プロローグ
私には、協調性がない。
「アムル! 飛び出しすぎだ!」
真昼の街道沿い。
剣士のバズールの声が、後ろから聞こえた。
だが、そんなことは知らない。私は前を向いてとにかく走る。
目前には、同じくらいの背丈の、爬虫類型モンスターが口をあけて威嚇している。
バジリスクというモンスターだ。
「ちょっと! じゃまよ!」
アーチャーのリーザも、後方でわめいている。
だが、やはりそんなことは知らない。一応プロなんだから、モンスターにだけ当ててみせてほしい。
バジリスクとの距離が、だいぶ縮まった。
――射程範囲だ。
「あんたらのやり方は、まどろっこしいのよ!」
私は腕に“魔力”を集中し、炎の玉をこさえる。
途中、バジリスクが体をつんのめって攻撃してきたが、右脚を痛めつけておいたため、その動きにはもうキレがない。私は余裕しゃくしゃくでそれをかわしてみせる。
背後から蹴り飛ばすと、相手はバランスを崩して倒れ込んだ。
私は流れるような手つきで、自分の杖の先端についている「魔石」に炎の玉をかざす。
今だ。
私は杖を地面にたたきつけた。
「『ファイアウォール』!」
現れた炎の壁は、瞬時にしてバジリスクの全身を焼き尽くす。
黒こげになったのを確認してから、私はガッツポーズを取った。
私の大活躍による、完全勝利。
思わず、にやりと笑ってしまう。
勝利の充足感にしばし陶酔した。
「おいアムル! いいかげんにしろよ」
しかし、すぐにその気分はたち消えた。
我慢できない、といった風に声を上げたのは、バズールだった。
「……何が?」
私は、髪をかきあげながら、だるそうに声を上げる。
やはり、今回もこうなったか。
「何がじゃねえ。どうして作戦通りに待機していなかったんだよ」
「攻撃すべきだと思ったからよ。あいつは脚をケガしてたんだから、チャンスだったじゃない」
私は、矢継ぎ早に返答する。
本当に、その通りだったのだ。
バジリスクは、少しでも戦いを長引かせると手を焼く相手だ。だが、今回は戦いの途中で右脚を狙って攻撃したので、大きくダメージを負わせることができた。こうなれば戦闘を一気に終わらせるチャンスとなる。
……なのにこのボンクラときたら、あの好機を目前にしても、作戦を変えようとしなかった。当初の手順通り、チマチマ攻撃を続けようとしたのだ。だから、一番攻撃力の高い魔法を持つ私が強引に攻撃に参加した。
最良の判断だったはずだ。
だがバズールはそれを聞いて、ことさら機嫌を損ねたようだ。
「お前が撃った魔法のせいで、連携がむちゃくちゃになっちまった。本当に危なかったんだぞ」
「そうよ」
横やりが飛んできた。
一緒にクエストしていた、アーチャーのリーザだ。
「どうしてさっき、私のことをカバーしてくれなかったの。あなたの役目だったはずよ」
リーザも怒り心頭といった感じで、私にまくしたてた。
この女、キレてはいるものの……前に出過ぎてバズールと私の邪魔をしたあげく、重要な場面で3回も連続で矢を外した、このクエストにおける一番の戦犯である。
そんな奴に怒られる筋合いは、ない。
「あの状況でカバーになんて入ったら、こっちが危なかったんだけど」
「それでも助けるのがチームってもんだろう。迷惑だぞ」
「あんたらに命を預けろってこと? 冗談じゃない。あんなに攻撃を外しまくって、何言ってんの。むしろ迷惑したのはこちらなの。謝ってほしいくらい」
私はこういう時、自分の心の燭台に、ちらりと火が灯るのを感じる。
火は、だんだん勝手に大きくなる。いつしか燭台ごと巻き込んで、ぼうぼうと燃えさかる炎となる。
そして、私の口を開かせるのだ。
毒を、吐かせるのだ。
「それにバズール。あんたも同罪。あのミスは死活問題なんだから、まず私を責める前に、そこの無能なリーザちゃんをもっと叱るべきなんじゃないの。ぶりっ子に騙されて鼻の下伸ばしてると、次はほんとに死ぬわよ」
この言葉を境に、不毛なやりとりが一時間ほど続いた。
本当に不毛だったので、ここでは割愛させてほしい。
「もういい。アムル、お前みたいな利己的な女とはもうやっていられない」
「構わないわ。ギルドにかけあってもらって」
「これでもう、ギルドにお前とパーティを組みたいって奴はいなくなったぞ。そろそろ移籍でも考えておくんだな」
捨てぜりふを吐いて、バズールとリーザは去っていった。
私は、彼らの後ろ姿を見てから、強烈に思った。
また、やっちまったと。
アムル・ボヌワール。19歳。魔術師。
