09
どうやら、間に合ったらしい。
全身全霊の力で放った「ファイアウォール」は、まだ私の背後でごうごうと炎の柱を立たせている。
しばらくは近づけないはずだ。
「アムルどの……」
眼前には、すっかりボロボロになって倒れ込んでいるレン。
声を聞いて安心したが、出てきた感情は怒りだった。
「このバカッ! いったい何考えてんのよ!?」
言いつつも、回復魔法を重ねがけする私である。
こいつのことだ、すぐに動けるようになるだろう。
だが、レンの表情は曇ったままだ。
「なぜ、ここまで来てしまったのだ。来るなと書いたはずでござる」
「『今から最愛の妹を殺すけど、自分も死ぬかもしれないから来るな』……なんて手紙を残されて、見捨てられるとでも?」
レンはもしかしたら、後腐れがないように手紙を残したのかもしれない。
だが、私にとっては逆効果だった。
私は手紙を見てすぐ、お隣の農家の納屋から馬を拝借し、ここまで来てしまった。
途中の川も、すごく怖かったがお馬さんの力で渡ってきた。
「……拙者は、こんなことをしてもらうためにあれを書いたのではない! そしてこれはお主が介入できるようなことでもない。さあ、今からでも遅くはない。帰ってくれでござる!」
「うるさいんだよ」
常人離れしたスピードでサクっと体力を回復させたレンが言うが、ぺしりとその頭をはたく。
「確かにさ……ちょっとどうかなって思ったよ、アンタの話。わざわざ嘘ついてたのもムカつくし、そもそもの目的が、妹さんを殺すことだったなんてさ……。しかも、自分も死ぬ気だなんて。手紙見た時は、正直引いたよ」
「ならば、なぜ」
「確かに私には理解できない。おかしいと思う。でも……」
きっと彼は知っていたのだ。
「家族を殺す」という気持ちを持つことの苦しさを。
だからこそ、両親を憎む私に対して、あんなに食い下がってきたのだろう。
そして、私はこの数週間で理解した。
自分の考えがいつでも最良とは限らないことを。
だからこうして、ここまで来たのだ。
「少しくらい『わかってみよう』と思ったんだよ。理解できないからこそ、ね。それに私は、知っての通りわがままなの。アンタがこのままいなくなるだなんてこと、耐えられないよ」
「アムルどの……」
「少しだけ手伝ってあげる。でも、ヤバくなったら『リターン』ですぐ逃げるからね。わざわざクソ高いスクロール、持ってきたんだから」
炎の壁がようやく消える。
先には、あの「魔人」……いや「黒者」と呼ぶべきだろうか。やつがたたずんでいた。
ものすごいプレッシャーだ。
いっきに空気が張りつめる。
しゃ、シャレになってないわ、これ。
この勢いのまま、少しくらいはいけるかなと思ったけど、絶対に無理。体中の細胞すべてが逃げろと叫んでいる。
「逃げるわよ!」
私はレンの手を取って駆けだした。
直後、さっきまでいた場所の地面がどかりと弾けた。
「黒者」が放った攻撃だ。どうやら握っている刀のようなもので、錬成した“魔力”の塊を、そのまま斬撃として投げつけているらしい。
ムチャクチャだ。どんな“魔力”があればこんなことができるのだろう。
「ちょっ……アムルどの! 言っていることとやっていることが矛盾しているでござる!」
「バカッ! おかしいでしょ、あの“魔力”の高さ! こんなのさっさと逃げて、騎士団におまかせしちゃいましょう。そうすれば妹さんの望み通りになるじゃない!」
「そうはいかぬよ! アスカは拙者が!」
「だーかーら、それができないから逃げるんでしょうが!」
「やっぱり帰ってくれでござる!」
「やだ!」
口げんかしながらも、ドカドカと攻撃されている私たち。
だが、どうにも当たるような気配はない。
「何よ、てんでへたくそじゃない」
