル、俺のせいでケガしたんだろ」
「違うわ、バズール。私のせいなのよ。さっきも私のことを命がけで守ってくれたの。本当にありがとうね。お礼はきっとするわ」
なんだろう。
腕は死ぬほど痛いのに。
こいつらのことなんて、大嫌いなはずなのに。
なんでだろう。
ほんの、ちょっぴりだけど。
私はいま、間違いなく笑っている。
なぜか笑っているのだ。
「そういえば、ほかのメンバーはどこに行ったのでござるか?」
「近くにいるでしょう。先ほど、魔法で合図を送りましたから、そろそろ戻ってくるはずです。『魔人』がいないというなら用はありません。早めに撤退を……」
その時。
ズドドン! と、後方から轟音が響いた。
すぐさまそちらの方向に走る私たち。
そこには、「トランセンド」のメンバーたちがいた。
彼らは尻餅をついて、前方を見ている。
周囲にはこげた木々が散らばり、ちらちらと燃えていた。
「どうした、何があった!?」
駆け寄るメガネ。
「あ、あ……あいつが……」
すっかりおびえた様子の剣士が指をさす先には……丸焦げのオーガが1体倒れていた。
初めて見た。
あのオーガが、絶命している……。
私たちは、その先を見やる。
誰かが、遠くに立っていた。
大きさは、人間とほぼ同じ。オーガとは違うが、人型だ。
だが、そいつが人間でないことはすぐにわかった。
丸焦げになったオーガよりも、真っ黒なのである。
いや……黒というよりは、「闇」とでも言うべきか。
周囲の光を全く取り込んでおらず、黒色なのではなく、単に暗いというか……。
動いてはいるが、生き物のようには見えない。
「全員! すぐに逃げろッ!」
怒号。
一瞬、誰が言ったのか、わからなかった。
声の主はメガネの前に立った。
「レ、レンさん……?」
「急げ! 死にたくなかったらすぐにここから離れろ! お主たちが勝てる相手ではないッ!」
レンは焦った様子でまくしたてた。
こいつがこんな風になっているのは、見たことがない。
おそらく、そこにいる誰もが感づいただろう。
こいつが、「魔人」――。
メガネはすぐさま、全員に命令した。全力で退却すると。
「トランセンド」のメンバーのうち2人が、「リターン」の“魔力”錬成に入る。
私も、錬成の手伝いに入る。
その時、オーガがまた2匹、森の中から出てきた。
思わず、顔がひきつる。
さっき、私たちを追っていた奴らが追いついてきたのだ。
だが、さらに恐ろしいことが起きた。
紫色の火花がオーガたちのほうにちりちりと走った、その瞬間。
ぶっとい稲妻が、2体のオーガに落ちて爆発した。
地面が弾け、ドガンと腹に響く低い音。周囲が揺れる。
その、とんでもない魔法を使った黒い何かは、挙げていた手を下げた。周りには、先ほどの稲妻と同色の火花が舞っていた。
ヤツだ。ヤツがやったのだ。
私たちは、距離を取りながら「リターン」の錬成作業を大急ぎで進めた。
誰も、何も言わなかった。
言えなかった、という方が近いかもしれない。
私はただ、恐怖におびえながら“魔力”を錬成した。
それ以外、何もできない。できはしない。
「『リターン』!」
魔法が詠唱されて、視界が“魔力”のフィールドに覆われるまで。
黒い魔人は、ただこちらを見ていた。