私は王都のギルドと契約して、今回のようなモンスター退治をはじめとした依頼をこなすことで生活する「冒険者」である。
だが、このたび引退の危機に直面している。
理由は、説明するまでもないだろう。
私は先ほどのようなトラブルを、何度も何度も起こし続けている。
そのパターンはだいたいが決まっている。
はじめのうち、私は他人から気に入られることが多い。
鼻筋の通った顔立ちに、この地域では珍しい、つやのある黒髪。そして、ほどよく引き締まったボディライン。
自分で言うのもなんだが、どこにいても目立つ容姿を持つからだ。
だが、数日も経つとその評価は一変する。
先ほどのように、すぐにいさかいを起こしてしまうのだ。
そんな奴が社会でうまくやれないのは当然のこと。
ニコニコ笑って「なんとかやり過ごす」という選択をすべきだと思うこともある。そうして世の中をスムーズに渡っていくほうが聡明なのかもしれないと思うことも、ある。
でも、許せなくなってしまうのだ。
和を優先するために生まれる、無駄が。なれ合いが。
すると他人に、なにも任せておけなくなってしまうのだ。だって、自分の判断の方が、正しいと思っているから。
今回だって、私の方が絶対に正確な判断をしていたはずだ。どうして効率の悪い方法を選んだ方が、あたかも正義みたいな扱いになるのだろう。
バズールは「それでも、助けるのがチーム」と言っていた。だが、いちいち他人のためにそんなことをしていたら、自分が損するだけじゃないか。無能な他人のミスで死んだら、どうしてくれるというのだ。
人間、最終的には自分が全てなのだ。
「他人のため」だなんて、あり得ない。そんなものは偽善者の戯言だ。
……とまあ、そんなところで、先ほども自分の判断が理解されず、現在所属するギルドのパーティとケンカ別れした私である。
まあいい。あんな奴らとうまくいったってしょうがない。
今のギルドでパーティを組めるようなメンバーは、これでいなくなってしまった。明日から、新しいギルドを探し直しだ。
これでギルドの移籍も3回目になる。雇ってくれるギルドが、果たしてあるのかどうか。
「はあーあ。帰るか……」
私はとぼとぼと帰路についた。
……いちおう、落ち込んでいないわけじゃないのだ。
★
家の近くにある、セコイアの並木道に入った時のことだった。
くさむらに、誰かが倒れこんでいた。
「うう……」
厚手の青い上着に、スカートのようなズボン。
見たこともない服装をした、同世代くらいの男だった。
着衣はもちろん、顔や体も砂だらけ。
彼は左足を腕で押さえつけるようにしながら、苦しそうにうめいていた。けがをしているらしい。
正直、どうしようか迷った。
どう見ても怪しい。
服装を見るに、この辺りの人間ではない。
おそらくは外国人だろう。
何がどうなってこんな状況になっているのかはわからないが、かなり弱っているようだ。
「ううう……」
歩いていこうとしたら、またうめき声が聞こえた。
どうすべきだろうか。話しかけても、言葉が伝わらないかも。それにもし、お尋ね者だとか、犯罪者とかだったらどうしよう。
周辺の状況を思い返す。
この並木道をもう少し歩いた先には、小さな集落がある。
そこにはいくらかの農家が住んでいる。
私の家の隣にも、農家の夫婦が居を構えている。
彼らなら、ここを通るような気がする。
そうすれば、この人を見つける機会もあるだろう。
そうだ。
この男に関わるのが、私である必要はない。
それに、この男を救うことで自分が得することは何もない。
大丈夫。問題ない。
自分が関わる必要はない。
私は頷いて、歩みを早めた。
だが、その時だった。
後方から、がさがさと物音が聞こえてきた。
なんだか、イヤな予感がする。
私は、おそるおそる振り返る。
予感は、的中した。
そこには、モンスターが数匹。
黄色い風船に目と口が付いたような「バルーン」が2匹、そして、狼型の「ウィンザム」が1匹。
こいつらは、慣れた冒険者にとって脅威になるものではない。
だが、動けない人間を殺すには十分すぎる3匹だった。
やつらはそれが当然かのように、倒れている男に向かっていく。
モンスターは、理由なく人間を襲う。だからこそ、それを駆除する私たち冒険者が必要なのだ。
放っておけば、確実に死ぬ。
私は、ぴたりと歩みを止めた。止めざるを得なかった。
「……ああもう、なんで私なのよ」
でも。
思わず、口に出してしまう。
今日は厄日だ。
そんなことを考えながら。
「さすがに目の前で死なれたら、後味が悪すぎるわ。私の足を引っ張らないで!」