「違う、逃げるコースを誘導されているでござるよ!」
私たちが走る先には……巨体が待ちかまえていた。
「またオーガ!?」
「アムルどの、手を離して。あいつならなんとか倒せる!」
「ダメよ、止まったら『黒者』に攻撃されるわ」
「大丈夫だから、離してくれでござる!」
「やだ! 私も巻き添えなんてゴメンよ。考えがあるから、心配しないで!」
「信用できぬ!」
言い合いながら走る私たち。待ちかまえるオーガがどんどん近づいてくる。
私はヤツの眼に「フラッシュ」を撃つため“魔力”を練る。
だが、その時。
あろうことか、レンが私の手を無理矢理ふりほどき、小刀を抜刀した。
「『空風』!」
「あっ!」
私が“魔力”を込めた手と、彼の刀とが交錯する。
瞬間、周囲から光が漏れた。
必殺剣「からっ風」。
一度の攻撃で相手を何度も切り刻む、レンの得意技だ。
だが、今回は少しばかり様子が違っていた。
レンの小刀が、青白い光を纏いながらものすごい勢いで伸びてゆき、周囲の地面を弾けさせながらオーガを一刀両断。
直後、オーガは砂になって消えた。
「なっ……!」
「伏せて!」
なぜか硬直したレンを突き飛ばし、地べたに倒れ込む。
背後の木々が爆発した。「黒者」の攻撃だ。
「すごいわね。今のが魔具の力で完成した必殺技なの?」
レンは答えない。彼は自分の手を見ている。
よく見ると、小さくふるえている。
「ちょっと、どうしたのよ?」
やがて彼は言った。
「自然の剣技と“己力”の組み合わせ……! そうか、そういうことだったのか! わかったでござる、わかったでござるよ!」
彼は即座に立ち上がると、私の体を引き上げ、そのまま走り出した。
「アムルどの。どうやらお主との出会いは、運命だったらしい。感謝する」
「なんなの。ちゃんと説明しなさいよ! 魔具の力じゃないの?」
「魔具はとっくに壊れているのでござる。ちょっと“己力”……“魔力”を練ってくれでござる」
言われた通りに“魔力”を練る私。
レンは小刀――よく見たら折れた刀だった――を抜いた。
そのとたん、周囲からごうごうと音が聞こえた。
髪と服が、異様にふわふわと揺れる。
走っているからじゃない。
風だ。私たちを中心に、風が起きているのだ。
遠目から「黒者」が剣を振るのが見えた。
こちらに向けて、例の“魔力”の塊が放出される。
とっさにコースを変えて避けようとしたが、レンが私の手を強く掴んでそれをはばむ。
「ちょっ……!」
言い終わる前に“魔力”の塊は私たちの目の前で消え去った。
どうやら、強力な結界のようになっているらしい。
信じられないほど強い“魔力”のような何かが、走る私たちの周囲に集まっている。
「なによ、これ!?」
「お主の“己力”と、拙者が呼び出す自然の力。それらが混じり合っているのでござる」
そうか。
私の“魔力”が、レンにとっての魔具と同じ役割を果たしているのか。
私たちは立ち止まった。
「アムルどの、力を貸してくれ。ありったけの“魔力”を、ここで練り上げて放出してほしい。アスカのために」
私は黙ってうなずき、杖を構えて全力で“魔力”を錬成する。
呼応するかのように、レンの刀から輝く刀身が現れた。
彼は刀を振りかぶり「黒者」を見据える。
どんどんと風が強くなる。
だが、不思議なことに気分は悪くない。
荒々しいはずなのに、なぜか心地いいのだ。
それを見て「黒者」が叫んだ。
まるで、私たちを拒絶するかのように。
「黒者」は、走って湖の方へと向かう。
水面に足が触れたが、「黒者」はそこを踏みしめた。
湖の上を、走っている。
やがて、湖の中央付近にまでたどり着いたヤツは、こちらを向いた。
「水上か。どうやら落雷を拡散させて応戦する気らしい」
