05
なんだかんだあったが、山の頂上付近にあるルハーナ湖にたどり着いた。
さきほどの川の比ではないほど巨大な湖が、ちらちらと日光を反射している。全長500メートル以上はあるだろう。
正直、生きた心地がしない。私からすれば、これは恐怖の塊みたいなものだ。
だが、景色だけは綺麗なので、気持ちがちょっと安らぐ。
空と周辺の森を、まるで鏡のように映し出しているのがすごく神秘的だ。
「なんとか、予定通りの時間にたどり着けましたね。さっそくですがレンさん、探知をお願いしてもよろしいでしょうか?」
休憩もそこそこに、メガネが言った。
そう。私たちの目的は、あくまでもここで「魔人」と呼ばれるモンスターを探すことだ。
ここに来るまでにもいろいろとあったが、本チャンはここからなのだ。
レンは目を閉じ、自分のこめかみに人差し指をつけた。
全員がじっとその様子を見守る。
「ふむ」
彼はゆっくりと目を開いた。
「とくに、モンスターの気配はなさそうでござるが……」
「ええっ!? ここまで来て、何もいませんでしたっての?」
「そういうことになるでござるな」
そんなバカな。
メガネは訝しげな顔を浮かべた。
「本当ですか? 気配が全くないのですか?」
「うーむ……こまごまとはあるのでござるが、どれも弱小。話に聞いていたほどの強さのモンスターはいないようでござる」
レンはあの鳥型モンスターとの戦闘後も、ちょこちょこモンスターレーダー機能を発動させてパーティを危機から救ってきた。だからこそ、彼の発言には思わず頷いてしまうほどの説得力があった。
しかし、納得しない人間が1人だけいた。
「『魔人』は、一度同じ場所に居着くとしばらくそこにとどまると聞いたことがあります。レンさんの言うことを信じない訳ではありませんが……この短期間でいなくなるのは、やはりおかしい」
我らがキャストル・メガネ・ヘイブン氏である。
どうやら彼は、確実に「魔人」を発見できる算段でいたらしい。計画が狂ったことでイラついているようだ。
そのため私たちは、周辺の森を捜索することになった。
「ったく。これ、ものすごい無駄足な気がするわね」
「相手を納得させるのも大切なこと。やるでござるよ。拙者はこちらを探す。アムルどのは、あちらを」
「わかったわよ……」
私は周囲を探し始めた。
とは言え、レンがああ言ったのだ。大したものは出てこないだろう。
いろいろあったけど、これで30万ゴールドなら、結構オイシイかもしれないな。
ちなみに、私にも10万近くのお金が入ることになっている。
10万もあれば新しいドレスが買えるし、大好きな王都の高級チーズも好きなだけ食べられる。
帰ったあとのことが今から非常に楽しみだ。
「アムル」
しばらくそんなことを考えていると、誰かが声をかけてきた。
リーザだった。
彼女は、視線をこちらにくれず、草むらをかき分けている。モンスターを探している体で話しかけてきているのだ。
「なによ」
「……さっきはその、なんていうかさ」
どっかの誰かさんと同じような口振りのリーザさんである。
私は苦笑した。
「何? もしかして謝りにでもきたの?」
「……ええ。そういうこと。確かに、あのレンって人の言う通りだったわ。危うく人殺しになるところだった。たとえあなたが相手でも、それは本意じゃないわ」
私が死にかけたことより、自分が人殺しになりかけたことを気にしているのか。
思わず笑みが浮かんでしまう。
話しかけられたときは態度が悪くてすこしムカっとしたが、こいつ、ちょっと私と似ているかもしれないな。
「何を笑ってるのよ?」
「リーザ。あんた、素は案外おもしろいのね。でも、少しくらいは私のことを気にかけなさいよ」
「悪いけどこれが限界。私はあなたのこと、やっぱりきらいだもの」
「……あっそ」
ハッキリと言いやがった。
おもしろい気分が吹っ飛んだ。やっぱり、ムカつくわ。
レンは「歩み寄れ」というが、歩み寄ったところで、今のこいつはその足を踏みつけると思う。
そういう人間が相手の場合、一体どうすればわかりあえるというのだ。
「きゃっ」
その時、リーザが小さく言った。
なんだこいつ、突然みょうな声を出しやがって。
私は、振り返った。
彼女の目の前に、何かがいた。
木をかき分けて現れた、大きい人型の何か。
彼女の背丈の3人分以上。
青い体。顔が長くて角の生えた、のっぺりした面みたいな顔。
そこまで認識した瞬間、体が全力で動き出す。
そうしなければならないほどの、最悪な相手だった。
この近辺で最強のモンスター・オーガだ。
「下がって!」
私はありったけの“魔力”を込めて、「ファイアウォール」をヤツにたたき込む。
炎の柱がドガアと上がった。
だが、リーザはあろうことか、腰を抜かしてその場に尻餅をついた。
オーガは私の魔法をものともせず、彼女に向けて腕を振りかぶる。
食らったら、ひとたまりもない。
「逃げてっ!」
「い、いやああああっ!」
だめだ、パニックを起こしている。間に合いそうにない!
何やってんだ、こいつ!
どうする、どうすればいいんだ。
ひとまず、距離を空けるか!?