私は杖を取りだした。
★
「……た、たすかった」
モンスターたちが消し炭になるのを見ていると、倒れていた男がぼそりと言った。どうやら言葉は通じるらしい。
「フン。たまたまモンスターがいたから、ぶっ殺してやったまでよ。あなたのことなんて知らないわ」
冷たい口調で言い放つ私である。
こういうところがあまりよくないのは、わかっている。
だが、構っていてもろくなことがなさそうだから、さっさと切り抜けてしまおうと決めていた。
しかし、返ってきたのは優しげな声だった。
「そうは、思わんでござる。きっと拙者が苦しんでいたのを見かねたのでござろう。すまなかったな」
何度かせき込みながら、ゆっくりと男は言った。
私は「ござる」という奇妙な語尾に驚く前に、思わず男の顔を見てしまった。
穏和そうな同色の瞳に、少し下がり気味の眉と目尻。
いかにも、であった。
男は「人の良さそうな」という形容詞が非常によく似合いそうな顔をしていた。
それにしても。ワケのわからんことを言いやがって。
そんなことを考えていると、やつは足を押さえながら、急に起きあがろうとしだした。
「ケガしてるんでしょ。無理に起きあがらないほうがいいと思うけど」
起きあがったら、面倒そうだし。
「いいや……! そうはイカンでござる。いま、やらねばならぬことは、ひとつでござるよ」
時折うめきながら、男はなんとか上体を起きあがらせる。
相当無理をしているようだ。全身がプルプルとふるえている。
「な、何するつもり?」
男は、膝を地につけ、私のほうを向いた。
そして、ゆっくりと手をつけ、頭をおろす。
土下座。
それは、まごうことなき土下座であった。
「ありがとう……! 助かったでござる」
男は、見事に逆立った黒髪をこちらに向けて、かすれ声で言った。
だが、正直驚いた。
こいつ、頭がおかしいんじゃないの? この状況でどうして土下座!?
「い、一体なんなの……」
「か、感謝のきもちを……ぐふっ!」
そこで、男は血を吐いて倒れ込んだ。
いや、無理しすぎだろ!
私は、ふたたびせきこむ男を見た。
こいつの行動、まったく理解できない……。
だが、状況は悪化した。ただでさえ弱っていたのに。
このままだと、やはり危険だろう。
……本当に、仕方がない。
私は大きなため息をつくと、“魔力”を手に集中。白い玉を造り、杖に触れた。
「……『ヒール』」
ヒール。回復魔法である。
私は、攻撃魔法である炎術を専門とする魔術師だ。しかし、このヒールを始めとしたある程度の支援魔法をしっかりと覚えている。……なぜなら、他人とパーティを組まないで行動することが多いからだ。それに、仮にヒーラーとパーティを組んでいても、そいつが自分よりも格下で無能だったら、回復や支援のタイミングを失敗するかもしれない。
自分の世話は自分でやる。これが私のポリシーである。
……ちなみに、これまで一度たりとも、他人に対してこの魔法を使ったことはない。
今回は、出血大サービスだ。
仕方あるまい。このまま放っておいては、やはり後味が悪いままなのだから。
男はしばらく倒れたままだったが、体をびくりとふるわせたあと、そろそろと動き始めた。
私のヒールには、応急処置程度の効力しかない。重ねがけもしていないので、すぐに動くのは無理だろうけど……。しばらく休めば歩くことくらいはできるようになるはずだ。
「この私が治してやったのよ。世界一運がよかったと思いなさい。この恩を一生忘れないで生きるといいわ。それじゃ」
私は言うだけ言って、きびすを返した。
ここまでだ。ここまで施してあげれば、もう死ぬことはあるまい。
これ以上関わるのは、もう無駄だ。
足を引っ張られるのは、もうごめんなのだ。
すぐに動くことはできないはずだ。
追って来られることもないだろう。
まさに完璧。まさにパーフェクト。
私は自己満足に浸りながら、歩き始めた。
がしり。
体が跳ねるとともに、びくんと引っ張られる。
右の手首に、何かが巻き付いた。
いや、違う。手だ。手をつかまれたのだ。
ありえない。動けるはずが、ない……。
私はイヤな予感を胸に、振り返ってみた。
「応! この恩、一生忘れないでござる!」
満面の笑み。
すでに立ち上がっていた男は、そう言った。
「後味が悪い」。そう思ったのは単なる気まぐれだったと思う。
だが、今にして思えば、このちょっとした気まぐれがターニングポイントだった。
この、奇妙な男との出会いが、全ての始まりだったのだ――。