「ちょ、ちょっと待って。まさかあそこまで行くの!?」
「問題ないでござる。ここまでの風の力があれば――」
「えっ……ちょっと、マジで?」
「大丈夫でござる」
私たちは、歩いて湖へと足を踏み出した。
レンが水の上に立つと、足下に“魔力”の輝きがまたたく。確かに、問題なさそうだ。
ここまで来たのだ。もうやるしかない。
おそるおそる、足裏を水面につける。
すると、私も同じように立つことができた。
2人で立つと、風がさらに強くなる。
それを見て、「黒者」が再び声をあげた。
「興奮するのもわかる。これは紛れもなく、拙者たちの剣技の神髄だ。最後にこれを見せられて、よかった」
「レン……」
「ゆくぞ。頼む、アムルどの!」
「わかった! はああああっ!」
レンの合図に合わせ、ありったけの“魔力”を放出する。
つむじを巻いていた風がさらに勢いをつけ、竜巻を起こした。
レンが、ギュッと私の手を握る。
私も、思い切り握り返した。
「黒者」が、こちらに近づきながら剣を何度も何度も振り下ろす。
“魔力”の塊は、すべて私たちの起こした「風」に弾かれた。
上空が何度も輝く。
落雷攻撃がこちらに効いている様子は、ない。
レンと私は、前進する。
「黒者」に……アスカさんに向かって。
この呪縛から解放してあげるために。
……この呪縛から、解放されるために。
未来に向かって、走り出す。
「黒者」が目の前にまで迫った。
荒々しい“魔力”。のっぺりとした黒い体。光を反射してぎらぎらと輝く、黒い瞳。
瞳以外は、まさしく「真っ黒」だった。
口を開いた先にも、闇が広がっている。
こいつはもはや、闇そのものだと言っても過言でないだろう。
こんな風になるのなら。
私も、レンと同じ道を選ぶかもしれない。
「『春一番』!」
ルハーナ湖をどかりと踏み、一閃。
今まさに剣を振ろうとした「黒者」に、一筋の輝く線が入る。
レンが刀を振り切ると、風は一瞬にして止んだ。
「黒者」は、動きを止めた。
先ほどの線から、ちらちらと光が溢れ出す。
かと思うと、黒い体がボロボロと朽ちてゆき、さらに強い光へと変わりだした。
光は、上空へと向かっていく。
「アスカ!」
レンが叫ぶ。
「黒者」に反応はない。
ただボロボロと、輝くのみだ。
そうして「黒者」は、天へと消えていった。
★
「終わった……」
刀をぼちゃりと落とし、レンが静かに言った。
「レン」
「これで、よかったのだろうか」
「黒者」は、今和の際に正気をとり戻したわけではない。奇跡が起きて、人間に戻ったわけでもない。一言でも何か感動的な言葉を残したわけでも、ない。
モンスターとなった彼の妹は、ただ消えていった。死んでいった。
ただ、殺しただけかもしれない。
やってはいけないことをしたのかもしれない。
それでも、レンはやろうと決めたことを、やりきった。
彼の表情に、ほんの少しだけ安堵感みたいなものが見て取れるのは、決して不思議なことではないだろう。
「さあね。それは、あんたが決めることじゃないの」
「……そうでござるな」
彼はちょっぴり悲しげにほほえんだ。
と、同時に背が縮んだ。
「えっ?」
足下を見ると、先ほどまで輝いていた“魔力”の光が薄くなり、レンの足がずぶずぶと沈み始めているではないか。
「ちょっとレン、沈んでるけど」
「……どうやら、アムルどのも拙者も、力を使い果たしたらしいな」
「いやいやいや、冷静に何言ってるのよ! 沈む前に早く戻りましょうよ!」
「そうしたいところだが、まったく体が動かせん。さっきの技の反動でござろう。アムルどのもそうなのでは?」
確かに、言われてみるとほとんど体が動かないし、私の体も沈み始めているではないか!