だが、それではリーザを見捨てることになる。
あれを食らったら、最悪死ぬかもしれない。
それでも、全部彼女の撒いた種だ。
関係ない……。
でも。
「くそっ!」
私は足に力を込めて、彼女の体に体当たりをぶちこむ。
リーザの体を横に押し出す。
同時に、自分の体に強い衝撃。
きりもみ回転しながら、吹っ飛ぶ体。
地面を転がり、視界がぐちゃぐちゃになる。
またしても、衝撃。
……激痛。
「アムルッ!!」
遠くから、くそバカ女・リーザの声。
頭がぐわんぐわんする。息ができない。目の前が真っ暗。
体が熱い。たぶん、どこか折れた。
咳が出る。たぶん、吐血した。
なにやってんだ、私。
ぼやけた意識の中でも、“魔力”を練る。
20分前におぼれかけて、今度は死にかけかい。
だが、この程度の修羅場なら何度かくぐってきている。大丈夫だ、冷静になれ。とにかく“魔力”を練るんだ。
ズン、ズンと地響き。
ヤツが近づいてきている。
立たなければ。ヤツが来るまでに、立たなければ。
“魔力”錬成は最低限でいい。とにかく回復魔法の発動に回せ。重ねがけが10回は必要だ。
呼吸を整えろ。
錬成。発動。
錬成。発動。
錬成、発動。錬成、発動。錬成、発動。
体に、強い痛み。“魔力”が乱れる。
それでもなんとか5回はかけられた。この程度だと骨折などは治らないだろうが、1分もあれば立てるようにはなる。
再び、ズン、ズン。
ヤバイ。ターゲットはやはり私か。
死ぬ……。
集中しないと、今度こそ殺られる。
「こ、こいつ! おい、私が相手だ! こっちを見ろ!」
リーザの怒号。矢を射る音。
オーガの小さな声。
「そっちにいったら……絶対に許さない! 私のほうに来い! そう、そうだ! アムル、絶対に、絶対にあなただけは!」
リーザの声がしゃがれている。
泣きながら、戦っている。
バカが。お前にかなう相手じゃないんだ。
こいつの強さは、グリーンバジリスクよりもさらに上。逃げなきゃダメだ。
独りでなんとかしようとするな。レンやメガネを探せ。この無能が。
死ぬぞ。
「わああああっ! ああああっ!」
リーザの悲鳴。
やめてくれ。死ぬだけだ。戦うな。戦っちゃダメだ……。
治れ。はやく治れ。
治ってくれ!
目が開く。
弓に矢をつがえたリーザが、オーガと対峙している。
「ダメ。リーザ、逃げるのよ……」
彼女は背中を木につけた。
なにをやってるんだ。そんなことをしたら逃げ場がなくなるだろ。
オーガが、再び腕を振りかぶる。
ダメだ。やられる――。
「『山背』――」
その時、一陣の風が吹いた。
空中に人影がひとつ。
疑う余地もない。また彼だ。
レン・アオカが、オーガの背中を思い切り斬りつけた。
テンポをおいて、ドドドっと複数の斬撃が走り、オーガはひざをついて倒れ込んだ。
彼はくるりと一回転して着地すると、リーザをはっしと抱えてこちらに走ってきた。
「アムルどの、怪我は!?」
「大丈夫。たぶん、左腕が折れてるけど……」
木に寄りかかりながら、なんとか立ち上がる私。
お気に入りの服とローブがめちゃくちゃだ。
「アムル! 大丈夫なの!?」
レンを押しのけ、リーザが私につかみかかってきた。
「大丈夫よ。痛いから離して」
そう言うと、彼女は目に涙をためて、強く抱きしめてきた。
「よかった! 本当によかった! あなたがあのまま死んでしまったら、私……!」
「そ……そういうのはあとにして。とにかく逃げるのよ」
オーガが起き上がりかけているのが見えた。
レンとリーザは、私の首に腕をかけて走りだした。
「いててて……」
「しっかり。あいつが『魔人』でござるか?」
「あいつはオーガっていうモンスターよ。たぶん、魔人とは違うけど……似たようなものね」
もしかしたら、目撃証言のあった「魔人」とはこいつのことなのかもしれない。
オーガは、超強力なモンスターとして有名だ。王都付近で目撃証言があれば、騎士団の精鋭たちが数十人の隊列を作って討伐に乗り出す。噂に名高い「魔人」と遜色ないレベルの相手なのである。
「ううむ、『山背』を食らって立ち上がるとは。確かに、これまで戦ってきたモンスターとはけた違いでござる。だが、足はそう速くないようでござるな」
「レンさん、オーガはのろまなのよ。近づかなければ問題ないわ!」
「よし。とにかくヘイブンどのたちと合流するでござるよ」
レンがそう言った瞬間、先の草むらから見慣れたメガネ。……ではなく、見慣れた顔。
「レンさん!」
メガネとバズールの2人が、草をかき分けて走ってきた。
まるで計ったかのようなタイミングだ。
「おお、ヘイブンどの、バズールどの! さすがでござる。さては拙者たちのピンチを察知して――」
レンの言葉は、そこで止まった。
メガネたちの背後には、別のオーガがいたのだ。