「ちょっと! マジでどうすんのよ、これ!」
「落ち着くでござる! 今拙者も考えている! 考えているから!」
言っている間にも、じわじわと足が入水していく。
足が、だんだんと冷たくなっていく。
血の気が引き、一瞬失神しそうになる。
これじゃ、水没する前に死にそうだ。
「レ、レン……あんたどうにか泳げないの」
「す、すまん……。どうにもならん」
「ふっざけんな! どうしてこうなるって予想できなかったのよ!?」
「わかるわけないでござろう!? アムルどのだって止めなかったではないか!」
「元はといえばアンタが!」
「拙者だけのせいではない!」
口論しながら、私たちは湖に落ちた。
なんとも言い難い、不快感。悪寒。冷たさ。
耳に鼻に、水がゴボゴボと入ってくる。
最後の最後に、こんな目に合うなんて。
こんなの、アリかよ。
なんとか脱出したいが、元々私の体は水中で思い通りに動けるようにできていない。
レンが沈んでいくのが見える。あまり動いていない。動けないのだろう。
だんだん、息が苦しくなってくる。
体は、少しずつ湖の底――闇に、取り込まれていく。
今度の今度こそ、終わった――。
私の人生、これで終わりだ―――。
息が続かない。限界だ。
ごぼり、と、水を飲んでしまう。
泡がのどから這い出て、水上へと上がっていく。
ああ。
あんな風になれたら、どんなにいいだろう――ー。
目の前が暗くなっていく。
全てが、終わる。
闇が私を飲み込んで、全てを黒く染めていく。
命が、奪われる。
この、温かい水中で。
……温かい?
「アムルどの!」
聞き覚えのある声。
「アムルどの、目を開けてくれ!」
なぜ。なぜこんな声が聞こえる。幻聴か?
「ええい、仕方がない。人工呼吸だ! まずは胸を揉みしだく!」
「待てや! どさくさに紛れて何しようとしてんだ!」
……あれ?
「おお、生きておったか! 心配したぞ」
目の前に、レンの顔。
とてつもない、違和感。
なぜだ。
さっきまで、水中でもがいていたはずなのに。
服はビチョビチョに濡れている。
だが、苦しくない。
ヤツの顔をどけ、体を起こす。
「なに……これ」
そこは、深い青色の丸い空間だった。
ぬっと、何かが目の前を通った。
魚だ。
つまりここは、水中。
私たちは、泡のようなものに包まれていた。
「なんで……?」
「胸を見るのでござる」
言われるがまま、胸元を見る。
「っ!」
言葉に、ならなかった。
輝きを放っていたのは、鳥の形をしたネックレス。
両親が残した、私の宝物だった。
そんな。
うそだ。
どうして。
どうして、このネックレスが。
「見た目ではわからなかったが、どうやらそれは、水に反応する魔具だったようでござるな」
ネックレスが、水に反応する、魔具。
「それって……」
「ああ。アムルどの、やはりそうだったのでござる」
そんな。
そんなことって。
つまり、私の両親は。
「ご両親は、お主が生き残る手段を用意していた。つまり、お主が川に捨てられたのはきっと、何か理由があったのでござろう。今となってはわからぬが……お主は『いらない人間』などではない!」
そう言われた瞬間、自然と涙が、つうと流れた。
そうだったのだ。
私は、いらない人間なんかじゃなかった。
いらないから、捨てられたんじゃないんだ。
そう考えたら、心がいっぱいになって、涙が溢れてきた。
手で受け止めたが、どんどん流れてくる。
止まらない。
ぜんぜん、止まらない。
「そ、そんな……今さら! なんだっていうのよ……。私が、どんな思いで、ここまでやってきたのか……! ふざけんな……ふざけんなよおおおお!」
泡は、地上に出てもしばらく空中を漂っていた。
東から差し込む朝日を見ながら、私は泣いた。
こんなにもうれしいのに、涙が出るなんて不思議だった。おかしいと思った。
それでも、涙は止まらなかった。